菜根譚を読んでいると色々ヒントが散らばっていると感じる。

 

「醸肥辛甘非真味、真味只是淡。神奇卓異非至人、至人只是常。」

 

神農本草経を読んでいても、神農はあくまで1人ではないと思いますが、その人達はこういった感覚も持っていたように感じる。

もしくは美食に溢れた現代人だからこう思うのか。

また、それをどの様に表現したか。

 

切経を行う時も同じことだと思う。

何かをやろうとするではなく、無駄を削ぎ落として純粋でありたい。

雑音なんて知らない。

患者さんとの一対一。

一つ一つが淡々とした真剣勝負。

そういった気持ちで望みたい。

 

参考書籍

座右版 菜根譚  講談社 久須本文雄

お気に入りのカフェ。ゆっくりとした時間が流れています。

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