3年生前期の最後は、様々な鍼灸法の実技がありました。

色んな先生が単発の実技授業をしてくださるので今日の先生はどんなふうに身体を診て施術するのかなぁと興味深々でした。

学校の実技で「圧痛を探しなさい」と
言われたか、言われなかったか…あまり記憶はないけど、切経で圧痛を探す先生が多いなぁという印象でした。

この間までは皆がそうしてるから、私も前に倣え状態でした。

患者役になってわかってくるのは、
少腹を押圧したら痛くてたまらんのに、
徒手検査みたいに、痛みを再現するのは
なんだか気分が良くないものです。

お腹や背中を人に向けるということは、
自分の一番守らないといけない大事な所。
動物なら服従の姿勢です。

この経穴は○○に効く
○○穴はお灸すると良い
特定の症状=○○穴
と特効穴で配穴を教えてくれる先生もいらっしゃいました。

しかし、素体を無視して施術した結果、
しんどくなった人もちらほらいました。
私も逆上せた後、咽頭部が腫れて、
このまま放置したらヤバいな…
というところまできました。

 

「こういう時こそ鍼で治すといいですよ!」
と下野先生に背中を押されて
あれこれ調べて鍼で治療してみました。

身を削った結果、得るものも多く
良い経験になりました。

人の体をしっかり診ずして、根拠が明確ではなく方法論だけが一人歩きすると怖いなぁ…ということ。
鍼は良い風にも悪い風にも効くんだから、
素体を鑑みず、人の体を診る方法も知らず、
リスクを知らないまま施術することへの恐ろしさを感じます。

 

先日、下野先生に臨床論を勉強するにはどの本はどれがいいか聞いてみました。
この病気にはこの経穴といったふうに答えが載っている本と、載っていない本。

「経穴が載っていると考えが固定されてしまうから、経穴が無い方が自分で考えられますよ」
と下野先生。

 

型にはまることへの安心感。
型にはまることで見えなくなるもの。

今の私は、答えがない方が面白いと思いました。
遠回りなのかもしれないけれど、
創造力を掻き立てられます。

いずれまた型にはまることもあると思います。
それはそれで、また新たな気づきのきっかけになるのかな。

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