治療と勉強の狭間
◯ 治療の合間に勉強させてもらう
寺子屋で勉強会を開きました。
お互いの主訴から治療まで一連の流れを再現してみました。
「練習相手」と思うから、ダラダラやる。
寺子屋で患者さんの問診から切経を
「5分以内に終わらせるように」
と下野先生に何度指導いただいているのに、
守らず切経を終えて帰ってくる。
やはり『甘え』みたいなものがあったと思います。患者さんも不快に思いますね。
ストップウォッチで測りながらどこに時間がかかっているのか、寺子屋生にも客観的にも見てもらいました。
更に寺子屋生の施術を受けることで
モデル患者さんの治療をしている時の
自分を重ね合わせて、俯瞰して見ることができます。
無意識にやっていることを
改めて意識して修正し、
修正したものをブラッシュアップさせながら、
最終的には無意識でできるようになりたいです。
また、お互いの施術でたまたま選穴が同じだったのですが、気を付けなけれざならないと先生が仰ってた場所だけど、(なぜそうなのかわかっていない)悪い方向に向いた時、体験を共有することができました。
◯“治療の流れ”を意識しすること
私は舌→カルテ→脈→カルテ→お腹…と
診て書いての間に流れが途切れてしまいます。
空間やリズムに何か歪みなようなものが出て違和感が出ます。
それは患者さんも感じていることと思います。
書く、聞く、話すことに気を取られてしまうので、流れを止めないために鍼の袋を捨てる動作ひとつにしても色々と引き算していこうと思います。
視点・公孫・合谷
主語
自分の課題を解決するために主語を置き変えて視点も変えてみようと思う。
意識を変えてみたら実践中なのですが対人でも変化がありました。
打撲から奔豚
今朝起きたてに上がってくる感じ・落ち着かない感じがした。
奔豚だと思います。
昨日の実技の授業の時もそうでしたが、右の神門が触られると嫌な感じでした。
脈は全体的に強くなっている。
体を色々探ってみた。
すると右の公孫がべコーンと凹んで奥に何かいる感じでした。
何故こんな事になったのか考えていると日曜の夜にフットサルで右足の公孫あたりを軽く打撲していました。
衝脈との関わりでこの症状を起こしているかなと思ってその方向に打ってみました。
その後の神門の変化・公孫の形状変化・排便の変化・奔豚の変化・周辺の血管の様子など勉強になりました。
灸実技
学校では灸の授業でやたらと合谷を使います。
これをされた後の座学の授業の様子を見ると結構な人数がボーっとしています。
原穴的には大腸経ですが空間的に太衝と結びつけても氣滯の弁証にも使えると思います。
どこに核?
体のどこで受けるか。
昔何気なく、不意に先生から物を投げてどの様な受け取り方をされるか見られた事がありました。
その時の感覚とリンクするものがある。
そうなんだよな、自分は受け手なんだよなと再認識。
その感覚を掴めたら歩行、しゃがむ動き、足を踏む感覚など日常生活で訓練できる事なんていくらでもあって、その感覚をもったまま色々試す。
掴んだ瞬間はどこまでもいける感覚がある。
これも道なのか?
本当に気の合う人と接していてもある種の似た感覚に陥る事がある。
身体操作に限らない話だと思います。
老子「載營魄一、能無離乎。専氣致柔、能嬰児乎。…」
老子は読んでると色んな事を書いてる。
でも意外と内容は共通していて多くはなく、感覚を掴めるのか、継続できるのかと言ったところに一つの価値があると思う。
楽しんでいこう。
手の置き方 など
礼儀
こちらがどう思おうが、伝わらなかったら意味がない。
過剰なものは不必要だけど、最低限の事を伝えられなかったら相手にも失礼だし、自分の心持ちも悪くなる。
気をつけます。
空気感
体質によって作られる空気感を言語化できる様になれればなと思います。
心脾両虚の人はどこか「心が丸裸」で繊細な印象で、
肝火がある時は「空気が怒気(?)を孕んでて見てて怖い」など
言動、様子などでもある程度弁証できる気がしています。
先入観になってはいけないので、実際の体の反応と結びつけて勉強していければなと思います。
熱
学校の授業で灸を行ったり、熱を持たせられる様な実技が多いです。
先週受けた授業で、自身の体に熱が籠っていた。
後の反応として、翌日「こうなるかも?」と伝えて頂いていた事と、一時的に体が熱くなり放熱する様な感覚を覚えた。
どこかに出口はあると改めて実感しました。
手の置き方
先週ご指摘頂いた腹診時の手の置き方、問題は自分の意識にあると感じた。
もし患者さんに
「ここの手を置いて下さい」
と言われたらああいった感じにはならないと思う。
問診・切経に合意してご協力頂いたのだから、患者さんにとっての失礼はあってはいけないけど、こちら側で作った問題を持ち込む訳にはいかない。
明日の課題です。
自分の確認手段など
週末
先週の週末くらいですが、学校での様子をみると全体的にイライラしている様子の人が多かった気がします。
こちらから話を振る訳でもなく、久しぶりに昔出ていた症状が出てきたなど会話で出てきた。
そういう時期だったのかなと勉強になりました。
肝火の人は目と喋り方が爆発的な特徴を持つ気がします。
自分の確認手段
最近自分のどんな状態が良くて、どんな状態が良くないか前よりは実感できる様になってきた気がします。
良くない状態を作ってしまっている時、現実に存在する音、匂いなどに対する取りこぼしが多く、みるものの視点が近い。
その状態になっている時を確認すると変な没頭の仕方をしてしまっている事が多い。
改善方法としては、今に集中したら状態は良くなる。
もっと受動的に。
要らないものが多すぎる。
もっと自分と周りの環境を一致させたいな。
場所によって
小腸経の切経を行う時、相手の顔近くに手を置いてもらうやり方で労宮でみようとすると物理的に距離感が近くなりやすい。
最近は手の指でもみれたらいいなと思い、指先でも軽く触れるよう色々指先で触る訓練中です。
流れ
細かい部分を見るのはいいけども、そこに囚われた瞬間他の情報との関連を切ってしまっているので別物になる。
診断時、そうならないためにもサッパリ生きなきゃなと思います。
6月のこと
モデル患者さんが来てくださるおかげで
臨床に出る機会が増えて、
毎回新たな発見と気付き、失敗、課題にと
毎度ボリューム満載で
実りのある時間を過ごしています。
何事も経験であり、積み重ねしかありません。
自分の意識の在り様は鍼に伝わるし
悪い方にも出てしまう。
それは経穴の所為ではないことも。
一鍼同体なんだと思い知りました。
自分は横に置いて、と言い聞かせてる間は
コントロールできていないことだと思う。
無意識のレベルに達するまで
何度も練習していかねばなりません。
沢山思いはありますが、
この心境を言葉に表すことが今も難しく、
ブログを中々書けずにいました。
春
試験が終わり、色んなことに挑戦する余裕が出てきました。
色々調べていくと、1、2回生の時の様に好きな事に浸かっていき、その中で想像が膨らんで楽しいです。
最近は「生きるとは何なのか」といったテーマで調べ物を進めています。
その中で季節感というものも改めて取り入れたいと思いました。
今の季節で言うと春に何を感じるか。
1日1日と変わりますが、今は冬のキリッとした厳しさに比べてフワフワする日が多い様な…
色々体感しながら学びを進めていきます。
イライラ
情志の生理的機能は、気機の反応によって支えられている。そこで情志が激昂すれば気機の昇降出入を失調させ精気血津液の代謝を乱し、疾病を発生させる。
怒は肝に属します。肝の主な作用は疏泄を主り、血を蔵す。
イライラすると気が鬱滞し、すぐに発散できなければ熱を生み上炎してしまいます。
肝の疏泄作用は脾胃の受納運化機能を調節するので、肝気不疏になれば脾の運化機能や、胃の和降機能が失調する。
また肝気鬱が火に変化し上炎すると心にまで影響をおよぼします。その他にも津液が焼かれ痰が生み出されたり、陰が焼かれ陰虚の病証があらわれる。
主な症状としては、頭痛、眩暈、目の充血、耳鳴り、口苦。
心に影響した場合は、心悸、不眠、多夢などの
不調が起こる。
ホッカイロ
冷え性の方でお腹や腰にホッカイロを一日中貼りっぱなしで行動をしている方がいらっしゃいますが、貼りっぱなしは要注意です。
寒いところに出る時だけ貼るのであれば良いのですが、貼りっぱなしにしていると余分な熱が邪となり体に入り込み臓腑の弱いところに症状がでる場合があります。
例えばもともと脾虚の症候がある場合、余分な熱が脾を傷つけ運化の働きが弱くなり飲食物をうまく処理できず滞りができてしまい時間が経つと瘀血になってしまいます。
瘀血ができると通り道が狭くなるので気血の流れがより悪くなり熱が生み出されていきます。
熱は陽の性質なので、上へ上へ登っていき、眩暈や頭痛、嘔吐といった上部の症状がでてきます。
その上、脾は湿の調整を行なっています。
湿をうまく処理できずに浮腫んだり、皮膚に湿が残ったままになり冷えの症状がでたりします。
体の内側は熱により傷ついているのに、表面は冷えを感じる。冷えを感じるからホッカイロを貼る。ホッカイロによってまた余分な熱を体に与えては弱っていく。とゆう悪循環が生じます。







