ホーム Blog ページ 18

Blog

東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

今日の一曲

Takaaki Itoh - Bloom After Broken Life  https://www.youtube.com/watch?v=8nnwbs_umFA 勉学や人生の諸問題で、煮詰まった時に、僕はたまにこれを聴き返す。 【破綻したあとに咲く、「何か。」】 こういう音楽を、勉強時のBGMに取り入れることがあります。 いったい、何回、聴いた(=破綻≒何か咲く)ことやら…… ※林先生より「Blogは自由に、なんでも書いていい。」と承ったので、今後はこういう記事も増やしていきます。 ※怒られたら止めます。

中医内科学 心の病理②

こんにちは、大原です。 前回の続きです。 (前回:中医内科学 その2 心の病理①) 前回同様、訳の難しいところがあり、 日本語がたどたどしい箇所もありますがご容赦ください。 (2)心不主血脈(心、血脈を主らず) 血脈が正常で、気血は暢びやかにその中を流れ、 もって人体の物質代謝と臓腑作用の協調を保証する。 心の作用に障害が発生すると、 正常に血脈の働きをコントロールすることができなくなり、 血脈の循行に異常をきたすことによる 多種の病証を引き起こすことになる。 心のよく見られる病機は以下のものである。 心気不足: 心気虚とは、心の作用の減弱を指し、血をめぐらす力が無く、 血脈を推動することができず、 あるいは痰濁、瘀血によって痛みやしびれがおこり 心脈の通行が阻(はば)まれる病理状態を指す。 もし長患いが癒えずに、脾肺の気虚がある、 あるいは年齢のため身体が弱り腎気に虧損があるなど、 生化の源が無いものは みな心気の虚衰をもたらす。 心気不足は、神が養われるところを失うと 血を運ぶ力が無く気虚であるため 心悸、気短の症状や、脈は虛で細、または結代があらわれる。 心陽暴脱: 心陽虚の極み、あるいは心悸が傷られ、 にわかに虚脱(病人の心臓が急に衰弱して、体温が下降し脈拍が微弱になる現象)となる。 多くは平素より心気が虚弱で、心陽不振があり、 激しい動作をして心気が支えられず心陽が突如絶える、 あるいは大汗をかく、失血過多は、陽に従って陰も脱する、 あるいは邪熱が内に閉塞し、陽気が外に浮越し、陽気暴脱して神気は消滅する。 一般的には心悸怔忡、顔色は蒼白、汗が出て四肢は冷たく、 甚だしければ、脈は微で疾数、散乱して絶えようとする。 心火上炎: 心経の火盛によるもので、経をめぐって上炎したもの。 多くは情志の傷るところにより、五志の過が極み化火し、 心神が内擾するに至って、心中は煩熱し、煩躁して眠れず、 経をめぐって上炎すれば 口や舌に瘡ができ舌は腫れて疼痛する。 心血虧虛: 血は心によってめぐり、心は血によって養われる。 血虚であれば心を養えず、心中動じ怔忡をなす。 『済生方』によると 「怔忡は、心血不足による。」とあり 血不足によって怔忡があらわれる場合は、常に脈が結代促等が伴う。 心脈痹阻: 脈絡の病変で、血流の詰まりや滞りによってたやすく引き起こされる。 特別、心脈について病証を設けているのは 心臓の危害はとりわけ大きく、これは心痹、真心痛の基本病理変化で 多くは瘀血、痰濁が絡を滞らせることによる。 『素問』痹論篇にある 「心痹なる者、脈通じず、煩なればすなわち心下鼓、にわかに上気して喘す」 とあるが、このような病変に属するものがこれにあたる。 次回は 2.小腸の病機についての予定です。 ■参考文献 『中医内科学 第2版』 人民衛生出版社
切脈一葦

切脈一葦 上巻2

こんにちは、大原です。 前回の続きです。 前回:切脈一葦 上巻1 今回も、原文に書かれている文意を汲み取りながら、 その読み方や 著者の言いたいことは何かを考えていきます。 今回のところは、主に、著者の脈診に対する 厳しい考え方が記されているところになります。 --------------------------------------------------------------------------------- 画像は京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より、 9ページ目から引用。 (本ブログ記事で参照した箇所を掲載) <読み> 脈は、血気の盛衰を診する処(ところ)にして、 病の所在を診する処にあらず。 故に部位を論ぜず、 ただ動脈のあらわる処(ところ)をもって、 診脈の処となすべし。 寸口を診するの法、三指をもって、 掌後後骨の側、動脈手に応ずる処を按じて、もって寸口と定むべし。 脈あらわる処長き者は、指を疎にして診し、 脈あらわる処短き者は、指を密にして診るべし。 小児は、一指をもって診すべし。 反関の者は、動脈あらわる処を以て、寸口と定むべし。 凡脈を候うことは、五十動を診するをもって法とす。 必ず倉卒(そうそつ:急なさま。また、あわただしいさま)に 看過することなかれ、 もっぱら心を指下に留めて、 言することなかれ、 観ることなかれ、 聴くことなかれ、 嗅ぐことなかれ、 思うことなかれ、 これ脈を診するの要訣なり。 →ここまでは脈診における秘訣が書かれています。 脈を診るときは、 それ以外のことに神経を奪われたりせずに 脈診に集中することが一番大事であるぞ! と書かれています。 寸口は、手太陰肺経の脈にして、 五臓六腑の死生吉凶を決する所となし。 肺は諸気を主るゆえに、 また気口と名づけ、 肺は百脈を朝せんとして、 脈の大会なるゆえに、 また脈口と名づく。 その名3つあれども、その処は一なりというは、 皆分配家の説にして空論なり。 寸口は固より十二経の名も、 経穴の名も、いまだ有らざる以前の名にして、経穴の名にあらざるなり。 然るも後世に至って、 経絡を分かちて空所の名を配するときに、 寸口の地を、肺経の脈動と定めて、経渠・太淵二穴を配したる者なり。 また気口・脈口等の名は、 その後肺経の理を推して、名づけたる者なり。 →以上、ここでは、 脈診で脈をとる手首のあたりのことを 寸口といったり気口といったり脈口というが それらは 「単に言い方を変えているだけで 同じものだ」というのは嘘だぞ! と言ってます。 『素問』に、寸口気口の名有りて寸関尺を分かちて 三部と為すの説なし。 『難経』に始めて寸関尺の名を立つといえども、 いまだ左右に臓腑を分配するの説なし。 晋の王叔和に至って、始めて左右に臓腑を分配 するの説を出せり。 一の難は、一呼吸の間に、脈行くこと六寸、一日一夜に、脈行くこと五十度と定めて、 二の難は、尺寸を一寸九分と定めて、 臆見(おっけん:確たる根拠のない、推測や想像に基づく考え)を もって空理を論じたる者なり。 十八の難は、三部四経の説を立てるといえども、その言簡古にして解すべからず。 王叔和の分配を得て、粗通すといえども、これを要するに無用の空言なり。 →ここの最後のあたりに 「空理を論じているぞ」、 「無用の空論」であるぞ! と言ってますが つまり、脈診において 左右の脈それぞれに臓腑を割り当てるのは 机上の空論であって 実際はそんなことは全くないのだ! と言ってます。 『霊枢』に、気口と人迎とをもって陰陽に配して診することあり。 これまた無用の空言なり。 →また「無用の空論」が出てました。 『素問』に、寸を按ずの語あれども、寸は寸口のことなり。 尺は肘の横紋より、掌の根までの間を尺といいて、 この処の堅脆滑渋を見て、診法と為することなり。 また尺内の両傍は季肋なりの語あれども、尺内は、腹のことなり。 然るを分配家の徒が、尺脈のこととするは誤りなり。 →「尺」とは いわゆる「寸関尺」の尺だけではないぞ、 他の意味もあるんだぞ、と言ってます。 趺陽は、趺上にあらわるをもって、名づけたる者なり。 然るを後世に至って、分配家の徒が足陽明胃経に配して、 衝陽と名づけて、胃気の有無を候う処と為す者は、 寸口を五臓の気を候う処とするともってなり。 また人迎を足陽明胃経に配するも、この意なり。 それ脈は、皆胃気を候うの診法なり。 なんぞ、人迎趺陽のみに限らんや。 両額の動脈を、上部の天となし、 両頬の動脈を、上部の地となし、 耳前の動脈を、上部の人となし、 手太陰を、中部の天となし、 手陽明を、中部の地となし、 手少陰を、中部の人となし、 足厥陰を、下部の天となし、 足少陰を、下部の地となし、 足太陰を、下部の人となす者は、 素問の三部九候なり。 両額の動脈は、足少陽胆経の頷厭の動脈を指すなり。 両頬の動脈は、足陽明胃経の地倉の動脈を指すなり。 耳前の動脈は、手少陽三焦経の和髎の動脈を指すなり。 手太陰は、肺経の経渠の動脈を指すなり。 手陽明は、大腸経の合谷の動脈を指すなり。 手少陰は、心経の神門の動脈を指すなり。 足厥陰は、肝経の太衝の動脈を指すなり。 足少陰は、腎経の太谿の動脈を指すなり。 足太陰は、脾経の箕門の動脈を指すなり。 これ皆分配家の空論にして、 実時に用え難し。 もし、よく18箇所の動脈を診し得るといえども 病証を論ずるに臨みて、いずれの動脈を主となすべけんや。 これ一身一動脈にして、 別脈にあらざることを知らざるの誤りなり。 →脈を診る場所が18箇所もあったら、 どの脈を診て判断すればいいのか? 人間の身体に18本の脈があるんではなくて 全部つながってるから(一身一動脈) 18箇所も診なくて良いのではないか? そういうことが分かってないから こんな誤った空論を書いてしまったのだ! 魚際と尺沢との間を、一尺と定めて、 掌後一寸九分をもって、尺寸の地となし、 前九部を寸となし、 後ろ一寸を尺となし、 寸と尺との間を関となす。 これを三部という。 寸は胸以上の疾を主どり、 関は膈より臍に至るまでの疾を主り、 尺は臍以下の疾を主る。 また医の指を浮かべて診するを浮となし、 中按して診するを中となし、 沈めて診するを沈となす。 これを九候という。 浮は心肺を候がえ、 中は脾胃を候がえ、 沈は肝腎を候がう。 これ難経の三部九候にして、 全く分配家の空論なり。 たとえば・・・ (ここまで) →脈で、 寸は胸以上の病、 関は膈〜臍の病、 尺は臍より下の病を診るとあり、 浮は心肺、 中は脾胃、 沈は肝腎を診ると難経にあるが、 これらも空論であるぞ、 と言ってます。 --------------------------------------------------------------------------------- さて、著者がばっさりと「空論であるぞ」とした内容は 鍼灸の学校の実技の授業などでも 教わった内容だと思います。 『素問』の現代語訳など目を通すと 「素問に書いてあるのでやっぱり正しいことなのか・・・」 と思ったり でも、やはり「本当にそうなのか?」みたいな感じも 個人的には両方あったように思います。 脈診における考え方において、 この『切脈一葦』を読んで 「空論だと言っているから 寸関尺を臓腑に割り当てる考え方は間違っているんだ」などと 安直に片付けてしまうのは良くないでしょうが、 著者が空論だと言い切る理由を 知っておくのは大事だと思います。 もしその理由が腑に落ちないなら、 もとの考え方にも一理あるのでは、 という具合に 考え方の幅が拡がるように思います。 重要なところですが、 長いので続きは次回にします。 引用: 京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より

気虚

  先日知り合いの体を見せてもらった。   責任のある立場で頭を使う事が多く、時間や食欲の関係もあり朝食抜きが多い、手首足首が細い、声が小さい、食欲不振、低血圧、真面目など   脈は微かに弦数だけども大きな問題は脈がとても弱い事   舌は辺縁に赤みが見られるが薄く小さく、微かに膩苔が乗る程度   お腹は氣滯もあるが、脾胃を示すところが頼りないのが1番の問題。   太衝、足三里がメインで太谿に軽い反応も気になった。   ここからが自分の課題の本番で、翌日相手の状況を再現してみた。   まずは同じ条件にしてみようと 朝食抜きで16時まで外でひたすら勉強で 頭脳労働+脾胃の弱り   という状態を作ってみた。 腹部は弱々しい感じになり、足三里にも反応が出て、脈も弱々しくなった。   この時、精神状態としては本当に絶望的。 経別が心と直接連絡しているからかな。   相手の立場に立ってみる。 こんな気持ちの時には相手にどう接して欲しい? その時の自分の振る舞いはどうだったか? あの時の相手の体勢は何を意味する?   省みて気をつけるべき点が沢山出てくる。   脾という点から見ても 臓腑経絡学P111 「臨床的にみても、脾の陽気を増す事が如何に重要であるかを示している。脾に陰虚・血虚がほとんどないのはこの為であり、脾の臓を動かす場合は、乾かす事がポイントとなってくる。 漢方薬でも茯苓、白朮をよく使うのはこの為で、穴では足三里が重要になってくる。」   自宅に戻り、食前に足三里に鍼を5分置鍼。   刺した直後にお腹にも変化が出ていました。   食欲、精神ともに上手く戻ったのですが置鍼時間が長かった為か逆上せてくる感覚もあった。   繊細な操作が必要だと思いました。       興味 色んなことを知っていかなければいけない。 体験するのが一番手っ取り早いんだろうなと思います。 色々遊ぼう。   参考資料:臓腑経絡学 アルテミシア  監修 藤本蓮風

五行大義(06)

天皇陛下は、5月に皇居内の生物学研究所脇の水田にて、田植えをされます。 皇后陛下は、5月に蚕に桑の葉を与える御給桑(ごきゅうそう)をされます。 五行大義の水の性のところ、 「天子は耕に親しみ・・、王后は蚕に親しみ・・」とある。 我が国の文化の一端を知ることができ、興味深く思います。 潤下 水曰潤下。潤下者、水流濕就汗下也。 北方至陰、宗廟祭祀之象。 冬陽之所始、陰之所終。終始者、綱紀時也。 死者魂氣上天爲神、魄氣下降爲鬼。 精氣散在於外而不反。故爲之宗廟、以収散也。 易曰、渙亨、王假有廟、此之謂也、夫聖人之德、又何以加於孝乎。 故天子親耕、以供粢盛、王后親蠶、以供祭服、敬之至也。 敬之至、則鬼神報之、以介福。此順水氣。 水氣順、則如其性。如其性、則源泉通流、以利民用。 若人君廢祭祀、漫鬼神、逆天時、則水失其性、水暴出、漂溢没溺、壊城邑、爲人之害。 故曰水不潤下也。 水に潤下という。潤下なるもの、水 湿に流れ、汗に就れ下るなり。 北方は陰に至り、宗廟・祭祀の象なり。 冬 陽の始まるところ、陰の終わるところ。終始なるも、綱紀の時なり。 死なるもの、魂氣 天に上がり神となし、魄氣 下降して鬼となす。 精氣 散りて外に在りてかえらず。故に此を宗廟となりて散ずるを収るなり。 易にいわく、渙は亨り、王は有廟にいたると、これこれというなり、それ聖人の徳、また何をもって孝と加えるか。 故に天子は耕に親しみ、もって粢盛を供し、王后は蚕に親しみ、もって祭服に供し、敬これに至るなり。 敬 これに至れば、すなわち鬼神はこれに報いて、介福をもってす。これ水氣の順なり。 水氣の順、則その性の如く。その性ごとくは、すなわち源泉・通流し、もって民用に利する。 若い人君は祭祀を廃し、鬼神をあなどり、天時をかえし、すなわち水のその性を失い、水にわかに出て、漂溢・没溺し、城邑を壊し、人の害をなす。 ゆえに水、潤下ならずという。 【参考文献】 『五行大義』明德出版社 『易経』徳間書店 『安岡正篤 易経講座』致知出版社

傷寒論の学習 その1

こんにちは。 傷寒論をはじめて勉強していく場合、 学校の教科書や入門書では ・太陽病:表寒証 ・陽明病:裏実熱証 ・少陽病:半表半裏証 ・太陰病:裏虚寒証(脾陽の虚) ・少陰病:裏虚寒証(心腎の虚) ・厥陰病:外感病の末期で陰陽の失調 と学習していくと思います。 これらは主となる証であり、 専門書では この主となる証のことを 「提綱証(ていこうしょう)」と言ったりします。 たとえば太陽病の提綱証は表寒証であり、 その綱となる症候として、 脈は浮脈、症状は悪寒、頭痛(頭項強痛)とされます。 太陽病以下、 陽明病では便秘、潮熱、舌は黄色く乾燥するなど、 それぞれの綱となる症候があり、 これらは入門書にも書かれていて 学校の教科書にもほとんど載っている内容ですので 国試にも出題されていますね。 さて、ここからが本題なのですが、 このような入門書や学校の教科書だけで 学習が終わってしまうと、 傷寒論のごく一部しか 知らないことになってしまうということです。 太陽病だからといって表寒証だけかというと 実はそうではなく、裏証もあります。 同様に、陽明病だからといって裏熱証だけかというと そうではなく、 陽明病の裏寒証と分類する証候もあれば 裏虚証と分類する証候もあります。 具体的には、 太陽病の綱証は表証と述べましたが、 太陽病自体を表裏で分けて考えてみると、 太陽病には ①太陽経証 ②太陽腑(実)証 があるとされています。 ①太陽経証は上述した表寒証のことですが、 ②太陽腑証とは 膀胱の機能が失調して小便が出ない太陽蓄水証、 瘀血が停滞する太陽蓄血証があり、 裏である膀胱腑の機能が失調するものをいいます。 表裏、虚実、寒熱、陰陽は それぞれ相対的な概念で、 太陽病だからといって必ずしも表証であるということではなく、 表にある邪が内陥して膀胱の機能を失調させることは 可能性として 普通に考えられることです。 <続く>

学生・東洋医学を学ぶ者の為のプロジェクトを設置。

これからも勉強会や企画を 展開していきますが、 参加して頂いても、 なかなか単発でその場では 触発されて気持ちが盛り上がる ものの、 結局、それが日常にはならないといった問題が 発生します。 これが根本問題だと思います。 そこで、 一鍼堂の方から一つ、新しい サイトを作り、 勉強したいと思う有志にそれぞれ アカウントを発行して、 勉強した内容や疑問などを日記調に書き記して いってもらって、 それを僕らの方で見させてもらって、 アドバイス出来るものはするといった ものを考えています。 エントリーしたい人はまた、挙手お願いします。

天人合一(01)

先輩に許可を頂いた患者さんに、問診に入らせて頂いております。 望診・聞診・問診・切診。 四診合参し、取穴を想定する訓練を一つ一つ手ほどきを頂きます。 患者さんの発するインフォメーションについて 自分の頭の中でシャッターを切りますが、 課題としては、一部分に注視しすぎるところでしょうか。 要は、全体が診えていないなと。 広く全体の情報を、クールダウンして俯瞰しなくては。 と、いう事で自宅に眠っていたカメラを引っ張り出してみました。 情報をいかにキャッチできるのか。 些細な情報の一つ一つを、瞼に撮る訓練をしてみたいと思います。 【参考文献】 『新版 東洋医学概論』株式会社 医道の日本社

気になった事を色々と

  《標本》 色んなパターンを思考してみる。   例えば、方剤では「芍薬甘草湯が腓返りに効く」とされる。   以前勤めていたところは整形外科の処方箋がバンバン来るので反応聞いてみると確かに症状は緩和されている。   しかし、効かない人やいつまでも服用する人も発生する。   全く効かない一つのパターンとして存在したものが「脾胃が弱って痩せ細っている人」   《現代語訳 黄帝内経素問 P375》 「食物が胃に入って消化されると、一部分の精微な気は肝臓に送られ、そこで浸みこみ溢れた精気は筋に滋養を与えます。」   ここから脾胃の弱りから肝が関わる腓返りが発生すると想像すると、じゃあ※太衝を使って肝血を増やしたとする。   でも発生した肝血虚が副次的なもの何だったら繰り返し起こる事になる。   方剤でも抑肝散の構成をみると 〈柴胡・甘草・川芎・当帰・白朮・茯苓・釣藤鈎〉   説明では、 《中医臨床のための方剤学 P428》 「健脾薬の配合は、脾の健運を通じて肝の陰血を補充し、柔肝する目的である。」   元々脾胃が未成熟である乳幼児の処方であった事を考えると、本は脾胃であると考えられる。   ※まだ刺して治した経験がないので、穴性学の知識で仮定しています。     《自身の治療変化》   ここ最近の治療で体がまた変わってきた事を感じる。   自身がほんのり感じていた右の違和感に変化あり。   治療後の自分のお腹を触る。   右の邪が溜まっている部分が熱くなっている。   きっとしっかり治っていってるんだなと嬉しくなる。   そういえば、臍の形も変わったな。   変化を感じた箇所   太白周辺が赤みを帯びている   何か走ったなと思う箇所の付近にある経穴 腎経…兪府 胆経…京門、風市、帯脈、環跳、頭臨泣 脾経…血海、三陰交、商丘、大包、四白 肝経…曲泉   色々あるが使われた手数はとても少ない。   《電車の中で》 電車に乗っていると こちらが逃げたくなる様なかなりの圧を感じる人がいる。   おそらく警戒心の様なものなのかな。   自身が投影されている部分もあるのかも…   患者さんの体を触るときも気をつけたい。   《臍》 神厥で起こる様な変化は果たして神厥に限った話なのかな。   他の経穴にも起こるのかもしれない。   そうなってくるときっと本に乗っていない様な色んな見方ができる様になるかもしれない。   それが合っているかどうかはまずはきちんと診れる様になった先にある話だけれど。   参考資料 「中医臨床のための方剤学」    東洋学術出版社 神戸中医学研究会著 「現代語訳 黄帝内経素問 上巻」 東洋学術出版社 南京中医学院編  
桜

食べることについて①

皆さま、初めまして。 受付をしております、鍼灸学生のイワイです。 ここでは、日々の学習のことやそこで生じた疑問など様々なことについて、学生なりに書いていきます。 どうぞよろしくお願いします。 早速ですが、新年度になりました。 桜が満開で見頃を迎えてますね! 春といえば、「新しいこと」を始めるのに適した季節だというわれています。新しいチャレンジや生活など、楽しみな気持ちと新しいことに取り組む不安もあると思います。 私達の身体は何か取り組むとき必ずエネルギー、気力、体力が必要になります。 そこで、新しいことに向き合うために、日々の生活の中で欠かすことのできない〝食事〟について勉強し、食べることで身体へどういう影響がでるのか、西洋医学と東洋医学での、それぞれの概念について勉強しました。 西洋医学的には、私達が食事した際、口から入った食べ物は 口→食道→胃→小腸→大腸→肛門 という順ではいって、外で便として出て行きます。この過程の中で、体内に栄養素を取り込み、身体に必要な物資に再合成し、吸収されています。 では、東洋医学的にはどういう概念でしょうか? 東洋医学的に考えると、まず人体の構成や生命活動を維持するのに最も基本的な物資のことを〝精〟といいます。 この〝精〟には、父母から受け継いだ〝先天の精〟と飲食物を摂取することにより得られる〝後天の精〟の2つから成り立ちます。先天の精の量は生まれたときから決まっていますが、後天の精は飲食物を摂取することで絶えず補充されています。 次回は、後天の精について勉強したことを書いていきたいと思います。 ————————————————————— 【参考文献】 「生理学 第3版 」東洋療法学校協会 編 「新版 東洋医学概論」東洋療法学校協会 編