督脈
背中で診断する際、督脈と臓腑の関係が少し整理できそうです。
中医臨床 臨床経穴学 P729
第15章 督脈
「本経経穴の効能面では、各経穴ともその経穴の所在部位とその近隣の局部の病証、穴下にある関連臓腑・器官の病証を治療することができるという共通性がある」
つまり膀胱経だけではなく督脈の経穴もしっかり臓腑の状態が反映するので診なければいけないし、そちらを治療穴にする場合があるので確認する必要があることがわかりました。
先週の記事で書いた疑問を少し深掘りできた気がします。
現代語訳 奇経八脈考 P194
「各陽脈はすべて足太陽に従属し、足太陽は督脈と連係しているので、各経の陽気を主治することができるのである。足太陽と督脈の作用を、明確に分けることは非常に難しい。
例えば古代に経穴画「十二人図」を作った際に、督脈は足太陽に入れ、任脈は足少陰に入れているが、これは両者の関係が密接なことの反映である。」
ここからも何か学べる気がしますが、まだ掴めないのでとりあえずメモとして残させて頂きます。
参考資料
「中医鍼灸 臨床経穴学」 東洋学術出版社 李世珍著
「現代語訳 奇経八脈考」 東洋学術出版社 李時珍著 現代語訳・和訓 勝田正泰
天人合一(01)
先輩に許可を頂いた患者さんに、問診に入らせて頂いております。
望診・聞診・問診・切診。
四診合参し、取穴を想定する訓練を一つ一つ手ほどきを頂きます。
患者さんの発するインフォメーションについて
自分の頭の中でシャッターを切りますが、
課題としては、一部分に注視しすぎるところでしょうか。
要は、全体が診えていないなと。
広く全体の情報を、クールダウンして俯瞰しなくては。
と、いう事で自宅に眠っていたカメラを引っ張り出してみました。
情報をいかにキャッチできるのか。
些細な情報の一つ一つを、瞼に撮る訓練をしてみたいと思います。
【参考文献】
『新版 東洋医学概論』株式会社 医道の日本社
朱丹溪の処方について。
反佐論
『たとえば近代の医家が宗とし法とするものに丹渓の書がある。その朱丹溪が呑酸を治療する際には炒黄連(さおうれん)を君とし呉茱萸(ごしゅゆ)を佐とする《左金丸》のが常である。また心腹が痛むものを治療する際には、山梔子(さんしし)を倍加して炒乾姜(さかんきょう)を佐とするとよいと言っている。このように寒薬を君とし熱薬を佐とするような処方の構成は、私には理解できない。もしその症状が熱によって出ているものなら冷やせばよいだろうが、どうしてさらに呉茱萸や生姜といった熱する薬を用いるだろうか。もしその症状が寒によって出ているものなら熱せばよいだろうが、どうしてさらに黄連や梔子といった冷やす薬を用いるのだろうか。・・・その疾病の原因を理解できないので、熱薬を用いたり寒薬を用いたりするのである。また、病状と方剤の寒熱が同じか違うかを判断できないので、その病気に対して真の見解を持つことができず、寒熱両方の見解を持ったまま治療していくことになるのである。これが医家における病の最たるものであり、自分自身を深く反省しよく戒めなければならないところである。』
黄連 :清熱燥湿、清熱瀉火、瀉火解毒
呉茱萸 :暖肝・散寒止痛、下気止嘔
山梔子 :清熱瀉火・除煩、清熱利湿、清熱涼血・止血、清熱解熱
炒乾姜 :温中散寒、回陽通脉、温肺化痰・化飲
左金丸(別名:回令丸、萸連丸):清肝瀉火、降逆止嘔
君薬 :主となる病態を治療するもので配合薬の中で最も重要なもの
臣薬 :君薬の作用を強めたり主証に付随する兼証を治療するもの
佐薬 :君薬・臣薬を補助するもの
使薬 :諸薬を調和したり服用しやすくするもの
張景岳は景岳全書の陰陽論の中で劉河間と朱丹溪を、陰陽に対しての治療方針について批判的でありましたが、反佐論の中でも丹渓の書を用いて説明がされています。
病因の把握、治療方針の見立てなど、歴代の医家達にも様々違いがあるように難しいところなのかと思います。
そして、そこが研究し続ける重要なテーマに思います。
【参考文献】
『現代語訳 景岳全書 伝忠録』たにぐち書店
『中薬学』東洋学術出版社
『方剤学』医歯薬出版株式会社
『新版 東洋医学概論』医道の日本社
素問 陰陽応象大論篇(第5)から その3
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こんにちは、大原です。
前回の続きです。
(前回の記事→素問 陰陽応象大論篇(第5)から)
(前回の記事→素問 陰陽応象大論篇(第5)から その2)
前回は、「陰為味」すなわち
飲食物は陰(地)の気によって生じるという記述から
考察していきました。
続いて、今回は「味」と「気」が
身体にどのように作用するかについてを
陰陽で考察していく内容になります。
【原文と読み下し】
・・・
陰味出下竅、陽氣出上竅。(陰味は下竅に出て、陽気は上竅に出(い)ず。)
味厚者為陰、薄為陰之陽。(味厚き者は陰と為し、薄きは陰の陽と為す。)
氣厚者為陽、薄為陽之陰。(気厚き者は陽と為し、薄きは陽の陰と為す。)
味厚則泄、薄則通。(味厚ければすなわち泄し、薄ければすなわち通ず。)
氣薄則発泄、厚則発熱。(気薄ければすなわち泄を発し、厚ければすなわち熱を発す。)
壮火之氣衰、少火之氣壮。(壮火の気は衰え、少火の気は壮んなり。)
壮火食氣、氣食少火、壮火散氣、少火生氣。(壮火は気を食らい、気は少火に食らい、壮火は気を散じ、少火は気を生ず。)
氣味辛甘発散為陽、酸苦涌泄為陰。(気味の辛甘は発散して陽と為し、酸苦は涌泄して陰と為す。)
1行目ですが、
味(身体を作る飲食物)と気(身体を動かすための力)は、
味は有形なので身体の下竅(=尿道・肛門)へおもむき、
気は無形なので身体の上竅(=目・耳・鼻・口)へおもむく、とあります。
この関係からすると、味と気を陰陽で分けると、
味は陰で気は陽となります。
そして2〜3行目、
厚い味は陰で、薄い味は陽、
厚い気は陽で、薄い気は陰であると続きます。
すなわち、味は陰に属するので、
厚い味は陰中の陰、薄い味は陰中の陽であり、
気は陽に属するので、
厚い気は陽中の陽、薄い気は陽中の陰である、とあります。
これは
陰が厚くなればさらに陰に傾き(=陰中の陰)、
陽が厚くなればさらに陽に傾く(=陽中の陽)ということです。
気や味について陰陽の分類がなされていますが、
これらをよりイメージしやすくするために
次のように具体的な食材を考えてみました。
(私のイメージですが・・・)
・厚い味 → 濃い味の食べ物:ラーメン、スイーツ、お酒のおつまみ、・・・
・薄い味 → 薄味の食べ物:おかゆ、豆腐、生野菜、だし汁・・・
気についても、飲食物で喩えてみると分かりやすいかも知れません。
・薄い気 → 程良い温度の料理、水、番茶、・・・
・厚い気 → お酒、熱々の料理、わさびなど鼻がツンとする薬味、・・・
といったところでしょうか?
これらが体内ではどのように働くかが4〜5行目にあります。
味厚則泄、→「泄」は泄瀉で下痢のことです。
薄則通。→「通」は気血がよく通じるということでしょう。
氣薄則発泄、→「発泄」とは発汗ということだと思います。
厚則発熱。→「発熱」はそのまま熱を発するということでしょう。
6行目から、「少火」と「壮火」という言葉が出てきます。
「壮火」とは壮(さか)んな火で、「気を散じ」とあることから
過度な陽気を表していると解釈され、これに対し、
「少火」とは「気を生ず」とあることから
正常な陽気を表していると解釈されます。
喩えると、
正常な体温ではなく、発熱した状態が続くと
体力が消耗してしまうようなことだと思います。
最後の行では
味の性質についての説明で
辛甘は発散する性質があるので陽、
酸苦は涌泄させる性質があるので陰、
とあり、五味の性質が書かれています。
「涌泄」とは吐下の作用すなわち
吐かせたり、下したりする作用をいうようです。
さて、五味の性質を陰陽で分けていますが、
なぜこのように分類されるのでしょう?考えてみます。
「辛」→ 働きは「散」 → 発散に働く → 陽
「甘」→ 働きは「緩」 → 気を緩める → 停滞している流れを動かす → 陽
「酸」→ 働きは「収」 → 引きしめる作用 → 陰
「苦」→ 働きは「堅」 → 固める作用 → 陰
(五味の働きについては
前回の記事→素問 陰陽応象大論篇(第5)から その2 を参照ください)
ということでしょうか。
また、五味にはあと1つ「鹹」がありますが
ここでは述べられていません。
考えてみますと
「鹹」→ 働きは「軟」 → 柔らかくする → 陽
となるかと思います。
味や気について、身体への作用を、
陰陽で考察してきました。
全体として抽象的な内容ではありますが、
自分なりに具体例を考えていくと面白いかも知れません。
参考文献
『黄帝内経 素問』 東洋学術出版社
視点・公孫・合谷
主語
自分の課題を解決するために主語を置き変えて視点も変えてみようと思う。
意識を変えてみたら実践中なのですが対人でも変化がありました。
打撲から奔豚
今朝起きたてに上がってくる感じ・落ち着かない感じがした。
奔豚だと思います。
昨日の実技の授業の時もそうでしたが、右の神門が触られると嫌な感じでした。
脈は全体的に強くなっている。
体を色々探ってみた。
すると右の公孫がべコーンと凹んで奥に何かいる感じでした。
何故こんな事になったのか考えていると日曜の夜にフットサルで右足の公孫あたりを軽く打撲していました。
衝脈との関わりでこの症状を起こしているかなと思ってその方向に打ってみました。
その後の神門の変化・公孫の形状変化・排便の変化・奔豚の変化・周辺の血管の様子など勉強になりました。
灸実技
学校では灸の授業でやたらと合谷を使います。
これをされた後の座学の授業の様子を見ると結構な人数がボーっとしています。
原穴的には大腸経ですが空間的に太衝と結びつけても氣滯の弁証にも使えると思います。
相反①
先日診せていただいた患者様の状態がとても勉強になったと同時に少し嫌な気持ちにもなった。
対症療法ばかり行って正気を虚損させて戦う元気もなくなり症状が治ったと豪語する。
自身の体験も含め好きではない治療法です。
さらにそこに作用の反する薬を飲んでカバーしてもプラスマイナスゼロにしているだけで何もなっていない。
やっている事はトリカブト保険金殺人事件と同じだと思う。
この事件、大体の内容としては
「トリカブト(附子)の毒が入ったカプセルを飲ませパートナーに保険金をかけ手に掛ける。」
といったもの。
しかし附子を服用すると普通5分そこら早い時間で亡くなる。
現場には死亡推定時刻の1時間前くらいに前まで一緒にいた加害者が急用でいなかったのでアリバイがある。
しかし怪しい。
するととある魚関係の業者から連絡があり、
「草河豚を大量に買った人がいた。」
との事。
そこで容疑者の自宅を捜索すると大量の草河豚が見つかった。
何故草河豚を使ったのか。
後から調べると実は
附子毒(アコニチン)と河豚毒(テトロドトキシン)はどちらも神経毒だが全く逆の働きをする。
具体的にはアコニチンはナトリウムチャネル活性化、テトロドトキシンは不活性化。
これを一つにまとめたカプセルを飲むとどうなるか。
アコニチンとテトロドトキシンが拮抗している内は毒と毒が相殺され生きています。
しかし代謝時間の差でテトロドトキシンの効果が無くなるとアコニチンが効いて結局死に至ります。
加害者はアリバイ時間を作る為にその二つが入ったカプセルを飲ませたのでした。
恐らくこの仕組みを昔の中国人は経験から理解していたのか
国訳本草綱目 10巻 P603
「荊芥、菊花、桔梗、甘草、附子、烏頭と相反し…」
相反とは作用が逆で拮抗することなので、打ち消し合う関係。
実際、
同書籍 P603
「物類相感志には「凡そ河豚を煮るには、荊芥と共に煮て五七沸して水を換える。かくすれば毒が無くなる。」とある。これは二説しているように見えるが、実は河豚の毒は荊芥に入るから毒がなくなるのではないか。」
荊芥で無毒化していましたが、これを附子で行っただけの様に思えます。
私はこの内容、臨床にとても関係すると思っています。
このテトロドトキシンがナトリウムチャネルを不活性化する働き、心療内科やてんかんなどの薬で同じ働きをするものが多いからです。
薬剤師で漢方メーカー東洋薬行の社長である惠木弘先生は
著書「体がよろこぶ!「効く」漢方の正体」P 57、58で
「向精神薬というのはすべて体を冷やす作用があり、その結果、腎のエネルギーが一気に失われて落ち込んだ気分がますます落ち込むことになるのです。気分が躁状態なら向精神薬で一定の効果は期待できますが、うつの場合は逆効果。「死にたい」という気持ちを強くしかねません。これは東洋医学の「心肝気虚」という状態で、悲観傾向をますます助長してしまうのです。」
と書かれています。
私もてんかんと診断されてテグレトール(カルバマゼピン)を10年ほど飲んでいた時は最悪な気分でした。
その様な時は四逆湯など逆の作用をする薬を飲むと低体温と共に気持ちも上がり、いろいろ楽になりました。
こういった薬はミトコンドリア機能も低下させるので染色体異常による不妊症、成長期おいては身長が伸び辛くなる、アトピー性皮膚炎を招くなど症状をとる為にさまざまな事を知らず知らず犠牲にしがちだと思っています。
そんなこんなでどんな薬を飲んでいるか、この前診せて頂いた患者様からとても大切なことだと思いました。
他の先生方も学んだ事を生かして治療しているので人の治療批判は良くないと思うのですが、元患者側からすると複雑な気持ちです。
参考資料
「国訳本草綱目 第十冊」 春陽堂
「体がよろこぶ!「効く」漢方の正体」 草降社 惠木弘著
勉強会など
先日勉強会で症例検討を行いました。
その際に気になった点を書いていきます。
舌
状態から考えて陰液の欠乏、熱、正気の弱りが考えられる。
脈
Oさんから教えていただいた感覚から
瘀血、虚熱、正気の弱りが伺えた。
切経も含めて、まずは脾と胃の関係を考え直したい。
また、症状からして脾気虚を原因とした脾陰虚の様なニュアンスも感じます。
これが原因で病理産物も生成されたのか。
現代語訳 黄帝内経素問上巻 太陰陽明論篇
「四肢は皆気を胃に稟くけども、経に至ることを得ず。必ず脾に因りて、乃ち稟くることを得るなり。
今 脾病みて胃の為に其の津液を行らすこと能わざれば、四肢水穀の気を稟くるを得ず。」
「黄帝がいう。「脾と胃とは、一つの膜を挟んで連ねているだけであるが、脾が胃に変わって津液を輸送するというのはどういう理由か。」
岐伯がいう。
「足の太陰脾経は、三陰と言いますが、その経脈は胃を貫いて脾に連属し、咽喉を絡っています。
このため太陰経の脈は胃の水穀の精気を手足の三つの陰経に送ることができるのです。
一方、足の陽明胃経は、足の太陰脾経の表にあたり、五臓六腑の栄養の供給源です。
このため太陰脾経が胃に変わって津液を送るといわれています。
五臓六腑はいずれも脾経を経て胃の水穀の気を受けています。
このため太陰脾経が胃に変わって津液を送ると言われています。」」
切経から陽明の熱の様な存在も気になったのですが、脾が立て直され陰液が生成される様になれば自然と落ち着くのか?
上の文、気になったので書き残します。
他に瘀血のできる位置もとても勉強になりました。
課題
相手を感じれた?時なんとなく相手の気持ちが移ってきて同じ様な状態になる事が少し増えたのですがこれはまた自分の課題とするところと違うのか。
良い事なのか悪い事なのかわかりませんし、一向に問題をクリアできていないのですが今までにはなかった感覚なので新鮮です。
六經病機(02)
太
(01)はなはだしい。
(02)とおる。
(03)おおきい。
(04)尊稱に用いる。→太后、太君など
(05)秦・大に通ず。
(06)夳に同じ。
(07)姓。
明
(01)あきらか。あかるい。
(02)あきらかにする。
(03)あきらかに。はっきりと。
(04)あける。夜がしらむ。
(05)よあけ。あけがた。
(06)あけて。つぎ。
(07)ひる。日中。
(08)あかるみ。
(09)おもて。そと。うわべ。
(10)ほがらか。
(11)おこる。ひらく。
(12)大きい。
(13)さかん。
(14)陽。陰の對。
(15)雄。雌の對。
(16)有形。
(17)この世。現世。
(18)かみ。神靈。
(19)日。月。星。
(20)天。
(21)賢人の述作をいう。
(22)よく治まる。ひらけた國。
(23)視力。
(24)たぐふ。
(25)水道。水の流れみち。
(26)ちかう。盟に通ず。
(27)萌に通ず。
(28)孟に通ず。
(29)猛に通ず。
(30)望に通ず。
(31)朝代の名。朱元璋が元を滅ぼし建てた國。
(32)諡。
(33)姓。
(34)眞言の異名。
少
(01)すくない。すこし。
(02)すこしく。わずか。やや。
(03)すくなしとする。不足に思う。
(04)そしる。かろんずる。
(05)しばらく。しばらくする。
(06)おとる。
(07)かすか。おとろえる。
(08)へる。
(09)かく。
厥
(01)石を発掘する。
(02)ほる。
(03)つくす。つきる。
(04)つく。突きたてる。
(05)病名。のぼせ。足が冷え、頭がのぼせる。
(06)その。それ。
(07)の。
(08)句調を調へる助辭。
(09)みじかい。又、尾の短い犬。
(10)石の名。
(11)ゆれ動くさま。
(12)蹶に通ず。
(13)橛に通ず。
(14)古は氒につくる。
(15)姓。
【参考文献】
『大漢和辭典』大修館書店
(太:第三巻763頁、明:第五巻763頁、少:第四巻89頁、厥:第二巻659頁)
『中医病因病機学』東洋学術出版社
脳についての復習
こんにちは、大原です。
脳に関して、解剖学・生理学の復習を行いました。
(以下、復習した内容をまとめたものになります。)
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脳は、脊髄と合わせて中枢神経系をなし、
解剖学的に
延髄、橋、中脳、小脳、間脳、大脳に分けられる。
脳の松果体はメラトニンを分泌し、
人の睡眠や生体リズムに関わる。
形態は、松かさ状の小体で、大きさはあずき粒大、
色は赤灰色である。
松果体の前方には
視床、視床下部があり、これらを間脳といい、
視床下部の下には下垂体という器官がある。
下垂体からは
成長ホルモン、プロラクチン、FSH、LH、TSH、ACTHと、
多くの種類のホルモンが分泌され、
これらの分泌の亢進や抑制を主っているのは
視床下部である。
参考文献
『解剖学 第2版』
『生理学 第2版』 医歯薬出版 東洋療法学校協会 編
異名同穴への一考察。
稲垣さんが
以前に異名同穴①という記事を作ってくれた。
こういった勉強はやはり重要であり、
今後の為には必ずなると思う。
そういった訳で、僕も考察を挙げてみよと思う。
経穴は元々孔穴と呼ばれており、
『素問』以前の古代では
臓腑との関連性と言うものはほぼ分かっていなかったようだが、
それが『黄帝内経』(ここではこう記しておきましょう)の編纂により、
中国医学の基礎ができ、
それ以後『難経』や『傷寒論』へと続いたと考えられている。
それに合わせ経穴の研究も始まり、
夫々 名前がつけられたのだと。
これが、現在の基本的な考え方だと僕は思う。
ただ稲垣さんが記したように、
経穴には様々な名前(原文には一名●●と記す)があり、
これに関しては、
単純に様々な流派が存在したと考える。
これは真柳誠氏の書籍等も含め考えたのだが、
一例として『黄帝内経』を基礎とした”黄帝流派”、
そして鍼の名医であった”扁鵲流派”があったのだと思う。
流派が違うというのは、
現代の鍼灸流派で言うと、考え方、捉え方の違いくらいだと思うが、
当時は実際に『黄帝内経』だけでなく、
様々な治療集団があり(元々 統一されてない国であったし)、
全て根底から異なっていたのではないか。
そうなると、
治療に使う経穴名というものも全然変わり、
それを後世の医家達が『明堂』のような書物を編纂する際に
色々な書籍を参考にした結果、
こういうものになったのであろうと。
で、『黄帝内経』を基礎とした書物が遺っていたから
これを基軸に経穴名もつくられたのでは?と考えた。
まぁ、どこにも確証がないので、
一意見として。









