鍼治療を受けて
先日鍼治療を受けて感じたこと
鍼を置かれた後、
即座に足底の方に向けて動き出す
勢いがあってまるで足から抜けていくような動き
同時に大きな呼気が生じる、
呼吸が何度か続けて起こる。
ふと治療に入る前に心に抱えていた、感情的なこだわり
(直近で起こった事について「解せない」と思う、苛立ち、怒りに似た感情)
が手放せて軽くなったことに気づく
(これは気滞に当てはまるのか?)
この直後に体の別の部位、
肩の力みについて意識が入り、肩の緊張が緩む。
この肩の力みは腰の弱さ(慢性腰痛あり)と関連していると自覚する
____________________________
ある部分の滞りが他の部位にも波及していくように
ほどける時にも推進力のようなものが働くのだろうか
普段はおとなしい腰痛が悪化する時には、
体が疲労倦怠の状態にあることが多い。
腰に違和感を感じ始めた後に続くのが、
上半身と下半身の疎通不良、からだ全体の動きの硬さや気鬱の症状
(気虚が先で、気滞が後か?)
記事を書きながら、考えていたが
「どちらが」という検討に意味がないと思えてきた
ただ、はっきりとしたこと
これまでは気病が4種に分類されていること、
この4つをこれまで概念的にしか見てこなかった。
表れる症状を単語と結んで並べていただけだった。
初めまして。
大阪の鍼灸学生で稲垣といます。宜しくお願いします。
もうすぐ後期単位認定試験が始まります。
試験勉強をしていると、食事が少量になってきます。
お腹いっぱいになって眠くなってしまうのも困りますし、運動不足もあったり、体重を増やしたくないのもあり。。。
そんな生活の中、年をめされた方で食欲が旺盛な方を拝見する機会がありました。年齢を重ねると食は細くなっていくものだろうと思っていましたが。
『養生訓』には老人の食に関しての注意喚起を目にします。
例えば、
「第二章 飲食 (23 老人は食を少なめに)」
”胃腸虚弱の人、ことに老人は、飲食に傷められやすい。味わいのよい飲食物に向かうときは、我慢をすべきである。節度を越えてはならない。心弱くては欲には克てない。心強くして欲に克つべし。”
僕が目にしたその方を考えるに、単純に”食い意地が張ってる”と、判断するには寂しく感じます。
もしかしたら、水穀の精微を得んが為の必死な姿なのかもしれない。
悩み(主訴)を発する途中なのかもしれないのでは。
それを鍼灸にて治療を考えると腎を補する法なのか・・心の障害を瀉する法なのか・・
もしかしたら、主訴を解消しても、それが最終ではないように感じます。
出典
『口語 養生訓』貝原益軒(日本評論社)
「肝不蔵血」証とは
大原です。
先日、ある鍼灸関連の本を読んでいて、
弁証に関する内容のところで
「肝不蔵血」という証名が目に入りました。
・・・肝不蔵血?
あまり聞き慣れない証名だと感じつつ、
これはおそらく
「肝は蔵血を主るが、その蔵血の機能が失調したものか」と
軽く読み飛ばそうかと考えたところ、
「いや、これは軽く読み飛ばしてはいけない、
ちゃんと考えなくてはいけないことだ」と
頭の隅の方で違和感を感じました。
何がその違和感を感じさせたのか、
しばらく自問自答していると
その正体のようなものが少しずつ分かってきました。
復習になりますが、肝の主な機能として、
・蔵血
血の貯蔵、すなわち血流量を調節する機能を言いますが、
これ以外に
・疏泄を主る
という機能があり、これによって全身の気機が調節され、
気血が巡らされます。
この疏泄が失調すると気血が巡らず、
気滞、血瘀といった病理産物が生じます。
さて、肝の不蔵血とは
先に述べた「蔵血」作用の失調で、
この言葉からすると
肝に血が貯蔵されないという意味になります。
ここで重要なのが、
肝の疏泄によって
肝血が肝から全身へ巡らされている状態は
健全な状態であり、
肝血を全身へ巡らせる必要がないにも関わらず、
肝に血が蔵されない状態は
病的な状態であるということです。
後者は
血液を貯蔵して血流量を調節するという肝の機能が低下した症候で、
『中医弁証学』では
主症として
「嘔血、咳血、衂血、崩下、目の充血、易怒」
(=口・鼻・子宮からの出血。目の充血。怒りやすい。)がみられるとあります。
またその解説として
「肝の疏泄が過剰となって肝気が上衝し横逆すると、
血が気の勢いにつられることになり、そのため出血が起こる。
肝気犯胃では嘔血がおこり、
肝火犯肺では咳血となる。
また、血が気に随って循経により
上行すると鼻衂がおこる。
夫人では崩下となる。」
とあります。
全体として、出血傾向になるということですね。
「崩下」とはおそらく崩漏のことだと思います。
すなわち、肝の
正常な疏泄か、
過剰な疏泄(=「疏泄太過」といいます)か
の区別が、肝不蔵血を考える上で
重要であるということになると思います。
・・・と、
ここまで何となく納得されると思いますが、
「易怒」とは「肝鬱気滞」の主症でも出てくるのでは?
という疑問が湧きませんでしょうか?
「肝鬱気滞」、
これは肝の疏泄が不及である状態をいい、
気機が失調すると述べました。
少しまとめると、
①疏泄が不及→「怒」
②疏泄が太過→「怒」
となり、どちらも「怒」で
これらの文字面だけを考えると
不及?過剰?どっちだろう?となって
非常にややこしく感じませんでしょうか?
さて、「怒」の意味を考えてみますと
「怒」には普通に「怒る」という意味合いだけでなく
「精神抑鬱」「イライラ」という意味もあります。
これらの怒の意味を考えて再度まとめ直すと
①疏泄が不及 → 「精神抑鬱、イライラ」 →「肝欝」
②疏泄が太過 → 「激しい怒り」 →「肝火」・「肝陽」
とるのではないでしょうか?
しかし、さらに「怒」について考えてみますと
「あ、これは肝欝の怒だ」
「あ、今のは肝火の怒りか?」などと
①か②のどちらかであるというような考え方は
不自然な気もします。
実際に人が「怒」であるときというのは
・何かをずっと我慢している(疏泄の不及)
・ちょっとしたことですぐ怒る(太過)
・我慢して我慢してから爆発する(不及→不及→太過)
・怒りながらも我慢している(太過・不及)
など、一言に「怒」といっても色々あります。
すなわち疏泄の異常は、
不及か太過かの二者択一ではなく、
不及と太過の両方が
その割合を変えて
おこっているのではないでしょうか?
①「不及 > 太過」 →「肝欝」
②「不及 < 太過」 →「肝火」・「肝陽」
また、
肝欝を陰、
肝陽を陽とする陰陽論を考えると、
どこがその境界線で、
陰陽の転化が行われる条件は何かといったことも興味深いです。
しかし、虚実の概念においては①②どちらも実であり、
これを陰陽論で考えてしまうのはどうなのか?
考え方として、①②は両方とも
肝気が正しく作用しない場合における概念であり、
肝気の健全な疏泄によるあるべき方向性があるとして、
その方向性が誤ってしまっているものが②で、
方向性を見失っているものが①ということだろうか?
長くなり
最後はメモのようになってしまいましたが、
肝の疏泄の異常とは、
不及であること、太過であること
の2種類があるということを
今回復習しました。
(後半の、疏泄の失調に関する自問自答の内容は
疏泄の失調の軽度なもので、
重い段階になると
出血傾向などもみられるようになると思います。)
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参考文献
『中医弁証学』東洋学術出版社
『東洋医学概論』新版 東洋医学概論
大原
初学者の心得
「予想外なことが起きるとパニックになり思考停止するのは治さないといけないことだね。」
とご指摘いただきました。
また、ある日は、
「ネガティブな思考にハマるとどんどん引っ張られる」とも。
また、ある日は、
「甘えや恐れは禁止」
とも。
自分の心情を優先してしまい
患者さんの事を置き去りにしてしまっている。
なにより治療に集中できていないことです。
患者さんとの距離感、問診、切経、刺鍼、
治療が終わるまで…
ひとつひとつの流れの中で
この間できなかったことだから、
今日は直そうと取組むが、
打開できず、悔しい日々。
課題が山積みで、パニック、ネガティブになり
もどかしくて凹みます。
患者さんと術者の距離感、
今まで自分がやっていた人間関係を築く方法は、
鍼の効力を下げてしまうと教わり、
これはマズイと思うものの、
あれもこれもと課題があって
今はどうすれば良いかわかりません。
恐れ、迷い、揺らぎがある時に鍼をすると、
悪い方向に傾くとので、
鍼はとても繊細だと思い知りました。
自分を鼓舞して挑んで失敗しても、
先生方がリカバリーしてくださり、
その失敗から多くを得る事もできました。
これは甘えなのか?
ふと、心配になりますが、
挑んだ結果得られた物なのだから、
一旦今日は良しとします。
初学者だけど、これから将来
治療者として絶対にブレてはいけない
大切な心構えを教わっています。
まずは、凹んだことを引きずったり
ネガティブモードに「執着」することを辞めます。
脈診(05)
『中医脉学と瀕湖脉学』
(引用:P11「第一部 現代中医脉論」の”脉診の方法 3.指の置き方”より)
『並べる指の間隔は患者の身長に対応して、
腕の長いものには少し広めに置き、
腕の短いものに対しては指を詰めて並べる。
指の位置が決まれば、三指で同時に診脉するのを総按といい、
また単按といって、一部の脈象を重点的に診るために、
中指と環指をもち挙げることによって寸脉を診たり、
示指と環指をもち挙げて関脉を診たり、
示指中指をもち挙げて尺脉を診たりすることも行われる。
示指ないし中指のみを用いて単按することもある。
実際の診脉においては総按も単按もあわせて駆使される。』
寸・関・尺 を総按にて診ようと固執していたように思います。
特に自身の手が大きいとこもあり、
もっと指の使い方に柔軟さが必要だったと思いました。
そういえば、院長に診て頂いた時が極めてフレキシブルだったと思い出しました。
【参考文献】
『中医脉学と瀕湖脉学』たにぐち書店
東洋医学探訪(02)
鍼灸学生の授業の一環で解剖実習があります。
東洋医学を学ぶ者として
『太古の医家達も、間違いなく解剖実習で学んでいるだろうな』
と考えておりました。
京都で医学史の1ページに触れてまいりました。
山脇東洋觀臓之地
ーーーーーーーー碑文ーーーーーーーーー
近代医学のあけぼの 観臓の記念に
1754年 宝暦4年閏2月7日に
山脇東洋(名は尚徳 1705~1762)は所司代の官許をえて
この地で日本最初の人体解屍観臓をおこなった。
江戸の杉田玄白らの観臓に先立つこと17年前であった。
この記録は5年後に『藏志』としてまとめられた。
これが実証的な化学精神を医学にとり入れた成果のはじめで
日本の近代医学がこれから
めばえるきっかけとなった東洋の この一業をたたえるとともに
観臓された屈嘉の霊をなぐさめるため
ここに碑をたてて記念とする。
1976年3月7日
日本医師会
日本医史学会
日本解剖学会
京都府医師会
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
六角獄舎跡は二条城の南の因幡町にあります。
跡地は集合住宅であり、石碑のみの設置でした。
夙川にて
図書館、公民館など、外で勉強する事が殆どです。
好きな場所で、夙川沿いの静かなところに”西宮市立中央図書館”があります。
休憩に川沿いで新鮮な空気を吸うのですが、ふと思い出した事がありましたので。
以前に、六甲山からの鉄砲水で犠牲者が出たことがありました。
その時に『山上が曇れば大蛇が通る』という伝承を知ります。
古人が鉄砲水を大蛇に例えて後世に伝えやすくしたのだと思います。
それをきっかけとして、スサノオノミコトがヤマタノオロチ退治を
”治水対策の比喩”であるとの仮説にも出会う事になりました。
クラスメイトが話の中で「東洋医学=スピリチュアル」との認識に違和感を覚えたのを覚えています。
東洋医学を学ぶという事は災害の地に建つ石碑のように、
古人が未来へ向けた思いに耳を傾ける事のように思います。
とか、思い出しながら国家試験に向けての勉強の年末です。
中医内科学 その2 心の病理①
前回の記事
『中医内科学 第2版』冒頭
臓腑の働きについて
『中医内科学 第2版』P.49〜、P.72〜より
心
『霊枢』邪客篇にて
「心なる者、五臓六腑の大主なり、精神の舎(やど)る所なり。」
とあり、
心の主な生理作用は、神明を主るものである。
『素問』痿論篇にて、
「心は身の血脈を主るなり」
とあり、
心は血脈を主るとは、また特別重要な生理作用であり、
ゆえに神明を失し、血脈が不利になることは、
心の基本病理変化である。
(1)心不主神明(心、神明を主らず)
・・・心が常を失すると、心神安ぜず、神舍を守らず、
患者に失眠りや多夢、恍惚(こうこつ)、健忘、惊悸、恐怖、
妄言、妄見、ときに悲しみ、ときに喜ぶ、ふるまいが常を失して、
痴呆、癲狂等の病証。
甚だしき場合は、神明が閉塞あるいはばらばらになる、
うわごと、意識がはっきりしない、
神明が臓腑百骸を統率・主宰できなければ、
患者の生命に危険がおよぶ。
ゆえに
『素問』霊蘭秘典論篇では
「主が明らかならざれば十二官危うし、
使道閉塞して通ぜず、形すなわち大いに傷れる」とあり
心が神明を主らなければ、心神が失養して、邪気受けて心竅を乱す。
心の要は正常な神志活動の進行であり、
必ず気血陰陽の充養を頼る。
・・・
ゆえに『景岳全書』では
「営は血を主り、血虚なれば心を養えず、心虛なれば心は舍を守れず」
とある。
心竅に、火熱、痰濁、瘀血などの邪気が犯せば、神明は主を失し、
軽ければ火熱擾心、神志不寧となり、患者は失眠や多夢、煩躁あるいは精神狂躁等を引き起こし、
甚だしければ痰濁、痰火、瘀熱が心竅をあざむき、嗜睡、痴呆、昏迷等を引き起こす。
ゆえに『霊枢』邪客篇では
「心なる者、その蔵強固にして、邪容(い)るあたわざるなり。
これに容(い)ればすなわち心傷れ、
心傷るればすなわち神去り、神去ればすなわち死す。」とある。
(2)心不主血脈(心、血脈を主らず)
については次回に続きます。
■参考文献
『中医内科学 第2版』 人民衛生出版社
督脈
背中で診断する際、督脈と臓腑の関係が少し整理できそうです。
中医臨床 臨床経穴学 P729
第15章 督脈
「本経経穴の効能面では、各経穴ともその経穴の所在部位とその近隣の局部の病証、穴下にある関連臓腑・器官の病証を治療することができるという共通性がある」
つまり膀胱経だけではなく督脈の経穴もしっかり臓腑の状態が反映するので診なければいけないし、そちらを治療穴にする場合があるので確認する必要があることがわかりました。
先週の記事で書いた疑問を少し深掘りできた気がします。
現代語訳 奇経八脈考 P194
「各陽脈はすべて足太陽に従属し、足太陽は督脈と連係しているので、各経の陽気を主治することができるのである。足太陽と督脈の作用を、明確に分けることは非常に難しい。
例えば古代に経穴画「十二人図」を作った際に、督脈は足太陽に入れ、任脈は足少陰に入れているが、これは両者の関係が密接なことの反映である。」
ここからも何か学べる気がしますが、まだ掴めないのでとりあえずメモとして残させて頂きます。
参考資料
「中医鍼灸 臨床経穴学」 東洋学術出版社 李世珍著
「現代語訳 奇経八脈考」 東洋学術出版社 李時珍著 現代語訳・和訓 勝田正泰
臓腑生理の学習
皆さまこんにちは、鍼灸学生のイワイです。
東洋医学概論の臓腑生理について復習している中で、分からなかった問題について調べてみました。
【問題】情報伝達に関与する働きを持つのは、どの臓腑によるものか?
これに関して、当初は心の働きだと思っていましたが、どうやら心ではなく、奇恒の腑の一つである「脈」の働きだったようです。
(寄り道しての復習です↓)
奇恒の腑とは?
水穀と直に接することない密閉した中腔器官であるとともに、精気を蔵するという機能も持っている。
胆、脳、脈、骨、髄、女子胞
話を戻しますと、脈は奇恒の腑の中でも心と関係があるというわれており、
脈は血脈、血府ともいわれ、生理物質が運行する通路であり、全身に分布し、臓腑と直接連絡しています。
脈の主な機能は、
①生理物質の運行 ②情報の伝達 です。
ここでは、上記の問に対して
②情報の伝達 について学んだことを記します。
【生理】脈は、臓腑の機能や病態を反映するため、気血などは生理物質を通じて、情報の伝達に関与している。
また、脈は経絡の概念に内包された組織、器官であり、経絡の機能である情報伝達に関与する。
奇恒の腑の働きについて触れることが少なかったので、この機会に学べて良かったです。
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【参考文献】
「新版 東洋医学概論」東洋療法学校協会 編









