積聚
ようやく酷暑の時期が過ぎ、少し秋の気配が感じられてやれやれです。今まで外気の暑さを避け、内にばかり閉じこもりがちだったので、これから少しずつ外への活動の機会を増やそうと思っているところです。
そんな中、新たな本を手に取りました。
読んでいて気になったところを抜粋して、自分の学びに繋げたいと思います。
以下 積聚治療 気を動かし冷えを取る 小林詔司 より
難経55難にいわく
病には積と聚とあるが、どのようにこれを区別したらよいか。
積は陰の気である。聚は陽の気である。
だから陰は沈んで伏し、陽は浮いて動く。
気の積むところを積と言い、気の聚まるところを聚という。
だから積は五臓の生じるところであり、聚は六腑の成るところである。
積は陰の気であるから、その始まりは場所がはっきりしていて、その痛み(病)はその場所にある。また上下、左右の境界も明確である。
聚は陽の気であるから、その始まりには場所がはっきりせず、上下の境もはっきりしない。痛みがあってもその場所が移動するから聚という。
以上をまとめると
①腹部の病を、積と聚の2種類に分けている。
②積聚は、いずれも気である。
③気に陰陽があり、積を陰の気、聚を陽の気とする。
④そのため、積は固定的なもので判断しやすく、聚は移動性のもので判断しにくい。
この気の概念と陰陽観という2点を前提にすることで、腹部のあらゆる症状を網羅することになり、さらには肉体のあらゆる症状が腹部に投影されているとすることができる。つまり、腹部症状を積と聚という言葉で統一しているのである。
言葉の上では聚と積の2種類であるが、現象としては連続した気のあり方ということができる。
積聚治療との本当の特徴は、病症に具体的に現れた人体の現象そのものを気の集合体ととらえ、その視点で治療をしていくというその考え方にある。その前提として、気と陰陽の概念を、時間をかけてじっくり理解しなければならない。
積聚治療とは
◉すべての病症を気の概念で把握する
◉病とは気の偏りや滞りとみなし、その究極の原因を冷えとして把握する
◉治療とは人体の気を動かすことである
まだ導入部分しか読んでませんが、この本は気の概念についての勉強になりそうです。
夏の終わりの勉強会
季節の変わり目、昼夜の寒暖差、
厳しい暑さの後の夕立、体がブレやすい時期になってきました。
今朝は夜に雨も降り、ずっとONにしていた冷房を止めました。
朝6時の気温は23度と夏の装いでは少し寒いです。
それでも電車の空調は寒いし、
突然の雨で濡れて冷えることもあります。
夏の疲れが出たのでしょうか。
私の弱い所にブレが出てきて不調気味です。
臨床に出て初めての秋を迎えます。
季節や天候の変化が体にどのように影響を与えるか、体の反応を追いながら学んでいきたいです。
寺子屋の勉強会にて。
上述した状態の体を寺子屋の勉強で診てもらいました。
切経を繰返している間に反応はどんどん変わるし、体調もコロコロ変わります。
患者役になるのは久しぶりでした。
受け手側からの発見ですが、
早く終わらせる事に注力しすぎたり、集中していなかったり、色々他のことを考えながら切経をすると患者さんに全て伝わるなと思いました。
今回は、一穴鍼を置いたら切経を繰返し、
体がどのように変化するか診ていきました。
下肢もまた尺膚診のように考えられるのか?
と仮定して、脈、お腹の反応の位置と絡めて取穴してみました。
この考え方では整合性が合わないことも
出てくると思いますが文献を探したり
臨床の場で見立てに沿って検討していければと思います。
針先、切経、治療報告
切経
経まずは形を追ってみた。
その後、手を当てる時にしっかり当たれば深さと方向が感じられた様な気がする。
また、その他の関連部位と反応を繋げても勉強になりました。
みるときの心の状態、大切だなと感じました。
変な緊張感は不要。
自分を作らない。
また、日常の訓練として、全てにおいて距離感を大切にしたい。
鍼先
学校で鍼を受けました。
よくあるパターンだったのでそこからどう動くのかは経験済みだったので自分でリカバリーできるか試してみた。
ただ自分のリカバリーする為の治療でも失敗を沢山しているので同じ穴でもやり方は変えてみた。
針先から伝わる感覚がいつもと違い、以前失敗した時と脈の前後の反応も違うのでここからどう動くか。
処置が今日なので明日以降どう変化するか楽しみです。
日曜鍼を受けて
結論から書いていくと翌日以降は調子が良くなって施術を受けさせてもらって良かったなと思いました。
お腹が弱ると自身の体感として猫背気味になるのでそのへんもピンとしましたし、翌日のある変化が起こったあとは脈も均等でした。
学校の授業での鍼などもあり、純粋な前後の状態を確認してもらえなかったのが残念なくらいです。
前後変化としては、その日はとても口が渇き、冷たいものを飲みたくなる現象と睡眠が浅いと言った状態になりました。
翌日、倦怠感があり何となく湯船に浸かったら変わるかなと思って入浴しました。
しばらく浸かっていると急にお腹が膨れて汗がひき、一瞬の不安感、吐き気が出た後、排便したくなり急いでトイレに駆け込むと排便と共に状態が良くなると言った経過でした。
その後の反応や施術後の変化を見ると選穴は合っていたはず。
後の反応は必ず起こり得るものなのか、もしくはコントロールできるものなのか。
自分が治療する時のために頭の隅に置いておこう。
六字訣
面白い動画を見つけました。
中国式気功の一つのようで六字訣(ろくじけつ)といいます。
この功法は六字を唱えながら呼吸することで内臓を強化できるみたいです。
六字(呵呼呬吹嘘嘻)はそれぞれの内臓と対応関係にあります。
訣の意味は調べると、「おくのて」「おくぎ」とありました。
呵(ホー)→心・小腸
呼(フー)→脾・胃
呬(スー)→肺・大腸
吹(ツゥェイ)→腎・膀胱
嘘(シュー)→肝・胆
嘻(シー)→三焦
それぞれ対応する内臓の邪気を排出することを意識して行うようです。
※詳しいやり方を知りたい方は動画をご参照ください。
回数は、健康な人が毎日行う場合は、それぞれ2回で充分で、どこか特定の内臓が弱っている人が治療目的で行う場合は回数を増やせばいいようです。
割と簡単にできそうなので、昼休みにでも取り入れてみようと思います。
ぽっこりお腹など
ぽっこりお腹
幼児体型みたいな上腹部のお腹が気になっています。
食べすぎた訳ではないのに胃脘部がぽっこりしている。
食生活を聞いてもそんなに食べすぎている訳ではない人も多い気がする。
二竅までの流れでどこかへの停滞。
すぐに起こるゲップやしゃっくり。
新たに入ろうとしても入らないのかな。
この間、自身に鍼を刺して状態を悪くしたのですが、その時の体型変化も勉強になりました。
もう一度、同じ状態を作ってみたのですが、同じ事が起こった。
人の足の状態でも内果の黒ずみなどもサインになるのかな。
追っていってみます。
他の人を見ていて
以前も書いた事ですが、一鍼堂にいる先生や先輩は色んな事によく気付かれる。
当たり前だけど必要なことだし、そうなる為のやり方は散々教わっていると思います。
「じゃあどうやって実践していこうか。」
その考えに結びつく事が間違いなのかもしれない。
恐らく自分が何かをしなくても、それに気づけるヒントは転がっているんだと思う。
だからわからない事だらけですが、とにかく今の境遇から教わっている事で、自分に現れた変化を感覚に結びつけていく様にしたい。
また、どんな事があっても揺らがない様に、きちんと自分につけた名前であれる様にしよう。
方向があっているかも分かりませんが、何か変化がある状態は楽しいですし、楽しみです。
日常ネタ
先日、薬局に処方箋を持って来られた患者さんのエピソードをひとつ。
(年齢は70歳前後の男性の方だったと思います。)
「市販の風邪薬を飲んでいても全然効かへんから、病院に行ってきたわ〜。」
「薬で胃がやられたんか、胃が膨れた感じになって食欲もなくて、全然食べたいと思わんねん。咳もまだ続いてるしな。まいったなぁ。」
「やっぱりちゃんと、初めから病院で診てもらって薬飲まんなあかんなぁ。」
と言われて、総合感冒剤と咳止めと胃薬をもらって帰られました。
そして7日間後にまた来局されて、また全く同じ内容の処方箋を持って来られました。
「薬全部飲んだんやけど、全然治らへんのや。」
「また同じ薬なんか?、先生にいろいろ言うたんやけどな。これしかないみたいやわ。」
そこで、改めて今どんな状態なのか伺ったところ。
一番は胸脇部が苦しい。
上腹部が張って苦しいので、食欲がない。
咳が続く。
咳をすると頭痛というわけではないけど、頭の表面がピリピリと痛む。
と言われていました。
全然一週間前と症状が変わっていない様子。
これがもっとも西洋医学の苦手な部分ですよね。と思わず思ってしまいました。
万人に対しての通り一遍の大雑把な処方しかない。
東洋医学的なアプローチなら、もっと的確にケアできるシチュエーションなのだろうなぁと、その患者さんの背中を見送りながら思った場面でした。
文字・言語
文字、言語って何なのか。
調べた訳ではないが、集団で行動する為にイメージから共通の認識を言化・文字化したのではないのかな。
つまり「大体こういう意味ですよね」という共通認識を作ることでコミュニケーションを容易にさせているのだと想像。
では、共通言語や文字を持たない相手とは理解し合えないのか。
様子に出るのでそういう訳ではないと思う。
家の猫を見て、
「今かまってほしくないんだな」
「これからこっちくるぞ」
「喜んでるな」
「この空気が好きなんだろうな」
など伝わるものもある。
身体を触らせてもらった時で一番わかる時は包む様に触った時。
その時の自分は柔らかい状態にあると思う。
結局は猫ではなく、人間の治療をする訳だけれども、同じく言語に振り回されず、言葉は通じないものとしてやってみたい。
先日受付で話に出たケータイは怖いですよねと言った話、
「勝手に枠組みを作られて色眼鏡になり、相手を見れなくなる」
その認識とも繋がる気がする。
結局何か情報として伝えられた段階っていうのはわかった気にはなれるけど、わかってないんだと思う。
そこに自分の感覚が乗らないと本当に理解できない。
次の寺子屋は「人ではなく生命現象に触れる」
あれこれ書いたけど、そっちの方が自身をフラットに保てる気がするので、そんな感じでシンプルに切経してみよう。
ホルモンからの支配
書籍「閃めく経絡」 ダニエル・キーオン
を読み終えました。
感想としては、いろいろと盛りだくさんの内容で、私にとっては気づきや謎解きのヒントになるようなありがたい本でした。
まだ十分理解はできていませんが、
印象に残った部分、具体例をあげると、
中医学が想定している腎の機能のほとんどを副腎が担っている。
副腎は身体で最高濃度の神経堤細胞誘導体(腎精)を含む点で非常に興味深い腺である。
副腎→髄質→アドレナリン、ノルアドレナリン、ドパミン
例えば、パニック障害の時は強い恐怖心を呼び起こし、警報装置が誤作動を起こすように過剰にアドレナリンやノルアドレナリンが分泌されて、血圧を高め、心拍数を上げて、めまいや動悸などを起こします。
強い恐怖心は副腎を刺激するのです。(→過剰な恐れは腎を損なう)
また脳では過度な不安や恐怖によって扁桃体のドパミン受容体が活性化することがわかっているそうです。(→脳髄も腎に含まれます)
またドパミンは意志の力を発揮するのに非常に重要とあります。(→五神の志)
臓器から放出されたホルモンは感情の変化(こころ)と深く関わっているのです。ホルモンや神経伝達物質は各臓器からの気持ちが添付されたメッセージなのかもしれません。
そう思うと益々面白いなと思います。
またこうも書かれていて、
つまりホルモンは我々の脳の延長であり、脳と区別がつかないものだ。
あたかも臓器が脳から生じたかのようだ。(あるいは逆かもしれない)
そうなると人間の感情は臓器が作る、ホルモンや神経伝達物質によって支配されている!?
P︎MSや更年期障害、うつ病などの精神疾患、心因的なことが絡む疾患などが代表的なものでしょうか。
こういったトラブルに対して東洋医学では、五臓を正常化することで解決できることに繋がるんですね。
きっと。
患者、食べ飲み など
患者
今週寺子屋で見せて頂いた患者さん、もし自分があの人ならどういう気持ち、体になるか。
声や様子から色々気にされそう。
治療してなかったら心臓が心配だな。
生殖器関係に問題はないかな。
気逆を起こして気にされやすいだろうから、言葉遣いはどうした方がいいかな。
敏感そうだから特に時間をかけたらいけないな。
拾えなかったけど本当に心経の辺りに反応がなかったんだろうか。
あの状態なら出やすいと思うんだけれども…
食べ飲み
先日友人の結婚式があった。
そこでのスケジュールが11時〜披露宴 15時〜二次会 と言った胃腸にとってのハードスケジュールだった。
家に帰ってお腹を触ると胃がパンパン。
足では地機が硬くなっていた。
浅めに刺しても痛かったのですが、腹満は楽になりました。
舌の変化も見ていたのですが、翌日の変化など特に勉強になりました。
また、大人数は大変だなと改めて実感。
自分の課題です。
感覚
本を読みながら何かを触る。
何も見ずに何かを触る。
感覚が全然違う。
触覚だけでなく、全ての感覚がそうだと感じる。
今、きちんと周りの音を拾えているか?
それがノイズの様に聞こえるか、キチンと聞こえるかは自分の状態によって違う。
そこを聞こうとすれば別のものを拾い溢す。
こちらから行くべきじゃないんだろうな。
結局それが何なのか?とその場で気にしてる時点でダメなんだと思います。
実験
↑の事を考えていて、先週の寺子屋ではできる限り周りの状況観察に努めてみた。
やり始めの少しの間はいい感じだったのですが、ずっとやっているとしっくりとこなくなりました。
停滞するといい感じじゃなくなる。
一気にその場の空気とのギャップが出てくる感じがしました。
理論から実践しようとしましたが、これは無理だなと痛感。
実践から理論なら可能なんだと思います。
経穴
勘違いかもしれませんが、その穴に対してどういう認識を持つかで効果が変わってくると、何となく感じた出来事がありました。
補寫といった話ではなく、刺し方でも全く違う目的になるのではないのかなと感じています。
背中
知り合いの身体を借りれたので刺させて頂いた。
普段は腹などでみますが、その時は背中で変化を追ってみた。
脾募と脊柱など一致する部分が見られて勉強になりました。
ファッシア
引き続き「閃めく経絡」を読んでいます。
一番気になっていた経絡や経穴とは何かについてですが、
気が知性を持った代謝であるならば、鍼灸のツボは発生的な形成中心であり、経絡はこれらを接続するファッシア面ということになる。
ツボがファッシアに存在すると完全に確信している。
と筆者はこう記しています。
ファッシアって何でしょうか?
ファッシアとは「膜」のことであり、臓器、骨、筋肉、脂肪、靭帯、血管、神経などの組織を覆う膜の総称です。
そのファッシア面にツボがあり、そのファッシア面に沿って気の通り道となる経絡が走っているとの見解が書かれています。
そうなんですね。
まだ正直なところあまりピンとこないですが、そうなんでしょう。
膜にはいろいろな感覚受容器が備わってそうですが、実際、肩が凝っているところに鍼を刺してもらうと、鍼が筋膜を破る際にプツンという衝撃を感じる事があって筋肉が緩む経験を何度かしたことがあります。その時に「響き」「得気」と言われる感覚も起こりやすいです。電気が走るような感覚、それが冷たいとか熱いとか寒熱を感じる場合もあったり、ズーンとした心地良い圧迫感などなど、いろいろ起こると思います。
東洋医学の考え方に、一部は全体を表し、全体は一部を反映している。
その理論を応用して、頭皮鍼や耳鍼などで治療する方法もあります。
そうであれば肌も一番外側の膜に相当するファッシアと考えると、わざわざ(ツボがあるとされている内部の)危険の伴う関節部や筋肉の裏側、血管や神経の密集したところに刺さなくても同じような効果を引き出せるとしたら、
それを薄い皮膚表面で再現できるとすれば、
安全かつ確実に代用できるのかもとフト思いました。