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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

試してみる

  先週とてもいいお話を聞かせて頂けたので手で木・皮製品・自分の身体など色々触る様に意識しています。   触った時の感触を知ることや触り慣れると言った意味でも私にとっては良さそうだなと感じています。   また、手が冷えていたら寒熱は分かりにくくなるのかと思って実験してみました。   内容としては右手の労宮に石膏(性質:大寒)の粉末を2分程度乗せてみる。   その後綺麗に流して右手・左手を中脘あたりに当ててどちらがお腹の温もりを拾いやすいか見てみる。   やってみると明らかに左手の方が暖かさを感じやすい。   右手は感じにくいし、触られているお腹もちょっと冷えて触られたくない。   手を冷やさないって大事なことだなと実感しました。   冷たいもの飲んで手が冷たくなった事を感じた事があるので飲食物も気をつけよう。   また、服越しでもわかると仰られていたので前に歩いている人の背中で何か感じるかも試していっています。   続けていくと拾える様になるのか楽しみです。

上ル・下ル(01)

四方八方ありますが、 東洋医学に関して言えば、”上下” の問題をよく目にします。 上がってはいけないものが上がったり、 下げる力が弱くて下がらなかったり。 亢害承制 「肺氣の清粛下降機能は、肝木が昇発しすぎるのを防止し制御して、全身の協調と安定を保っている」 と、『中医病因病機学』においては、このバランスを保っている法則を”亢害承制”と呼んでいます。 【病理】 〇金不制木 肺金の粛降機能が失調し、肝火相火が制御できずに上昇してしまう。 〇木火刑金 肝氣不疏により気鬱が火に変化し、肺金を犯す。 【参考文献】 『中医病因病機学』東洋学術出版社

傅と傳

霊蘭秘典篇 第八 黄帝問曰・・ 心者、君主之官也。神明出焉。 肺者、相傅之官、治節出焉。 肝者、将軍之官、謀慮出焉。 胆者、中正之官。決断出焉。 膻中者臣使之官。喜樂出焉。 脾胃者倉廩之官。五味出焉。 大腸者傳道之官。變化出焉。 小腸者受盛之官。化物出焉。 腎者、作強之官、伎巧出焉。 三焦者、決瀆之官、水道出焉。 膀胱者、州都之官、津液蔵焉、気化則能出矣。 凡此十二官者、不得相失也。・・ 十二の臓腑を政府の官職に例えて働きを説明している章ですが、似ている字があり確認の為に書き留める事といたします。 肺  :相傅之官(そうふのかん) 大腸 :傳道之官(でんどうのかん) 傅(ふ、ぶ) 1⃣もり、かしづき、もり役(左右に奉侍して養育する職) 2⃣ひかえ、かはり ・ ・ 【傅育(ふいく)】まもり育てる、保育 【傅相(ふそう)】もりやく、つきそい 傳(てん、でん)”伝”の旧字体 1⃣つたへる、つたわる 2⃣のべる 3⃣おくる ・ ・ 【傳意(でんい)】わが心を他へつたえる 【傳記(でんき)】人間の一代の事がらを記した記録 『霊蘭秘典篇 第八』の官位への例えですが、”心”を中心として役職を配置していますが、それが解剖学的とも思え、例えば”脾胃”を中心として他の臓器の配置してみたらどうなるのかと・・ 【参考文献】 『大漢和辞典』大修館書店 『現代語訳 黄帝内経素問』東洋学術出版社
切脈一葦

切脈一葦 上巻3 (総論の最後まで)

こんにちは、大原です。 前回の続きです。 (前回:切脈一葦 上巻2) 今回も、原文に書かれている文意を汲み取りながら、 その読み方や 著者の言いたいことは何かを考えていきます。 今回は総論の最後までいきます。 --------------------------------------------------------------------------------- 画像は京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より、 12ページ目の最後から引用。 (本ブログ記事で参照した箇所を掲載) <読み> たとえよくこの三部九候を、詳に診し得ると いえども、脈色声形の四診を参考にするの時に臨みて、 何の益あらんや。 これ脈の一診をもって、 万病を診し分からんと欲する者のなすところにして紙上の空論なり。 →前回の記事でもありましたが ここでもばっさりと「これは机上の空論であるぞ」 と言ってます。 「脈診だけで全部分かろうとしなくても良いではないか、 何かメリットがあるのか?」と。 晋の王叔和(おうしゅくか)、 『難経』に依(よ)りて、 左右を分かち臓腑を配して、もって脈学を唱う。 これをもって同調の人、称して脈学の大成となす。 しかれども脈は血気の流行にして、一条脈の道路のみ、 何ぞ三部各その脈状を異にするの理あらんや。 また、浮中沈は、病人の脈の浮中沈にして、 医の指を浮中沈するの義にあらず。 なんぞ医の指の浮沈をもって、五臓をうかがうの理あらんや。 たとえ明達の人といえども、 その実なくして、その理を究むる理あることなし。 これ王叔和以来、一人も脈学の極めを知る人なきゆえんなり。 後世の脈を学ぶ者、分配家のために、欺かれるを知らず。 徒に精神を費やして、 その道を明むることあたわずといえども、 なおいまだ空言にして、その実なきことを知らず。 ただ、己が見解の及ばざる所となす。 これをもって分配家の脈法を出づることあたわず。 →「いくら聡明で物事の道理によく通じている人でも 中身の無いことに対しては、 その理を追求することはできない。」 と書かれています。 説得力のある言い回しで、手厳しいですね。 ついに一寸九分の地をもって三部となし、 あるいは 掌後の高骨をもって関となし、 あるいは 臂の長短に従いて三部を定め、 あるいは まず関を按じて、次に寸尺を按ずといい、 あるいは 浮かべて腑を診し、沈めて臓を診し、中をもって胃気を診すといい、 あるいは 浮かべて心肺を診し、沈めて肝腎を診し、中もって胃を診すといい、 あるいは 左を人迎となし、右を気口となし、 あるいは 左の寸関尺に心、小腸、肝、胆、腎、膀胱を配し、 右の寸関尺に、肺、大腸、脾、胃、命門、三焦を配して、 もって診脈の定法と為す。 これ皆三部各その候を異にするの理なきことを知らざるの誤りなり。 →「以上に述べた脈診の考え方は、 理が無いことを知らないためにできた、 誤った理論である。」 と書かれています。 読んでみると分かりますが、 この脈診の考え方は専門学校の授業などで習うものですね・・・。 もし三部各その候を異にすべきときは、反関の脈の如きは、 何の処をもって三部と為(な)さんや。 思わざるの甚だしきなり。 およそ医を業となる者は、皆脈を診するをもって、 先務としながら、もし この決断することあたわざる脈法をもって、 闇然として、人の病を診して、疑いを隠して、その証を弁ぜんとす。 その危うきこと薄氷を踏むがごとし。 これ何の心なるや。 これを何と言わんや。恐るべし。 歎(たん)すべし。 医を学ぶ者、深く心を用うべし。 あるいは言う、 寸関尺を分かっては、分配家の説なりといえども、 寸部の脈進みて、魚際へ上がる者を、頭中の病とし、 関部の脈に力ある者を、腹中の病とし、 尺部の脈に滞りある者を、腰脚の病とし、 左右は左右を分けて、 心を用いるときは、病人に患る所を問わずといえども、 大概知れる者なり。 しかればすなわち、 寸関尺の部位全く無しと言えからざるなり。 謙(著者の名前)曰く、 これは人相家相等を占する者と、同断にして、 医門に不用のことなり。 いかんとなれば、頭中に病あり、 あるいは腹中に病あり、 あるいは腰脚に病ありて、医に治を求むる者なれば、 脈をもって頭中の病、腹中の病、腰脚の病を占するに及ばず。 病邪の辞にて、知れたることなり。 何ぞ脈をもって占することを竢(ま)たんや。 →ざっくりと 「寸部を頭中の病、 関部を腹中の病、 尺部を腰脚の病とするような脈診は、 これは占いと同じであり 医学には不用である。」 と書かれています。 脈診を「占い」と比喩してますが、これは 脈の寸関尺だけで 病の場所を特定してしまうことに対する 懸念を表したのだと思います。 それ脈の用は、 頭中の病、腹中の病、腰・脚の病ある人の脈を診して、 色声形の三診に合して、 その病の陰陽・表裏・寒熱・虚実を決断するの診法なり。 病毒頭中にあり、腹中にあり、腰・脚に在るの類は、 みな瀉形の与(あずか)る所にして、 切脈の与(あずか)る所にあらざるなり。 これ病証有りて、脈を診すると、 脈を診して、病証を占するとの辞なり。 また脈をもって病毒の所を占すると、 脈をもって病証の陰陽・表裏・寒熱・虚実を決断するの弁なり。 →「脈診の目的は、 患者さんの身体の色や声、形態と合わせて、 それらを総合して、 病の陰陽・表裏・寒熱・虚実を決めるものである。 病が頭にあるのか、腹中にあるのか、腰・脚にあるのかを 脈の寸関尺で分かるとうたっているが、 病がどこにあるのかは「瀉形」によって判断するものであり、 脈診で判断するものではない。 ある病があるからそれに合った脈が現れるのであって、 その脈だからそれに合った病が現れるということではない。 さらに言い換えると、 その脈だから、病の陰陽・表裏・寒熱・虚実が決まるということではない。」 と書かれています。 つまり、脈診だけで全部は分からないぞ!ということが ずっと書かれていますね。 また、病がどこにあるのかは「瀉形」によって判断するもの とありますが、 この「瀉形」とは、 切脈、望色、聴声、写形(望診)といった 四診合算のことをいうようです。 その中の脈診だけで病を判断してしまうのは いかがなものか、 ということを一貫して言っているのだと思います。 引用: 京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より

六經病機(02)

太 (01)はなはだしい。 (02)とおる。 (03)おおきい。 (04)尊稱に用いる。→太后、太君など (05)秦・大に通ず。 (06)夳に同じ。 (07)姓。 明 (01)あきらか。あかるい。 (02)あきらかにする。 (03)あきらかに。はっきりと。 (04)あける。夜がしらむ。 (05)よあけ。あけがた。 (06)あけて。つぎ。 (07)ひる。日中。 (08)あかるみ。 (09)おもて。そと。うわべ。 (10)ほがらか。 (11)おこる。ひらく。 (12)大きい。 (13)さかん。 (14)陽。陰の對。 (15)雄。雌の對。 (16)有形。 (17)この世。現世。 (18)かみ。神靈。 (19)日。月。星。 (20)天。 (21)賢人の述作をいう。 (22)よく治まる。ひらけた國。 (23)視力。 (24)たぐふ。 (25)水道。水の流れみち。 (26)ちかう。盟に通ず。 (27)萌に通ず。 (28)孟に通ず。 (29)猛に通ず。 (30)望に通ず。 (31)朝代の名。朱元璋が元を滅ぼし建てた國。 (32)諡。 (33)姓。 (34)眞言の異名。 少 (01)すくない。すこし。 (02)すこしく。わずか。やや。 (03)すくなしとする。不足に思う。 (04)そしる。かろんずる。 (05)しばらく。しばらくする。 (06)おとる。 (07)かすか。おとろえる。 (08)へる。 (09)かく。 厥 (01)石を発掘する。 (02)ほる。 (03)つくす。つきる。 (04)つく。突きたてる。 (05)病名。のぼせ。足が冷え、頭がのぼせる。 (06)その。それ。 (07)の。 (08)句調を調へる助辭。 (09)みじかい。又、尾の短い犬。 (10)石の名。 (11)ゆれ動くさま。 (12)蹶に通ず。 (13)橛に通ず。 (14)古は氒につくる。 (15)姓。 【参考文献】 『大漢和辭典』大修館書店 (太:第三巻763頁、明:第五巻763頁、少:第四巻89頁、厥:第二巻659頁) 『中医病因病機学』東洋学術出版社

背中・寺

  姉の身体を触らせて貰いました。   気になったのは右の腎兪のあたりのエリアが落ち込んでいると思った。   お腹を向けてもらうと夢分流腹診の表で左の腎に当たるエリアが右に比べて力がなく柔らかかった。   実際のところ背中の臓腑の反応は腹とリンクするのか、またリンクするとしたらそこに規則性はあるのか気になります…。   腹、背中と触っていたら左の踵が痒いと掻き始めたのでこれも何なのか考えてみます。   また、背候診とは別件ですが、先日京都の法然院に行ってきました。   銀閣寺から哲学の道をしばらく歩いていった場所にあるお寺なのですが、行ってみると観光客もおらずゆっくり見て周ることが出来ました。   静かなのでセミや鳥の鳴き声、水の音などをじっくり聴け、生えている苔などもとても綺麗でいい場所でした。   また気が向いた時に行こうと思います。   写真撮影可能なお寺でしたのでアイキャッチ画像に設定しています。
収穫の秋 近所の茂みにダイダイが実りました

【用語集】腎不納気

腎不納気 腎気が虚したり、 腎精の不足により腎陽や腎陰に影響が出ると、 「納気」の作用(摂納とも)が働かなくなる状態となる。 「摂納」が出来なくなると、 肺が吸入した気を、 腎に納めることができなくなり、 自然な呼吸が行えなくなる。 そのため、 少し動いただけで息があがるといった症状が出てくる。 このことからも、 「呼吸」は肺だけでなく、 腎が深く関わって行われていることが分かる。

肺陰虚証を勉強していて思った事2

乾燥する、という部分について思うところがあったので書いていきます。   咳をし過ぎる: 水分を失っていき乾燥する。 肺が乾燥し肺の熱が上逆することで咳になり、下気道、上気道、口腔内が 熱を受けて乾燥し、乾咳がでる。 津液が減るため?痰はない、または少量。   しゃべり過ぎ、エアコン、喫煙によっても乾燥する、また 久病によっても身体の潤いが失われることがあるとのこと。 煙が陽熱にあたり、その熱で乾燥すると聞きましたが 煙にあたることによって熱を受けるということなのか、それとも 煙を身体に取り込むことによって肺が熱を受けることなのか。 灸実技の授業で教室が煙だらけになっているときは、すごく 陽熱にあたっているということになるのか?   脾で作られた津液が肺にいき、乾燥により、粛降機能が働かなくなると 大腸や腎に影響がおきる。腎は根源的な陰をもつといわれていて そこが働かなくなることで、再利用できる津液を上昇させることができず 肺や全身に津液を運べなくないために熱を持った肺を冷ますことができなくなる。 肺は津液が少なくなってもひたすら上気道や体表に運んで発散させる。 (この機能は熱で弱まったりしないのでしょうか…?) 腎は再利用できない濁は膀胱を通じて尿となって排出される。 (再利用できる出来ないは、腎の機能?作用?の具合にも関係がある?)   身体が乾燥する病は「痩せる」場合が多いということですが 津液が減り、身体に潤いが足りないためにやせるということは 身体が海藻のように乾くと干からびていくような感じなのか。 色々考えていたら肺陰虚証を忘れそうになってきました。。  

下巨虚

前回の続きです。   合穴である下巨虚について調べていきます。   《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》P108 邪気蔵府病形篇 「小腸の病の症状は、下腹部が痛み、腰や背骨が引きつり睾丸まで痛み、大小便がつまり苦しみ、耳の前が発熱し、或いは寒が甚だしく、或いは肩の上の熱がひどく、手の小指と薬指の間が熱く、或いは絡脈がおちくぼみます。これらはみな小腸の病です。 手の太陽小腸経の病は、胃経の下巨虚に取って治療します。」   ↑の文章を基に考えていきます。   《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》P507 張論篇 「小腸張の症状は、下腹部が張り、腰にかけて痛みます。」   → ・下腹部は小腸のある部位なのでそこが痛み、それが腰まで影響している。 ・耳の前、肩の上は小腸経上にあるのでそこに反映されているのだと思います。 ・手の小指と薬指の間に関しては、小指あたりに経の走行がありますがそれを指すかはわかりません。   《現代語訳 黄帝内経素問 上巻》P164 霊蘭秘典論篇 「小腸はすでに胃で消化された食物を受け取り、食物の精華を抽出して、全身に輸送します。」 《全訳 中医基礎理論》P131 「張介賓は『素問 霊蘭秘典篇』を「小腸は胃の下に位置し、胃中の水穀を受盛して清濁を分ける。そこで水液は前部に吸収され、糟粕は後ろに送られる。脾気は化して上昇し、小腸の気は化して下降する。そのため化物が出るというなり」と注釈している。」   《中医学ってなんだろう》P239 「小腸の蔵象 内部の状態 小腸が清濁を分けられなくなり、余計な水分が大便に混入する。または濁ったものが尿に混入する。 →現象 ・大便が緩い ・下痢 ・尿がにごる など。 内部の状態 小腸から、水分がきちんと吸収されない。 →現象 ・尿の量が減る 内部の状態 小腸の働きが悪くなり、濁ったものが下へ送られなくなる。 →現象 ・お腹が張る ・腹痛 ・嘔吐 ・便秘 など。」   《穴性学ハンドブック》P159 「下巨虚 湿 分清濁、祛湿邪、燥湿、滲湿」   《全訳 経絡学》P 52 「李東垣は張元素に学んだが、その著書である『薬類法象』で、昇降や浮沈により薬性を論じて、茯苓は手の太陽(小腸)へ入り、麻黄は手の太陰(肺)へ入るとし、それぞれの経脈に導く引経薬、報使薬、向導薬を打ち出している。」   →胃からドロドロになって降りてきたものを小腸が受け取る。 受け取ったものを清・濁に小腸が分別する。 清は水穀の精微で、脾の運化へ 濁は大腸へ送られる 小腸の働きが悪いと分別ができず、そこに留まる。 すると下へ送ることができないので留まり、張って痛む。 穴性学ハンドブックで分清濁とある様に、下巨虚によって小腸の働きが改善すると清は脾、濁は大腸へと送られていく。 結果として小腸の張りなども改善される。 また、祛湿邪 滲湿とある様に利水滲湿薬で小腸に入る茯苓の様な一面もあるかもしれない。 邪気蔵府病形篇の寒熱の現象がなぜ起こるのかがもっと調べていく必要があると思います。   参考資料 《現代語訳 黄帝内経素問上巻》 東洋学術出版社 南京中医学院編 《現代語訳 黄帝内経霊枢上巻》 東洋学術出版社 南京中医学院編 《中医学ってなんだろう》    東洋学術出版社 小金井信宏著 《全訳 中医基礎理論》     たにぐち書店  印合河主編 《全訳 経絡学》        たにぐち書店  李鼎主編 《穴性学ハンドブック》     たにぐち書店  伴尚志編著
切脈一葦

切脈一葦 序文2

こんにちは、大原です。 前回(切脈一葦 序文1)は、 『切脈一葦』の二ページ目の最後の一文の途中で終わりました。 今回はその続きからになります。 今回も原文から文意を汲み取って、 文章の読み方を考えていきます。 <読み方> 王叔和(おうしゅくか)、この理を知らず。 心と指とを分けて論ずること、一笑に余れり。 また指を以て診する法は、世に伝えて教えと為すべし。 心を以て了する法は、其の人にあらざれば伝うることあたわず。 しかるに今その伝うることあたわざる法を易しとし。 その伝えて教えと為すべき法を難かしとす、思わざるの甚だしきなり。 またその明らかし難き所の脈状を書き著して、 教えを世に垂れんとす。 これ全く己を欺き、人を欺くの甚だしき甚だしなり。 歴代の医、これを弁ずることあたわず。 却ってその説を潤色して、脈の一診を以て、病を知るの法とす。 これ古人の脈法廃して、ただ王叔和の脈法のみ。 世に盛んなるゆえんなり。 家君かつて曰く、 凡そ脈の変態多しといえども、その状十余種に過ぎず、 ただこれを形容する所の文字多きのみ。 王叔和の徒これを弁ぜず。 形容する所の文字を以て、脈状の名と定めて、一字一字に註解を加えて、 二三十の脈状と為す。 これ脈学塗炭に墜(お)ちるゆえんなり。 ○敏ならずといえども、黙してこれを看過するに忍びず。 因りて切脈一葦を作ると。 これ家君が文字の脈状を破りて、脈状の文字を活用するの大意なり。 この書は固(もと)より大河の一葦にして、 脈学を尽くすことあたわずといえども、 これをもって学ぶときは、古人の流に溯(さかのぼ)るべし。 古人の流に溯ぼるときは、古人と異なることなし。 古人何人ぞ今人何人ぞ、 ただ古人は志を厚くして深くこの道を窮(きわ)めるのみ。 これ今人のあたわざるところにあらず。為さざる所なり。 もし今志を厚くして深くこの道を窮(きわ)める者あらば、 脈を診するに臨みて何ぞ古人に譲らんや。 もし古人に譲る心 (以下、次のページ、下に続く) 有りて、脈を診するときは、必ず心に安ぜざる所あり。 もし心に安ぜざる所あるときは、必ずその病を決断することあたわざるなり。 故に脈を診するに臨みては○がごとき浅劣の者といえども、 必ず古人と異なることなき心を以てこれを診す。 いわんや明達の人においては、 ○が古人と異なることなき心を以て診すると同じからず、 必ず古人と全く同じき者あらん。 豈(あに)ただ古人と全く同じきのみならんや。 必ず古人のいまだ発せざる所を発するものあらん。 後生畏るべし。 これ○が議するところにあらざるなり。 天保辛卯春三月十五日男○謹序 --------------------------------------------------------------------------------- 況(いわん)や:もちろん、言うに及ばず 豈(あに):どうして〜(反語) 決して〜ない --------------------------------------------------------------------------------- 前回に続きですが、 その内容は、著者の 「王叔和は何も分かってない」という 非常に厳しい批判から始まります。 脈診で必要なのはそれを診る心であるが、 王叔和は脈の状態を何種類かに分類して 「○○脈であれば△△の病である」と、 脈の状態でその場合の病はこうであるというように分類しているが、 こんなことが正しいのだろうか・・・、 このような考え方が広まってしまうのは脈学にとってマイナスではないか、 これでは脈学は地に堕ちてしまう、 もうこれは見過ごせない!、 ということで、この『切脈一葦』を記したと書かれています。 その後に、前回の記事の内容とからめ、 まとめのような形で 大事なことも書かれています。 ちなみに王叔和は、 有名な『脈経』という大書を著した人物として有名です。 また『傷寒論』の編纂もされたといわれており、 その功績は非常に大きく、 東洋医学の歴史の本には必ず載っているイメージがあります。 (為沢先生が王叔和についてのブログを書かれています。 https://www.1sshindo.com/blog/zenith17665/ ぜひ参考にしてください。) 参考文献 『切脈一葦』(京都大学附属図書館所蔵) 画像は京都大学デジタルアーカイブより