6月のこと
モデル患者さんが来てくださるおかげで
臨床に出る機会が増えて、
毎回新たな発見と気付き、失敗、課題にと
毎度ボリューム満載で
実りのある時間を過ごしています。
何事も経験であり、積み重ねしかありません。
自分の意識の在り様は鍼に伝わるし
悪い方にも出てしまう。
それは経穴の所為ではないことも。
一鍼同体なんだと思い知りました。
自分は横に置いて、と言い聞かせてる間は
コントロールできていないことだと思う。
無意識のレベルに達するまで
何度も練習していかねばなりません。
沢山思いはありますが、
この心境を言葉に表すことが今も難しく、
ブログを中々書けずにいました。
「肝不蔵血」証とは
大原です。
先日、ある鍼灸関連の本を読んでいて、
弁証に関する内容のところで
「肝不蔵血」という証名が目に入りました。
・・・肝不蔵血?
あまり聞き慣れない証名だと感じつつ、
これはおそらく
「肝は蔵血を主るが、その蔵血の機能が失調したものか」と
軽く読み飛ばそうかと考えたところ、
「いや、これは軽く読み飛ばしてはいけない、
ちゃんと考えなくてはいけないことだ」と
頭の隅の方で違和感を感じました。
何がその違和感を感じさせたのか、
しばらく自問自答していると
その正体のようなものが少しずつ分かってきました。
復習になりますが、肝の主な機能として、
・蔵血
血の貯蔵、すなわち血流量を調節する機能を言いますが、
これ以外に
・疏泄を主る
という機能があり、これによって全身の気機が調節され、
気血が巡らされます。
この疏泄が失調すると気血が巡らず、
気滞、血瘀といった病理産物が生じます。
さて、肝の不蔵血とは
先に述べた「蔵血」作用の失調で、
この言葉からすると
肝に血が貯蔵されないという意味になります。
ここで重要なのが、
肝の疏泄によって
肝血が肝から全身へ巡らされている状態は
健全な状態であり、
肝血を全身へ巡らせる必要がないにも関わらず、
肝に血が蔵されない状態は
病的な状態であるということです。
後者は
血液を貯蔵して血流量を調節するという肝の機能が低下した症候で、
『中医弁証学』では
主症として
「嘔血、咳血、衂血、崩下、目の充血、易怒」
(=口・鼻・子宮からの出血。目の充血。怒りやすい。)がみられるとあります。
またその解説として
「肝の疏泄が過剰となって肝気が上衝し横逆すると、
血が気の勢いにつられることになり、そのため出血が起こる。
肝気犯胃では嘔血がおこり、
肝火犯肺では咳血となる。
また、血が気に随って循経により
上行すると鼻衂がおこる。
夫人では崩下となる。」
とあります。
全体として、出血傾向になるということですね。
「崩下」とはおそらく崩漏のことだと思います。
すなわち、肝の
正常な疏泄か、
過剰な疏泄(=「疏泄太過」といいます)か
の区別が、肝不蔵血を考える上で
重要であるということになると思います。
・・・と、
ここまで何となく納得されると思いますが、
「易怒」とは「肝鬱気滞」の主症でも出てくるのでは?
という疑問が湧きませんでしょうか?
「肝鬱気滞」、
これは肝の疏泄が不及である状態をいい、
気機が失調すると述べました。
少しまとめると、
①疏泄が不及→「怒」
②疏泄が太過→「怒」
となり、どちらも「怒」で
これらの文字面だけを考えると
不及?過剰?どっちだろう?となって
非常にややこしく感じませんでしょうか?
さて、「怒」の意味を考えてみますと
「怒」には普通に「怒る」という意味合いだけでなく
「精神抑鬱」「イライラ」という意味もあります。
これらの怒の意味を考えて再度まとめ直すと
①疏泄が不及 → 「精神抑鬱、イライラ」 →「肝欝」
②疏泄が太過 → 「激しい怒り」 →「肝火」・「肝陽」
とるのではないでしょうか?
しかし、さらに「怒」について考えてみますと
「あ、これは肝欝の怒だ」
「あ、今のは肝火の怒りか?」などと
①か②のどちらかであるというような考え方は
不自然な気もします。
実際に人が「怒」であるときというのは
・何かをずっと我慢している(疏泄の不及)
・ちょっとしたことですぐ怒る(太過)
・我慢して我慢してから爆発する(不及→不及→太過)
・怒りながらも我慢している(太過・不及)
など、一言に「怒」といっても色々あります。
すなわち疏泄の異常は、
不及か太過かの二者択一ではなく、
不及と太過の両方が
その割合を変えて
おこっているのではないでしょうか?
①「不及 > 太過」 →「肝欝」
②「不及 < 太過」 →「肝火」・「肝陽」
また、
肝欝を陰、
肝陽を陽とする陰陽論を考えると、
どこがその境界線で、
陰陽の転化が行われる条件は何かといったことも興味深いです。
しかし、虚実の概念においては①②どちらも実であり、
これを陰陽論で考えてしまうのはどうなのか?
考え方として、①②は両方とも
肝気が正しく作用しない場合における概念であり、
肝気の健全な疏泄によるあるべき方向性があるとして、
その方向性が誤ってしまっているものが②で、
方向性を見失っているものが①ということだろうか?
長くなり
最後はメモのようになってしまいましたが、
肝の疏泄の異常とは、
不及であること、太過であること
の2種類があるということを
今回復習しました。
(後半の、疏泄の失調に関する自問自答の内容は
疏泄の失調の軽度なもので、
重い段階になると
出血傾向などもみられるようになると思います。)
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参考文献
『中医弁証学』東洋学術出版社
『東洋医学概論』新版 東洋医学概論
大原
自分の確認手段など
週末
先週の週末くらいですが、学校での様子をみると全体的にイライラしている様子の人が多かった気がします。
こちらから話を振る訳でもなく、久しぶりに昔出ていた症状が出てきたなど会話で出てきた。
そういう時期だったのかなと勉強になりました。
肝火の人は目と喋り方が爆発的な特徴を持つ気がします。
自分の確認手段
最近自分のどんな状態が良くて、どんな状態が良くないか前よりは実感できる様になってきた気がします。
良くない状態を作ってしまっている時、現実に存在する音、匂いなどに対する取りこぼしが多く、みるものの視点が近い。
その状態になっている時を確認すると変な没頭の仕方をしてしまっている事が多い。
改善方法としては、今に集中したら状態は良くなる。
もっと受動的に。
要らないものが多すぎる。
もっと自分と周りの環境を一致させたいな。
場所によって
小腸経の切経を行う時、相手の顔近くに手を置いてもらうやり方で労宮でみようとすると物理的に距離感が近くなりやすい。
最近は手の指でもみれたらいいなと思い、指先でも軽く触れるよう色々指先で触る訓練中です。
流れ
細かい部分を見るのはいいけども、そこに囚われた瞬間他の情報との関連を切ってしまっているので別物になる。
診断時、そうならないためにもサッパリ生きなきゃなと思います。
冬休みに入りました!
こんにちは高山です。
冬休みに入りました。
今は東洋医学の病因と病機について勉強しています。
聞いたこともない物質や構造を学び、そこからさらに深掘りしていく、理解するのがむずかしいことが書いてあったり、量も多いです
でも、病気がなぜ起こってしまったか、やその病気の症候などが記されていて、治療する上で、きっと大切になることが、書かれています。ちょうど冬休みですし、じっくり時間をかけて勉強しています。
まだ僕は一年生で、脈診や舌の色、腹診などの仕方や、
感触は全然知りませんが、いずれ学ぶ時が来ると思いますので、今はまだ机上の知識ですが、どんどん吸収していきたいと思います。
患者さんをしっかりと治療できて、喜ばれる日を夢見て日々前に進み続けます。
医古文の学習(1)
一鍼堂(大阪本院)で行われる「素問を読もう!」(木曜日)に参加しています。
【黄帝内経素問】
《上古天眞論篇第一》
昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天.
廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶.
岐伯對曰.
上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞.故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去.
今時之人不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也.
(読み下しや翻訳に関しては、沢山の先生方が訳した書物がありますので割愛させて頂きます。)
黄帝を表して
生 弱 幼 長 成
神靈 能言 徇齊 敦敏 登天
五進法から始まってます。「このリズムでいきますよ。」と感じます。
当時の発音も解れば、より以上感ずることも多いのかと、、残念な思いと探究心が交錯しますが。
法 和 節 常 不作
陰陽 術數 食飮 起居 妄勞
「昔の人は偉かった」との話の中に一つのモデルケースが示されています。
ここの”陰陽”をとってみても、具体的に話しているようで総論的な意味合いも含んでいるように思えます。
素問全体を通して理解が進む事を期待しつつ進んでまいります。
漿 常 入房 竭精 耗散 不知 御 快 逆 無節
酒 妄 醉 欲 眞 滿 神 心 生樂 起居
今度は”今時の人”のダメ出しパターン。
倍の10件も記されています。説教が長い・・・タイプのようです。
エジプトのピラミッドを作った労働者の落書きに「最近の若者はダメだ」とあったように聞いたことあります。
大古の昔より、「変わらぬものは変わらない」と感じた記憶があります。
医古文もまた共通の不変性を示しているように思います。
年を重ねて分かるからこそ、伝えるべき”無駄”を伝えようとしているように感じるのですが、
どうなのでしょうか?
参考文献
「現代語訳 黄帝内経素問 上」東洋学術出版社
「重廣補注 黄帝内経素問」天宇出版社
稲垣英伸
傷寒論の学習 その3
(前回ブログ
傷寒論の学習 その2:https://toyoken.org/1179/)
こんにちは、大原です。
前回の内容でも書きました通り、
傷寒論で、
陽明病の「提綱証(ていこうしょう)」は
胃実熱証であるということが
学校の教科書や
多くの解説本で述べられています。
根拠となる条文は「陽明之為病、胃家実是也」です。
ですが、『宋以前傷寒論考』という書籍によると、
宋の時代に傷寒論の条文が書き換えられたようで、
宋以前は「胃中寒」だったそうです。
傷寒論の原本は失われているそうですので、
現代において傷寒論の内容を調べていくには、
傷寒論の内容が書かれた古文書をもとにして
汲み取っていくことになりますが、
現代の教科書は、
宋の時代に書き換えられた内容のものを基準にしているのですね。
太陽病が表寒で、
その後につづく陽明病が実熱になることに
はじめ違和感を感じていたのを思い出しましたが
その謎が少し解けたように感じました。
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参考文献
『宋以前傷寒論考』 東洋学術出版社
興味がありましたら、ぜひ参考文献もお読みください。
東洋医学探訪(02)
鍼灸学生の授業の一環で解剖実習があります。
東洋医学を学ぶ者として
『太古の医家達も、間違いなく解剖実習で学んでいるだろうな』
と考えておりました。
京都で医学史の1ページに触れてまいりました。
山脇東洋觀臓之地
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近代医学のあけぼの 観臓の記念に
1754年 宝暦4年閏2月7日に
山脇東洋(名は尚徳 1705~1762)は所司代の官許をえて
この地で日本最初の人体解屍観臓をおこなった。
江戸の杉田玄白らの観臓に先立つこと17年前であった。
この記録は5年後に『藏志』としてまとめられた。
これが実証的な化学精神を医学にとり入れた成果のはじめで
日本の近代医学がこれから
めばえるきっかけとなった東洋の この一業をたたえるとともに
観臓された屈嘉の霊をなぐさめるため
ここに碑をたてて記念とする。
1976年3月7日
日本医師会
日本医史学会
日本解剖学会
京都府医師会
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六角獄舎跡は二条城の南の因幡町にあります。
跡地は集合住宅であり、石碑のみの設置でした。
東洋医学探訪(01)
もう夏の終わりですが、私の日焼けは遊びではありません。
修行の結果です。
京都を散策してまいりました。
『延命院』とは『医療施設』
御由緒
(引用:武信稲荷神社の”案内”より)
平安時代初期、清和天皇貞観元年(859年)
西三条大臣といわれた 右大臣左近衛大将 藤原良相(よしすけ)公によって創祀。
平安時代の古図には三条から南の神社附近一帯は
「此の地、藤原氏延命院の地なり」と記されている。
延命院とは藤原右大臣によって建てられた医療施設であり、
当社は延命院と勧学院(学問所)の守護社として創祀された。
後世、藤原武信(たけのぶ)公がこの社を厚く信仰し、
御神威の発揚につとめたので、武神神社と称されるようになる。
その後延命院・勧学院は失われるが神社だけが残り、
創祀以来一千余年にわたり広く人々に信仰されて今日に及んでいる。
撮影をけっこうしましたが、蚊にはご注意ください。(経験談!)
五行大義(3)
炎上
火曰炎上。炎上者南方揚光輝、在盛夏氣極上。
故曰炎上。王者向明而治。蓋取其象。
古者明王南面聽政、攬海内雄俊、積之於朝、以助明也。
退邪佞之人臣、投之於野以通壅塞。
任得其人則天下大治、垂拱無爲。
易以離爲火爲明。重離重明、則君臣倶明也。明則順火氣。
火氣順、則如其性。如其性則能成熟、順人士之用。
用之則起、捨之則止。
若人君不明、遠賢良進讒佞、棄法律疎骨肉、
殺忠諫赦罪人廢嫡立庶、以妾爲妻、則火失其性、不用則起、
隨風斜行、焚宗廟宮室燎于民居。
故曰火不炎上。
火は炎上という。炎上なるもの南方に光輝を揚げ、盛夏にあって氣が極まり上がる。
故に炎上という。王なるもの明りに向かって治る。およそ、その象をとる。
明王、南面し政を聴き、海内の雄俊をとり、朝廷に積み、もって明を助ける。
邪佞の人臣退き、これを野に投げ、もって壅塞を通ず。
得たその人に任せ、すなわち天下大きく治み、垂拱になすなし。
易は離をもって火となし、明となす。離を重んじ、明を重んじれば、則ち君臣ともに明らかなり。明、則ち火氣の順なり。
火氣の順、則ちその性のごとし。その性のごとくは則ち能く成熟し、人士の用に順ず。
これを用いて則ち起こり、之を捨てれば則ち止む。
もし人君、明からずして、賢良に遠く讒佞に進め、法律を棄て骨肉を疎み、
忠諫を殺し罪人を赦し、嫡を廢して庶をたて、妾をもって妻となせば、則ち火はその性を失い、用いざるに起こり、
風に随いて斜めに行き、宗廟・宮室を焚き、民居を燎く。
故に火に炎上せずという。
【参考文献】
『五行大義』明德出版社
『漢辞海』三省堂
『易経』徳間書店
体が重い
先週から体調が変化してなかなか身体が重くてしんどい。
舌をみると真っ白な豆腐の粕の様なもので覆われており、脾募を労宮で触ると掌から抜けていく感じがし、指腹で触るとゆるゆるになっていて、両手が重い。
お風呂で温もると脾募が赤くなっていました。
数日前は入浴時、肺経が赤くなっていました。
関係あるかわかりませんが、最初に感じた身体の変化は1ヶ月くらい前で、胸のあたりに肌荒れが起こっていて、それが段々下に降りてきていた。
今は荒れが治ってきて少し脱皮し始めた。
調べると膜原に問題がある可能性もあるかも知れないと思った。
<中医臨床のための温病学入門> P136
「呉有可が「膜原は、外は肌肉に通じ、内は胃腑に近く、すなわち三焦の門戸、実に一身の半表半裏なり、邪は上より受け、直ちに中道に趨く、故に病は多くは膜原に帰す。」と述べるように、湿熱濁邪は膜原に鬱伏して、本証を発病しやすい。」
しかしこの邪が潜伏と言うけどもいつから潜伏しているかなど書いていないので気になる。
背中を診てもらっているとき膈のあたりがと言われた事があるが繋がっていないのか。
臓腑の働きが良くなると伏せていたものが浮き出てきたりすることはないのか。
気になるのでしばらく追ってみようと思います。
参考文献
中医臨床のための温病学入門 東洋学術出版社 神戸中医学研究会編著









