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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

易経 その2

つづき この易経ですが、一般的には「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の占いのイメージがつよいですが、本を読んでみてそれだけではないことがわかりました。 易経には大昔の人が、世の中の仕組みや人生においての法則があって、その法則には一定のルールがあり、それを64種類の物語にして教えてくれているらしいのです。 その法則を理解して身につければ、もはや占う必要性もなくなり世の中の森羅万象、物事の道理、そしてその先行きが見通せるようにもなるというのです。 そう聞くと更に興味が湧き、是非理解を深め、その智慧の恩恵に与りたいと思うのも必至です。 そんな易経ですが、いつの時代に出来上がった考え方なのかと調べてみると、今、日本で一般的に使われている「易」は「周易」と言って周王朝時代に確立したそうです。 その周王朝時代の日本は何時代か見ると、縄文時代でした。 恐るべし中国史です。 そんな昔から世の中の道理が解明されていたのにびっくりです。 東洋医学といい、易経といい太古の先人に感謝します。

脈(奇恒の腑)は血脈・血府とも言われる。 脈は主に気血などの生理物質を運搬し、心の機能により送り出された後、肺や肝の機能により推動され全身をめぐり、組織・器官を滋養している。 生理物質および各臓腑の状態を表すだけでなく、内外の環境や病因の特性を反映するため、脈診によって臓腑の機能失調および内在する病態を推察することが可能となる。 ーーーーーーーーーーー 五臓の働きや生理物質の種類・作用に関して、 異なる臓器や生理物質なのに同じような働きを持っているように見えたり、 一つの生理物資の代謝にいくつかの臓器が関与していたりで、 入り組み過ぎてそれぞれを独立して認識しづらかったため、五臓のことは横目で見つつ イメージが付きやすい奇恒の腑について学んでました。ですが 「中医学において、生理代謝の中心は五臓六腑にあり、その生理活動をみていくと ただ1つの臓器が中心となって行っているものがあったり、2つの臓器が関与して行っているものや、さらには3つ以上の複数の臓器が関与しているものもある。 そして生理活動の中では、関与する臓器の数が多いものほど重要度が高くなっている。 このことは気・血・津液の代謝がどれも3つ以上の複数の臓器が協調して行っていることからも分かる」 ということで、複雑に絡み合ったままでもいいんだなと分かったので、 引き続き進めていきます 「新版 東洋医学概論」医道の日本 「やさしい中医学入門」関口善太 西

五行大義(2)

曲直 洪範傳曰、木曰曲直者東方。 易云、地上之木爲觀。 言春時出地之木、無不曲直、花葉可觀。 如人威儀容貌也。 許愼云、地上之可觀者、莫過於木。 故相字目傍木也。 古之王者、登稿輿有鸞和之節、降車有佩玉之度、 田狩有三驅之制、飲餞有獻酢之禮。 無事不巡幸、無奪民時、以春農之始也。 無貧欲姦謀所以順木氣。 木氣順、則如其性、茂盛敷實、以爲民用。 直者中繩、曲者中鉤。 若人君失威儀、酖酒淫縦、重徭厚税、 田獵無度、則木失其性、春不滋長、不爲民用、橋梁不従其繩墨。 故曰木不曲直也。 洪範伝に曰く、木に曲直というは東方。 易にいう、地上の木を観となす。 言うこころは、春時、地に出づるの木は、曲直ならざるなし、花葉観るべし。 人の威儀容貌のごときなり。 許慎いう、地上の観るべき者は、気に過ぐるはなし。 故に相の字は、目、木の傍らにするなりと。 古の王者は、輿に登るに鸞和の節あり、車を降りるに佩玉の度あり、 田狩に三駆の制あり、飲餞に獻酢の礼あり。 事なきときは巡幸せず、民の時を奪ふなし。 春は農の始めなるを以てなり。 貪欲姦謀なきは、木気に順う所以なり。 木気順なれば、則ちその性のごとく、茂盛敷実し、以て民の用をなす。 直なる者は縄に中り、曲なる者は鉤に中る。 若し人君、威儀を失い、酒に酖りて淫縦し、徭を重くし税を厚くし、 田獵度なければ、則ち木は、その性を失い、春滋長せず、民の用をなさず。 橋梁は、その縄墨に従わず。 故に木に曲直せずというなり。 【引用文献】 『五行大義』著者:中村璋八、発行:明德出版社

行動

行動   とにかく相手に合わせながら動く。   ごちゃごちゃ考えず、いい意味で一心不乱に。   流れを止めない。   自分も相手も頭を使った時は空気が止まる。   先週見させて頂いた人の時、時間をかけすぎてしまっていた。   戻り、報告の際受けた時間をかけすぎというご指摘。   術後の反応を探るときはとにかく早く。   見れる見れないは関係なく行った。   何より驚いたのは患者さんの拍子抜けした空気。   「え?終わり?」   言葉にしなくても伝わった。   見れる見れないはこちらの都合。   患者さんには関係のない話。   患者さんのステージの上で見れる様になる。   相手には相手の都合がある。   常にそこを見ずに先はない気がしました。   都合を考えずに触ってしまって申し訳なくなる。   明日の寺子屋。   燃え盛る様なものをいらない。   ただ相手に任せる事を意識してみる。      

『閃く経絡』を読んで

以前より、SNSで噂になってた本『閃く経絡』を読んでみました。 ---------------------------------------------------------- 『閃く経絡』 ”現代医学のミステリーに鍼灸の”サイエンス”が挑む!” 著者:ダイエル・キーオン 発行:日本の医道社 ----------------------------------------------------------- ダニエル・キーオンさんは医師として救急の現場に立ちながら、 キングストン大学で中医学を学び、後に北京に渡り就業を行ないました。 医師でありながら鍼灸師であるという立場で、経絡の謎を解明しようと試まれています。 鍼灸学校で習う解剖学・生理学の復習になり、 学生の立場としてはテストされているような感覚も正直あるのですが。。 医師としての立場らしく、淡々と表現されるグロテスクさも楽しむ事が出来ました。 彼の経絡に対するこの論証の一つ一つは、なかなか見ごたえがある様に思います。 実はこのような生々しい論理は好きだったりします。 この本の素晴らしいところは東洋医学に対する敬意が感じられるところです。 東洋医学の軸を動かさずに西洋医学の詳細を詰めていく方法は、 解明する探検の大変さも感じられますが、気持ち良さを同時に覚えます。 そして、医古文などを読む際に手助けとなるのが、現在の医学への探求があるという事は 太古の昔も医学に燃える医家がいるのだろうと信じる事ができるところでしょうか。 未来の優秀な方々によって、東洋医学の証明がなされていくことに夢をはせます。 以前に一鍼堂ブログの番外編として院長が挙げられていた三焦に関してのブログも添付します。 ↓ https://www.1sshindo.com/blog/zenith16946/
黄色く色づき始めました 11月初旬の箕面

【用語集】肝鬱気滞

肝鬱は 肝気鬱もしくは、肝気鬱結の略称であり、 肝気が滞ることをあらわす。 気滞は、その名の通り、 常に循環しているはずの「気」の流れが「滞」っている状態をあらわす。 肝気の特徴として、 樹木がなんの制約も受けず、 ただのびのびと枝を伸ばしていく様を「条達」。 縦横無尽に全身を動き回ることを「疏泄」と表現する。 精神的な負担などがかかることで 肝気が伸びやかに巡らなくなり、 肝気が鬱屈した状態、すなわち「肝鬱」となる。 参考文献: 『黄帝内経素問』 『黄帝内経霊枢』 『中医基本用語辞典』 東洋学術出版社 『基礎中医学』 神戸中医学研究会 『中国医学辞典』 たにぐち書店 『臓腑経絡学』 アルテミシア 『鍼灸医学事典』 医道の日本社

「11/10(土) 漢方薬「桂枝湯」を学ぼう!」の感想

講師は大原先生より学びました。 傷寒論より太陽病~厥陰病を説明され、 実際に桂枝湯を煎じ、飲用を楽しみながら温かい時間を過ごさせて頂きました。 学生の身で、混沌の日々を過ごしておりますが 通行人や電車で同乗する人達を観る際に、仕草や素行を観察してしまいます。 例えば この人は落ち着きがない、汗が多い、座り方が横柄、疲れてる、顔色が悪い、 歩き方、目の力強さ、物の持ち方、声の大きさ、、、、 その標は?本は? 虚している?、実している?、陽虚?、陰虚?、内熱?、肝気?、腎虚?、、、、と しかし、本日の漢方講座を経験すると、今までは力の入り過ぎた感覚で見ていた様に思いました。 飲用より身体を整えていく感覚を思うと 力を抜いて観察し、全体像より症状とか異変の把握に努めなくてはならないと感じました。 臓腑を補した影響が、体全体へと達すると思えたからなのでしょうか。 この”『補する』を重点とする”という事を 「10/7(日) 学生向け勉強会」後半戦の院長特別講座で教えて頂きました。 その後半戦のフィーリングは一つの起点となっていますが、共通項を得られたのが本日の収穫の一つです。 大原先生、お疲れ様でした。 いつも配慮頂く院長に感謝いたします。ありがとうございました。 【番外編】 (講座が終了し、方剤の効能についての雑談中) 大原先生 「・・は腎陽と腎陰の両方を補うんですよ。逆じゃなくて両方を補えるんです!」 稲垣 「なるほど、太極を大きくするのですか・・」 と返答した際の大原先生の顔が 『稲垣、易経できやがったな』的な顔は脳裏から離れません( ̄▽ ̄)
庭園

『舌鑑弁正 訳釈』より紅舌を学ぶ。

こんにちは稲垣です。 『舌鑑弁正 訳釈』の”紅舌総論”より学びます。 ・・痩人多火、偏於実熱、医者拘於外貌、輒指為虛、 誤服温補、灼傷真陰、域誤服滋補 (名為滋陰降火、実則膩渋酸歛膠粘、実熱、引入陰分)、 漸耗真陰、亦成絳舌、而為陰虛難療矣 (其初必有黄苔、医者不知、久之内傷己甚、不能顕苔、而変絳色矣。 凡陰虛火旺之病、自生者極少、多由医家誤用補薬逼成也)。 不論病状如何、見絳舌則不吉。・・ (引用:『舌鑑弁正 訳釈』P221~222) ・・痩せた人は火が多く、実熱に偏る、医者は外見にとらわれ、痩せていれば虛とする、 誤って温補を服用し、心陰を焼き傷る、誤って慈補を服用 (滋陰降火という、実すれば則ち膩渋酸歛膠粘、実熱、陰分に引き入れる) 真陰が次第に消耗、また絳舌となる、陰虚が治り難くなる (初めは必ず黄苔、医者は知らず、時と共に内傷が甚だしくなり、苔が目立たぬまま、絳色となる。 陰虚火旺の病、自らそうなるものは極めて少なし、多くは医家の補薬の誤用によるもの)。 病状がどうあれ、絳舌は則ち吉ならず。・・ 実際の臨床に立たせて頂いて、感じることの一つに 下焦の邪が強い患者さんが少なからず居られ、 その下焦をいかにクリーニング出来るかが重要に思えるケース。 補瀉の取り扱いは極めて慎重であるべきだと思いました。 鍼灸学校においては腎に実証はないと教育されますが。。 経験を積み考察を深めたいと思います。 今回は黄苔の存否などは分かりやすいと思えました。 【参考文献】 『舌鑑弁正 訳釈』たにぐち書店

中医内科学 心の病理②

こんにちは、大原です。 前回の続きです。 (前回:中医内科学 その2 心の病理①) 前回同様、訳の難しいところがあり、 日本語がたどたどしい箇所もありますがご容赦ください。 (2)心不主血脈(心、血脈を主らず) 血脈が正常で、気血は暢びやかにその中を流れ、 もって人体の物質代謝と臓腑作用の協調を保証する。 心の作用に障害が発生すると、 正常に血脈の働きをコントロールすることができなくなり、 血脈の循行に異常をきたすことによる 多種の病証を引き起こすことになる。 心のよく見られる病機は以下のものである。 心気不足: 心気虚とは、心の作用の減弱を指し、血をめぐらす力が無く、 血脈を推動することができず、 あるいは痰濁、瘀血によって痛みやしびれがおこり 心脈の通行が阻(はば)まれる病理状態を指す。 もし長患いが癒えずに、脾肺の気虚がある、 あるいは年齢のため身体が弱り腎気に虧損があるなど、 生化の源が無いものは みな心気の虚衰をもたらす。 心気不足は、神が養われるところを失うと 血を運ぶ力が無く気虚であるため 心悸、気短の症状や、脈は虛で細、または結代があらわれる。 心陽暴脱: 心陽虚の極み、あるいは心悸が傷られ、 にわかに虚脱(病人の心臓が急に衰弱して、体温が下降し脈拍が微弱になる現象)となる。 多くは平素より心気が虚弱で、心陽不振があり、 激しい動作をして心気が支えられず心陽が突如絶える、 あるいは大汗をかく、失血過多は、陽に従って陰も脱する、 あるいは邪熱が内に閉塞し、陽気が外に浮越し、陽気暴脱して神気は消滅する。 一般的には心悸怔忡、顔色は蒼白、汗が出て四肢は冷たく、 甚だしければ、脈は微で疾数、散乱して絶えようとする。 心火上炎: 心経の火盛によるもので、経をめぐって上炎したもの。 多くは情志の傷るところにより、五志の過が極み化火し、 心神が内擾するに至って、心中は煩熱し、煩躁して眠れず、 経をめぐって上炎すれば 口や舌に瘡ができ舌は腫れて疼痛する。 心血虧虛: 血は心によってめぐり、心は血によって養われる。 血虚であれば心を養えず、心中動じ怔忡をなす。 『済生方』によると 「怔忡は、心血不足による。」とあり 血不足によって怔忡があらわれる場合は、常に脈が結代促等が伴う。 心脈痹阻: 脈絡の病変で、血流の詰まりや滞りによってたやすく引き起こされる。 特別、心脈について病証を設けているのは 心臓の危害はとりわけ大きく、これは心痹、真心痛の基本病理変化で 多くは瘀血、痰濁が絡を滞らせることによる。 『素問』痹論篇にある 「心痹なる者、脈通じず、煩なればすなわち心下鼓、にわかに上気して喘す」 とあるが、このような病変に属するものがこれにあたる。 次回は 2.小腸の病機についての予定です。 ■参考文献 『中医内科学 第2版』 人民衛生出版社

「肝不蔵血」証とは

大原です。 先日、ある鍼灸関連の本を読んでいて、 弁証に関する内容のところで 「肝不蔵血」という証名が目に入りました。 ・・・肝不蔵血? あまり聞き慣れない証名だと感じつつ、 これはおそらく 「肝は蔵血を主るが、その蔵血の機能が失調したものか」と 軽く読み飛ばそうかと考えたところ、 「いや、これは軽く読み飛ばしてはいけない、 ちゃんと考えなくてはいけないことだ」と 頭の隅の方で違和感を感じました。 何がその違和感を感じさせたのか、 しばらく自問自答していると その正体のようなものが少しずつ分かってきました。 復習になりますが、肝の主な機能として、 ・蔵血 血の貯蔵、すなわち血流量を調節する機能を言いますが、 これ以外に ・疏泄を主る という機能があり、これによって全身の気機が調節され、 気血が巡らされます。 この疏泄が失調すると気血が巡らず、 気滞、血瘀といった病理産物が生じます。 さて、肝の不蔵血とは 先に述べた「蔵血」作用の失調で、 この言葉からすると 肝に血が貯蔵されないという意味になります。 ここで重要なのが、 肝の疏泄によって 肝血が肝から全身へ巡らされている状態は 健全な状態であり、 肝血を全身へ巡らせる必要がないにも関わらず、 肝に血が蔵されない状態は 病的な状態であるということです。 後者は 血液を貯蔵して血流量を調節するという肝の機能が低下した症候で、 『中医弁証学』では 主症として 「嘔血、咳血、衂血、崩下、目の充血、易怒」 (=口・鼻・子宮からの出血。目の充血。怒りやすい。)がみられるとあります。 またその解説として 「肝の疏泄が過剰となって肝気が上衝し横逆すると、 血が気の勢いにつられることになり、そのため出血が起こる。 肝気犯胃では嘔血がおこり、 肝火犯肺では咳血となる。 また、血が気に随って循経により 上行すると鼻衂がおこる。 夫人では崩下となる。」 とあります。 全体として、出血傾向になるということですね。 「崩下」とはおそらく崩漏のことだと思います。 すなわち、肝の 正常な疏泄か、 過剰な疏泄(=「疏泄太過」といいます)か の区別が、肝不蔵血を考える上で 重要であるということになると思います。 ・・・と、 ここまで何となく納得されると思いますが、 「易怒」とは「肝鬱気滞」の主症でも出てくるのでは? という疑問が湧きませんでしょうか? 「肝鬱気滞」、 これは肝の疏泄が不及である状態をいい、 気機が失調すると述べました。 少しまとめると、 ①疏泄が不及→「怒」 ②疏泄が太過→「怒」 となり、どちらも「怒」で これらの文字面だけを考えると 不及?過剰?どっちだろう?となって 非常にややこしく感じませんでしょうか? さて、「怒」の意味を考えてみますと 「怒」には普通に「怒る」という意味合いだけでなく 「精神抑鬱」「イライラ」という意味もあります。 これらの怒の意味を考えて再度まとめ直すと ①疏泄が不及 → 「精神抑鬱、イライラ」 →「肝欝」 ②疏泄が太過 → 「激しい怒り」 →「肝火」・「肝陽」 とるのではないでしょうか? しかし、さらに「怒」について考えてみますと 「あ、これは肝欝の怒だ」 「あ、今のは肝火の怒りか?」などと ①か②のどちらかであるというような考え方は 不自然な気もします。 実際に人が「怒」であるときというのは ・何かをずっと我慢している(疏泄の不及) ・ちょっとしたことですぐ怒る(太過) ・我慢して我慢してから爆発する(不及→不及→太過) ・怒りながらも我慢している(太過・不及) など、一言に「怒」といっても色々あります。 すなわち疏泄の異常は、 不及か太過かの二者択一ではなく、 不及と太過の両方が その割合を変えて おこっているのではないでしょうか? ①「不及 > 太過」 →「肝欝」 ②「不及 < 太過」 →「肝火」・「肝陽」 また、 肝欝を陰、 肝陽を陽とする陰陽論を考えると、 どこがその境界線で、 陰陽の転化が行われる条件は何かといったことも興味深いです。 しかし、虚実の概念においては①②どちらも実であり、 これを陰陽論で考えてしまうのはどうなのか? 考え方として、①②は両方とも 肝気が正しく作用しない場合における概念であり、 肝気の健全な疏泄によるあるべき方向性があるとして、 その方向性が誤ってしまっているものが②で、 方向性を見失っているものが①ということだろうか? 長くなり 最後はメモのようになってしまいましたが、 肝の疏泄の異常とは、 不及であること、太過であること の2種類があるということを 今回復習しました。 (後半の、疏泄の失調に関する自問自答の内容は 疏泄の失調の軽度なもので、 重い段階になると 出血傾向などもみられるようになると思います。) ---------------------------------------------------------- 参考文献 『中医弁証学』東洋学術出版社 『東洋医学概論』新版 東洋医学概論 大原