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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

舌診(08)

治療家のT先生に舌の研究の為にご協力頂きました。 舌を撮影させて頂く時は、 念のために表だけで2枚、裏だけで2枚撮影します。 色調の違いを考えて今回はこの画像を選択しました。 表 裏 舌質 淡白舌 嫰・点刺・歯痕 舌苔 白苔 全体・薄苔 仕事終わりに撮影をさせて頂こうかと思っておりましたが、 時間がありましたので、業務の前に撮らせて頂きました。 舌尖の紅が痛々しいですが、”朝” というのも要因の一つかと思います。 裂紋が出来てからかなりの時間が経過しているのかと思います。 T先生の舌は昨年より診させていただいておりますが、 瘀斑の境目が緩やかに感じます。 状況により変化があるのでしょうが、 安定している好転反応を感じます。

傷寒論の学習 その3

(前回ブログ 傷寒論の学習 その2:https://toyoken.org/1179/) こんにちは、大原です。 前回の内容でも書きました通り、 傷寒論で、 陽明病の「提綱証(ていこうしょう)」は 胃実熱証であるということが 学校の教科書や 多くの解説本で述べられています。 根拠となる条文は「陽明之為病、胃家実是也」です。 ですが、『宋以前傷寒論考』という書籍によると、 宋の時代に傷寒論の条文が書き換えられたようで、 宋以前は「胃中寒」だったそうです。 傷寒論の原本は失われているそうですので、 現代において傷寒論の内容を調べていくには、 傷寒論の内容が書かれた古文書をもとにして 汲み取っていくことになりますが、 現代の教科書は、 宋の時代に書き換えられた内容のものを基準にしているのですね。 太陽病が表寒で、 その後につづく陽明病が実熱になることに はじめ違和感を感じていたのを思い出しましたが その謎が少し解けたように感じました。 --------------------------------------------------------------------------------- 参考文献 『宋以前傷寒論考』 東洋学術出版社 興味がありましたら、ぜひ参考文献もお読みください。
『舌鑑弁正』白舌総論より

『舌鑑弁正』書き下し 白苔総論

大原です。 『舌鑑弁正 訳釈』という書籍が最近出版され、 舌診の復習をしておりますが、この中に 原文の書き下し文がありませんでしたので、 自分の勉強を兼ね、かつ備忘録として 書き下し文を記していきたいと思います。 『舌鑑弁正』自体は、もとは中国の書籍です。 こちらについては おいおい書いていきたいと思います。 白舌総論 <書き下し文> ①白舌は寒となす、表証これ有り、裏証これ有りて、 虚なる者、熱なる者、実なる者もまたこれあり。 (ゆえに白舌で病を弁ずるは較べ難し。) 独り傷寒始めて白舌にあらずして、 白舌もまたもって傷寒を弁ずべし、そのたぐい一ならず。 ②白で浮、滑、薄苔、刮り去りてすぐ還る者、大陽表寒邪なり。 ③白で浮、滑にして膩を帯び漲を帯び、色は各経に分かれ、 これを刮れば浄あり浄ならずある者、邪は半表半裏にあるなり。 ④全舌白苔にして、漲浮き膩浮き、暫く積もりて乾き、 微かに厚く削って脱せざる者 (浮の面を刮り去りてその底になお有る)、 寒邪化火せんと欲するなり。 ⑤傷寒の舌を弁ずるに大約かくのごとし (傷寒にもまた黄舌、黒舌あり、分けて後に論ず)。 ⑥もし雑病に至りては、舌は白く嫰滑、これを刮りて明浄なる者は 裏の虚寒なり。 (無苔で津あり、湿にして光滑、その白色と舌は一をなす、 これを刮りて垢泥起こらざるは、これ虚寒なり、口唇必ず潤沢で縫無し)。 ⑦白で、厚粉、湿滑膩苔、刮ればやや浄にして、 また積むこと麺粉の水形を発するがごときものは、 裏寒湿滞なり。 ⑧白で粗渋、朱点あり、罅紋の苔あり (粗渋なれば則ち光沢ならず、朱点なれば則ちその臓腑に熱有を顕す、 裂罅紋の多くは誤りて温薬を服するがゆえによる)、 白く乾き膠焦燥の満苔、 刮るも脱せず、あるいは脱して浄ならず者 (垢泥を刮り去りて後、底子になお汚質を留め、膩渋にして鮮紅見(あらわ)れず。) は裏熱が実を結するなり。 (この舌すこぶる多く、この苔舌にありて、この面上に これを刮れば垢多く、その白色と舌は二物をなす、これ熱なり。 前論の虚寒舌と相反す、まさに認明すべし。 この苔浅きよりして深く、まさに黄にならんとし未だ黄ならず。 あるいは黒に変ずる境なし、温補薬を用いるべからず。) ⑨もし白苔に、変わりた別の色が挟まれば、 即ちこの経に重き病が某経に見(あらわ)る。 およそ表裏寒熱虚実証みな同じく、 舌を弁ずる者は 望聞問切の四事をこれにかんがえ参ずるが宜し、 あやまらざることを庶幾す。 参考文献 『舌鑑弁正 訳釈』 たにぐち書店 『舌診アトラス』 緑書房 『舌鑑辨正』 中医古籍出版社

告知!第7回 鍼灸学生の為の勉強会

【参加資格】 ・鍼灸学生 ・本年4月からの新卒鍼灸師 ・これからこの業界を目指す方 (※免許を取得し鍼灸師になった方は今回はご遠慮頂いております。) 【日時】 2018/3/18(日) 15時〜17時頃 【内容】 参加者の意向に沿った内容を設定 【場所】 一鍼堂 二階 【費用】 一人3,000円 【募集人数】 一鍼堂内部で患者さんのいない時間に行います。 目のみえる範囲でやりますので、 一定の人数制限を行います。 ————————– 今年もやります! 第7回の未来の鍼灸師のための勉強会です。 1・2年生の鍼灸学生さんは 学生生活にも慣れ、 将来自分が進むべき道というのが 少し見えて来たかも知れません。 また新に鍼灸学生さんになる方は 夢を大きく持ってこの業界に進もうと 思っておられると思います。 そして国家試験が終わった 3年生の皆さんはここからが本番であり、 希望とともに不安も多いかと思います。 そんな皆さんの為に、 また勉強会を開催することとなりました。 日々臨床で苦悩、喜びを感じている 鍼灸師に聞きたいことがあれば どんどん聞いて下さい! 今回も相手の呼吸がきちんと感じられる 少人数での講座とします。 一定数に達した場合は 定員とさせていただきますので、 ご容赦下さいませ。 また皆さんから、 こういうことをやって欲しいという お題も受け付けますので、 仰って下さい。 エントリーはこちら ↓ ↓ ↓ 学生向け討論会フォーム Facebookでの告知ページはこちら。 コメントを残して頂く事も可能です。 https://www.facebook.com/events/1749825538389987/ 一鍼堂

脈診(06)

引用:『中医診断学ノート』P30 ” 3、正常な脈象 ” 平脈 正常な脈象のことをいう。 脈位は浅くも深くもなく、 脈拍は速くも遅くもなく(一呼吸4〜5ーーー60〜90分)、 ゆったりとおだやかで、しかも力強い。 さらに、脈拍の律動が規則正しい。 有胃・有神・有根 正常な脈象(平脈)の特徴は 有胃・有神・有根の三つに表現される。 有胃 脈位は浅くも深くもなく、 脈拍は速くも遅くもなく、規律が正しい。 有神 ゆったりとしていて、しかも力強い。 有根 尺脈を沈取したとき十分に力強い。 そもそも平脈を臨床上で知り得るのはいつなのか? 主訴をもって来られた初診時ではないので、いつ? ”尺脈の沈取で力強い”とするのが、有根とあるが 邪によって強くなることもあるのでは? 人の個性や今まで歩んできた歴史によっても異なり、 ”正常な脈象”の把握って実は難しいように思う。 【参考文献】 『中医診断学ノート』東洋学術出版社
苔を育成中

胖嫰舌の表裏から考察します。

  舌質・舌苔 淡白舌・嫰・胖大・歯痕・点刺 薄白苔が全体的にありますが、 舌根には白膩があるようにみえます。 舌裏 舌下静脈に怒張・蛇行はみられずに ぼんやりとしています。 外側には暗いところがみられます。 舌面の中央が凹んでいるのが特徴的と思いました。 胖嫰舌のうえに、舌を出すのに力がない為に 凹んでいるのだろうと考えています。 口の開け方にも力強さを感じません。 舌に赤みが少なく、 全身に栄養が行き届いているのか?と心配されます。 舌裏に暗いところがあり、滞りも感じます。 全体的にのっぺりしておりしているのが印象的で 気・血ともに、か細く感じております。 仮説として 裏に虚があり血の停滞がおこり、その表現として舌裏に 血の滞りがあらわれているように思います。 そこが原因となって水分が均等に末端まで届かずに 舌全体に溢れているのでは?と考えます。 原因は同じくして気の停滞もおこり、 力強さを得ることが出来ていないと考えます。 この湿が下焦に累積されていかないかと危惧されます。 舌のみで、想定を考えてみました。 今後も考察を深めたいと思います。  
切脈一葦

切脈一葦 上巻3 (総論の最後まで)

こんにちは、大原です。 前回の続きです。 (前回:切脈一葦 上巻2) 今回も、原文に書かれている文意を汲み取りながら、 その読み方や 著者の言いたいことは何かを考えていきます。 今回は総論の最後までいきます。 --------------------------------------------------------------------------------- 画像は京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より、 12ページ目の最後から引用。 (本ブログ記事で参照した箇所を掲載) <読み> たとえよくこの三部九候を、詳に診し得ると いえども、脈色声形の四診を参考にするの時に臨みて、 何の益あらんや。 これ脈の一診をもって、 万病を診し分からんと欲する者のなすところにして紙上の空論なり。 →前回の記事でもありましたが ここでもばっさりと「これは机上の空論であるぞ」 と言ってます。 「脈診だけで全部分かろうとしなくても良いではないか、 何かメリットがあるのか?」と。 晋の王叔和(おうしゅくか)、 『難経』に依(よ)りて、 左右を分かち臓腑を配して、もって脈学を唱う。 これをもって同調の人、称して脈学の大成となす。 しかれども脈は血気の流行にして、一条脈の道路のみ、 何ぞ三部各その脈状を異にするの理あらんや。 また、浮中沈は、病人の脈の浮中沈にして、 医の指を浮中沈するの義にあらず。 なんぞ医の指の浮沈をもって、五臓をうかがうの理あらんや。 たとえ明達の人といえども、 その実なくして、その理を究むる理あることなし。 これ王叔和以来、一人も脈学の極めを知る人なきゆえんなり。 後世の脈を学ぶ者、分配家のために、欺かれるを知らず。 徒に精神を費やして、 その道を明むることあたわずといえども、 なおいまだ空言にして、その実なきことを知らず。 ただ、己が見解の及ばざる所となす。 これをもって分配家の脈法を出づることあたわず。 →「いくら聡明で物事の道理によく通じている人でも 中身の無いことに対しては、 その理を追求することはできない。」 と書かれています。 説得力のある言い回しで、手厳しいですね。 ついに一寸九分の地をもって三部となし、 あるいは 掌後の高骨をもって関となし、 あるいは 臂の長短に従いて三部を定め、 あるいは まず関を按じて、次に寸尺を按ずといい、 あるいは 浮かべて腑を診し、沈めて臓を診し、中をもって胃気を診すといい、 あるいは 浮かべて心肺を診し、沈めて肝腎を診し、中もって胃を診すといい、 あるいは 左を人迎となし、右を気口となし、 あるいは 左の寸関尺に心、小腸、肝、胆、腎、膀胱を配し、 右の寸関尺に、肺、大腸、脾、胃、命門、三焦を配して、 もって診脈の定法と為す。 これ皆三部各その候を異にするの理なきことを知らざるの誤りなり。 →「以上に述べた脈診の考え方は、 理が無いことを知らないためにできた、 誤った理論である。」 と書かれています。 読んでみると分かりますが、 この脈診の考え方は専門学校の授業などで習うものですね・・・。 もし三部各その候を異にすべきときは、反関の脈の如きは、 何の処をもって三部と為(な)さんや。 思わざるの甚だしきなり。 およそ医を業となる者は、皆脈を診するをもって、 先務としながら、もし この決断することあたわざる脈法をもって、 闇然として、人の病を診して、疑いを隠して、その証を弁ぜんとす。 その危うきこと薄氷を踏むがごとし。 これ何の心なるや。 これを何と言わんや。恐るべし。 歎(たん)すべし。 医を学ぶ者、深く心を用うべし。 あるいは言う、 寸関尺を分かっては、分配家の説なりといえども、 寸部の脈進みて、魚際へ上がる者を、頭中の病とし、 関部の脈に力ある者を、腹中の病とし、 尺部の脈に滞りある者を、腰脚の病とし、 左右は左右を分けて、 心を用いるときは、病人に患る所を問わずといえども、 大概知れる者なり。 しかればすなわち、 寸関尺の部位全く無しと言えからざるなり。 謙(著者の名前)曰く、 これは人相家相等を占する者と、同断にして、 医門に不用のことなり。 いかんとなれば、頭中に病あり、 あるいは腹中に病あり、 あるいは腰脚に病ありて、医に治を求むる者なれば、 脈をもって頭中の病、腹中の病、腰脚の病を占するに及ばず。 病邪の辞にて、知れたることなり。 何ぞ脈をもって占することを竢(ま)たんや。 →ざっくりと 「寸部を頭中の病、 関部を腹中の病、 尺部を腰脚の病とするような脈診は、 これは占いと同じであり 医学には不用である。」 と書かれています。 脈診を「占い」と比喩してますが、これは 脈の寸関尺だけで 病の場所を特定してしまうことに対する 懸念を表したのだと思います。 それ脈の用は、 頭中の病、腹中の病、腰・脚の病ある人の脈を診して、 色声形の三診に合して、 その病の陰陽・表裏・寒熱・虚実を決断するの診法なり。 病毒頭中にあり、腹中にあり、腰・脚に在るの類は、 みな瀉形の与(あずか)る所にして、 切脈の与(あずか)る所にあらざるなり。 これ病証有りて、脈を診すると、 脈を診して、病証を占するとの辞なり。 また脈をもって病毒の所を占すると、 脈をもって病証の陰陽・表裏・寒熱・虚実を決断するの弁なり。 →「脈診の目的は、 患者さんの身体の色や声、形態と合わせて、 それらを総合して、 病の陰陽・表裏・寒熱・虚実を決めるものである。 病が頭にあるのか、腹中にあるのか、腰・脚にあるのかを 脈の寸関尺で分かるとうたっているが、 病がどこにあるのかは「瀉形」によって判断するものであり、 脈診で判断するものではない。 ある病があるからそれに合った脈が現れるのであって、 その脈だからそれに合った病が現れるということではない。 さらに言い換えると、 その脈だから、病の陰陽・表裏・寒熱・虚実が決まるということではない。」 と書かれています。 つまり、脈診だけで全部は分からないぞ!ということが ずっと書かれていますね。 また、病がどこにあるのかは「瀉形」によって判断するもの とありますが、 この「瀉形」とは、 切脈、望色、聴声、写形(望診)といった 四診合算のことをいうようです。 その中の脈診だけで病を判断してしまうのは いかがなものか、 ということを一貫して言っているのだと思います。 引用: 京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より

表陽の虚は胃腸の虚に係がる

傷寒論攷注 「案ずるに前條云う所の悪寒已めども、「発熱汗出」然れども猶戸隙の風、傍人起居衣袖の扇風を悪、其脈必ず浮緩、此の証元来表気疏泄有り、故に邪の発散は表実証于速い、然れども表陽の虚は胃腸の虚に係がる、故に表実の一汗にして解するに比べれば、則ち其癒は却って遅く…」   この文から色々発展して思考できそうです。 ここは中風について述べている文で、表陽の虚がなぜ胃腸の虚に繋がるのか。 ここの繋がりはなんなのか。 調べていきます。   傷寒論攷注 「案ずるに「中風」の一証、其人素衛気疏泄して堅からず、或いは労力奔走等の事有り、陽気を擾動かし、表をして開泄せしめて、其虚隙に乗じる也…」   これは霊枢の下の文に繋がると思います。   『現代語訳 黄帝内経霊枢』 営衛生会篇 P 340、341 「 「黄帝がいう。人が熱い飲食物を食べて、これが胃中で未だ精微物質に消化されていないのに、食べるとすぐに発汗する。汗は顔面から出ることもあり、背中から出ることもあり、半身だけ出ることもある。この様に衛気が通常の通路を通らないで、汗となって出るのは何故か。」 岐伯が答える。 「それは、外表に風邪の侵襲を受けて、腠理が開き、毛孔は緩んで、衛気が体表に向かって走り、正気の通路を通ることができないからです。 これは衛気の本性が慓悍ですばやく、どこかに弛緩して開いている部位があれば、そこから出ていこうとするためです。」 」   とりあえず汗に関しては風邪に襲われて腠理が開き、衛気がそこから出ていくから。   『現代語訳 黄帝内経素問』 五臓別論篇 P212 「 黄帝がいう。 「気口の脈を単独で診察するだけで、五臓の変化を知ることができるのはなぜであろうか。」 岐伯がいう。 胃は水穀の海であり、六腑の源泉となっています。 飲食物は口から胃に入り、全て胃に貯留し、脾による輸化の働きによって五臓の気を滋養しています。 気口もまた太陰経であり、さまざまな脈に朝見することを主ります。 こうしたわけで、五臓六腑の気と味は、いずれも胃に源をもって気口に反映するのです。」 」 」   肺経が脾胃の気を受けている事が分かります。 手太陰肺経の始まりである中府の名前も 「中焦の気が集まるところ」 である事から納得できます。   また、脈診で寸口を取るのは、八会穴の脈会である太淵あたりが良く反映されるからではないかと思いました。   最初の傷寒論攷注の文の 「表陽の虚は胃腸の虚に係がる」 とはこういう事なのかなと思いました。   『中医臨床のための方剤学』 P 29 桂枝湯「生姜・大棗の配合は、脾胃を昇発し営衛を補充し振奮させる。」 とあり、桂枝湯に脾胃の薬が配合されている意味にも繋がると思いました。   参考資料 『現代語訳 黄帝内経霊枢』 東洋学術出版社 南京中医薬大学編著 『現代語訳 黄帝内経素問』 東洋学術出版社 南京中医学院編 『中医臨床のための方剤学』 東洋学術出版社 神戸中医学研究会編著

猛暑

患者さん 前回寺子屋で患者さんのお身体を借りる際、極力相手がそのままの自分でいられる様に、こちらの雰囲気に引っ張らないようにと意識しました。 相手の雰囲気に溶け込んでいくように意識。 先生の患者さんへのワンクッション挟む様な挨拶なども聞いていて参考になります。   映画 映画、サウンドオブメタルを見ました。 色んな視点や主人公の感情変化が上手く描かれたとても良い作品でした。 内容は突発的に聴力を失った人の話です。 失ったことで生じる世間とのギャップ。 その中でどうにか聞こえるように、元の生活に戻れる様にと試行錯誤しますが、どうも幸せにはなれない。 結局最後のシーンでは色んなものが破綻して喪失、見方によっては悲惨なものでしたが、その中でも主人公が帰る場所を見つかって良かったと感じました。 自分の生活でも聞こえる、聞こえない関係なく帰るべき場所は必要だと思います。 バガボンドの「おっさん穴」が思い返される。   訓練 最近溶け込む訓練として色んな人と会う様にしています。 やはり考えている事は違う事がほとんどで、話していてもやはり人間なので違いはある。 でもその人にはその人の物語があるので合わせる訓練にはなる。 その為には尊重が必要。 昔この先生の考え方好きだな〜と思った人がいて、大体の内容として 「みんな何かしらの夢を見てるんだからその夢に付き合うのも優しさ」 と仰っていた。 優しさというと少し誤解を受けそうなニュアンスに聞こえますが、仰っている意味はわかる。 主観はそれぞれ違う。 相手の物語に寄り添って初めて答えてくれるものなんだと感じています。 きちんと相手を大切にしなければいけない。   ルーティーン 最近は一鍼堂に行く前に難波神社で拝礼してから向かう様にしています。 何を願う訳でもないのですが、そこからが入りやすいので気に入っています。   猛暑 この時期暑くなり、水分摂取が多くなる。 そういった人の話を最近よく聞く。   同じ条件を作ってみるために、自分も長時間運動時して普段よりも水を大量に飲むようにしてみた。 現れた症状は口渇は病まず、胃部の不快感と倦怠感。   先々週みさせて頂いた患者さんも陽明のある部分に熱を持っていたことが思い返される。   激しい運動時、胃にも熱が生まれ、口渇が起こる。 その熱をさまそうと冷たいものを欲する。 胃熱を覚ます意味では一定の冷たいものは正解だと思う。 しかし多くは冷たい水やスポーツドリンクなどをチョイスし、そこに水分も多くなる。 脾が対処できなくなり、湿を溜め込む。   ここで熱+湿という条件が揃った舌を見てみる。   面白いことに表面に泡が貼っていた。 自身の体質的に酒を飲んだ時に出るこの泡。   熱と湿が中焦で発生した時に生まれるもの?   最近モデル患者さんで確認されるお腹の状態にも近づいた。   水分を摂取しすぎることなく、どうにかして胃熱への対処を行う事が必要か。 そういえば西瓜が昔からこう言った時に使われていて、天然の白虎湯とも呼ばれている事を思い出した。   瓜科の植物は熱を覚ましつつ利尿するものが多いのでこの時期は重宝しそうです。   他に自分の体の現象として勉強になった事が尿量の減少。 そこで気になった事が、果たしてよくトイレに行く患者さんが本当に利尿しているか?という疑問。   水をたくさん飲むから出さなきゃと思ってトイレに行くとしても、もしかしたら少量しか出ていないかもしれない。   相手の行動の色眼鏡を抜く訓練にもなり良かったです。   そう思うとその人の行動が自分の思っている通りの状態でない事も考えられるので、四診と結びつかない情報に意味がないと改めて実感しました。

痰飲(02)

脾虚湿盛 脾陽不足の為に運化機能が働くなった為に、水湿が停滞する病気変化。 食生活の不摂生や冷たいものばかりを飲む、寒湿を感受する、雨に濡れる、 湿潤な土地に長く住むなどすれば、寒湿の邪が表から理に入り込むので、脾陽不足となる。 【病理】 1、寒湿困脾 寒湿を外感したり、食生活の不摂生、生ものや冷たいものを好んで食べたりすれば脾陽を痛める。 運化機能が失調し寒湿の停滞により寒湿困脾という病理が起きる。 2、寒陰内停 寒湿の邪が脾を傷り、陽気を損傷するために湿が集まって陰となり中焦に停滞する。 3、湿聚生痰 湿が集まり痰になれば、様々な疾患を誘発する原因となる。 4、脾虚水泛 脾が虚して湿を制御することが出来ないという病理。 湿濁が中焦に塞がって痰飲となるが、悪化すれば蓄積した水湿が皮膚に溢れ浮腫となる。 漢方薬 【和解剤】 ・当帰芍薬散(金匱要略) 効能:補血調肝、運脾除湿 主治:肝氣乗脾(肝血虚、脾虚湿滞) 【補益剤】 ・参苓白朮散(和剤局方) 効能:益氣健脾、慈補脾陰、渗湿止瀉 主治:脾氣陰両虚、脾虚湿盛   瀕湖脉学四言訣 滑脉と渋脉の主病 滑脉主痰、或傷於食。 下為畜血、上為吐逆。 渋脉少血、或中寒湿。 反胃結腸、自汗厥逆。 滑脉は痰をつかさどり、あるいは食において破る。 下りて畜血をなし、上がりて吐逆をなす。 渋脉は少血なり、あるいは寒湿にあたる。 胃に反し便秘をなし、自汗し胸腹激痛に両足冷え苦しく食事もできない。   【参考文献】 『中医病因病機学』東洋学術出版社 『中医臨床のための 方剤学』医歯薬出版株式会社 『中医脉学と瀕湖脉学』たにぐち書店