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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

最近感じている事

主体性と他力 遠くを感じるためには真っ直ぐそこに向き合わないと到達できない。 また、真っ直ぐになれたとしてもどこまでいけるか? 最終的な主体は自分だけども、自分だけの力では限界がありそうな気がする。 人は個体としていきなり出来上がったわけではなく、天地の交流から生まれた。 生きている間も色んなものを頂いている。 足元が浮ついていれば交流も途絶える気がします。 足の裏の勇泉、掌の労宮。 何かあるのかと気になります。 木が育っていくためには根が必要なのと一緒なのかな。 それにしても桜が散った後の新緑は元気です。 勢いを感じます。   先読み 歩行者を見ていて、あの人今からあの方向に行くのかなとか観察して勉強。 遠めの人の方が分かりやすい現象も勉強になります。   縮こまる 知識に捉われると大きな動きが出来なくなる。 溶け込むことが大切だなと思います。 自分も大きな流れの中の一部といった認識でいることにしてみました。   入浴 最近風呂に入る時電気を消して入っています。 静かさが増すのでとても良い感じです。 周りのザワつきは単純に騒がしい事もあるけど、自分が騒がしい事もある。   春の空気 浮ついているというか、フワフワしてる気がします。 今年は花粉がスゴイらしいのですが、例年に比べてそういった部分はどうなんだろうと気になっています。   歩くテンポ 現代人は急ぎすぎている。 早歩きしている時とゆっくり歩く自分の差も勉強になってます。 ゆっくりするからノロマになる訳でもないと思います。  

風邪っぽい

喉が痛くなって鼻水が出てきたりすると、一般的には風邪の初期症状だと考えますが、外からの影響ではない場合もあります。 もともと脾虚をもっている方が暴飲暴食してしまった場合、未消化物が残り熱が発生します。 その熱が上へ上がって喉や、鼻に症状がでる場合があります。 鼻水、喉痛があるからといって細菌感染やウイルス感染してるとは限らないのです。 東洋医学でみてみると外邪が体の中に入った場合、排出しようと戦いがおきます。そうすると発熱したり、強い悪寒を感じたり、浮脈になるなどの症状がでます。 悪寒や発熱がなかったり脈が浮脈で無い場合は外邪ではなく内因の可能性が高い。 もともと脾虚をもっている方が暴飲暴食してしまった場合、未消化物が残り熱が発生します。 その熱が上へ上がって喉や、鼻に症状がでる場合があります。 鼻水、喉痛があるからといって細菌感染やウイルス感染してるとは限らないのです。 東洋医学でみてみると外邪が体の中に入った場合、排出しようと戦いがおきます。そうすると発熱したり、強い悪寒を感じたり、浮脈になるなどの症状がでます。 悪寒や発熱がなかったり脈が浮脈で無い場合は外邪ではなく内因の可能性が高い。

文字・言語

  文字、言語って何なのか。   調べた訳ではないが、集団で行動する為にイメージから共通の認識を言化・文字化したのではないのかな。   つまり「大体こういう意味ですよね」という共通認識を作ることでコミュニケーションを容易にさせているのだと想像。   では、共通言語や文字を持たない相手とは理解し合えないのか。   様子に出るのでそういう訳ではないと思う。   家の猫を見て、 「今かまってほしくないんだな」 「これからこっちくるぞ」 「喜んでるな」 「この空気が好きなんだろうな」   など伝わるものもある。   身体を触らせてもらった時で一番わかる時は包む様に触った時。   その時の自分は柔らかい状態にあると思う。   結局は猫ではなく、人間の治療をする訳だけれども、同じく言語に振り回されず、言葉は通じないものとしてやってみたい。   先日受付で話に出たケータイは怖いですよねと言った話、 「勝手に枠組みを作られて色眼鏡になり、相手を見れなくなる」   その認識とも繋がる気がする。   結局何か情報として伝えられた段階っていうのはわかった気にはなれるけど、わかってないんだと思う。   そこに自分の感覚が乗らないと本当に理解できない。   次の寺子屋は「人ではなく生命現象に触れる」   あれこれ書いたけど、そっちの方が自身をフラットに保てる気がするので、そんな感じでシンプルに切経してみよう。  

下巨虚

前回の続きです。   合穴である下巨虚について調べていきます。   《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》P108 邪気蔵府病形篇 「小腸の病の症状は、下腹部が痛み、腰や背骨が引きつり睾丸まで痛み、大小便がつまり苦しみ、耳の前が発熱し、或いは寒が甚だしく、或いは肩の上の熱がひどく、手の小指と薬指の間が熱く、或いは絡脈がおちくぼみます。これらはみな小腸の病です。 手の太陽小腸経の病は、胃経の下巨虚に取って治療します。」   ↑の文章を基に考えていきます。   《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》P507 張論篇 「小腸張の症状は、下腹部が張り、腰にかけて痛みます。」   → ・下腹部は小腸のある部位なのでそこが痛み、それが腰まで影響している。 ・耳の前、肩の上は小腸経上にあるのでそこに反映されているのだと思います。 ・手の小指と薬指の間に関しては、小指あたりに経の走行がありますがそれを指すかはわかりません。   《現代語訳 黄帝内経素問 上巻》P164 霊蘭秘典論篇 「小腸はすでに胃で消化された食物を受け取り、食物の精華を抽出して、全身に輸送します。」 《全訳 中医基礎理論》P131 「張介賓は『素問 霊蘭秘典篇』を「小腸は胃の下に位置し、胃中の水穀を受盛して清濁を分ける。そこで水液は前部に吸収され、糟粕は後ろに送られる。脾気は化して上昇し、小腸の気は化して下降する。そのため化物が出るというなり」と注釈している。」   《中医学ってなんだろう》P239 「小腸の蔵象 内部の状態 小腸が清濁を分けられなくなり、余計な水分が大便に混入する。または濁ったものが尿に混入する。 →現象 ・大便が緩い ・下痢 ・尿がにごる など。 内部の状態 小腸から、水分がきちんと吸収されない。 →現象 ・尿の量が減る 内部の状態 小腸の働きが悪くなり、濁ったものが下へ送られなくなる。 →現象 ・お腹が張る ・腹痛 ・嘔吐 ・便秘 など。」   《穴性学ハンドブック》P159 「下巨虚 湿 分清濁、祛湿邪、燥湿、滲湿」   《全訳 経絡学》P 52 「李東垣は張元素に学んだが、その著書である『薬類法象』で、昇降や浮沈により薬性を論じて、茯苓は手の太陽(小腸)へ入り、麻黄は手の太陰(肺)へ入るとし、それぞれの経脈に導く引経薬、報使薬、向導薬を打ち出している。」   →胃からドロドロになって降りてきたものを小腸が受け取る。 受け取ったものを清・濁に小腸が分別する。 清は水穀の精微で、脾の運化へ 濁は大腸へ送られる 小腸の働きが悪いと分別ができず、そこに留まる。 すると下へ送ることができないので留まり、張って痛む。 穴性学ハンドブックで分清濁とある様に、下巨虚によって小腸の働きが改善すると清は脾、濁は大腸へと送られていく。 結果として小腸の張りなども改善される。 また、祛湿邪 滲湿とある様に利水滲湿薬で小腸に入る茯苓の様な一面もあるかもしれない。 邪気蔵府病形篇の寒熱の現象がなぜ起こるのかがもっと調べていく必要があると思います。   参考資料 《現代語訳 黄帝内経素問上巻》 東洋学術出版社 南京中医学院編 《現代語訳 黄帝内経霊枢上巻》 東洋学術出版社 南京中医学院編 《中医学ってなんだろう》    東洋学術出版社 小金井信宏著 《全訳 中医基礎理論》     たにぐち書店  印合河主編 《全訳 経絡学》        たにぐち書店  李鼎主編 《穴性学ハンドブック》     たにぐち書店  伴尚志編著

真夜中のドン

昨日の事。 寝る前に鍼の事を考えて就寝。 夜中に目が覚める。 うつらうつらしてる。   ふと足を切経する。 寝る前も気になっていたが、薄暗くこの様な状況だと顕著。 明らかに形態もおかしく崩れていて、奥行きを感じる。 ここに置きたいと感じた。   幸い枕元に鍼を置いていたので一連の流れは崩れずに済んだ。   置く直前に東洋医学考で読んだ四肢の経穴を使う時の刺法が浮かんだ。 暗いので鍼先なども見えないけど、刺法だけ注意して後は何となく感覚で照海に置く。   ドンっといった重低音に近い感覚があった。   後の反応を追う前から分かる良い感覚。 しばらくするとこの前教えて頂いた2箇所に変化が現れる。 自分に対してだと今までで一番良い鍼ができた気がして嬉しくなった。   六味丸を使った感覚と少し似てる。   参考資料 東洋医学考 星雲社 一鍼堂出版 

治療と勉強の狭間

◯ 治療の合間に勉強させてもらう 寺子屋で勉強会を開きました。 お互いの主訴から治療まで一連の流れを再現してみました。 「練習相手」と思うから、ダラダラやる。 寺子屋で患者さんの問診から切経を 「5分以内に終わらせるように」 と下野先生に何度指導いただいているのに、 守らず切経を終えて帰ってくる。 やはり『甘え』みたいなものがあったと思います。患者さんも不快に思いますね。 ストップウォッチで測りながらどこに時間がかかっているのか、寺子屋生にも客観的にも見てもらいました。 更に寺子屋生の施術を受けることで モデル患者さんの治療をしている時の 自分を重ね合わせて、俯瞰して見ることができます。 無意識にやっていることを 改めて意識して修正し、 修正したものをブラッシュアップさせながら、 最終的には無意識でできるようになりたいです。 また、お互いの施術でたまたま選穴が同じだったのですが、気を付けなけれざならないと先生が仰ってた場所だけど、(なぜそうなのかわかっていない)悪い方向に向いた時、体験を共有することができました。     ◯“治療の流れ”を意識しすること 私は舌→カルテ→脈→カルテ→お腹…と 診て書いての間に流れが途切れてしまいます。 空間やリズムに何か歪みなようなものが出て違和感が出ます。 それは患者さんも感じていることと思います。 書く、聞く、話すことに気を取られてしまうので、流れを止めないために鍼の袋を捨てる動作ひとつにしても色々と引き算していこうと思います。

五行大義(08)

学生時代に教科書『新版 東洋医学概論』より 第3章 東洋医学の思想 第2節 五行学説 Ⅱ 東洋医学における五行学説の運用 のところに 『五時(春、夏、長夏、秋、冬):五時は四季(春夏秋冬)に土用を加えたものであり、五季という・・ 』 ここに違和感を覚えておりましたが、 五行大義を拝読し、全てを網羅した分けではありませんが、 五時ではなく、四時(春、夏、秋、冬)としての記述であり、”土”は別の価値観としてあります。 この四時とした方が、立体的に五行として捉えており、 五時(春、夏、長夏、秋、冬)とした場合の、平面的な詰め込んだような違和感が無いように思います。 精査を続けたいと思います。   第二辯體性 (淮南子云)  「形体と性質について」淮南子(思想書)から引用すると、 淮南子云、天地之襲精爲陰陽。 陰陽之專精爲四時、四時之散精萬物。 積陰之寒氣、反者爲水、積陽之熱氣、反者爲火。 水雖陰物、陽在其内。 故水體内明。 火雖陽物、陰在其内。 故火體内暗。 木爲少陽、其體亦含陰氣。 故内空虚、外有花葉。 敷榮可觀。 金爲少陰、其體剛利、殺性在外、内亦光明可照。 土苞四德。 故其體能兼虛實。 淮南子がいうには、天地の襲精は陰陽となす。 陰陽の専精は四時となす、四時の散精は万物なり。 積陰の寒気、反なるもの水となし、積陽の熱気、反なるもの火となる。 水 陰物といえども、内に陽あり。 故に水の体内は明なり。 火 陽物といえども、内に陰あり。 故に火の体内は暗なり。 木 少陽たり、その体または陰気を含む。 故に内は空虚、外は花葉あり。 敷栄して観ることが出来る。 金 少陽たり、その体は剛利、殺性は外にあり、内はまた光明して照らすことが出来る。 土 四徳を苞む。 故にその体はよく虚実を兼ぬ。 【参考文献】 『五行大義』株式会社 明德出版社 『新版 東洋医学概論』株式会社 医道の日本社

逆子について

逆子の治療穴としては、古くから足の小指にある「至陰」が広く知られています。確かに、当時の生活環境や体質傾向においては高い効果がみられたのかもしれません。 しかし、現代では生活習慣や身体環境、体質そのものが大きく変化しており、至陰への施術だけでは十分な変化が得られないケースも少なくありません。そのため、「逆子には至陰」という一つの考え方にとらわれず、患者さん一人ひとりのお身体の状態を丁寧に診察し、その方に合った治療穴を選択していくことが大切だと考えています。 例えば、妊娠中に風邪をひいたことをきっかけに、身体に入り込んだ邪気が下方へ沈み、十分に抜け切らないまま残ってしまう場合があります。そのような状態では、胎児が邪気のある方向へ頭を向け続けることを避けるように、頭を上へ向けた姿勢になり、逆子となることがあります。 また、もともと瘀血が下部に停滞している場合にも、気血の流れが滞り、逆子につながることがあります。 このように、邪気が沈んでいたり、瘀血が停滞していたりすると、身体全体の巡りが悪くなり、特に横隔膜周辺に硬さや緊張が現れやすくなります。すると、お腹の中で胎児が十分に動ける空間が狭くなり、自由に回転できなくなってしまいます。 まずは身体の滞りを取り除き、気血の巡りを整えながら、胎児が自然に動ける空間をつくっていくことが大切だと考えます。

噯と曖

読み物で、漢字の微妙な使い方の違いに時折立ち止まる事があります。 例えば、『井、滎、兪、經、合』の”滎”が”榮”となっていたり。 「ん?」となってしまう時です。 今回は”噯”と”曖”について 口へん、日へんの微妙な違いなのですが。 噯(あい) 1⃣いき。あたたかい氣。 2⃣おくび。 曖(あい) 1⃣かげる。かげって、ハッキリしない。 2⃣くらい。暗くて見えない。 ↓ 例:曖昧(あいまい)ハッキリしない。紛らわしい。 つまりゲップは ”噯氣(あいき)”であって”曖氣(あいき)”ではないのですが、この漢字の入れ替えが多いように思います。 因みに ”噫気(あいき)”もゲップ。 噫氣(あいき) 1⃣吐き出すいき。呼氣。 2⃣おくび。食べた過ぎた時など、胃にたまったガスの口腔外に出るもの。 噯氣(あいき) 1⃣おくび。吹呿。噫気。 噯の意味より、噫氣よりも噯氣の方が少し温度が高いゲップに感じるのは気のせいでしょうか。 【参考文献】 『大漢和辞典』(株)大修館書店

初めまして。

大阪の鍼灸学生で稲垣といます。宜しくお願いします。 もうすぐ後期単位認定試験が始まります。 試験勉強をしていると、食事が少量になってきます。 お腹いっぱいになって眠くなってしまうのも困りますし、運動不足もあったり、体重を増やしたくないのもあり。。。 そんな生活の中、年をめされた方で食欲が旺盛な方を拝見する機会がありました。年齢を重ねると食は細くなっていくものだろうと思っていましたが。 『養生訓』には老人の食に関しての注意喚起を目にします。 例えば、 「第二章 飲食 (23 老人は食を少なめに)」 ”胃腸虚弱の人、ことに老人は、飲食に傷められやすい。味わいのよい飲食物に向かうときは、我慢をすべきである。節度を越えてはならない。心弱くては欲には克てない。心強くして欲に克つべし。” 僕が目にしたその方を考えるに、単純に”食い意地が張ってる”と、判断するには寂しく感じます。 もしかしたら、水穀の精微を得んが為の必死な姿なのかもしれない。 悩み(主訴)を発する途中なのかもしれないのでは。 それを鍼灸にて治療を考えると腎を補する法なのか・・心の障害を瀉する法なのか・・ もしかしたら、主訴を解消しても、それが最終ではないように感じます。 出典 『口語 養生訓』貝原益軒(日本評論社)