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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

梅核気

肝気鬱結を勉強している際に気になる言葉が出てきたので調べてみました。 肝気鬱結の症状には、イライラする、憂鬱、有声のため息がよく出る、 胸腹部の脹痛、月経不順などがあるが、その中に「梅核気」というものがありました。 「梅核気」は現代病名だと神経性咽喉部狭窄症(ヒステリー球)というそうです。 のどに梅干しの種があるような違和感があり、飲み込もうとしても 吐き出そうとしてもなくならないが、飲食は普通にとれる。 気の滞りによって咽喉部に痰が生じていることによって異物感があるようです。 ストレスが原因の病は現代に多いような感じがしますが、金匱要略にも 「婦人、咽中に炙臠(あぶった肉の切り身)有るが如きは、半夏厚朴湯之を主る」 とあり、婦人・・・と書かれているが、男性にも起こる。 他の臓器の影響(脾胃が多い?)、過度の情志、情志の抑制などによって肝の 疏泄作用が失調することによって発生した気滞が肺に昇って起こる。 理気去痰解うつ作用のある半夏厚朴湯を用いて治療するとあるように、薬物による治療が行われることが多い。 梅の種は肉のかたまり、というより大きいしもっと固いように思いますが 実際に梅核気があるような方に尋ねると名前の由来となっている梅の種が つまっているような、ということはわからないけど息苦しい感じがあり、不快であるとのこと。 臨床医学総論でもヒステリー症を勉強した際に、ヒステリーはギリシャ語で「子宮」を 意味することから昔は子宮が原因で引き起こされる女性の病気とされていた、と習いました。 西洋でも東洋でも同じように病を分類していることもあるのかと思うと興味深く感じました。

試験が終わり、色んなことに挑戦する余裕が出てきました。 色々調べていくと、1、2回生の時の様に好きな事に浸かっていき、その中で想像が膨らんで楽しいです。 最近は「生きるとは何なのか」といったテーマで調べ物を進めています。 その中で季節感というものも改めて取り入れたいと思いました。 今の季節で言うと春に何を感じるか。 1日1日と変わりますが、今は冬のキリッとした厳しさに比べてフワフワする日が多い様な… 色々体感しながら学びを進めていきます。

舌診(05)

受付のTさんに、舌の研究の為にご協力頂きました。 表 裏 舌質 舌神:有神 舌色:暗舌 舌形:痩舌・瘀点・舌下脈絡の怒張と小点 舌苔 苔色:灰黄苔 苔質:薄苔・燥苔

「肝不蔵血」証とは

大原です。 先日、ある鍼灸関連の本を読んでいて、 弁証に関する内容のところで 「肝不蔵血」という証名が目に入りました。 ・・・肝不蔵血? あまり聞き慣れない証名だと感じつつ、 これはおそらく 「肝は蔵血を主るが、その蔵血の機能が失調したものか」と 軽く読み飛ばそうかと考えたところ、 「いや、これは軽く読み飛ばしてはいけない、 ちゃんと考えなくてはいけないことだ」と 頭の隅の方で違和感を感じました。 何がその違和感を感じさせたのか、 しばらく自問自答していると その正体のようなものが少しずつ分かってきました。 復習になりますが、肝の主な機能として、 ・蔵血 血の貯蔵、すなわち血流量を調節する機能を言いますが、 これ以外に ・疏泄を主る という機能があり、これによって全身の気機が調節され、 気血が巡らされます。 この疏泄が失調すると気血が巡らず、 気滞、血瘀といった病理産物が生じます。 さて、肝の不蔵血とは 先に述べた「蔵血」作用の失調で、 この言葉からすると 肝に血が貯蔵されないという意味になります。 ここで重要なのが、 肝の疏泄によって 肝血が肝から全身へ巡らされている状態は 健全な状態であり、 肝血を全身へ巡らせる必要がないにも関わらず、 肝に血が蔵されない状態は 病的な状態であるということです。 後者は 血液を貯蔵して血流量を調節するという肝の機能が低下した症候で、 『中医弁証学』では 主症として 「嘔血、咳血、衂血、崩下、目の充血、易怒」 (=口・鼻・子宮からの出血。目の充血。怒りやすい。)がみられるとあります。 またその解説として 「肝の疏泄が過剰となって肝気が上衝し横逆すると、 血が気の勢いにつられることになり、そのため出血が起こる。 肝気犯胃では嘔血がおこり、 肝火犯肺では咳血となる。 また、血が気に随って循経により 上行すると鼻衂がおこる。 夫人では崩下となる。」 とあります。 全体として、出血傾向になるということですね。 「崩下」とはおそらく崩漏のことだと思います。 すなわち、肝の 正常な疏泄か、 過剰な疏泄(=「疏泄太過」といいます)か の区別が、肝不蔵血を考える上で 重要であるということになると思います。 ・・・と、 ここまで何となく納得されると思いますが、 「易怒」とは「肝鬱気滞」の主症でも出てくるのでは? という疑問が湧きませんでしょうか? 「肝鬱気滞」、 これは肝の疏泄が不及である状態をいい、 気機が失調すると述べました。 少しまとめると、 ①疏泄が不及→「怒」 ②疏泄が太過→「怒」 となり、どちらも「怒」で これらの文字面だけを考えると 不及?過剰?どっちだろう?となって 非常にややこしく感じませんでしょうか? さて、「怒」の意味を考えてみますと 「怒」には普通に「怒る」という意味合いだけでなく 「精神抑鬱」「イライラ」という意味もあります。 これらの怒の意味を考えて再度まとめ直すと ①疏泄が不及 → 「精神抑鬱、イライラ」 →「肝欝」 ②疏泄が太過 → 「激しい怒り」 →「肝火」・「肝陽」 とるのではないでしょうか? しかし、さらに「怒」について考えてみますと 「あ、これは肝欝の怒だ」 「あ、今のは肝火の怒りか?」などと ①か②のどちらかであるというような考え方は 不自然な気もします。 実際に人が「怒」であるときというのは ・何かをずっと我慢している(疏泄の不及) ・ちょっとしたことですぐ怒る(太過) ・我慢して我慢してから爆発する(不及→不及→太過) ・怒りながらも我慢している(太過・不及) など、一言に「怒」といっても色々あります。 すなわち疏泄の異常は、 不及か太過かの二者択一ではなく、 不及と太過の両方が その割合を変えて おこっているのではないでしょうか? ①「不及 > 太過」 →「肝欝」 ②「不及 < 太過」 →「肝火」・「肝陽」 また、 肝欝を陰、 肝陽を陽とする陰陽論を考えると、 どこがその境界線で、 陰陽の転化が行われる条件は何かといったことも興味深いです。 しかし、虚実の概念においては①②どちらも実であり、 これを陰陽論で考えてしまうのはどうなのか? 考え方として、①②は両方とも 肝気が正しく作用しない場合における概念であり、 肝気の健全な疏泄によるあるべき方向性があるとして、 その方向性が誤ってしまっているものが②で、 方向性を見失っているものが①ということだろうか? 長くなり 最後はメモのようになってしまいましたが、 肝の疏泄の異常とは、 不及であること、太過であること の2種類があるということを 今回復習しました。 (後半の、疏泄の失調に関する自問自答の内容は 疏泄の失調の軽度なもので、 重い段階になると 出血傾向などもみられるようになると思います。) ---------------------------------------------------------- 参考文献 『中医弁証学』東洋学術出版社 『東洋医学概論』新版 東洋医学概論 大原

脾胃が弱くなる

食べる量が充分ではない状態が続くことによって 脾胃が弱くなる、とは?(→水穀が入ってきても生気が精製されなくなる) =虚弱になる?ということ? =病気になる?→昇降異常? =機能が弱くなる? 脾胃の機能の主なもの:「納運(受納機能/運化機能)」 運化:飲食物を消化し吸収する過程であり胃と小腸が関わる。 失調すると消化吸収が阻害され食欲不振になる。 受納:水穀を受け入れる場所。水穀を腐熟させ水穀の精微へと変化させる。 胃は水穀で満たされることから水穀の海と呼ばれる。 胃が受納できる⇒食欲がある、ということ。 教科書ではそれぞればらばらに習っていることも、実際には 同じ身体の中で起こっていることであって機能が対立し、融合し合っている、のは 脾胃だけでなく他の臓腑もそうなのかもしれないな、と思いました。 臓腑の生理や機能についてあやふやになっていることが沢山あると感じたので しっかりと復習することにします。

勉強会など

先日勉強会で症例検討を行いました。 その際に気になった点を書いていきます。   舌 状態から考えて陰液の欠乏、熱、正気の弱りが考えられる。   脈 Oさんから教えていただいた感覚から 瘀血、虚熱、正気の弱りが伺えた。   切経も含めて、まずは脾と胃の関係を考え直したい。   また、症状からして脾気虚を原因とした脾陰虚の様なニュアンスも感じます。 これが原因で病理産物も生成されたのか。   現代語訳 黄帝内経素問上巻 太陰陽明論篇 「四肢は皆気を胃に稟くけども、経に至ることを得ず。必ず脾に因りて、乃ち稟くることを得るなり。 今 脾病みて胃の為に其の津液を行らすこと能わざれば、四肢水穀の気を稟くるを得ず。」   「黄帝がいう。「脾と胃とは、一つの膜を挟んで連ねているだけであるが、脾が胃に変わって津液を輸送するというのはどういう理由か。」 岐伯がいう。 「足の太陰脾経は、三陰と言いますが、その経脈は胃を貫いて脾に連属し、咽喉を絡っています。 このため太陰経の脈は胃の水穀の精気を手足の三つの陰経に送ることができるのです。 一方、足の陽明胃経は、足の太陰脾経の表にあたり、五臓六腑の栄養の供給源です。 このため太陰脾経が胃に変わって津液を送るといわれています。 五臓六腑はいずれも脾経を経て胃の水穀の気を受けています。 このため太陰脾経が胃に変わって津液を送ると言われています。」」     切経から陽明の熱の様な存在も気になったのですが、脾が立て直され陰液が生成される様になれば自然と落ち着くのか? 上の文、気になったので書き残します。 他に瘀血のできる位置もとても勉強になりました。   課題 相手を感じれた?時なんとなく相手の気持ちが移ってきて同じ様な状態になる事が少し増えたのですがこれはまた自分の課題とするところと違うのか。 良い事なのか悪い事なのかわかりませんし、一向に問題をクリアできていないのですが今までにはなかった感覚なので新鮮です。

募原など

理由 最近、陽明と厥陰の古代の認識を調べていて面白い認識を見つけた。 部位で結びついている可能性、面白いです。   募原 起きた現象があったので、募原(膜原)について調べ中。 見ていくと温疫論(呉有性)の認識がとても勉強になる。 また、現代医学的に考えてもコロナと脂肪細胞の関連から説明できそう。 メトホルミンがコロナの後遺症予防に有効とされる理由もわかる。 募原の認識と一致するところも多い。

素問 陰陽応象大論篇(第5)から その2

<学生向け 近日開催予定のイベント> 【学生向け勉強会のお知らせ】東洋医学概論をモノにしよう! →(随時お問い合わせ受付中です!) 【学生向け勉強会】「素問を読もう!」申込み受付中です →毎週火曜19時〜 または 毎週木曜13時〜(途中からの参加も可能です。) こんにちは、大原です。 前回の続きで、「素問を読もう!勉強会」でも 少し触れた内容になります。 (前回の記事→素問 陰陽応象大論篇(第5)から) 前回は、素問 陰陽応象大論篇(第5)の中の 人体を構成するものの、 それぞれの相互転化についての記述について 考えていきました。 ↓この一連の流れが重要であるという読み方をしてみました。 「味」→「形」⇄「気」→「精」⇄「化」 さて、素問の記述では、 最初の「味」は「陰」によって生じるとあります。 (「陰」→「味」) もう一度原文を確認してみましょう。この2行目にあります。 【原文と読み下し】 ・・・ 水為陰、火為陽。(水は陰となし、火は陽となす。) 陽為氣、陰為味。(陽は気となし、陰は味となす。) 味帰形、形帰氣、氣帰精、精帰化。(味は形に帰し、形は気に帰し、気は精に帰し、精は化に帰す。) 精食氣、形食味、化生精、氣生形。(精は気に食(やしな)われ、形は味に食(やしな)われ、化は生を生じ、気は形を生ず。) 味傷形、氣傷精。(味は形を傷り、気は精を傷る。) 精化為氣、氣傷於味。(精は化して気となし、気は味に傷らる。) ・・・ 2行目の「陽」や「陰」とは何を指すのかというと、 「陽」とは「天」のことで、 「陰」とは「地」のことであると、 この文章の前の部分の文脈から解釈できます。 すなわち「味」である飲食物とは、 「陰」すなわち大地のエネルギーによって 生じるということになります。 (「エネルギー」という言葉以外に良いキーワードが思い浮かびませんでした。 他に何か良い訳し方があるでしょうか、教えてください。) 形(肉体)や気、精は、正しい飲食によって得られると 前回の記事でまとめましたが、 さらに正しい飲食とは、 しっかりした大地のエネルギーから生じるということになります。 ちなみに、これらをまとめると 「陰」→「味」→「形」⇄「気」→「精」⇄「化」 となります。 現代の食生活における食材は、 大地のエネルギーをしっかり得たものかというと そうとも言いきれないのでは?と感じてしまいます。 例えばインスタント食品や人工的に作られた調味料などは、 大地のエネルギーがほとんど無いのではないでしょうか。 また、旬のものでない野菜も 現代はビニールハウスなどによる栽培技術によって 手に入りやすくなっていますが、このような季節外れの野菜は しっかりと栄養がとれるのでしょうか? 素問の内容から、そのような疑問をふと感じてしまいました。 (現代の農業の技術に関して私は全くの素人ですので、 このような疑問が間違ってましたら謝ります、すみません。) 参考までに、 「五味」の働きについての記述もこのあと出てきます。 辛散、酸収、甘緩、苦堅、鹹耎。 辛は散じ、酸は収め、甘は緩め、苦は堅くし、鹹は耎(やわ)らかにす。 (『素問 蔵気法時論篇』(第22)) さらに、 五味所入、 酸入肝、辛入肺、苦入心、鹹入腎、甘入脾、 是謂五入。 五味の入る所、酸は肝に入り、辛は肺に入り、苦は心に入り、鹹は腎に入り、甘は脾に入る、 是(こ)れを五入と謂(い)う。 (『素問 宣明五氣篇』(第23)) 五味の働きについては 現代の薬膳関係の書籍に書かれていますので、 薬膳に興味がある方はご存知かも知れません。 ですが、例えば、 いくら酸味や甘味のある食材を用いて調理したとしても、 その食材にしっかりとした陰がなければ、 味覚としては酸味や甘味を感じたりしても、 実際には身体を養うような本来の食物としての作用が 発現されないのではないでしょうか。 五味は大地のエネルギーから生じるという 原則的な内容について書かれた書籍は 個人的にあまり目にしたことがありませんが、 重要なことのように思います。 参考文献 『黄帝内経 素問』 東洋学術出版社
木

五行色体表の学習

皆さまこんにちは。 本日は五行色体表の暗記を行う際に、 気になったものについて学習しました。 私が特に難しいと感じたのは〝五脈〟です。 五脈(弦、鈎、代、毛、石) 難しいと感じる理由として、 漢字からどういう脈なのか イメージできるものと、しにくいものがあると感じました。 そこで、まずは教科書から五脈について学んでみたいと思います。 はじめに五脈とは? →五脈は五臓と対応する脈のことである。 〈対応する五臓と脈について〉 (肝)弦は、糸がピンと張ったような脈 (心)鈎は、拍動の来るときが強く、去るときが弱い脈 である。 (脾)代は、やわらかく弱い脈のことで、「代脈(不整脈の一種)」とは異なる。 (肺)毛は、羽毛のように軽く浮いて力のない脈 (腎)石は、石のように硬く沈んだ脈 『素問』平人気象論篇第十八では、五季の正常な脈を 「春は微かに弦」「夏は微かに鈎」「長夏は微かに耎弱(ぜんじゃく)」 「秋は微かに毛」「冬は微かに石」と記載し、この脈以外では病や死になるとしている。 ここまでは教科書に記載していた内容です。 次に、東洋学術出版社『素問』平人気象論篇第十八(p304〜308)から抜粋した原文をみてみたいと思います。 【原文】 平人之常气禀於胃。胃者平人之常气也。人无胃气曰逆。逆者死。 春胃微弦曰平。弦多胃少曰肝病。但弦无胃曰死。胃而有毛曰秋病。毛甚曰今病。藏真散於肝。 肝藏筋膜之气也。夏胃微钩曰平。钩多胃少曰心病。但钩无胃曰死。胃而有石曰冬病。 石甚曰今病。藏真通於心。心藏血脉之气也。长夏胃微耎弱曰平。弱多胃少曰脾病。 但代无胃曰死。耎弱有石曰冬病。弱甚曰今病。 藏真濡於脾。脾藏肌肉之气也。秋胃微毛曰平。毛多胃少曰肺病。但毛无胃曰死。毛而有弦曰春病。弦甚曰今病。藏真高於肺,以行荣冲阴阳也。 冬胃微石曰平。石多胃少曰肾病。但石无胃曰死。石而有钩曰夏病。钩甚曰今病。 藏真下於肾。肾藏骨髓之气也。 【書き下し文】 平人の常気は胃に稟く。胃なる者は平人の常気なり。人に胃の気なきを逆と曰う。逆なるものは死す。春の胃は微弦なるを平と曰う。弦多く胃少なきを 肝 病むと曰う。但 弦のみにして胃なきを死と曰う。胃ありて毛あるを秋に病むと曰う。毛甚だしきを今病むと曰う。蔵の真は肝より散ず。肝は筋膜の気を蔵するなり。夏の胃は微鈎なるを平と曰う。鈎多くして胃少なきを心 病む曰う。但 鈎のみにして胃なきを死と曰う。胃ありて石あるを冬に病むと曰う。 石甚だしきを今病むと曰う。蔵の真は心に通ず。心は血脈の気を蔵するなり。長夏の胃は微・耎弱なるを平と曰う。脈多く胃少なきを脾 病むと曰う。但 代のみにして胃なきを死と曰う。耎弱にして石あるを冬に病むと曰う。弱甚だしきを今病むと曰う。 ...

噯と曖

読み物で、漢字の微妙な使い方の違いに時折立ち止まる事があります。 例えば、『井、滎、兪、經、合』の”滎”が”榮”となっていたり。 「ん?」となってしまう時です。 今回は”噯”と”曖”について 口へん、日へんの微妙な違いなのですが。 噯(あい) 1⃣いき。あたたかい氣。 2⃣おくび。 曖(あい) 1⃣かげる。かげって、ハッキリしない。 2⃣くらい。暗くて見えない。 ↓ 例:曖昧(あいまい)ハッキリしない。紛らわしい。 つまりゲップは ”噯氣(あいき)”であって”曖氣(あいき)”ではないのですが、この漢字の入れ替えが多いように思います。 因みに ”噫気(あいき)”もゲップ。 噫氣(あいき) 1⃣吐き出すいき。呼氣。 2⃣おくび。食べた過ぎた時など、胃にたまったガスの口腔外に出るもの。 噯氣(あいき) 1⃣おくび。吹呿。噫気。 噯の意味より、噫氣よりも噯氣の方が少し温度が高いゲップに感じるのは気のせいでしょうか。 【参考文献】 『大漢和辞典』(株)大修館書店