中国の思想(01)
老子
一章 真理は固定したものではない
道可道、非常道。
名可名、非常名。
無名天地之始、有名万物之母。
故常無欲以観其妙、常有欲以観其徼。
此両者同出而異名。
同謂之玄。
玄之又玄、衆妙之門。
道を可とする道は、常なる道に非ず。
名を可とする名は、常なる名に非ず。
無は天地の始まりの名、有は万物の母の名。
故に常なる無は其の妙を観さんと欲し、常なる有はその徼を観さんと欲す。
この両者は同じ出にして名を異とする。
同じく、これを玄と謂う。
玄のまた玄を、衆妙の門とす。
【参考文献】
『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店
現代語訳 景岳全書
現代語訳 景岳全書 伝忠録
著:張景岳 訳:伴尚志
今の自分のレベルを考えたら、”原文からのディテールの正確さ”よりも
精度が落ちたとしても全体像の把握を優先したいと考え、
たにぐち書店さんの景岳全書を選択しました。拝読いたします。
いきなり、劉河間や朱丹溪をディスっているので、
何故そういう考えに至ったのか・・理由を知りたいと思います。
【参考文献】
『現代語訳 景岳全書 伝忠録』たにぐち書店
食事制限など
空気感
自身の出す空気がいい状態の時はキチンと周りを見れている。
悪い状態の時は何か引っ掛かりがあってそこに引っ張られている。
自分をしっかり持つ。
それしか解決策はなさそうです。
腹の陰圧
体の使い方で自分の中で大きな発見があった。
自分の身体は片方の腹筋が弱い。
特に陰圧をかける動作を怠っていた様で、そこが原因で側面の筋肉や腰に負担をかけていた。
過度な食事制限
長期的に続くと脾胃飲みではなく腎も痛める。
すると志も傷つくので継続する事が難しくなり、パニックも起こしやすくなるし、記憶への影響も現れる。
拒食症の方は何人か出会った事がありますが、深いものになると中々治療が難しそうだなと感じます。
表陽の虚は胃腸の虚に係がる
傷寒論攷注
「案ずるに前條云う所の悪寒已めども、「発熱汗出」然れども猶戸隙の風、傍人起居衣袖の扇風を悪、其脈必ず浮緩、此の証元来表気疏泄有り、故に邪の発散は表実証于速い、然れども表陽の虚は胃腸の虚に係がる、故に表実の一汗にして解するに比べれば、則ち其癒は却って遅く…」
この文から色々発展して思考できそうです。
ここは中風について述べている文で、表陽の虚がなぜ胃腸の虚に繋がるのか。
ここの繋がりはなんなのか。
調べていきます。
傷寒論攷注
「案ずるに「中風」の一証、其人素衛気疏泄して堅からず、或いは労力奔走等の事有り、陽気を擾動かし、表をして開泄せしめて、其虚隙に乗じる也…」
これは霊枢の下の文に繋がると思います。
『現代語訳 黄帝内経霊枢』 営衛生会篇 P 340、341
「
「黄帝がいう。人が熱い飲食物を食べて、これが胃中で未だ精微物質に消化されていないのに、食べるとすぐに発汗する。汗は顔面から出ることもあり、背中から出ることもあり、半身だけ出ることもある。この様に衛気が通常の通路を通らないで、汗となって出るのは何故か。」
岐伯が答える。
「それは、外表に風邪の侵襲を受けて、腠理が開き、毛孔は緩んで、衛気が体表に向かって走り、正気の通路を通ることができないからです。
これは衛気の本性が慓悍ですばやく、どこかに弛緩して開いている部位があれば、そこから出ていこうとするためです。」
」
とりあえず汗に関しては風邪に襲われて腠理が開き、衛気がそこから出ていくから。
『現代語訳 黄帝内経素問』 五臓別論篇 P212
「
黄帝がいう。
「気口の脈を単独で診察するだけで、五臓の変化を知ることができるのはなぜであろうか。」
岐伯がいう。
胃は水穀の海であり、六腑の源泉となっています。
飲食物は口から胃に入り、全て胃に貯留し、脾による輸化の働きによって五臓の気を滋養しています。
気口もまた太陰経であり、さまざまな脈に朝見することを主ります。
こうしたわけで、五臓六腑の気と味は、いずれも胃に源をもって気口に反映するのです。」
」
」
肺経が脾胃の気を受けている事が分かります。
手太陰肺経の始まりである中府の名前も
「中焦の気が集まるところ」
である事から納得できます。
また、脈診で寸口を取るのは、八会穴の脈会である太淵あたりが良く反映されるからではないかと思いました。
最初の傷寒論攷注の文の
「表陽の虚は胃腸の虚に係がる」
とはこういう事なのかなと思いました。
『中医臨床のための方剤学』 P 29
桂枝湯「生姜・大棗の配合は、脾胃を昇発し営衛を補充し振奮させる。」
とあり、桂枝湯に脾胃の薬が配合されている意味にも繋がると思いました。
参考資料
『現代語訳 黄帝内経霊枢』 東洋学術出版社 南京中医薬大学編著
『現代語訳 黄帝内経素問』 東洋学術出版社 南京中医学院編
『中医臨床のための方剤学』 東洋学術出版社 神戸中医学研究会編著
ホッカイロ
冷え性の方でお腹や腰にホッカイロを一日中貼りっぱなしで行動をしている方がいらっしゃいますが、貼りっぱなしは要注意です。
寒いところに出る時だけ貼るのであれば良いのですが、貼りっぱなしにしていると余分な熱が邪となり体に入り込み臓腑の弱いところに症状がでる場合があります。
例えばもともと脾虚の症候がある場合、余分な熱が脾を傷つけ運化の働きが弱くなり飲食物をうまく処理できず滞りができてしまい時間が経つと瘀血になってしまいます。
瘀血ができると通り道が狭くなるので気血の流れがより悪くなり熱が生み出されていきます。
熱は陽の性質なので、上へ上へ登っていき、眩暈や頭痛、嘔吐といった上部の症状がでてきます。
その上、脾は湿の調整を行なっています。
湿をうまく処理できずに浮腫んだり、皮膚に湿が残ったままになり冷えの症状がでたりします。
体の内側は熱により傷ついているのに、表面は冷えを感じる。冷えを感じるからホッカイロを貼る。ホッカイロによってまた余分な熱を体に与えては弱っていく。とゆう悪循環が生じます。
色々わからないけども
身体を触るとき意識が一つに引っ張られていたことを指摘して頂きハッとした。
何かを見ようとして、その分他が疎かになっていたんだと思う。
意識を働かせない様にしなければ。
頭ではなく体が主。
テーマとしてはずっと持っているものなんだけど難しい。
このテーマで進めるには自分の人間性も見直さなければいけないけど、いちいち一つの事に囚われているところがダメなんだと思う。
そもそも体に限らず全ての事はこれ!って言うより一連の流れで繋がっているんだから何か違うような気がする。
身体をみる時も犯人探ししてる訳ではないんだから。
自分の状態として、前に意識が深く沈む?みたいな感覚があった時が一番良かった。
そうなっていく為にも生き方も大事なんだろうなと思う。
色んなことに対してサラッと生きれる様になりたいな。
そんなこんなで最近は勉強というより自分の人間性について考える時間が多くなっている。
まあ自分みたいな人間は自己否定してるくらいでちょうど良い様な気がする。
色んなものをへし折ってへし折って更地の状態にしたい。
人の幸せを喜ぶとかもその先にあるものだと思う。
まあ素朴が一番です。
脈・意識・腹・動作など
初めての脈診の感覚
寺子屋で脈診をさせて頂いた。
その時脈がフワッと乗ってきたのだけど、それがいつも以上に指ではなく身体に感じた様な気がして新鮮だった。
良い経験ができた。
また、最初の感じたあれは滑か。
患者さんの問診で仰っていた内容と一致。
それが何なのかまだまだ考察がいるな。
ただ材料が少ないので一旦ここまで。
取り逃しは沢山あると思うけど感覚として置いておく。
課題
自分が柔らかい状態でいられる様にしなければなと思う。
人を触らせて頂いて触り方がどうとか自分との引っ掛かりがある時点でダメなんだよな。
対話する相手が違う。
邪魔しないで欲しい。
でも自分を操作する経験上、それを過度にどうこうしようとしたらもっとダメになる。
表面的な否定は避けたい。
それも許容していきたい。
お腹を触って
触らせて頂いた患者さんの術後、術前と触らせて頂いたお腹の様子が違った。
あの印象、イメージでも復習して手に叩き込まなきゃな。
体で覚える様にする。
また、そこから弁証する時は下から上への関係も判断できる様にする。
脈診でも尺部に違和感を覚えていたはずなのに何でその考えになってしまったのか。
自分の身体
シャワーを浴びている時よく動作確認をする。
その時にふと教えて頂いた事と自分の身体が頭ではなく体で繋がった気がした。
そうなると良くいう胆経で左右のバランスが崩れるとか本当か?というか本当なんだろうけど本質なのか?とかも思う。
また、筋肉の発達でも一つの指標にはなる気がする。
色々訓練していかなきゃいけないんだけれども、そうなった時日本から和式便所が無くなったことが悔やまれて仕方ない。
施術日記(04)
T.I 先生との治療練習4回目です。
同じ経脈上に刺鍼する事で、軸を作りたいと考えております。
舌診の鍛錬
【目的】
① 同經への刺鍼にて、短期的・中期的・長期的な観察。
② 四診も含め、複合で考察。
舌を出した瞬間に思ったのは『紅くなった?』
いつもより、白っぽさが減って
このシリーズが始まって以来、刺鍼前の舌の表情では目立った違い。
舌の出し方も、リラックスが感じられます。
舌尖・舌辺の感じは前回と同じ様子ではあるが、雰囲気が違う。
陰陵泉(右):0番鍼にて置鍼(5分)
全体的に水分量の調整は出来たと感じ、
所々に赤みが見て取れるも、
一皮剥けて、深層が顔を出しているようにも感じる。
舌の出し方も、締まりを感じる。
これは変な緊張が高まったというよりも、
適正な気力をもって来てるように思える。
舌の中央当たりも、渇きが出てきてる。
もしかしたら、苔を取るのはこの渇きを持たせる事で、
剥離させて行くのでは??と妄想する。
腹診も刺鍼前後に変化は感じられ、
中脘あたりの変化が興味深い。
下巨虚
前回の続きです。
合穴である下巨虚について調べていきます。
《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》P108 邪気蔵府病形篇
「小腸の病の症状は、下腹部が痛み、腰や背骨が引きつり睾丸まで痛み、大小便がつまり苦しみ、耳の前が発熱し、或いは寒が甚だしく、或いは肩の上の熱がひどく、手の小指と薬指の間が熱く、或いは絡脈がおちくぼみます。これらはみな小腸の病です。
手の太陽小腸経の病は、胃経の下巨虚に取って治療します。」
↑の文章を基に考えていきます。
《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》P507 張論篇
「小腸張の症状は、下腹部が張り、腰にかけて痛みます。」
→
・下腹部は小腸のある部位なのでそこが痛み、それが腰まで影響している。
・耳の前、肩の上は小腸経上にあるのでそこに反映されているのだと思います。
・手の小指と薬指の間に関しては、小指あたりに経の走行がありますがそれを指すかはわかりません。
《現代語訳 黄帝内経素問 上巻》P164 霊蘭秘典論篇
「小腸はすでに胃で消化された食物を受け取り、食物の精華を抽出して、全身に輸送します。」
《全訳 中医基礎理論》P131
「張介賓は『素問 霊蘭秘典篇』を「小腸は胃の下に位置し、胃中の水穀を受盛して清濁を分ける。そこで水液は前部に吸収され、糟粕は後ろに送られる。脾気は化して上昇し、小腸の気は化して下降する。そのため化物が出るというなり」と注釈している。」
《中医学ってなんだろう》P239
「小腸の蔵象
内部の状態 小腸が清濁を分けられなくなり、余計な水分が大便に混入する。または濁ったものが尿に混入する。
→現象 ・大便が緩い ・下痢 ・尿がにごる など。
内部の状態 小腸から、水分がきちんと吸収されない。
→現象 ・尿の量が減る
内部の状態 小腸の働きが悪くなり、濁ったものが下へ送られなくなる。
→現象 ・お腹が張る ・腹痛 ・嘔吐 ・便秘 など。」
《穴性学ハンドブック》P159
「下巨虚 湿 分清濁、祛湿邪、燥湿、滲湿」
《全訳 経絡学》P 52
「李東垣は張元素に学んだが、その著書である『薬類法象』で、昇降や浮沈により薬性を論じて、茯苓は手の太陽(小腸)へ入り、麻黄は手の太陰(肺)へ入るとし、それぞれの経脈に導く引経薬、報使薬、向導薬を打ち出している。」
→胃からドロドロになって降りてきたものを小腸が受け取る。
受け取ったものを清・濁に小腸が分別する。
清は水穀の精微で、脾の運化へ
濁は大腸へ送られる
小腸の働きが悪いと分別ができず、そこに留まる。
すると下へ送ることができないので留まり、張って痛む。
穴性学ハンドブックで分清濁とある様に、下巨虚によって小腸の働きが改善すると清は脾、濁は大腸へと送られていく。
結果として小腸の張りなども改善される。
また、祛湿邪 滲湿とある様に利水滲湿薬で小腸に入る茯苓の様な一面もあるかもしれない。
邪気蔵府病形篇の寒熱の現象がなぜ起こるのかがもっと調べていく必要があると思います。
参考資料
《現代語訳 黄帝内経素問上巻》 東洋学術出版社 南京中医学院編
《現代語訳 黄帝内経霊枢上巻》 東洋学術出版社 南京中医学院編
《中医学ってなんだろう》 東洋学術出版社 小金井信宏著
《全訳 中医基礎理論》 たにぐち書店 印合河主編
《全訳 経絡学》 たにぐち書店 李鼎主編
《穴性学ハンドブック》 たにぐち書店 伴尚志編著
脾胃に優しく過ごしてみました
1月7日は無病息災を願って七草がゆを食べる日!と短絡的に考えていましたが、調べてみると中国から渡ってきた風習とのこと。「人日」という五節句(陰陽五行説に由来して定着した日本の暦における年中行事を行う季節の節目の日)の1つで、「人を大切にする日」なのだそうです。
一般的に春の七草(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ)が使われていますが、何を使ってもいいみたいです。食材には五味、五性があり、春の七草は涼性の性質を持つものが多く、熱証(陽盛、陰虚)にいいとされているため、食べ過ぎて熱を持っている胃腸に優しいのかな。胃が熱を持つと過食になり、脾に負担がかかる、脾の働きが弱まると胃にも影響がでる?そもそも胃は疲れてるのになぜ過食がちになってしまうのか…と色々考えてしまいました。
人を大切にする=自分や家族のからだを大切にする日ということでもいいのかな?と私は思います。普段めったにキッチンに立つことがない私ですが、せっかくなので七草セットを買ってきて七草がゆを作ってみました。作りすぎたので明日の朝も脾胃に優しく過ごしたいと思います。








