学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

単純化など

単純化 ありがたい事に最近色々やることをやらせて頂いている。 すると色んな余計なものが入りにくくなってきた。 余裕が無くなるとミスを起こしてしまう傾向は相変わらずですが、そうならない様に自分をコントロールしていきたい。 やるべき事に向き合ってさっさとクリアしていく。 そのためにも自分の中で色々単純化させていく必要あり。 バイアスを取っ払う。 治療にも繋がる。   批判的思考 自分は裏が見えていない事が多々ある。 何か形を受け取ったものも、内包されるものが違っている事がある。 その違和感に気付けるか。 先に起こるものへヒントが隠されている事もある。 思い返せばでは遅い。 ある種の健全な疑う心も必要。 清濁全て飲み込める様に。 それを瞬間に判断できる様に色々経験を積む必要あり。   繕うな 良いものを作ろうとした時、そこへ自分がどの程度関わる事が良いか。 まだ配分が上手くいっていない。 目的の達成のためにどうすればいいか。 人を信じてお任せするところはする。 お任せして良いかわからないなら相談する。 そこを任せられないのもある種のエゴ。 自分の弱さ。   人と向き合う どんな忙しかろうが寺子屋の時にお身体を貸して頂いている患者さんにきちんとで向き合う。 向き合い方が全然足りない。 患者さんに限らず、大切にすべき人たち全員に言える話だと思う。 となって来ると相手への話。 本質的に大切なのは相手の事をどれだけ考えれるか。 良い面も悪い面も向き合う。 というか善悪なんてないから。 それがどの様な現れ方をするかというだけ。 わかっていたら躱せるものも増えてくる。

ぽっこりお腹など

  ぽっこりお腹 幼児体型みたいな上腹部のお腹が気になっています。   食べすぎた訳ではないのに胃脘部がぽっこりしている。   食生活を聞いてもそんなに食べすぎている訳ではない人も多い気がする。   二竅までの流れでどこかへの停滞。   すぐに起こるゲップやしゃっくり。   新たに入ろうとしても入らないのかな。   この間、自身に鍼を刺して状態を悪くしたのですが、その時の体型変化も勉強になりました。   もう一度、同じ状態を作ってみたのですが、同じ事が起こった。   人の足の状態でも内果の黒ずみなどもサインになるのかな。   追っていってみます。     他の人を見ていて 以前も書いた事ですが、一鍼堂にいる先生や先輩は色んな事によく気付かれる。   当たり前だけど必要なことだし、そうなる為のやり方は散々教わっていると思います。   「じゃあどうやって実践していこうか。」   その考えに結びつく事が間違いなのかもしれない。   恐らく自分が何かをしなくても、それに気づけるヒントは転がっているんだと思う。   だからわからない事だらけですが、とにかく今の境遇から教わっている事で、自分に現れた変化を感覚に結びつけていく様にしたい。   また、どんな事があっても揺らがない様に、きちんと自分につけた名前であれる様にしよう。   方向があっているかも分かりませんが、何か変化がある状態は楽しいですし、楽しみです。  

腹をうかがうにあたって

腹診を学ぶにあたって理解があやふやな用語をまとめてみました。 心下痞(しんかひ)=心下痞満(しんかひまん) 心下とは胃脘部を指す。胃脘部に気機の阻滞によって痞えたような不快がある。患部に疼痛はなく押さえると軟らかい。 心下痞硬(しんかひこう)=心下痞鞭(しんかひこう) 硬と鞭は同意語。気機の阻滞により胃脘部に痞えたような不快感があり、患部を押さえると硬く抵抗感がある。また心下痞硬の一種として心下部が菱形状に抵抗が強い心下痞堅がある。 どうやら心下痞は自覚症状のみですが、痞硬の方は他覚的に抵抗があって場合によっては疼痛もある感じです。 心下支結(しんかしけつ) 胃脘部が詰まったような不快な煩悶感がある。 少腹急結(しょうふくきゅうけつ) 左の前上骨棘と臍を結んだちょうど真ん中あたりに索状物を触れ、押したり按じると響くように痛むもの。瘀血の症の一つ。 小腹腫痞(しょうふくしゅひ) 右の腰骨と臍を結んだ線の上から3分の1あたり、回腸部付近にしこりや圧痛があるもの。瘀血の症の一つ。 一語でわかる中医用語辞典(源草社) はじめての漢方診療十五話(医学書院)  
葉桜

体表観察で②

前回書いた、体表観察で局所的にみられた冷えについて追記。 (若干の左右差はあれど)両方の足部 外側にみられたこと。 前腕では、三焦経 外関 支溝あたり。 体幹では、腋窩から肩甲骨下部にかけて。 これらはいづれも左右両側でみられた。 そもそも、両側に左右対称に表れた理由は? (左右対称に走行する経絡と関連づけて考えても良い点に当たるのか?) 以前、自転車の転倒で左手を怪我して、左肩関節の外転制限があった時 その時には冷感は左腕でだけでみられた。 ふたつのケースの差異は起因・起源のためと、とらえやすい。 一方で、腹診で腹部を観察する時には、今のところ 左右対称に表れる状態は少ない様に感じているが、 特に今回、体幹部で冷感として観察され所と腹部との距離は近い。 これから経験を積む中でどのようにして 集積されていって 今後どのように考える様になるのか。(現段階の記録として)

最近感じている事

主体性と他力 遠くを感じるためには真っ直ぐそこに向き合わないと到達できない。 また、真っ直ぐになれたとしてもどこまでいけるか? 最終的な主体は自分だけども、自分だけの力では限界がありそうな気がする。 人は個体としていきなり出来上がったわけではなく、天地の交流から生まれた。 生きている間も色んなものを頂いている。 足元が浮ついていれば交流も途絶える気がします。 足の裏の勇泉、掌の労宮。 何かあるのかと気になります。 木が育っていくためには根が必要なのと一緒なのかな。 それにしても桜が散った後の新緑は元気です。 勢いを感じます。   先読み 歩行者を見ていて、あの人今からあの方向に行くのかなとか観察して勉強。 遠めの人の方が分かりやすい現象も勉強になります。   縮こまる 知識に捉われると大きな動きが出来なくなる。 溶け込むことが大切だなと思います。 自分も大きな流れの中の一部といった認識でいることにしてみました。   入浴 最近風呂に入る時電気を消して入っています。 静かさが増すのでとても良い感じです。 周りのザワつきは単純に騒がしい事もあるけど、自分が騒がしい事もある。   春の空気 浮ついているというか、フワフワしてる気がします。 今年は花粉がスゴイらしいのですが、例年に比べてそういった部分はどうなんだろうと気になっています。   歩くテンポ 現代人は急ぎすぎている。 早歩きしている時とゆっくり歩く自分の差も勉強になってます。 ゆっくりするからノロマになる訳でもないと思います。  

先日の症状より(続き)

前回(先日体調を崩したケース)の続き。 体に合わないものを食べたことがきっかけだったと考える。夜間、悪寒にはじまり悪心、煩躁、考えがまとまらなくなり、とても苦しく、手探りで押圧したのが合谷。気が降りていって上部にかかった力が解けて頭部にスペースができた。一度ここで助かったと思った、が実際は違った。下方に押し下げられたが依然そこでうねり向かう先が必要としていると感じた。外に出すべきーそして百会を用いた。体内を一気に突き上げる流れが生じ、嘔吐する。結果的には必要以上に気を漏らしたこの対処が体にもたらした負担によりこの後がしんどかった。 ツボの実相の一端を身をもって知れたことはとても良かった。

早起きは三文の徳

生活を一新した今年の春くらいから、朝活をしています。 諺に早起きは三文の徳とありますが、 早起きをすると健康にも良く、またそのほか何かと良いことがあるものである。 ですが、実際にどうなのでしょうか? 実践してみて実感できていることは、早起きをすると充実した時間が増え得をした気分にはなっています。 大体、いつも朝起きて1時間ほど勉強する時間を持つようにしていますが、夜に本を開いて勉強すると、その日の出来事などが思い出され集中力が削がれてしまいやすいです。それにそもそも疲れていて気力が底をついている状態です。 その点、朝起きたばかりだと、頭の中がスッキリされていて雑念があまり湧かないですし、気力も回復して集中が持続されやすいです。 なので私の場合は朝に勉強する方が効率的だなと実感しています。 健康になっているかは不明ですが、この習慣を今後も続けていこうと思います。

中国の思想(03)

老子 四十七章 知を外に求めるな 不出戸、知天下、不闚牖、見天道。 其出弥遠、其知弥少。 是以聖人不行而知、不見而名、不為而成。 戸より出ず、天下を知り、窓よりうかがわず、天道をみる。 その出ずる事ますます遠く、その知るはますます少なし。 これをもって聖人は行かずして知り、見ずしてあきらかにし、なさずして成す。 「道」を体得したなら、外に出ずとも、おのずと天下の動静が判り、 外を見ずとも、おのずと天体の運行が判る。 ところが、知識を外に求めて、駆けずり廻れば廻るほど、 ますます知識はあやふやになる。 だから、「道」を体得した聖人は、外物に頼らずに物事を理解し、 感覚に訴えずに物事を識別し、知ろうと努めず無為を守って知のはたらきを完全にする。 (引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P84) 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店

腹など

腹 中脘くらいを押すと痛む。 これを実という人もいるが、虚という人もいる。 喜按などは絶対的な法則ではないと思う。 そもそも虚実が混じれば判断できなさそう。   脾胃 考え事は脾胃を痛める。 でもその意は神がコントロール。 痛む背景には心が関わる。 心血が消耗。 この段階での舌を習った。 背景にあるものが環境だったり何らかの原因で思考が忙しくなった場合、それが取れなければ回復も遅れる。   そう考えると環境もしくは環境に対する捉え方の変化が脾胃を回復させる事もあると思いました。 忙しすぎて寝れなくても脾胃が痛む。 また、虚里は胃の大絡。 だから脈が弱くなる。   相手に対して 自身の課題をクリアする為にも自分自身の課題をとりあえず一旦横に置く。 相手を見て自身の課題を知る。 その前提で考える。 物事を考える時、自身を投影させて相手を考えると、結局思考の癖が自身と重なるところ以外見えない。 むしろ歪めてしまう事もある。 何かを解決したい時、相手が何を求めているか。 相手にどんな示し方をすればいいか。 様子を見ると相手は頭が働くからとても心配性。 色んな可能性を考えて答えがわからない。 頑張りすぎて出来るのにエンストを起こして出来なくなってる。 そんな時どんなトーンで、どんな言葉で接したらいいんだろう。 言い方キツくなかったかな。 まずは相手の話を聞いて、安心してもらえる様にしないと。 歩調を同じく合わせて一緒に作れる人がやりやすいかな。 相手の世界から見た景色はどうなっているんだろう。 相手から見た景色を見る必要がある。 その為にも主役を置き換える。 また、そこには患者さんと先生方といった主役も入ってくるのでそこも考えないと。 大変だ。   舌の考察① 舌根部に膩苔、真ん中に裂紋。 歯痕、いつもに比べ厚さも色も薄い舌になっている。 何らかの原因で気血が消耗され、脾胃が弱って必要なものが作られずゴミが溜まってしまう状態。 裏の色も薄い。 風邪をひかれたとの事なのでそれが原因として大きいか。 辺縁も邪在少陽と見るべきか。 腹、背中などが気になる。     舌の考察② 舌の色がいつもに比べ暗紅色かつ白さが目立つ。 裏も赤みが少ない。 舌先のみ変色。 心熱により陰分が焼かれて褪せているのか。

夙川にて

図書館、公民館など、外で勉強する事が殆どです。 好きな場所で、夙川沿いの静かなところに”西宮市立中央図書館”があります。 休憩に川沿いで新鮮な空気を吸うのですが、ふと思い出した事がありましたので。 以前に、六甲山からの鉄砲水で犠牲者が出たことがありました。 その時に『山上が曇れば大蛇が通る』という伝承を知ります。 古人が鉄砲水を大蛇に例えて後世に伝えやすくしたのだと思います。 それをきっかけとして、スサノオノミコトがヤマタノオロチ退治を ”治水対策の比喩”であるとの仮説にも出会う事になりました。 クラスメイトが話の中で「東洋医学=スピリチュアル」との認識に違和感を覚えたのを覚えています。 東洋医学を学ぶという事は災害の地に建つ石碑のように、 古人が未来へ向けた思いに耳を傾ける事のように思います。 とか、思い出しながら国家試験に向けての勉強の年末です。