ホーム Blog ページ 20

Blog

東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

単純化など

単純化 ありがたい事に最近色々やることをやらせて頂いている。 すると色んな余計なものが入りにくくなってきた。 余裕が無くなるとミスを起こしてしまう傾向は相変わらずですが、そうならない様に自分をコントロールしていきたい。 やるべき事に向き合ってさっさとクリアしていく。 そのためにも自分の中で色々単純化させていく必要あり。 バイアスを取っ払う。 治療にも繋がる。   批判的思考 自分は裏が見えていない事が多々ある。 何か形を受け取ったものも、内包されるものが違っている事がある。 その違和感に気付けるか。 先に起こるものへヒントが隠されている事もある。 思い返せばでは遅い。 ある種の健全な疑う心も必要。 清濁全て飲み込める様に。 それを瞬間に判断できる様に色々経験を積む必要あり。   繕うな 良いものを作ろうとした時、そこへ自分がどの程度関わる事が良いか。 まだ配分が上手くいっていない。 目的の達成のためにどうすればいいか。 人を信じてお任せするところはする。 お任せして良いかわからないなら相談する。 そこを任せられないのもある種のエゴ。 自分の弱さ。   人と向き合う どんな忙しかろうが寺子屋の時にお身体を貸して頂いている患者さんにきちんとで向き合う。 向き合い方が全然足りない。 患者さんに限らず、大切にすべき人たち全員に言える話だと思う。 となって来ると相手への話。 本質的に大切なのは相手の事をどれだけ考えれるか。 良い面も悪い面も向き合う。 というか善悪なんてないから。 それがどの様な現れ方をするかというだけ。 わかっていたら躱せるものも増えてくる。

背中・寺

  姉の身体を触らせて貰いました。   気になったのは右の腎兪のあたりのエリアが落ち込んでいると思った。   お腹を向けてもらうと夢分流腹診の表で左の腎に当たるエリアが右に比べて力がなく柔らかかった。   実際のところ背中の臓腑の反応は腹とリンクするのか、またリンクするとしたらそこに規則性はあるのか気になります…。   腹、背中と触っていたら左の踵が痒いと掻き始めたのでこれも何なのか考えてみます。   また、背候診とは別件ですが、先日京都の法然院に行ってきました。   銀閣寺から哲学の道をしばらく歩いていった場所にあるお寺なのですが、行ってみると観光客もおらずゆっくり見て周ることが出来ました。   静かなのでセミや鳥の鳴き声、水の音などをじっくり聴け、生えている苔などもとても綺麗でいい場所でした。   また気が向いた時に行こうと思います。   写真撮影可能なお寺でしたのでアイキャッチ画像に設定しています。

試してみる

  先週とてもいいお話を聞かせて頂けたので手で木・皮製品・自分の身体など色々触る様に意識しています。   触った時の感触を知ることや触り慣れると言った意味でも私にとっては良さそうだなと感じています。   また、手が冷えていたら寒熱は分かりにくくなるのかと思って実験してみました。   内容としては右手の労宮に石膏(性質:大寒)の粉末を2分程度乗せてみる。   その後綺麗に流して右手・左手を中脘あたりに当ててどちらがお腹の温もりを拾いやすいか見てみる。   やってみると明らかに左手の方が暖かさを感じやすい。   右手は感じにくいし、触られているお腹もちょっと冷えて触られたくない。   手を冷やさないって大事なことだなと実感しました。   冷たいもの飲んで手が冷たくなった事を感じた事があるので飲食物も気をつけよう。   また、服越しでもわかると仰られていたので前に歩いている人の背中で何か感じるかも試していっています。   続けていくと拾える様になるのか楽しみです。

ミート、霊道、名前

  ミート 体の使い方の件で、なぜそうするかのイメージが繋がって発見がありました。   要領はサッカーのキックと共通する部分も多いにあると感じて発見がありました。   ただ、その前段階で患者との信頼関係が出来上がっていないと相手も反応してくれないと思うので 色々感じ取りながら、向き合いながら相手を主体にやっていこうと思います。     霊道 患者さんの状態を観察させて頂いきました。 成因についても教えていただき、またそれがなぜ起こるか。 穴から背景が見える現象が勉強になりました。 その時の患者さんの様子も覚えておこうと思います。   名前 その場所にいる時はどういった自分でありたいのか。 自分のスタンスを表す名前にしたい。 一つは「貞」を盛り込みたいと思います。   意味は二つの意味で一つは自分のためで、もう一つは医療人としての意味を込めました。   自分のための意味としては   貞には「定」という意味があり、精神が安定して惑わされないという意味もある。 頑固になる訳ではなく、一つ自分の核を持って物事に向き合いたいと思います。 堅物になりたい訳ではありませんが、奥底にはいるべきものを納めて浮つかないようにしたい。   医療人としての意味は易学の乾元亨利貞から取りました。   この意味を表す前置きとして、 「尚書」の「天一生水、地二生火」 の言葉があり、 万物発生論としてまず水が生まれたとの考え方が私は好きだからです。   菅子でも 「人は水である。男女の精気が合し、形となったものである」とあり、水に人間を例えています。   水は坎水なので、坎を探ると陰の画象、陽の画象、陰の画象で出来上がっている様に中に陽を宿す。   その水が生まれる前段階として 乾(純陽)と坤(純陰)が交わりがあり、 坤(陰)の中に陽(陽)が入ることで水が生まれた。   昔、大変自分に影響を与えた本で火神派ではなく火神派的な医案解説集という本があり、そこには 生命現象とは「無形の陽気」が「有形の陰気(肉体)に宿っている状態」といった内容が書かれていました。   ここで患者さんの生命現象の本質を水の中に宿る陽で見てみた時、 乾の特性である「元亨利貞」は 訓読みで 「元まり亨り利しく貞し(はじまりとおりよろしくただし)」   易経講話 「天の大元気の働きによって、万物は始まり生まれるのである。それが元であり、始まるのである。 それが始まり生まれると、だんだん盛んになり、十分に伸びていくのである。 それが亨であり、通るのである。 盛んになり十分に伸びていくと、それぞれの物が各々そのよろしきを得、その便利とするところを得るのである。 大きくなるべきものは大きくなり、小さくあるべき物は小さくできあがり、太いものは太く、細いものは細く、各々そのよろしきところを得、各々その利とするところを得るのである。 それが利であり、よろしきである。 各々そのよろしきところを得ると、その正しきところを堅固に守って完全に出来上がるのである。 それが貞であり、正しきである。」   これが私には良い状態の人間の一生の様にも感じられ、貞は完成形なので、患者さんの最大限のパフォーマンスを最大限発揮できる貞の状態に持っていきたい。 との意味から貞を選びました。   一文字でいくか、他の文字も入れるか考えてみます。   参考資料 易経講話(1) 公田連太郎 明徳出版社 P141〜146 火神派ではなく火神派的な医案解説集 小金井信宏著 星雲社P26〜35、P108 中国の水の思想 法蔵館 蜂屋邦夫 P148、149  

突発性難聴、受付

  突発性難聴 先日突発性難聴になりました。   最初は何か辺だな?程度のものがいきなり詰まり、耳が塞がった。   片耳でしたがこの間オススメ頂いた映画の通りの体験で、トンネルの中に列車が入った時の耳の詰まりがずっと続く感じでした。   西洋医学的な原因を調べていくと早めの処置を行わないとずっと聞こえない様になる可能性もあるとの記事が多く、患者の視点に立つとこれは怖いことだと感じました。   同時に自身が施術者になった際は全て自己責任で行わなければいけないので、 「もし知識不足により患者の聴力を失わらせてしまったら…」と怖くもなった。   知っておかないと怖いことが沢山ある。   東洋医学一辺倒だとその辺の責任が取れない事もあるのでしっかり勉強しないとなと再認識させられる出来事でした。   東洋的に考えると脈も沈んでおり、臓腑の弱りから生まれた邪気が下焦に蓄積して清竅への気血を送れない様にしていると思いました。   治療していただいて面白いなと思った変化が 翌日、鏡で舌を確認した時、色が少し暗めだった。 確認後5分程度で急に唾液が溢れ出した感覚があったので急いで鏡をみると色が赤みを帯びてきたと同時に表面以外にも色の変化が見られた。   治り方としては一気に治るという訳ではなく、耳が抜けたと思ったら耳鳴りに変わった。   湿邪は取れにくいので、一定の残存は見られるのだと思う。   また、施術も状況に応じて変えていく必要性も感じました。   受付 対人関係でもお互いが尊重できていないと治療にならないと言った事を最近感じる。 素直な人は鍼も薬も効きやすいと聞いた事もあり、自身でもそれを感じる事がある。   受付の仕事としては先生の治療しやすい環境作りが主になるものだと思いますが、 案内する前の患者さんを治療の受けやすい状態で送り出す事も将来的な自身の治療に繋がると感じました。   一般的に正解とされる様な対応を一様に全ての人にとっていてもそれが下準備として正解になる訳ではない。   どの様に相手に映るかも考えていかないといけないと思います。   色んな人の空気、態度、言葉遣いが勉強になります。

怒りが病を生む

怒りというのは誰もが持つ感情だと思います。 しかし、慢性的にずーっと怒っていたり、急激な怒りが出ると、病を引き起こしてしまうと言います。 怒ってしまうと、顔面の紅潮や、頭が痛くなったり、我を忘れてしまって、理性を抑えられないことがあります。 これはなぜなのでしょうか? 怒りは肝が大きく関わっていると言います。 肝の機能は気を五臓六腑、全身に気を回し、昇降出入に大きく関わっています。 つまり、怒って顔が赤くなってしまうのは、 気が過度に上がって血も同時に上がって赤くなってしまうのではないでしょうか? いわゆる気逆というものです。 この肝気による気逆は中焦にある脾胃を攻撃することがあるとあります。 気というのは、身体を守ったり、温めたり、栄養したり、 良いことづくしなイメージがありましたが、行くべきでないところに行くと、害になってしまうこともあると考えられます。 よく怒りやすい人がいますが、これは肝の疎泄作用が弱っている人に見られるのではないでしょうか? 怒ってしまうと気が上逆してしまう。肝がそれを抑える力が有れば、上逆してしまうこともないのかもしれません。 それとも他に怒りを抑える機能が生き物にはあるのでしょうか?あ 慢性的にイライラしたり、怒っている人は針で治せるのか?それとも、患者さんとよく対話して、怒りの原因を紐解いていくのか? 感情の異常は万病の元と言いますし、そこにアプローチすると、もしかしたら、治療効果も大きく上がるかもしれません。 本人は悲しみや、怒り、恐れなど、自分では気づいていないが、心の底でその感情を常にずーっと感じている人も居るかもしれません。 そこを気づかせて、治療するのも大事なのかもしれません。

食事制限など

空気感 自身の出す空気がいい状態の時はキチンと周りを見れている。 悪い状態の時は何か引っ掛かりがあってそこに引っ張られている。 自分をしっかり持つ。 それしか解決策はなさそうです。   腹の陰圧 体の使い方で自分の中で大きな発見があった。 自分の身体は片方の腹筋が弱い。 特に陰圧をかける動作を怠っていた様で、そこが原因で側面の筋肉や腰に負担をかけていた。   過度な食事制限 長期的に続くと脾胃飲みではなく腎も痛める。 すると志も傷つくので継続する事が難しくなり、パニックも起こしやすくなるし、記憶への影響も現れる。 拒食症の方は何人か出会った事がありますが、深いものになると中々治療が難しそうだなと感じます。  

できる事だらけ

体の使い方でずっと指導して頂いている事を強く意識する。 方向性。 土台を固めた上で預けて脈をみる。 鍼を行うときにもその感覚が活きる気がする。 押手などでしっかり固定化した上でどこに届けるのか。 人に練習させてもらって、この意識で置いたらいい感覚だった。 この先に微細な調整などもあるんだろうな。 指の使い方なんかも少し馴染んできて良い感じです。 生まれた感覚を大切に、ブラッシュアップしていきます。     寺子屋時に学びの姿勢に関して受けた言葉に対して思うところ。 結局のところ、それを生業とするプロとしての責任感を持った上で、楽しんで学びを進めれるかというところに帰ってくると思う。 伝えて頂いた学び方なら、何事にも答えや正解といった枠を作らないので限界がないし、やれる事は無限に広がっていく。 先に患者さんの治療があるならこれ以上の事はないよなと思う。  

脈・意識・腹・動作など

  初めての脈診の感覚 寺子屋で脈診をさせて頂いた。 その時脈がフワッと乗ってきたのだけど、それがいつも以上に指ではなく身体に感じた様な気がして新鮮だった。 良い経験ができた。 また、最初の感じたあれは滑か。 患者さんの問診で仰っていた内容と一致。 それが何なのかまだまだ考察がいるな。 ただ材料が少ないので一旦ここまで。 取り逃しは沢山あると思うけど感覚として置いておく。   課題 自分が柔らかい状態でいられる様にしなければなと思う。 人を触らせて頂いて触り方がどうとか自分との引っ掛かりがある時点でダメなんだよな。 対話する相手が違う。 邪魔しないで欲しい。 でも自分を操作する経験上、それを過度にどうこうしようとしたらもっとダメになる。 表面的な否定は避けたい。 それも許容していきたい。     お腹を触って 触らせて頂いた患者さんの術後、術前と触らせて頂いたお腹の様子が違った。 あの印象、イメージでも復習して手に叩き込まなきゃな。 体で覚える様にする。 また、そこから弁証する時は下から上への関係も判断できる様にする。 脈診でも尺部に違和感を覚えていたはずなのに何でその考えになってしまったのか。   自分の身体 シャワーを浴びている時よく動作確認をする。 その時にふと教えて頂いた事と自分の身体が頭ではなく体で繋がった気がした。 そうなると良くいう胆経で左右のバランスが崩れるとか本当か?というか本当なんだろうけど本質なのか?とかも思う。 また、筋肉の発達でも一つの指標にはなる気がする。 色々訓練していかなきゃいけないんだけれども、そうなった時日本から和式便所が無くなったことが悔やまれて仕方ない。  

問診

  問診をさせて頂いたが、要点を抑えて聞くことが出来なかった。   まず、主訴もそうだけどもそれがどう原因とリンクしているか。   本来のきっかけであろう可能性が大きいものではなく、枝葉の部分を主訴として来られる事も多々ある。   ただそれだと「ここが痛いから鍼して」というやり方と変わらない。   患者さんからしたら当たり前の話なのだけれども、施術者がそれじゃいけない。   重要であろう情報を汲み取り、そこから時期や広がり方、症状の特徴や進行具合、悪化条件やその他参考になるものも聞いていく。   そこから要点をまとめてパッと先生にお渡しできるぐらいでいい。   他、聞き方としてもクローズドにならない様に気をつけたい。   ありのままの情報を聞き出せないこともそうだし、患者さんの緊張に繋がりそうなものでもある気がする。   また、この間問診させて頂いた人のキッカケを考えても全員がそうなるとは思えない。   背景にある臓腑の状態も考察できそうなものではある。   ただし、弁病論治になれば見落としにつながるので臨床の場では持ってこない様にする必要があると思う。     仮説として置いておき、臨床を重ねて答えを出せる様にストックしておく。   しかし記憶系の問題は日常生活にも支障を来しやすいし、その悩みが続くと別の疾患にもつながるので大変なものだと感じた。     早く治ります様に。