学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

気虚

  先日知り合いの体を見せてもらった。   責任のある立場で頭を使う事が多く、時間や食欲の関係もあり朝食抜きが多い、手首足首が細い、声が小さい、食欲不振、低血圧、真面目など   脈は微かに弦数だけども大きな問題は脈がとても弱い事   舌は辺縁に赤みが見られるが薄く小さく、微かに膩苔が乗る程度   お腹は氣滯もあるが、脾胃を示すところが頼りないのが1番の問題。   太衝、足三里がメインで太谿に軽い反応も気になった。   ここからが自分の課題の本番で、翌日相手の状況を再現してみた。   まずは同じ条件にしてみようと 朝食抜きで16時まで外でひたすら勉強で 頭脳労働+脾胃の弱り   という状態を作ってみた。 腹部は弱々しい感じになり、足三里にも反応が出て、脈も弱々しくなった。   この時、精神状態としては本当に絶望的。 経別が心と直接連絡しているからかな。   相手の立場に立ってみる。 こんな気持ちの時には相手にどう接して欲しい? その時の自分の振る舞いはどうだったか? あの時の相手の体勢は何を意味する?   省みて気をつけるべき点が沢山出てくる。   脾という点から見ても 臓腑経絡学P111 「臨床的にみても、脾の陽気を増す事が如何に重要であるかを示している。脾に陰虚・血虚がほとんどないのはこの為であり、脾の臓を動かす場合は、乾かす事がポイントとなってくる。 漢方薬でも茯苓、白朮をよく使うのはこの為で、穴では足三里が重要になってくる。」   自宅に戻り、食前に足三里に鍼を5分置鍼。   刺した直後にお腹にも変化が出ていました。   食欲、精神ともに上手く戻ったのですが置鍼時間が長かった為か逆上せてくる感覚もあった。   繊細な操作が必要だと思いました。       興味 色んなことを知っていかなければいけない。 体験するのが一番手っ取り早いんだろうなと思います。 色々遊ぼう。   参考資料:臓腑経絡学 アルテミシア  監修 藤本蓮風

中国の思想(05)

老子 六十六章 統治者はへりくだらねばならぬ 江海所以能為百谷王者、以其善下之。 故能為百谷王。 是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。 是以聖人、処上而民不重、処前而民不害。 是以天下楽推而不厭。 以其不争故、天下莫能与之争。 江海のよく百谷の王たるゆえんは、その善くこれに下るをもってなり。 故によく百谷の王たり。 ここをもって民に上たらんと欲すれば、必ず言をもってこれに下り、 民に先んぜんと欲すれば、必ず身をもってこれを後る。 ここをもって聖人は、上に処るも民は重しとせず、前に処るも民は害とせず。 ここをもって天下推すことを楽しみて厭わず。 その争わざるをもっての故に、天下よくこれと争うことなし。 (引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P105~P107) 《私議》 以前、会社員をしていた時は『人・物・金』を管理するのが仕事でした。 その時の上司からよく言われたのが「頭を垂れる稲穂かな」。 経験豊富な年功を積まれた方々の立ち居振る舞いをみて、 内心『流石!』と思う事は本当によくありました。 今は臨床に立っておりますが、患者さんを目の前にして思う事もあり、 繊細さも難しさも感じます。 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店

京都薬用植物園の麻黄

先日、武田薬品工業(株)京都薬用植物園の『初秋の研修会』に行ってまいりました。 東洋医学の理解の為に、漢方の勉強の一環です。 ガイドの案内で植物園を一周します。 管理する研究員の方々は展示に趣向を凝らしていました。 「麻黄は砂漠に生息しているので、砂漠を模したスペースを造園中です」との事。。 『中薬学』などで、麻黄の効能(辛温解表薬・・)などについて書物の中を散策する事はありましたが、その植物の生息環境を考える事はありませんでした。 その気づきを頂いただけでも行った甲斐はあったように思います。 実際には麻黄の種類も豊富で砂漠のみの生息ではないようですが、基本的には乾燥した地域に生息するようです。 ”乾燥した地域に生息し、解表薬となる” この自然環境が導き出した答えに、探求心が沸き起こります。 水の上限で潤いの必要な華蓋に対して、効能のある植物が乾燥した地域に生息し、成分を蓄える・・ 私は中国で砂漠となると、思いつくのがタクラマカン砂漠でした。ゴビ砂漠もあり、砂漠は実際には複数存在します。 解表、皮毛、肺、砂漠・・西?、金の相生⇒水 『五行大義』 金居少陰之位。西方成物之所。物成則凝強。少陰則清冷。故金以強冷為體、従革為性。 現在は『五行大義』をよく読みますが、面白いルールが隠れていうように思えて仕方がありません。 【参考文献】 中薬学(東洋学術出版社) 方剤学(東洋学術出版社) 五行大義(明德出版社)

行動

行動   とにかく相手に合わせながら動く。   ごちゃごちゃ考えず、いい意味で一心不乱に。   流れを止めない。   自分も相手も頭を使った時は空気が止まる。   先週見させて頂いた人の時、時間をかけすぎてしまっていた。   戻り、報告の際受けた時間をかけすぎというご指摘。   術後の反応を探るときはとにかく早く。   見れる見れないは関係なく行った。   何より驚いたのは患者さんの拍子抜けした空気。   「え?終わり?」   言葉にしなくても伝わった。   見れる見れないはこちらの都合。   患者さんには関係のない話。   患者さんのステージの上で見れる様になる。   相手には相手の都合がある。   常にそこを見ずに先はない気がしました。   都合を考えずに触ってしまって申し訳なくなる。   明日の寺子屋。   燃え盛る様なものをいらない。   ただ相手に任せる事を意識してみる。      

肺と皮毛の関係

前回につづいて呼吸に関してまとめてみます。 蔵象として、肺は皮毛との関係が深いとされます。 (皮毛とは体表部のことをいい、 皮膚、および皮膚に付着する豪毛/ほそい毛 などを指す) 『肺は皮毛を主る』 皮毛が潤沢であるかどうかは肺気の機能で決まります。 肺はその宣発の働きを通して、 体の表面に気や栄養を行き渡らすことをしています。 なので正常な状態では、皮膚のキメが細かくて色艶もよく 体には抵抗力があって簡単に風邪を引いたりしません。 そして『肺は体に在っては皮毛に合す』ともいわれます。 この文について “肺は皮毛とリンクしている“ 参考にした書籍では、このようにあらわされていました。 とても分かりやすい表し方だと思いました。 リンクしているー つまり 皮膚もまた肺と共同で(衛気の働きの元で)呼吸ををしている、 ということ。 「呼吸は、宣発・粛降という気の流れを生み出しますが、  宣発という流れは、皮膚の呼吸がなければ完成しない」 考えてみると、とても当たり前のことにも思えるのですが、 そこから、皮膚(つまり体のいちばん外側)の状態という情報のもと、 肺気の働き方をみていく考え方が導かれることに改めて 面白さを感じました。   ____________________________________________ 【参考文献】 『図説東洋医学‹基礎編›』学研 『中医学ってなんだろう』東洋学術出版社 『中医基本用語辞典』東洋学術出版社

脾の運化について

今回は、五臓の脾の働きのひとつ、運化について整理しました。 脾は中焦にあって 気や血を生み出す働きを担う。 脾は運化を主る、と表される。 どのようにして気血を生むのかーそれは毎日の食事を通して行われる 運化の意味はー運ぶこと、変化させること 脾の運化にはざっくりと次のふたつの側面から成る。 飲食物を消化・吸収して得られた水穀の気をからだ全体に運ぶ(運化水穀) そして、飲食物の消化・吸収・運搬を通して、からだ全体の水の流れを調節する(運化水液) 脾が弱ると消化・吸収が正常に行えなくなる、気や血が足りなくなる。 そして、運化水液の働きが弱り、からだに停滞する。 食べることで体が作られ維持される、 それは生きる為の土台になる。 別の視点では、 エネルギーや栄養を運ぶ働きを担う脾胃が元気だからこそ、 そのほかの臓腑もしっかりと働ける。 そして、臓腑や器官に必要な水液が届けられる(排出が行われる) ー「後天の本」「気血生化の源」 肺は呼吸を通して、気という、より軽いものを扱う。 脾は運化を通して、地の気や水液をからだ全体に送り巡らす。 階層は違えど必要不可欠なふたつが、上焦と中焦で働いている。 どのように関わり合いながら機能しているのか、 今後、深めていきたいと思います。 ____________________________________________ 【参考文献】 『中医学ってなんだろう』東洋学術出版社
テントで

硬さ 柔らかさ

診察で 各所の情報が、そもそも検討するのに足る量を拾うことができていない 尺度がない その中で観察した情報をすぐに解釈しようとして、できない(できるはずがない) 切診において相手のからだのいづれか部位に接している時に 触れているその部分だけを見て 情報を取りにいく意識が自分の体も思考も硬くしていることに 先輩のされる様子を見て気付かされる 鍼治療を受ける中で気付かされた 自分が力んでいたことを本当に知るのは体の力が抜けたときだった 能動的に取り組むことと硬さはイコールでないのに そうさせているものは何か (覚え書きとして)

うつ病の第一選択

以前いた職場にはうつ病や心の不安を抱える10〜20代の子たちが沢山いました。 寄り添うことしかできず、相談に乗っている時、背中がふと空虚な感じがして撫でた時、「なんだか安心してスッとしました」と言う子がいました。 鍼灸学校に入り、その場所が身柱穴や神道穴と知りました。 私の背中もそうですが、体表観察でもこの辺りが大きく落ち込んだり、なだらかでない時は気鬱が関連していると思います。 私自身10年前にうつ病になりました。 その頃は鍼灸が治療の第一選択となるとは知らず、抗うつ剤をメインに対処療法として鍼灸治療を受けていました。 なぜ自分がそうなったのか、なぜこんなにもうつ病が多いのか、東洋医学を学びルーツを辿っています。   「脾」=後天の元気を生み出す 「腎」=先天の元気を生み出す とされるが、最終的な生死は「胃の気=脾の臓」によって決まる。 『臓腑経絡学 藤本蓮風著』 つまり、自殺念慮が起きることは、脾が密接に関わるということだと思います。 (五志病機については今勉強中なので、またいずれ…) 【脾胃なるもの、倉廩の官、五味出づ】 五味とは気血化生の源である。臓腑と全身を栄養するエネルギーを輩出する大本。 『臓腑経絡学 藤本蓮風著』   営衛気血を生み出す脾胃の失調すると、あらゆる臓腑に影響し、うつ病や精神疾患においても食欲減退は真気(元気の根本)が作れないということになります。 【脾は四肢を主る】 手足を動かす事で脾胃の働きがよくなる。 逆に脾の働きが弱ってくると手足の働きも鈍ってきたり… 『臓腑経絡学 藤本蓮風著』   気鬱の時は体を動かす=疏肝の効果があると思います。 しかし、気鬱が進み動けなくなるということは臓腑の力も衰弱しており、しっかり治療して脾胃の力を立て直さなくてはなりません。   うつ病の発症基礎は、肝失疏泄による肝気鬱結である。 『「証」の診方・治し方 -実例によるトレーニングと解説-  呉澤森著』 気鬱の病理は肝、心との関係が最も密接である。『中医病因病機学』 とありますが、自殺念慮やうつ病など精神疾患になるまでには、それ相応の時間経過があり、久病になればなる程「生命の根本」に立ち帰らねばならないと思います。 脾を補うに腎を補うにしかず。腎を補うに脾を補うにしかず。 脾の臓が弱っている場合に脾の臓を補う事もいいけれど、同時に命門の火・腎の働きを強化する。 『臓腑経絡学 藤本蓮風著』   生命の根本、脾、腎を立て直すことが重要であると考えます。     今日は寄り添う立場から、治療家になるために、患者さんと接するための大切な心掛けも院長からお話しいただけました。   「うつ病や自殺念慮の治療として、鍼灸治療は第一選択になることができる」 という院長の言葉が心強かったです。 副薬しなくても自分自身の臓腑の力と鍼灸で治せる。 それが1日でも早くスタンダードになるために、私も治療家となるべく多くの人の力になりたいです。

生理物質の色

初めまして、高山将一と言います。 血にはなぜ色が存在するのだろうか。 血というのは脾で水穀、営気、津液から生成されたものであるが 脾で作られた後、心が全身に送ると共に、なぜか心は血に赤色を与えるのである。 なぜ心は血を赤色に染めたのだろうか。 なにか利点があって色をつけたのだろうか。 私の知る生理物質には、他に気や津液、精、神があるがこれらには、色があるのだろうか。 僕が建てた仮説は、これが血であったり、気であったり、津液だよっていうのを全身の組織にわかりやすく受け止めてもらうために 色をつけてるのではないのではと考えた。 津液は涙や、汗、鼻水と考えられているがこれらはそれといった色がなく無色透明である。 でも風邪になると鼻水が黄色くなったりする、これは私たちに今風邪だよっていうのを知らせてくれているのかもしれない だから血にも何かしらの理由があって色をつけているのだと思う。 今の私には気というものは見えないが、もしかしたら気にも色がついているのかもしれない。 イメージ的に気の色は黄金であって欲しい、もしかしたら人によって色が違うかもしれませんね。 もしくは、気には6個の作用ががあるのでそれぞれの作用によって色分けされているかもしれません。 そうなると気が見えるという人たちには人間がレインボーに見えてちょっとおしゃれに見えているかもです。 私が気というもを見える様になったらまた報告したいと思います。

文字・言語

  文字、言語って何なのか。   調べた訳ではないが、集団で行動する為にイメージから共通の認識を言化・文字化したのではないのかな。   つまり「大体こういう意味ですよね」という共通認識を作ることでコミュニケーションを容易にさせているのだと想像。   では、共通言語や文字を持たない相手とは理解し合えないのか。   様子に出るのでそういう訳ではないと思う。   家の猫を見て、 「今かまってほしくないんだな」 「これからこっちくるぞ」 「喜んでるな」 「この空気が好きなんだろうな」   など伝わるものもある。   身体を触らせてもらった時で一番わかる時は包む様に触った時。   その時の自分は柔らかい状態にあると思う。   結局は猫ではなく、人間の治療をする訳だけれども、同じく言語に振り回されず、言葉は通じないものとしてやってみたい。   先日受付で話に出たケータイは怖いですよねと言った話、 「勝手に枠組みを作られて色眼鏡になり、相手を見れなくなる」   その認識とも繋がる気がする。   結局何か情報として伝えられた段階っていうのはわかった気にはなれるけど、わかってないんだと思う。   そこに自分の感覚が乗らないと本当に理解できない。   次の寺子屋は「人ではなく生命現象に触れる」   あれこれ書いたけど、そっちの方が自身をフラットに保てる気がするので、そんな感じでシンプルに切経してみよう。