学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

舌診(05)

受付のTさんに、舌の研究の為にご協力頂きました。 表 裏 舌質 舌神:有神 舌色:暗舌 舌形:痩舌・瘀点・舌下脈絡の怒張と小点 舌苔 苔色:灰黄苔 苔質:薄苔・燥苔

火の神様 

コロナ禍になった頃から、時間を見つけては山歩きに行くようになりました。 私にとって山を歩く事はいろいろ得るものがあります。自然の領域に入る事で何となく心が癒されたり、その時の季節を強く感じることができますし、家に帰ってきた時にクタクタになりながらもある種の達成感をを得ることもできます。 今回は日頃からの運動不足の解消と、下半身を鍛える事が目的の一つです。私が行く山道はそれなりに舗装はされていますが、足元がでこぼこしていて、当然坂道や下り坂だったり、いろんな形の道があるので、身体を上手く使わないと転んだり滑ったりもしないとも限りません。それも山を楽しむ醍醐味です。 疲れにくい歩き方というのが、身体のどこに重心を置くかという事にもつながっているように思います。だんだん山歩きに慣れてくることができたら、身体の使い方も上手くなるのではないかと思っています。 今日は嵐山の方にある愛宕山に行きました。山頂には愛宕神社があり、火伏せ、防火に霊験のある神社として知られています。 今回で3度目の参拝になりますが、なかなか登りがきつく、階段が多い参道なので、毎回登りが多い前半は来てしまった事に後悔します。やはり今回もそんな気分にさせられました。 そんな道ですが、小さなお子様を含む家族連れやご年配の方々なども登っています。 そういう光景を見ては励まされ、なんとか登りきりました。 そして神社に到着し、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれたお札を無事授かることができました。 また来年まで自宅の台所に新しいこのお札を貼っておきます。

症状の記録

記録/9月22日午前 食後数分で胃のあたりがキュウと縮こまるように詰まる感じが苦しい。程度は強め。 座っているより楽なので横になっていると、 足の裏が熱くて気持ちが落ち着かず、やたら口渇感を覚えた。 昨夜はまるで嵐のようだったと思い返しながら軽めに済ませた朝食、 そのすぐ後で同じような胃脘部の苦しさに見舞われてまたかと驚く。 舌体紅、白膩苔、舌先に点刺、舌辺に歯痕あり。 脈は弦、やや数(普段との違いが感じ取れていないだけの可能性が高い) 20日の夕食にめずらしく焼肉を腹一杯頂いた。 からだは対応に追われているのかとも知れない。 食滞胃脘。ベースに脾腎の虚があり? 足底の熱感と同時に表れた口渇がかなり顕著だったこと 自分の舌であまり見ない紅色の舌を観察したこと

不問診断学

「不問診断学でいきましょうかー」 突然の下野先生のひと言に??? 望聞問切の「問」を省くということだそうです。 思い返すと… 短時間で何人もの患者さんを診ておられる下野先生は、必要なことを聞いて日頃から不問診断に近いことをされているのかなと思います。 私がやってることは、望聞問切の「問」だけです。 問診の場に色々と引き出そうと、長くなってしまいます。 それは、やはり私の中で切経と病因病機が紐付けされていないから、問診に頼りたくなるのだろうなと思います。 でも、問診しても取捨選択できないし、 果たしてそこまで必要なんか? 「頭痛」といわれて、 頭痛の病因を見てもあまりにもいっぱいで、 え?肝火かな?脾虚かな? とかあれこれ考えるから混乱。 「難聴」「目が痛い」「鼻水」… 聞けば聴くほどいっぱい症状が出てきて、 全部調べたところで、パズルのピースみたいにピタッとはまるまで何時間もかけて、結局辻褄が合わず答えも出ず…あ、こりゃ私の身がもたへん。 何週間か前に下野先生が仰っていた 「近所だし」という言葉が今となってジワジワ来ます。 それなら、もっと大きく捉えて、清竅に行き渡らない生理学を調べた方がシンプルではないのかな?   患者さんには申し訳ないけれど、 「あ、はい、頭痛ですか」 と、サラッと通り過ぎて行った方が良いのかもしれません。 まだ1回だけですが、不問診断学、やってみると面白いですね。 今の私は聞いてもわかんないんだし、 聞いたとて結局自己満足なのかもしれません。   ○ 写真のこと ヒレンジャク GW、実家でBBQをしていたら聞き慣れない鳥の声。 日本にいるのは冬で個体数は少なく、とても珍しい鳥だそうです。

夏越祓

毎年この時期になると、家のポストに上の写真にある封筒が入ります。 封筒の裏には 夏は暑気のため、ともすると心身ともに緩みが生じます。 その心の隙に乗じて、伝染病が流行ったり、心身衰惰の結果、職場で思わぬケガや災害等に襲われます。また、お子様の海水浴など、毎年水の犠牲も少なくありません。こういう事は全て一括して神道では穢(けがれ)の現れと申しております。 この穢を祓うために神に詣でて、ご守護を願うのが夏越の祓、または夏越の祭りといい、後に略して夏祭りと言うようになりました。 この袋の中に入れてある人形(ひとがた)は、私どもの身代わりとして、知らず知らずに犯した罪や穢を払い清々しい心身に清めてくれる「呪符」の役目を果たしてくれるものですありますから、来る7月9日、10日の輪くぐり夏越し祭りに、当日この人形に年齢、姓名を書いて、神社へご持参ください。 また、古来の慣例に依り社頭には芽の輪が作ってありますから、これをくぐってこの夏を無病息災に過ごしてください。 とあります。 面白い風習です。 この人形に自分の身体についた穢れをあちこちを撫でて移し、最後に息を吹きかけて、心の穢れと合わせて自分の身代わりになってもらう。 段々こういったことも、真剣に信じるようになってきました。 そして、こちらの神社にも「茅の輪」も設置してくれています。 これをくぐれば心身ともにキレイになると同時に、悪霊退散・疫病退散といった効果がある とのことです。 「茅(ちがや)」はイネ科の植物で、葉先が尖っていて「茅」に似ているため、茅は悪霊を取り除くとされていたことが背景にあるそうです。 尖っているものとしては、鍼灸で使う鍼もまさしく尖っているものの何者でもありません。 今日はちょうど日曜日なので、参拝できそうです。

気づかない

自宅にて。 大きな雷が鳴った。 何か考えている時、ここにきちんと注意を向けれていただろうか。 換気扇の音、記事を書くときのパソコンの冷たさ、椅子の座り心地、耳鳴り。 見落としていたものばかりです。

湧く泉

最近、母親に鍼をしています。 体表観察の練習に観させてもらってるうちに、ちょっと打っておこうかなと選んだツボが湧泉でした。足裏にあるので普通は他人に打つのには躊躇しがちなツボかと思いますが、そこは家族なので変な遠慮もありませんでした。本人も痛くないとも言っているので、実家に寄った時にはお決まりのように打っています。 何年も前から、母親から足の異常は聞いていて、足の裏から指先にかけて痺れた感じがあり、本人にとってかなり気持ちが悪く気になっているみたいでした。病院で診てもらったことがありましたが、特に異常はないと言われて治療はされなかったようです。ひどい時には指先が赤く腫れた感じになったり見た目の変化も現れるとも言っていました。 私としては、老化が原因で足の屈筋支帯のような神経の通るトンネルがダメになって神経を圧迫して痺れてるのかな?と漠然と想像していました。だからもう治らないのでは?と。 そしたら一回打ったあと、また打って欲しいとお願いしてきました。 本人曰く、鍼を一回打った翌日に何だか足の裏の感覚がいつもと違ったようで、歩いていても足裏の感覚が良くなってる感じがしたそうです。それは回を重ねるごとに改善していると今は喜んでいます。足の甲の氷を載せたような冷えも取れたとも言っています。 湧泉 本穴は足心に位置する腎経の井穴であり、脈気が湧き出す処であるため、湧泉と命名された。 ~鍼灸学 東洋学術出版社~ 湧泉にそんな力があるんでしょうか。    

切経と艾

原穴診を学び始めました。 お腹や背中と違って凸凹だらけで場所も狭く、 上肢や身体の使い方ももっと工夫しなくちゃいけません。 ついつい手が硬くなります。 寺子屋先で練習しているときも、 指がピッタリはまった時は、 何と表現すれば良いのかわからないけど、 穴にも奥行きや方向のようなものがあり、 立体的に捉えることができました。 この景色が何を意味するのか? この方向に鍼をしたらどうなるんやろ? 疑問が生まれ、発見がある度に好奇心が湧きます。   先日、学校で失眠穴にお灸をしていた時に、 患者さんの踵に対面する状態で艾炷を据えると とてもやりにくいのです。 手の背屈位で可動域が狭く力が入ります。 どう頑張っても踵に艾炷を垂直に据えられません。 「場所変えて据えてみたらどうや」 と先生からアドバイスをいただき、 患者さんの左側に立って据えると良いとわかりました。 切経でも手や腕の可動域を考慮し、流れるように優雅に、疲れないやり方を見つけることも課題です。 どんな面に対しても艾炷を垂直に立てられるようになることは切経にも繋がりそうです。   さて、昨日は豊中院に行き、原穴診をさせていただきました。 太衝を触るとくすぐったいと患者さんが仰りました。 お腹はくすぐったいことがあっても、 足の甲は初めて聞きました。 「手が重たいのかもしれませんね」と新川先生。 姿勢や力加減、色々と課題を見つけることができました。 腹診、背候診、脈診、原穴診も別々のものとしてしか捉えることができませんが、 「積み重ねていくことで、別々だったものも一連の流れが診えてくるようになりますよ!」 と新川先生が仰りました。 今はあれもこれもと情報が錯綜し、 楽しいけれど時たま不安になります。 様々な先生の治療を見学させてもらい、 お話しを聞くことができる環境、 寺子屋で皆で学び共有できる環境は 本当に恵まれていると思います。 切経の勉強と共に、今までとは違った視点で艾を捻り艾炷を立てながら臨床に向けて積み重ねていこうと思います。

皮膚と内臓

=========================== 2021/09/18 『皮膚と内臓』 内熱を存在を示すものと考えていた、ある患者さんの上背部で観察された毛穴の広がり。その範囲では肌質も乾燥度合いが顕著にあった。 今日見せてもらったときには、毛穴は開いておらず、元より開いてなかったところと比べると「閉じた」跡が確かに見てとれる。 患者は、以前はしきりに訴えていた胃脘部から食道上部にかかる、突き上げるような気持ち悪さを今は訴えない。皮膚が内臓の状態を反映していることを再認識する。 =========================== 2021/09/19 『考察の材料として』 川を運航する水上バス ー 通過する際におこした波が川岸に到達し、また返して複雑な波紋を生む。分岐する右手の水路に向けて舵を切り船が消えていった後しばらくの間観察された。 空気の流れが目にみえたならー =========================== 2021/09/20 『怒』 「怒」に振り回されている、とまでいかなくても適切に取り扱うことができていない人は自分も含めて多数あると感じる。治療中にからだの内に静かにおさまっている感覚を知る、その時間を経験することだけでも価値があると感じている。怒気に振り回されない自分、またはありのままを見るのにつながるのかも知れない。 =========================== 2021/09/21 『思い込み』 自分が鍼を受けているときには、中から感じる動きがめまぐるしくて、その感じをどのようにして察知されているのか不思議で仕方なかった。でも、今日そのほんの一端を今日見せて頂いた。 短時間で下腿の浮腫がすっきりとしていく。そのエリアが広がっていく。形に表れるのは時間がかかる、という思い込みが浮きあがって軽くなった。(そういえば初めてのことではなかった、数年前にも見せてもらっていたのだったと後から思いだされた。) =========================== 2021/09/22 『舌の変化』 先日、ある患者さんの舌状で、それまで見られなかった苔が初めて見られるようになった様を観察したことにを記した。その後の展開として、苔が同じエリアにまずは定着していくこと、つまり緩やかな変化を前提にイメージしていた。 今週は、舌体一面に広く薄白苔がみられ、(内熱の反映と考えられる)紅絳舌だったのが、薄紅の部分が主だってみられるようになった。ずっと同じような舌状だったのが、こんなに変化を見せるものなのか。

中国の思想(02)

老子 八章 水にまなべ 上善若水。 水善利万物而不争、処衆人之所悪。 故幾於道。 居善地、心善渕、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。 夫唯不争、故無尤。 上善は水のごとし。 水はよく万物を利して争わず、衆人は悪なる所におる。 故に道にちかし。 居は地に善し、心は渕に善し、与は仁に善し、言は信に善し、正は治に善し、事は能に善し、動は時に善し。 夫れただ争わず、故にとが無し。 上善は水のごとし 「水は方円の器に随う」といい、「行雲流水」という。 いずれも水の流動してやまぬところをひいてのたとえだが、 老子は水にダイナミックな「不争の徳」を象徴させた。流動するからこそ力をもつのである。 (引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P42) 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店