最近わかってきたこと。
毎週、先生方々から治療を受けるのですが、
どういう手順で治療を行っていくのかが少しずつわかってきました。
脈や舌、腹を見て人の状態を知り、そしてその人の身体の状態を理解する。
そして、弁証を立てる。しかし、弁証を立てるだけでは終わらない。
その病機の原因を探す。
表面上の治療で終わらせてはいけない。根本的な原因を見つける。
ここが肝であり、難しいところ。
これは下野先生がよくおっしゃってくださります。
これができるかできないかで治療のレベルが大きく。変わるような気がします。
林先生が言う「美しく治す」の一つの要素だと思います。
この病機の真意を理解するのは、合理、論理力と直感力の賜であるような気がします。
本に書いてある机上論だけでは培われない。
臨床の技術だけでは培われない。
直感だけでは、確信することができない。
これら全てが培われて、臨床で発揮できる感じがします。
まだまだひよっこですが、今のうちから意識し、臨床に立って本当の治療ができるよう励みます。
周囲
気をどこに使うか。
それも一つの自分の課題な気がした。
受付の時も自分は必要以上に気を分散させてしまっている気がする。
そんな事に気を取られている場合ではない。
周りと自分の境界線を考え直さなきゃいけないと思った。
それが自分の心のありようも繋がってくると思う。
いかに無駄を省けるか。
でもそこに無駄を省くための作為が生じない様にしたい。
また精神状態の変化と手の感覚の変化を追っていても勉強になっている。
どんな時でも手を含め何かを感じる事は忘れない様にしたい。
その為にもっと心を柔らかい状態に保たなければなとも思う。
色は気の外見
ただいま難経の解説書を読んでいます。印象に残ったところをまとめてみました。
『難経鉄鑑』第一三難
顔面は「五臓の精華の府」である。
五臓はそれぞれ五行の色を具えている。
その色の変化は全て顔色に現れる。
顔面は正陽の場所であり、人身の上部にある。諸気は陽に属して上達するため顔面に集まる。
人身の気が外に現れたものを色と言う。
「色は気の外見」
気は陽に属し、動き回って一定の状態を保つことがないので顔色は良く変化する。
血は陰に属し、一定の状態を守る。
顔面の色が次々に変化していくのとは異なり、脈の場合は一定の決まりを述べることができる。このことが(難経)で脈の一定の部位を設けている理由である。
しかし、気の中にも血があり、血の中にも気があるため、気は色を主って脈を兼ね、血は脈を主って気を兼ねると考えるのが妥当である。
『難経鉄鑑』第一三難 たにぐち書店より引用
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読み返してみると、なるほど、納得な情報がいっぱいです。もっと望診を磨かなければと思いました。色と脈は連動しているんですね。
『舌鑑弁正 訳釈』より紅舌を学ぶ。
こんにちは稲垣です。
『舌鑑弁正 訳釈』の”紅舌総論”より学びます。
・・痩人多火、偏於実熱、医者拘於外貌、輒指為虛、
誤服温補、灼傷真陰、域誤服滋補
(名為滋陰降火、実則膩渋酸歛膠粘、実熱、引入陰分)、
漸耗真陰、亦成絳舌、而為陰虛難療矣
(其初必有黄苔、医者不知、久之内傷己甚、不能顕苔、而変絳色矣。
凡陰虛火旺之病、自生者極少、多由医家誤用補薬逼成也)。
不論病状如何、見絳舌則不吉。・・
(引用:『舌鑑弁正 訳釈』P221~222)
・・痩せた人は火が多く、実熱に偏る、医者は外見にとらわれ、痩せていれば虛とする、
誤って温補を服用し、心陰を焼き傷る、誤って慈補を服用
(滋陰降火という、実すれば則ち膩渋酸歛膠粘、実熱、陰分に引き入れる)
真陰が次第に消耗、また絳舌となる、陰虚が治り難くなる
(初めは必ず黄苔、医者は知らず、時と共に内傷が甚だしくなり、苔が目立たぬまま、絳色となる。
陰虚火旺の病、自らそうなるものは極めて少なし、多くは医家の補薬の誤用によるもの)。
病状がどうあれ、絳舌は則ち吉ならず。・・
実際の臨床に立たせて頂いて、感じることの一つに
下焦の邪が強い患者さんが少なからず居られ、
その下焦をいかにクリーニング出来るかが重要に思えるケース。
補瀉の取り扱いは極めて慎重であるべきだと思いました。
鍼灸学校においては腎に実証はないと教育されますが。。
経験を積み考察を深めたいと思います。
今回は黄苔の存否などは分かりやすいと思えました。
【参考文献】
『舌鑑弁正 訳釈』たにぐち書店
新しい年
ようやくこの本が手に入りました。
このシリーズの傷寒論はもう読みました。
とても読みやすいです。でもどの本でもそうですが、一度読んだだけではあまり自分の知識に落とし込めません。何度も読み返すのが理想なんでしょうが、気になる他の本もたくさんあって辛いところです。
いつも朝の起床時に1時間ほど自習をしています。寺子屋でお世話になり始めてからの習慣になりました。自分なりに気に入っている習慣です。
これで更に帰宅後の夜にも自習の時間を作りたいのですが、身体の電池切れでなかなか習慣になりませんでした。
今年も新しい年が始まりました。また日々の生活を見直しつつ過ごして、新しい発見を楽しみたいと思います。
色々
ブログ
自分のこと長い!
めんどくさいので頭を使いながらシンプルにやることをやれ!!
以上!!!!!!!!
そんなんばっかしてたら卑屈になるぞ!!
鳥山明さん
ドラゴンボールも連載のとき、連載が辛いので終わった時大喜びしていたそう。
元々小さい頃から絵を描くのが好きで、就職先も絵が描けない仕事場に回されると退職するほどだったけどそうなるんだな。
仕事は楽しいだけじゃできない。
人にうまく会話を返せる人
会話をしていて面白い人は自分で喋るのが上手い。
色んな話を出来るから、相手が話を振ってきても喋れる。
元々が受け身ではない。
でも合わせる。
男坂
自分に足りないものを求めてネカフェへ。
そこで出会った本。
「男坂」
漫画の冒頭での挨拶も面白い。
いい本でした。
流れ
堰き止められた川が開放されるような感覚は初めてでした。
とてもシンプルなことなんだなぁ…
と治療を受けた後はいつも思うのに、本を読んでいる時は一言一句に目が止まって、中々前に進めない。
わざわざ自分でダムを作っているんだなと思う。
しゃべる訓練など
しゃべる訓練
しゃべる訓練として自分語りをします。
先日一鍼堂で「なぜ鍼灸師になろうと思ったのか」と言った話を先生とした。
その時にお伝えした内容ですが、それよりもっと前になぜ医療をやりたいのかと言った問答が自分の中にあった。
大学生一回生の時、情報基礎倫理の授業で
「グラスに入った水が半分残っています。
これをどう考えますか?」
と言ったテーマで講師が話していた。
その問いに対して
「残り半分もある」
「残り半分しかない」
どう捉えましたか?
と言った内容だった。
話を聞いていて、ふと陰陽の考え方がよぎった。
グラスには水の入った部分もあれば空の部分もある。
全てには逆の側面がある。
もちろんその先もあるが、ほとんどの事象はそう。
世間一般の良いや悪いの評価に対して
何でお前らに決められなあかんねん、と疑問を抱いていた中で出会ったそんな考え方。
自分の中にドカーン!と言った感覚があって、その日の学校の帰りは見るもの全ての逆の側面を見るようにしていた。
東洋医学の中にある考えの一つに触れ、それが何なのか知ってみたくなった。
何となくですが、その先に自分みたいなしんどい人が救われる未来があるのかなと医療人を目指したような気がします。
過去に囚われるのは良くありませんし、そこに縛られている訳でもありませんが、先へ進む為にもいい振り返り方はありかなと感じた。
カフェにて
老子を読んでいて、ボーッとしながらふと周りの景色が入ってきた。
その時に大きく飾られていた世界地図を見た。
ありきたりな感想ですが、
「日本って小さいなぁ」
そう思いました。
この狭い国の中でさらに狭いコミュニティに縛られる必要はない。
もっと広く、大きなものを。
世界地図だって宇宙を含めたらまだまだ狭い。
どこまでも伸び伸びと。
思い浮かんだ逍遥という言葉。
単語としては一番好きかもしれません。
何も抱かない
何か不満が募る。
そこは出した方がいいかもしれない。
でも、そこを抱かない事が一番大切。
最初からなければ何も生まれない。
何に焦点を当てて生きていくか。
スッキリした人間でありたい。
腹部と経穴
習った腹部のエリアと経穴を一致させるために、心経の穴のみをを軽く刺した。
刺した後に感じる腹部の変化。
変化を感じる事ができて良かったです。
短気
11月は鍼灸学校の定期試験があったため、ブログをお休みしていました。
無事試験が終わり、クリスマスや年末で浮かれた気分になり勉強がおろそかになりそうのですが、
あと1年ちょっとで国試も控えているかとおもうと、気を引き締めないといけないなぁと感じる今日このごろです。
最近は年のせいか1年があっという間に感じます。
先日、学校の東洋医学の授業だったか本で読んだかで、「短気」という言葉が出てきて、
気が短く怒りっぽいという意味で捉えていたので、なんか意味が合わないなと思い調べてみたら
短気は“呼吸が浅く、深い呼吸ができない状態”(中国医学辞典 基礎編 陳 有昭 編著 p477より引用)
中医学では短気は息切れという意味なんですね。
怒りっぽくなっているときは呼吸も浅くなっているだろうし、短気はどちらの意味にしろ体によろしくないですね。
「短気は損気」を肝に命じて、イライラしないよう気をつけます。
先々週の施術で
水分穴の少し右だったように思う。(今も反応あり)
刺入深度は1ミリか2ミリか。
置鍼開始して少しして、
息がうまく吸えていないことに気づく。
吐くことはできている。
入ってこない、がそのことに特に不安はない。
数分して抜鍼の後、それまでの状態をはずみに
誘いこまれるようにからだにもたらされた深い呼吸と何か。
横隔膜の動きが抑制されていたのか。
これも穴性のひとつにあたるのか。
他の方においても似た作用をもたらすのか。















