仮説を立てる
臨床に出てから数ヶ月。
最早何を読んだらいいか分からなくなってしまいました。
先週、寺子屋で、一度も手に触れたことのない四診の本を読んでみました。
今は思い出せませんが、何冊か読んだ脈診の本ではこの表現あったかな?と…
表現は様々でだけど、同じような事を言っているのか。
然程期待もせず手にした本だったのですが、
今の私には簡便で不思議とスルスル入る内容でした。
臨床に出なかったら、すんなり入ってこなかったかもしれません。
脈を診ることはこういう事か?
自分の中で仮説を立てながら色々と試していこうと思います。
院長の治療を受けて(平成30年12月)
院長の治療を受けております。
【主訴】
背中の痛み(肩甲骨内側と下部周辺の張痛)と
慢性腰痛(痛みは軽微で動作開始時痛)。
出来るだけ、些細な変化も記憶に留めておきたいと思い、身体の全体を観察します。
治療に関しての全てが”学び”です。
問診での着目するポイント、
舌など望診における情報をキャッチする速さ、
繊細でありながら落ち着いている切診の感覚。
そして、治療。
背中の痛み関しては即座に無くなります。
腰部の痛みについては、
朝の起きる際やソファーに長時間座った後などのスターティングペインなので、
この時には変化は分らなかったですが、効果は翌朝に十分感じ取れました。
伝えはしたものの、後回しでも良いと考えていた膝の痛みも同時に無くなります。
結果、
嘘のように無くなっています。
鍼を受けて寝ている際に、身体に集中すると
手指の末端がピクピクし、腹部も微妙に内部が動くのを感じます。
刺鍼と、この感覚。結果を思うと、
身体を巡る気血や臓腑からの学術と臨床の関係を感じるに十分です。
日頃学ぶ東洋医学の論理を目の当たりに体感できた素晴らしい時間です。
『開業以来、鍼一本。』
この”鍼一本”の可能性の楽しさを見せて頂いたように思います。
花筏
桜も終わりかけの頃、
普段通らない川沿いを自転車でひた走っていた時、
川面を見てあらっと思わず自転車を停めて撮影しました。
川を堰き止めて川面は花びらで埋め尽くされています。
古い桜は徐々に褐色と化し、
グラデーションになっています。
もう、見ていてゾワゾワ〜っとしました。
(悪い意味で)
「人の気道はうまく通じるのにこしたことはない。
うまく通じれば津液は流通し
まず痰飲の病が起きることはない。
しかし一旦不調になれば
気道は塞がり、膈の上に集まって痰をつくる」
これだけ溜まった桜の花びらが
逆流したり、四方八方に飛散していけば
小さな穴や細い通常に
容易く入り込んで塞いで
またまた不通を起こして
大変なことになりますね。
水面の桜は流れているから良いんです。
参考文献
「中医病因病機学」 東洋学術出版
舌の考察 2023/12/13
難経は54難まで進みました。
本当はもっと進んでいるべきだったのですが、年末になってくると、いろいろと用事ができたり、雑用が増えたりと今での生活リズムが変則してしまってます。
本来は難経は今年中に終わらせる予定でしたが、このままだと来年にまでずれ込みそうです。でも変にあっせて雑に済ませるよりは、しっかり向き合って終えた方がいいので、気にしないようにします。
以下、今週の舌です。
ちょうど生理前だったで、顎周りにまた吹き出物が出始めています。いつもに比べて寝汗も多少気になるようになってきました。舌の苔は先週よりは厚みが減りました。その分点刺の広がりがあるようにも見えます。腰も立ち仕事が長くなると重だるい感じでしたが、下野先生の治療後はお陰様でなくなりました。
先週の舌の状態に比べると、締まり感が薄れ、緩んだぽってりとした舌になっています。そのせいか歯痕もやや大きいように見えます。苔も少し厚くなりつつある様です。
本人曰く、いろいろお疲れだったようで、上唇にヘルペスの痕が見られます。
以前に見させていただいた時より、裂絞が深い感じで、舌自体も乾燥している様に見えます。一時的な陰液不足で慢性化はしていません。
溝か裂か
「舌正中溝のみに溝があるものは正常、舌正中溝以外の部位に溝や裂け目が見られる際に裂紋舌とする。」
と教科書にある。
では、正中上に一部分、ビリっと破けたような、正中溝より横幅が大きいものはどう見立てたらよいのだろうか。
教科書的には裂紋舌と呼ばないが、「溝」より「裂」の表現に近いと思う。
舌診の本では、裂紋舌の写真は、亀裂が無数に走る物が掲載されていることが多いが、そればかりではないのかもしれない。
■ 文献引用『新版 東洋医学概論』第6版 p.208,公益社団法人 東洋療法学校協会 編,教科書検討小委員会 著
夙川にて
図書館、公民館など、外で勉強する事が殆どです。
好きな場所で、夙川沿いの静かなところに”西宮市立中央図書館”があります。
休憩に川沿いで新鮮な空気を吸うのですが、ふと思い出した事がありましたので。
以前に、六甲山からの鉄砲水で犠牲者が出たことがありました。
その時に『山上が曇れば大蛇が通る』という伝承を知ります。
古人が鉄砲水を大蛇に例えて後世に伝えやすくしたのだと思います。
それをきっかけとして、スサノオノミコトがヤマタノオロチ退治を
”治水対策の比喩”であるとの仮説にも出会う事になりました。
クラスメイトが話の中で「東洋医学=スピリチュアル」との認識に違和感を覚えたのを覚えています。
東洋医学を学ぶという事は災害の地に建つ石碑のように、
古人が未来へ向けた思いに耳を傾ける事のように思います。
とか、思い出しながら国家試験に向けての勉強の年末です。
流れ
堰き止められた川が開放されるような感覚は初めてでした。
とてもシンプルなことなんだなぁ…
と治療を受けた後はいつも思うのに、本を読んでいる時は一言一句に目が止まって、中々前に進めない。
わざわざ自分でダムを作っているんだなと思う。
側・舌
側
豊中院で先生の身体をみさせて頂いた。
先日寺子屋でここを見といてくださいと言われた部分に反応があった。
中に差し込んでいる様な形。
背候診の時もついでに触って様子を伺う。
停滞している印象。
少陽枢機不利が原因かと思った。
舌
今日患者さんの問診、切経などさせて頂いた。
その患者さんを含めて思う事。
舌を見て、
「子供の様な舌だな。」
と思う方がちらほらいる。
このあたりは持って生まれたものではなく、臓腑の現れ方として共通するものがあると思う。
水の溢れ方も特徴的。
脈診の勉強を通して
1年性のとき、学校の先輩に脈を診てもらったときのこと。
「(臓腑の)○○が弱ってる•••その上○○で○○やからこれはしんどいな」
現在と比べても、更にちんぷんかんぷんだった中医学の理論を
ペラペラと展開されて、体調を心配してくれている様だったけど
何かこう「決めつけ」「レッテル貼り」をされたように感じて
ムッとした記憶があります。
つい先日、学校の授業中あるベテランの先生に脈を診てもらったときに
「脾も弱いけど食べる力はあるね」などの言葉に
そんなことまで分かるものなんだなあとの感想を抱く。
似た様な状況なのに、受け取ったものが全然違ったことに気がついた。
そして今回、1年性の時の感情には、自分よりも知識を持っている
先輩に対する嫉妬の様なものがあったのだと見返すきっかけに。
脈診の勉強はなかなか思うようには進展しなくて、
初学者の仲間とはいつも頭を抱えていますが、
経験不足で分からないなりに少しずつ見えているものも
あるのかも知れないと思えました。ありがたいです。
血の色は赤い
血液の赤色はどっからきているのか?
西洋学的に考えると赤血球に含まれるヘモグロビンの色だと学校で習いました。
ヘモグロビンは鉄(ヘム)とタンパク質(グロビン)が結びついたもので、この鉄が赤色素を持っているためです。
いっぽう、東洋医学的にはどうなのかというと話が複雑になります。
血は水穀の精微と腎精から化生される とあります。
二通りのパターンがあるようです。
パターン ①
飲食物が脾胃の運化を受けて水穀の精微に転化したのち、営気によって脈中に滲注し、肺に上輸されて清気と合するとともに心火(心陽)の温煦を受けて赤く変化し血となる。
つまり消化管で得られたエネルギーの素みたいなものを肺と心まで運び上げた後に、心のパワーで温められてようやく赤く変化するらしいのです。それまでは無色なのでしょうか?
パターン②
腎精化血であり、腎陽の温煦により腎精が血に転化して脈中に入る。
この書き方だと腎の温煦でも赤くさせるのかがハッキリしません。でもきっと心と同じように温煦パワーで赤い血になっているのでしょう。
そういえば西洋学的に腎臓から産生・放出されるエリスロポエチンというホルモンが、骨髄での赤血球を産生を日々促しつづけているので、ここでは怖いほどシンクロしていますね。
因みに、エビやタコは青色の血(銅の色)、植物は緑色の葉緑素(マグネシウムの色)だそうです。
(基礎中医学 神戸中医学研究会 p19参照)
















