四診(1)
四診とは、望診・聞診・問診・切診からなる4つの診察法の総称である。
四診法
①望診(神技):術者の視覚を通じて病態を診察する方法
②聞診(聖技):術者の術者の聴覚・嗅覚を通じて病態を診察する方法
③問診(工技):患者との対話を通じて病態を診察する方法
④切診(巧技):術者の触覚を通じて病態を診察する方法
望診
望診は、視覚的に観察することにより心身の状態を知る診察法である。患者の神・色・形・態の観察を基本とし、身体全体や局所の状態、分泌物・排泄物や舌象などを視覚的に観察する。
望診は、患者に対する第一印象から始まり、問診や切診の際にもあわせて行われる。
聞診
聞診は、聴覚と臭覚により患者の身体から発する音と臭いを聞き、心身の状態を知る診察法である。
患者から聞く音として発語時の音声、呼吸音やその他異常音がある。そのうち、音声を聞くことで診察することを声診という。
臭いには体臭、口臭、排泄物・分泌物の臭いなどがあり、臭いのことを気味という。
聞診は問診を行なっている際にあわせて行われ、術者が直接確認できないものは問診により患者に尋ねて確認する。
問診
問診は患者やその付き添いの者に質問し、対話によって得られた情報から心身の状態を知る診察法であり、弁証に必要な情報を収集するために行うものである。
問診では、まず患者の主訴について確認し、それに関連する事項を掘り下げながら質問し、情報を集める。
東洋医学では各種病因により気血津液・経絡・臓腑に虚実・寒熱といった変動が起こり、その結果、各種の愁訴が発生したものと考えるため、各種愁訴を全身的な病態と関連づけて推察することが重要である。そこで患者本人が主訴と関連のないように思っている全身症状や生活状況などについても確認する。
東洋医学的な問診の内容をまとめたものに、『景岳全書』(張介賓、1640年)の「十問歌」がある。この「十問歌」を参考に各項目について問診を行なう。
問診において、受容・共感的態度、傾聴的態度は患者との良好な信頼関係の構築に重要であり、信頼関係が得られているか否かは治療効果や患者の治療継続の意思などに影響する。
問診時には、状況に応じて患者の表情や仕草、動作などの望診、音声や口臭などの聞診、脈診などの切診もあわせて行う。
切診
切診は、手指や手掌を直接患者の身体各部に触れ、術者の触覚や患者が術者に触れられた際に感じた感覚により心身の状態を診る診察法で、腹診、切診、経穴診、脈診などが含まれる。
切診は、触れる、撫でる、擦る、押す、摘まむなどして得られる反応を病態推察の材料とし、反応点を治療点としても考慮する。
★
先輩の先生と共に、病室に入らせてもらい、患者さんとの四診の場を共有させて頂いております。
実際に患者さんが発する情報をメモし、病証把握や仮想の治療を考えたりしておりますが、自分でも緩いところが多いと痛感しております。
そんな中でも、鍼を打った後から暫くし、先生が「いかがですか?」と患者さんの様子を伺う際に、微妙に変化を感じれる時があり、貴重な時間を頂いております。診療に来られた時と帰る際との変化、顔色や目の表情、舌の様子、声色・・
患者さんの変化を頭の中で情報処理にはまだまだ時間を要しますが、前進して参りたいと思います。
【参考文献】
『新版 東洋医学概論』医道の日本社
舌診(08)
治療家のT先生に舌の研究の為にご協力頂きました。
舌を撮影させて頂く時は、
念のために表だけで2枚、裏だけで2枚撮影します。
色調の違いを考えて今回はこの画像を選択しました。
表
裏
舌質
淡白舌
嫰・点刺・歯痕
舌苔
白苔
全体・薄苔
仕事終わりに撮影をさせて頂こうかと思っておりましたが、
時間がありましたので、業務の前に撮らせて頂きました。
舌尖の紅が痛々しいですが、”朝” というのも要因の一つかと思います。
裂紋が出来てからかなりの時間が経過しているのかと思います。
T先生の舌は昨年より診させていただいておりますが、
瘀斑の境目が緩やかに感じます。
状況により変化があるのでしょうが、
安定している好転反応を感じます。
手を作る
近頃、切経を学んでいると、
高校でやっていたことに似ているなと思う。
デッサンでひたすら軽く腕を動かし、
極々白に近い灰色を描く練習をしていた。
ティッシュ、木、石、レンガ、瓶、おたま、布、長靴、林檎、ハンマー、フランスパン…
描きながらモチーフを執拗なくらい触って
寒熱燥湿軽重硬柔、形状や密度、奥行きを
手に染み込ませた。
なぜその形になったのか、
なぜそんな手触りなのか、
考えながら描いていた。
デッサンなんか修行みたいで好かんと思っていたけれど、段々と瞑想チックな面白いゾーンになってくる。
意識の持っていき方が
望経や切経もよく似ているのかもしれない。
でも、人体デッサンでは、モデルさんの身体に直接触れることは御法度だった。
鍼灸学校に入学するまで人体の感触は未知のゾーン。
鍼灸学校に入学した頃、
ある先生が「手を作りなさい」と仰った。
身体を切経していると色んな感触に出会う。
「あなたの肌肉は硬いね」
とある先生が仰り、初めて自分の肌は硬いのかぁと自覚した。
他の先生は、
「キメが細かいからあなたは感受性が高いね」「乾燥しているね」
と仰った。
なぜ、そんな風になるのか、
東洋医学を勉強し始めてから少し見えてきたと思う。
〇〇さんはプラスチックみたいやなぁ
〇〇さんは部分的に紙みたいなところがあるなぁ…
〇〇さんはお腹だけ黄色いなぁ…
肌肉の感触や色を捉えることに注力してみると、何が悪いかよくわからないけど、
直感的におや?っと思うことがある。
そして、似たような身体に出会うことがある。
共通する何かがあるのかもしれない。
ある日、TVで地形の成立ちみたいなものを観て、
肌肉=土なんだし、身体も地形みたいなものがあるのかもしれないなぁ…
と思うようになってきた。
下野先生も、身体を大きく地形を捉えてみるのも良いですよ、と教えてくださった。
身体は面白い。
なぜこんな形になるのか?
なぜこんな感触なのか?
そこまで書いてる本はあるのかな?
あれば興味があるけど、
手を作りながら自分で考えていくのも面白そうだ。
しゃべる訓練など
しゃべる訓練
しゃべる訓練として自分語りをします。
先日一鍼堂で「なぜ鍼灸師になろうと思ったのか」と言った話を先生とした。
その時にお伝えした内容ですが、それよりもっと前になぜ医療をやりたいのかと言った問答が自分の中にあった。
大学生一回生の時、情報基礎倫理の授業で
「グラスに入った水が半分残っています。
これをどう考えますか?」
と言ったテーマで講師が話していた。
その問いに対して
「残り半分もある」
「残り半分しかない」
どう捉えましたか?
と言った内容だった。
話を聞いていて、ふと陰陽の考え方がよぎった。
グラスには水の入った部分もあれば空の部分もある。
全てには逆の側面がある。
もちろんその先もあるが、ほとんどの事象はそう。
世間一般の良いや悪いの評価に対して
何でお前らに決められなあかんねん、と疑問を抱いていた中で出会ったそんな考え方。
自分の中にドカーン!と言った感覚があって、その日の学校の帰りは見るもの全ての逆の側面を見るようにしていた。
東洋医学の中にある考えの一つに触れ、それが何なのか知ってみたくなった。
何となくですが、その先に自分みたいなしんどい人が救われる未来があるのかなと医療人を目指したような気がします。
過去に囚われるのは良くありませんし、そこに縛られている訳でもありませんが、先へ進む為にもいい振り返り方はありかなと感じた。
カフェにて
老子を読んでいて、ボーッとしながらふと周りの景色が入ってきた。
その時に大きく飾られていた世界地図を見た。
ありきたりな感想ですが、
「日本って小さいなぁ」
そう思いました。
この狭い国の中でさらに狭いコミュニティに縛られる必要はない。
もっと広く、大きなものを。
世界地図だって宇宙を含めたらまだまだ狭い。
どこまでも伸び伸びと。
思い浮かんだ逍遥という言葉。
単語としては一番好きかもしれません。
何も抱かない
何か不満が募る。
そこは出した方がいいかもしれない。
でも、そこを抱かない事が一番大切。
最初からなければ何も生まれない。
何に焦点を当てて生きていくか。
スッキリした人間でありたい。
腹部と経穴
習った腹部のエリアと経穴を一致させるために、心経の穴のみをを軽く刺した。
刺した後に感じる腹部の変化。
変化を感じる事ができて良かったです。
血分病機
こんにちは、稲垣です。
血分病機についてまとめます。
【血分病機】
血は営より深層にあり、血分病変は営分病変よりもさらに重くいとされ、
心・肝・腎などに重大な障害の可能性があるとされる。
・熱深動血
熱邪が血分まで深く入りこんで火に変わり、火毒が燃えあがり、血絡を損傷し、血流を混乱させる。
血熱が心を傷れば、主神の蔵ゆえに意識障害・譫語・狂躁が現われる。
・血瘀血畜
血熱が気を損傷し、気滞をつくり血瘀に発展させる。
邪熱が血とぶつかる、陰液を熱邪が損傷させて営血を消耗させた場合、など瘀血となる。
さらに発展し、邪熱と瘀血がぶつかりあえば「血結胸」「下焦畜血」などとなる。
・血熱動風
血熱が盛んになり、厥陰まで入り込み、肝を犯して筋脈を焼く。
陰血を消耗させ、火より風を生じさせる。痙攣などが発生する。
少火は壮火となり、風を起こして、さらに火を煽る。
意識の混迷や厥証を発生させる。
・耗血動血
熱の血分侵入では、耗血・血竭・亡血・動血を起こす。
血の不足により筋を潤すことが出来ず、また陰が陽を抑えられずに
血虚生風、虚風内動を起こす。
【参考文献】
『中医病因病機学』東洋学術出版社
欲しかった本入手
以前から欲しかった意訳黄帝内経太素が安値で売られていたので手に入れる事ができました。
まだ読み始めたところですが自身が内経を読んで疑問に思っていたところがハッキリ書かれていたりして勉強になります。
今回は勉強用のブログとして、書籍から学んだ事を書いていこうと思います。
本一辺倒にならない様に、モードを切り替えながら生活していこうと思います。
まだパラパラ読み始めたところですが、気になった部分の一部を書いていきます。
意訳黄帝内経太素 P131 五臓命分
「志・意と者(は)精・神を御し魂・魄を収め、寒・温を適え喜・怒を和す所以者也。」
P132
「志・意が和す則(と)精・神は専直(すなお)となり魂・魄は散ぜ不、悔・怒も至ら不、五臓が邪気を受けることは不矣(ない)」
ここでは志・意が切り離されていない点も気になる。
現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻P161 本神篇
「物を任うゆえんの者これを心と謂う。意の存する所これを意と謂う。意の存する所これを志と謂う。」
全訳 内経講義 P201
「李中梓の注「意がすでに決まり、堅固になったものが志である。」」
記憶などで例えられた場合、意は短期記憶力で志は長期的記憶力と説明されていました。
(意の在する所これを志と謂う。)
医学三蔵弁解 P151 帰脾湯
「人参は心気を補い、遠志は腎中の志気を補います。心腎の二気がよく交通すると、脾気がその昇降の間を保ち、三臓の気が自然と充実してきます。」
帰脾湯は心脾両虚の薬ですが、心神不交も兼ねる。
しかし帰脾湯の物忘れの特徴的な現れ方は「直前の記憶がない」という点。
さっきまで何をしていたのか分からなくなる。(意病)
でも、意志は切り離せるものではなく、実際に遠志という生薬で腎気(志気)を心に届ける過程で脾気(意)を巻き込んで治している。
この後のストーリーとして意志が安定して魂・魄なども安定、喜・怒も過剰なものが無くなればいいなと思いました。
参考書籍
意訳黄帝内経太素 第一巻 築地書店 小曽戸丈夫著
現代語訳 黄帝内経霊枢 東洋学術出版社 南京中医薬大学著
全訳 内経講義 たにぐち書店 田久和義隆訳
医学三蔵弁解 たにぐち書店 伴尚志 現代語訳
淡々
菜根譚を読んでいると色々ヒントが散らばっていると感じる。
「醸肥辛甘非真味、真味只是淡。神奇卓異非至人、至人只是常。」
神農本草経を読んでいても、神農はあくまで1人ではないと思いますが、その人達はこういった感覚も持っていたように感じる。
もしくは美食に溢れた現代人だからこう思うのか。
また、それをどの様に表現したか。
切経を行う時も同じことだと思う。
何かをやろうとするではなく、無駄を削ぎ落として純粋でありたい。
雑音なんて知らない。
患者さんとの一対一。
一つ一つが淡々とした真剣勝負。
そういった気持ちで望みたい。
参考書籍
座右版 菜根譚 講談社 久須本文雄
俯瞰
俯瞰
以前も先生からアドバイス頂き、出来ていなかったので院長に更に教えて頂いた。
ありがたい反面、申し訳ない。
言葉にしていただく以前に気づかないといけなかった。
今は動くといった形を使ってカバーしましたが、もっと俯瞰して遠くからでもわかる様にならないと。
先生方を見ると、会話しながらも周りの異変にすぐ気づく。
これもそういう事なんだろうなと思う。
ボランチの様になれる様に、その為にも冷静であるようにします。
舌の考察
先週と比べて舌の表面につく水分が減った。
そのまま湿が減ったと見るべきか。
ただ依然として胖大はあるので傾向としては同じか。
舌鑑弁正 P50
「微白滑苔舌。
図のように、中央が白っぽく光滑で、辺縁は淡紅色で津液がある。これは、脾胃に寒があり、心肝胆が虚しているのである。」
心胆気虚といったところか。
しかし胆虚だと物音にも敏感になるがどうなんだろう。
この感じだと違うかもしれないけど、こんな感じの事が書いていたとの事で記録として残す。
治療後の舌。
翌日の状態を考えると熱を溜め込んでいたのか。
それにしてもいつもに比べて色が薄めだ。
施術前の舌はどうだったんだろう。
このいつもと比べて色が薄い点が治療によって薄くなったか、治療前から薄かったかでも意味が変わってきそう。
参考資料
舌鑑弁正 訳釈 たにぐち書店 杉本雅子監訳 藤本蓮風訳釈
五行大義(06)
天皇陛下は、5月に皇居内の生物学研究所脇の水田にて、田植えをされます。
皇后陛下は、5月に蚕に桑の葉を与える御給桑(ごきゅうそう)をされます。
五行大義の水の性のところ、
「天子は耕に親しみ・・、王后は蚕に親しみ・・」とある。
我が国の文化の一端を知ることができ、興味深く思います。
潤下
水曰潤下。潤下者、水流濕就汗下也。
北方至陰、宗廟祭祀之象。
冬陽之所始、陰之所終。終始者、綱紀時也。
死者魂氣上天爲神、魄氣下降爲鬼。
精氣散在於外而不反。故爲之宗廟、以収散也。
易曰、渙亨、王假有廟、此之謂也、夫聖人之德、又何以加於孝乎。
故天子親耕、以供粢盛、王后親蠶、以供祭服、敬之至也。
敬之至、則鬼神報之、以介福。此順水氣。
水氣順、則如其性。如其性、則源泉通流、以利民用。
若人君廢祭祀、漫鬼神、逆天時、則水失其性、水暴出、漂溢没溺、壊城邑、爲人之害。
故曰水不潤下也。
水に潤下という。潤下なるもの、水 湿に流れ、汗に就れ下るなり。
北方は陰に至り、宗廟・祭祀の象なり。
冬 陽の始まるところ、陰の終わるところ。終始なるも、綱紀の時なり。
死なるもの、魂氣 天に上がり神となし、魄氣 下降して鬼となす。
精氣 散りて外に在りてかえらず。故に此を宗廟となりて散ずるを収るなり。
易にいわく、渙は亨り、王は有廟にいたると、これこれというなり、それ聖人の徳、また何をもって孝と加えるか。
故に天子は耕に親しみ、もって粢盛を供し、王后は蚕に親しみ、もって祭服に供し、敬これに至るなり。
敬 これに至れば、すなわち鬼神はこれに報いて、介福をもってす。これ水氣の順なり。
水氣の順、則その性の如く。その性ごとくは、すなわち源泉・通流し、もって民用に利する。
若い人君は祭祀を廃し、鬼神をあなどり、天時をかえし、すなわち水のその性を失い、水にわかに出て、漂溢・没溺し、城邑を壊し、人の害をなす。
ゆえに水、潤下ならずという。
【参考文献】
『五行大義』明德出版社
『易経』徳間書店
『安岡正篤 易経講座』致知出版社
肺陰虚証を勉強していて思った事2
乾燥する、という部分について思うところがあったので書いていきます。
咳をし過ぎる:
水分を失っていき乾燥する。
肺が乾燥し肺の熱が上逆することで咳になり、下気道、上気道、口腔内が
熱を受けて乾燥し、乾咳がでる。
津液が減るため?痰はない、または少量。
しゃべり過ぎ、エアコン、喫煙によっても乾燥する、また
久病によっても身体の潤いが失われることがあるとのこと。
煙が陽熱にあたり、その熱で乾燥すると聞きましたが
煙にあたることによって熱を受けるということなのか、それとも
煙を身体に取り込むことによって肺が熱を受けることなのか。
灸実技の授業で教室が煙だらけになっているときは、すごく
陽熱にあたっているということになるのか?
脾で作られた津液が肺にいき、乾燥により、粛降機能が働かなくなると
大腸や腎に影響がおきる。腎は根源的な陰をもつといわれていて
そこが働かなくなることで、再利用できる津液を上昇させることができず
肺や全身に津液を運べなくないために熱を持った肺を冷ますことができなくなる。
肺は津液が少なくなってもひたすら上気道や体表に運んで発散させる。
(この機能は熱で弱まったりしないのでしょうか…?)
腎は再利用できない濁は膀胱を通じて尿となって排出される。
(再利用できる出来ないは、腎の機能?作用?の具合にも関係がある?)
身体が乾燥する病は「痩せる」場合が多いということですが
津液が減り、身体に潤いが足りないためにやせるということは
身体が海藻のように乾くと干からびていくような感じなのか。
色々考えていたら肺陰虚証を忘れそうになってきました。。
















