学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

文字・言語

  文字、言語って何なのか。   調べた訳ではないが、集団で行動する為にイメージから共通の認識を言化・文字化したのではないのかな。   つまり「大体こういう意味ですよね」という共通認識を作ることでコミュニケーションを容易にさせているのだと想像。   では、共通言語や文字を持たない相手とは理解し合えないのか。   様子に出るのでそういう訳ではないと思う。   家の猫を見て、 「今かまってほしくないんだな」 「これからこっちくるぞ」 「喜んでるな」 「この空気が好きなんだろうな」   など伝わるものもある。   身体を触らせてもらった時で一番わかる時は包む様に触った時。   その時の自分は柔らかい状態にあると思う。   結局は猫ではなく、人間の治療をする訳だけれども、同じく言語に振り回されず、言葉は通じないものとしてやってみたい。   先日受付で話に出たケータイは怖いですよねと言った話、 「勝手に枠組みを作られて色眼鏡になり、相手を見れなくなる」   その認識とも繋がる気がする。   結局何か情報として伝えられた段階っていうのはわかった気にはなれるけど、わかってないんだと思う。   そこに自分の感覚が乗らないと本当に理解できない。   次の寺子屋は「人ではなく生命現象に触れる」   あれこれ書いたけど、そっちの方が自身をフラットに保てる気がするので、そんな感じでシンプルに切経してみよう。  

夙川にて

図書館、公民館など、外で勉強する事が殆どです。 好きな場所で、夙川沿いの静かなところに”西宮市立中央図書館”があります。 休憩に川沿いで新鮮な空気を吸うのですが、ふと思い出した事がありましたので。 以前に、六甲山からの鉄砲水で犠牲者が出たことがありました。 その時に『山上が曇れば大蛇が通る』という伝承を知ります。 古人が鉄砲水を大蛇に例えて後世に伝えやすくしたのだと思います。 それをきっかけとして、スサノオノミコトがヤマタノオロチ退治を ”治水対策の比喩”であるとの仮説にも出会う事になりました。 クラスメイトが話の中で「東洋医学=スピリチュアル」との認識に違和感を覚えたのを覚えています。 東洋医学を学ぶという事は災害の地に建つ石碑のように、 古人が未来へ向けた思いに耳を傾ける事のように思います。 とか、思い出しながら国家試験に向けての勉強の年末です。

四診(1)

四診とは、望診・聞診・問診・切診からなる4つの診察法の総称である。 四診法 ①望診(神技):術者の視覚を通じて病態を診察する方法 ②聞診(聖技):術者の術者の聴覚・嗅覚を通じて病態を診察する方法 ③問診(工技):患者との対話を通じて病態を診察する方法 ④切診(巧技):術者の触覚を通じて病態を診察する方法 望診  望診は、視覚的に観察することにより心身の状態を知る診察法である。患者の神・色・形・態の観察を基本とし、身体全体や局所の状態、分泌物・排泄物や舌象などを視覚的に観察する。 望診は、患者に対する第一印象から始まり、問診や切診の際にもあわせて行われる。 聞診   聞診は、聴覚と臭覚により患者の身体から発する音と臭いを聞き、心身の状態を知る診察法である。 患者から聞く音として発語時の音声、呼吸音やその他異常音がある。そのうち、音声を聞くことで診察することを声診という。 臭いには体臭、口臭、排泄物・分泌物の臭いなどがあり、臭いのことを気味という。 聞診は問診を行なっている際にあわせて行われ、術者が直接確認できないものは問診により患者に尋ねて確認する。 問診  問診は患者やその付き添いの者に質問し、対話によって得られた情報から心身の状態を知る診察法であり、弁証に必要な情報を収集するために行うものである。 問診では、まず患者の主訴について確認し、それに関連する事項を掘り下げながら質問し、情報を集める。 東洋医学では各種病因により気血津液・経絡・臓腑に虚実・寒熱といった変動が起こり、その結果、各種の愁訴が発生したものと考えるため、各種愁訴を全身的な病態と関連づけて推察することが重要である。そこで患者本人が主訴と関連のないように思っている全身症状や生活状況などについても確認する。 東洋医学的な問診の内容をまとめたものに、『景岳全書』(張介賓、1640年)の「十問歌」がある。この「十問歌」を参考に各項目について問診を行なう。 問診において、受容・共感的態度、傾聴的態度は患者との良好な信頼関係の構築に重要であり、信頼関係が得られているか否かは治療効果や患者の治療継続の意思などに影響する。 問診時には、状況に応じて患者の表情や仕草、動作などの望診、音声や口臭などの聞診、脈診などの切診もあわせて行う。 切診  切診は、手指や手掌を直接患者の身体各部に触れ、術者の触覚や患者が術者に触れられた際に感じた感覚により心身の状態を診る診察法で、腹診、切診、経穴診、脈診などが含まれる。 切診は、触れる、撫でる、擦る、押す、摘まむなどして得られる反応を病態推察の材料とし、反応点を治療点としても考慮する。   ★ 先輩の先生と共に、病室に入らせてもらい、患者さんとの四診の場を共有させて頂いております。 実際に患者さんが発する情報をメモし、病証把握や仮想の治療を考えたりしておりますが、自分でも緩いところが多いと痛感しております。 そんな中でも、鍼を打った後から暫くし、先生が「いかがですか?」と患者さんの様子を伺う際に、微妙に変化を感じれる時があり、貴重な時間を頂いております。診療に来られた時と帰る際との変化、顔色や目の表情、舌の様子、声色・・ 患者さんの変化を頭の中で情報処理にはまだまだ時間を要しますが、前進して参りたいと思います。 【参考文献】 『新版 東洋医学概論』医道の日本社

仕事の帰りに少彦名神社

少彦名神社 【御鎮座】 道修町には、明暦四年(1658)頃から薬種商が集まっており、享保七年(1722) 124軒が幕府より道修町薬種中買仲間として公認された。 この仲間が生命に関する薬を神の御加護のもとに間違いなく取り扱えるよう、中国の薬祖神・神農氏と共に、 安永九年(1780)京都・五条天神から少彦名命をお招きして、仲間会所(現在地)におお祀りした。(引用:神社の案内より) (´ー`) 仕事の帰りに足を延ばし、少彦名神社に参拝に行ってきました。 御鎮座より今年で240年という事で、お薬と大阪との長い付き合いを感じます。 学生時代より度々お参りに来ておりますが、卒業後では初めて来させて頂き、試験合格のお礼をさせて頂きました。 卒業し、鍼灸師となった立場で神様に手を合わすというのは違った思いがあります。 本日は梅雨時の隙間、暑さは止みませんが、良い風が吹いていたように思いました。

五行大義(06)

天皇陛下は、5月に皇居内の生物学研究所脇の水田にて、田植えをされます。 皇后陛下は、5月に蚕に桑の葉を与える御給桑(ごきゅうそう)をされます。 五行大義の水の性のところ、 「天子は耕に親しみ・・、王后は蚕に親しみ・・」とある。 我が国の文化の一端を知ることができ、興味深く思います。 潤下 水曰潤下。潤下者、水流濕就汗下也。 北方至陰、宗廟祭祀之象。 冬陽之所始、陰之所終。終始者、綱紀時也。 死者魂氣上天爲神、魄氣下降爲鬼。 精氣散在於外而不反。故爲之宗廟、以収散也。 易曰、渙亨、王假有廟、此之謂也、夫聖人之德、又何以加於孝乎。 故天子親耕、以供粢盛、王后親蠶、以供祭服、敬之至也。 敬之至、則鬼神報之、以介福。此順水氣。 水氣順、則如其性。如其性、則源泉通流、以利民用。 若人君廢祭祀、漫鬼神、逆天時、則水失其性、水暴出、漂溢没溺、壊城邑、爲人之害。 故曰水不潤下也。 水に潤下という。潤下なるもの、水 湿に流れ、汗に就れ下るなり。 北方は陰に至り、宗廟・祭祀の象なり。 冬 陽の始まるところ、陰の終わるところ。終始なるも、綱紀の時なり。 死なるもの、魂氣 天に上がり神となし、魄氣 下降して鬼となす。 精氣 散りて外に在りてかえらず。故に此を宗廟となりて散ずるを収るなり。 易にいわく、渙は亨り、王は有廟にいたると、これこれというなり、それ聖人の徳、また何をもって孝と加えるか。 故に天子は耕に親しみ、もって粢盛を供し、王后は蚕に親しみ、もって祭服に供し、敬これに至るなり。 敬 これに至れば、すなわち鬼神はこれに報いて、介福をもってす。これ水氣の順なり。 水氣の順、則その性の如く。その性ごとくは、すなわち源泉・通流し、もって民用に利する。 若い人君は祭祀を廃し、鬼神をあなどり、天時をかえし、すなわち水のその性を失い、水にわかに出て、漂溢・没溺し、城邑を壊し、人の害をなす。 ゆえに水、潤下ならずという。 【参考文献】 『五行大義』明德出版社 『易経』徳間書店 『安岡正篤 易経講座』致知出版社

医古文の学習(1)

一鍼堂(大阪本院)で行われる「素問を読もう!」(木曜日)に参加しています。 【黄帝内経素問】 《上古天眞論篇第一》 昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天. 廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶. 岐伯對曰. 上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞.故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去. 今時之人不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也. (読み下しや翻訳に関しては、沢山の先生方が訳した書物がありますので割愛させて頂きます。) 黄帝を表して 生   弱   幼   長   成 神靈  能言  徇齊  敦敏  登天 五進法から始まってます。「このリズムでいきますよ。」と感じます。 当時の発音も解れば、より以上感ずることも多いのかと、、残念な思いと探究心が交錯しますが。 法   和   節   常   不作 陰陽  術數  食飮  起居  妄勞 「昔の人は偉かった」との話の中に一つのモデルケースが示されています。 ここの”陰陽”をとってみても、具体的に話しているようで総論的な意味合いも含んでいるように思えます。 素問全体を通して理解が進む事を期待しつつ進んでまいります。 漿   常   入房  竭精  耗散  不知  御  快  逆   無節 酒   妄   醉   欲   眞   滿   神  心  生樂  起居 今度は”今時の人”のダメ出しパターン。 倍の10件も記されています。説教が長い・・・タイプのようです。 エジプトのピラミッドを作った労働者の落書きに「最近の若者はダメだ」とあったように聞いたことあります。 大古の昔より、「変わらぬものは変わらない」と感じた記憶があります。 医古文もまた共通の不変性を示しているように思います。 年を重ねて分かるからこそ、伝えるべき”無駄”を伝えようとしているように感じるのですが、 どうなのでしょうか? 参考文献 「現代語訳 黄帝内経素問 上」東洋学術出版社 「重廣補注 黄帝内経素問」天宇出版社 稲垣英伸
昨日が満月

学校の実技の時間で

授業で、あるテーマのもと、足部、腰部、腹部のツボにお灸を据えることに。 足部で太渓、水泉、復溜との指示だったけど 若干変更してクラスメイトの足で冷えが気になるところにやってると 先生から、場所が違う、(実際にやっていたツボが)陽経だからお灸は駄目、 との指摘をいただく。 陽経だから、とだけの説明では言葉が足らない・・ 消化するまでに少し時間がかかったけど、 指導の仕方にも色々あるのだなと考えることにしたら、 いま与えてもらっている環境について違う角度で見れることに気づく。 いよいよ週にひとコマだけになってしまった実技の時間を 次に活かせるように。

三国志(01)

少年の頃にはマンガの『三国志』(著:横山光輝)を 数年に一回はマイブームが起きて夢中に読んでおりました。 私と同様に三国志ファンの友人が中国に観光に行った時の話ですが、 長江の武漢で色々と観て歩いて、今度は赤壁を見に行こうと観光船に乗ったとの事。 遊覧を楽しみ、そろそろ赤壁に到着かと思っていたら、 急に引き返して帰ってしまった!と嘆いていたのを思い出しました。 まだ中国といえば、”自転車と人民服”をイメージする時代の話ですが、 観光がビジネス化されていなかった時代では、 現地の人たちにとって自分たちの歴史であって、観光資源という概念が遠かったのかもしれません。 三国志の軌跡を観光したいと思い続けて数年が過ぎましたが、 観てみたい場所は様々あります。 ”赤壁”もそうですが、”五丈原”も訪れたい場所の一つです。 孔明最期の地であり、「死せる孔明生ける仲達を走らす」の場所。 それでは 「桃園の誓い」より物語を楽しみたいと思います。 【参考文献】 『三國志』(株)六興出版社

日々の発見

○ 格言 パニックを起こす私にも ポンっと思い出せる先生の言葉があって、 その言葉は大抵10文字以内ぐらいです。 カルテに書き留めた走り書きやメモを読み直たり、 先生とお話しして突き刺さるシンプルな言葉。 今の支えとなり、課題であり、目標となっています。     ◯ 波長が合う ガードが堅い患者さんだ、とそれとなく聞いていました。 「先入観は置いときましょう」 と下野先生から言葉をいただき、どんなもんかなぁと 患者さんの世界感にお邪魔してきました。 中々言葉では表現できませんが、 自然と問診、切経ができる不思議な経験をしました。 これを波長が合うという事だそうです。    

臓腑について学ぶ(02)

伝導不随:大腸の腑氣の鬱滞と津液の不足により起こる。 大腸 〇 燥熱傷津(熱秘) 熱邪と糟粕が結びつき、津液を焼いて乾燥させる。 熱の原因として 「表寒が裏に入って熱化する」 「温邪が肺胃より大腸に順伝する」 「五志の異常が火化し、胃腸を攻撃する」 「味の濃いものばかりを食べて内熱が生じる」 〇気機鬱滞(気秘) 肝氣の鬱滞より脾胃の氣機も鬱滞し、腸道の伝導機能が動かない。 そして火化する。 〇気血虚衰(虚秘) 大腸の伝導能力がなくなってしまう。 排便後は疲れてしまう。 氣血の欠虚原因として 「普段から氣血が欠虚しており、津液が不足している」 「産後の陰血不足」 「長患いの為、脾肺の氣が虚す」 「年老いた為に元気が不足」 〇陰寒凝滞(冷秘) 腸道が温まらず氣機が停滞する。 冷やす原因として 「冷たいものを食べ過ぎ中焦の陽気が打撃をうける」 「長患いの為に脾胃が陽虚になり寒が発生する」 《私議》 氣がスムーズに動いているのか?水分量が適切なのか?との問いについて、 他の臓腑にも共通するのか、考察します。 鍼灸学生の頃、解剖学の先生に小腸と大腸の違いを質問した事がありました。 細胞の形態の違いなどから、大腸を「要は外ですわ。」と教えられた事がありました。 なるほど!と合点がいったのを覚えております。 【参考文献】 『中医病因病機学』東洋学術出版社