穴性について思うこと
先日母が風邪をひき、熱は下がったが咳が治り切らずに寝れないとの事で治療した。
脈は寸部が圧迫されている印象。
腹診後、腹を出した状態で咳をする時の動き方をみる。
触った感覚と視覚的なもの、腹の動き方を確認する。
何となくここかな?と思う部分がある。
配穴では、最初手足で使う。
しばらく置いて、マシにはなるんだけどまだ残っている印象。
背中を出してもらう。
確認すると、膈兪の周辺が湿気を帯びて一部硬くなっている。
そこに鍼を置く。
しばらくすると溢れ出す鼻水。
咳も治ってきた。
後々、学術的にも考え直した。
膈兪は血会であり、本ではやはり血の鬱滞に特に多く使われている印象。
今回は、舌下の血色や舌下静脈・脈などからでも瘀血所見は見られたが、そこは痰湿が中心に絡んでいて起きたものだと感じた。
後々考えると、「血会」に縛られすぎて感覚を疑う怖さも感じた。
また、東洋医学に限らず、一面を見たものがそれが全てだと感じて範囲外の認識が見えなくなる現象は良くある。
全てにおいて太極的な視点は必要だと改めて感じた。
臓腑と感情
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2021/09/14 『臓腑と感情』
“『素問・陰陽応象大論』には
「怒傷肝」,「喜傷心」,「思傷脾」,「憂傷肺」,「恐傷腎」
とある。異なった感情刺激は、それぞれの臓腑に影響を与える。”
(中医基礎理論 P244)
この部分について、学生の時に授業で
(過度の)感情が臓腑を損傷する、という構図で説明
されて違和感を覚えたが、その理由が少し分かった。
強い感情が
もたらす気の作用が臓腑の「気」を乱す=狂わせる。
そして、それがパターンの様にになることもある。
ーたぶん、捉え方は変わっていく。現在の記録として
*【引用】全訳 中医基礎理論/たにぐち書店
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2021/09/15 『背部兪穴の取穴』
切経で触れるときに背部では
受け取る感覚が手足で取穴するときと
かなり違って感じられる。
手足部と同じように取れるはず、と
考えアプローチするからその違いを前に、
立ち止まることになる。
少なからずそういう面もありそうだと考えた。
体幹は経絡の走行ももっと入り乱れているだろうし、
何より内臓のすぐ裏にあたる部分でもある。
背部兪穴の考え方もある。
次回の機会には思い込みを少しでも横に置いて、
ツボの状態を観察したい。
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2021/09/16 『舌診×写真』
ある方の舌を観察してー
色は淡紅、だが舌全体に青い色調が加わり色味として重たい印象。
薄膩苔、少し白沫も見られた。
舌裏は淡紅、色に褪せた感じが見受けられた。
治療の前後の状態を観察。
治療後には、
おさまりがいい、落ち着いた雰囲気に、そして潤いが増していた。
(観察する少し前に水分を摂った、関連性としてどの程度考慮すべきか?)
今回は、写真におさめた。
治療前後で、並べて拡大して見比べてみた。
処置前は、舌の輪郭があきらかに凸凹だったことが見てとれた。
それが治療後、およそ滑らかな曲線を描く輪郭に変化していた。
印象の違い、その理由のひとつだと考える。
写真の撮影の仕方だけでなく、確認の仕方にも色々と工夫ができそうだ。
(認められた所見に関する考察はまた別の機会に記したいと思います)
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2021/09/17 『苔』
6月から
継続して定期的に舌の状態を見せてもらっている方の舌の所見
として、薄苔か無苔に近い状態をずっと見てきた。
この方の素質として捉えた方が良いのかと考えていた。
それが10日前くらいにはじめて薄苔が舌根部に見られ、
つい先日、それが以前よりも定着している様を見た。
先立って他の所見や症状が変化している状況の中で、
この段階でようやく、という感想を抱いた。
これが逆だったら、どのように受け止め考えることになるのか..
中国の思想(05)
老子
六十六章 統治者はへりくだらねばならぬ
江海所以能為百谷王者、以其善下之。
故能為百谷王。
是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。
是以聖人、処上而民不重、処前而民不害。
是以天下楽推而不厭。
以其不争故、天下莫能与之争。
江海のよく百谷の王たるゆえんは、その善くこれに下るをもってなり。
故によく百谷の王たり。
ここをもって民に上たらんと欲すれば、必ず言をもってこれに下り、
民に先んぜんと欲すれば、必ず身をもってこれを後る。
ここをもって聖人は、上に処るも民は重しとせず、前に処るも民は害とせず。
ここをもって天下推すことを楽しみて厭わず。
その争わざるをもっての故に、天下よくこれと争うことなし。
(引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P105~P107)
《私議》
以前、会社員をしていた時は『人・物・金』を管理するのが仕事でした。
その時の上司からよく言われたのが「頭を垂れる稲穂かな」。
経験豊富な年功を積まれた方々の立ち居振る舞いをみて、
内心『流石!』と思う事は本当によくありました。
今は臨床に立っておりますが、患者さんを目の前にして思う事もあり、
繊細さも難しさも感じます。
【参考文献】
『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店
六經病機(01)
太陽病病機
【01】営衛不調
【02】表寒裏飲
【03】邪入經輸
【04】邪陥胸中
【05】実邪結胸
【06】邪陥心中
【07】邪熱下痢
【08】經邪入腑
【09】臓腑陽傷
【10】臓腑陰傷
【01】営衛不調
営は陰で、衛は陽である。衛営は拮抗する事によって、衛外を守り固め開闔を主るという生理機能をもつ。
外的要因により膚表の営または衛の力量に変化が生じ、陰陽昇降のバランスが崩れる。
成無己(金代)は「風は衛にあつまる。・・寒は営にあつまる。」(『注解傷寒論』)とする。
外邪(風)を感受すれば、衛の昇散活動が優位に立ち、衛強営弱病機を発生させる。
外邪(寒)を感受すれば、営の沈降し静かであるという性質が優位に立ち、営強衛弱病機を生み出す。
太陽表虚証。
衛の昇散性が優位となり、外表部に浮揚し、発熱する。
弱くなった営の沈降凝集し静かであるという特性が弱まり、内部を守れず自汗し脉が浮緩となる。
自汗がでれば、衛が散漫となり皮膚の温煦作用が失われ、悪風(風に当たると寒気)する。
太陽中風、陽浮而陰弱、陽浮者、熱自發。
陰弱者、汗自出。
嗇嗇悪寒、淅淅悪風、翕翕發熱、鼻鳴乾嘔者、桂枝湯主之。
方一。
太陽表実証。
営の沈降凝集し静かであるという性質が強くなり、衛が肌表の内側に抑鬱されて、膚表を温めることができなくなり、悪寒が現れる。
陽気が発散されず発熱する。
営の沈降凝集し静かであるという性質が、無汗・脉の浮緊となる。
血を滞らせれるので、頭痛や関節の痛みが現れる。
太陽病、頭痛、發熱、身疼、腰痛、骨節疼痛、惡風無汗而喘者、麻黄湯主之。
方五。
表寒裏熱証。
風寒両方を感受すれば、寒邪は営に入り、風は衛に入る。
営の沈降凝集し静かな性質が強くなり、悪寒ひどくなり無汗。
衛の昇散活動性が強くなるが、汗が出ないので熱を排出できず内部に鬱滞する。
その為に高熱して煩躁し、表裏とも実証となる。
太陽中風、脉浮緊、發熱、惡寒、身疼痛、不汗出而煩躁者、大青龍湯主之。
若脉微弱、汗出惡風者、不可服之。
服之則厥逆、筋惕肉瞤、此為逆也。
大青龍湯方。
八。
【参考文献】
『中医病因病機学』東洋学術出版社
『中医臨床のための 方剤学』医歯薬出版株式会社
『傷寒雑病論』東洋学術出版社
情報
2022/03/27
長く診させてもらっている、ある患者さんを通して
治療中の調子の移り変わりについて、いまどんな感じか?
当初は、直接尋ねたその返答を元にして凡そ判断しようとしていたことを自覚する。
非言語的な情報を受けて何か感じたあと、
確認のため尋ねることが増えてきたことがこのきっかけにあり
それはその患者さんと重ねた時間の中、通じる様になった為のものだとも考えたが
時間はあまり関係なさそうだと知る。
言葉でない分曖昧であるし、
こちらの期待や思い込みが含まれることはいつも留意しておく必要があるけれど、
不確定な性質の情報をなるだけそのままに受け取ることの重要度は高いと感じる。
それが適うくらい静かな所を自分の内に置いておけたらいいのにと思う。
そのために何ができるか。
ぽっこりお腹など
ぽっこりお腹
幼児体型みたいな上腹部のお腹が気になっています。
食べすぎた訳ではないのに胃脘部がぽっこりしている。
食生活を聞いてもそんなに食べすぎている訳ではない人も多い気がする。
二竅までの流れでどこかへの停滞。
すぐに起こるゲップやしゃっくり。
新たに入ろうとしても入らないのかな。
この間、自身に鍼を刺して状態を悪くしたのですが、その時の体型変化も勉強になりました。
もう一度、同じ状態を作ってみたのですが、同じ事が起こった。
人の足の状態でも内果の黒ずみなどもサインになるのかな。
追っていってみます。
他の人を見ていて
以前も書いた事ですが、一鍼堂にいる先生や先輩は色んな事によく気付かれる。
当たり前だけど必要なことだし、そうなる為のやり方は散々教わっていると思います。
「じゃあどうやって実践していこうか。」
その考えに結びつく事が間違いなのかもしれない。
恐らく自分が何かをしなくても、それに気づけるヒントは転がっているんだと思う。
だからわからない事だらけですが、とにかく今の境遇から教わっている事で、自分に現れた変化を感覚に結びつけていく様にしたい。
また、どんな事があっても揺らがない様に、きちんと自分につけた名前であれる様にしよう。
方向があっているかも分かりませんが、何か変化がある状態は楽しいですし、楽しみです。
新しい年
ようやくこの本が手に入りました。
このシリーズの傷寒論はもう読みました。
とても読みやすいです。でもどの本でもそうですが、一度読んだだけではあまり自分の知識に落とし込めません。何度も読み返すのが理想なんでしょうが、気になる他の本もたくさんあって辛いところです。
いつも朝の起床時に1時間ほど自習をしています。寺子屋でお世話になり始めてからの習慣になりました。自分なりに気に入っている習慣です。
これで更に帰宅後の夜にも自習の時間を作りたいのですが、身体の電池切れでなかなか習慣になりませんでした。
今年も新しい年が始まりました。また日々の生活を見直しつつ過ごして、新しい発見を楽しみたいと思います。
五行大義(06)
天皇陛下は、5月に皇居内の生物学研究所脇の水田にて、田植えをされます。
皇后陛下は、5月に蚕に桑の葉を与える御給桑(ごきゅうそう)をされます。
五行大義の水の性のところ、
「天子は耕に親しみ・・、王后は蚕に親しみ・・」とある。
我が国の文化の一端を知ることができ、興味深く思います。
潤下
水曰潤下。潤下者、水流濕就汗下也。
北方至陰、宗廟祭祀之象。
冬陽之所始、陰之所終。終始者、綱紀時也。
死者魂氣上天爲神、魄氣下降爲鬼。
精氣散在於外而不反。故爲之宗廟、以収散也。
易曰、渙亨、王假有廟、此之謂也、夫聖人之德、又何以加於孝乎。
故天子親耕、以供粢盛、王后親蠶、以供祭服、敬之至也。
敬之至、則鬼神報之、以介福。此順水氣。
水氣順、則如其性。如其性、則源泉通流、以利民用。
若人君廢祭祀、漫鬼神、逆天時、則水失其性、水暴出、漂溢没溺、壊城邑、爲人之害。
故曰水不潤下也。
水に潤下という。潤下なるもの、水 湿に流れ、汗に就れ下るなり。
北方は陰に至り、宗廟・祭祀の象なり。
冬 陽の始まるところ、陰の終わるところ。終始なるも、綱紀の時なり。
死なるもの、魂氣 天に上がり神となし、魄氣 下降して鬼となす。
精氣 散りて外に在りてかえらず。故に此を宗廟となりて散ずるを収るなり。
易にいわく、渙は亨り、王は有廟にいたると、これこれというなり、それ聖人の徳、また何をもって孝と加えるか。
故に天子は耕に親しみ、もって粢盛を供し、王后は蚕に親しみ、もって祭服に供し、敬これに至るなり。
敬 これに至れば、すなわち鬼神はこれに報いて、介福をもってす。これ水氣の順なり。
水氣の順、則その性の如く。その性ごとくは、すなわち源泉・通流し、もって民用に利する。
若い人君は祭祀を廃し、鬼神をあなどり、天時をかえし、すなわち水のその性を失い、水にわかに出て、漂溢・没溺し、城邑を壊し、人の害をなす。
ゆえに水、潤下ならずという。
【参考文献】
『五行大義』明德出版社
『易経』徳間書店
『安岡正篤 易経講座』致知出版社
診病奇侅(01)
中脘
脾部中脘塞り、中脘水分に動あり、
又脾塞り、水分に動ありても、中脘に動なきは、食にあらず、
《私議》
中脘と水分について感じるところあり、考察を深めたいと思います。
【参考文献】
『診病奇侅』医道の日本社
















