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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

中国の思想(01)

老子 一章 真理は固定したものではない 道可道、非常道。 名可名、非常名。 無名天地之始、有名万物之母。 故常無欲以観其妙、常有欲以観其徼。 此両者同出而異名。 同謂之玄。 玄之又玄、衆妙之門。 道を可とする道は、常なる道に非ず。 名を可とする名は、常なる名に非ず。 無は天地の始まりの名、有は万物の母の名。 故に常なる無は其の妙を観さんと欲し、常なる有はその徼を観さんと欲す。 この両者は同じ出にして名を異とする。 同じく、これを玄と謂う。 玄のまた玄を、衆妙の門とす。 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店

施術日記(05)

T.I 先生との治療練習5回目。 舌診での、軸を作りたいと考えて継続しております。 脉や腹診も含めて考察いたします。 舌診の鍛錬 【目的】 ① 同經への刺鍼であるが、経穴を変更してみる。 ② 舌の理解の為に、脉や腹診との共通項を考える。   問診にて「少々、お疲れ」との事。 この先生がダメージを体に受けている場合には、 舌の右への偏向がみられるようです。 ついでにいえば舌だけに限らず、 立ち居振る舞いにも、ある動きにも特徴が出てきます。 また、脈診においても右腕の脈に特徴を診ました。 舌尖の赤みはあるにせよ、舌辺の赤い斑点はかなり少なくなっています。 ただ、歯痕の凸凹が強く感じられました。 (左)地機:0番鍼にて置鍼(5分) 今回は(04)回までの経穴ではなく、別の経穴を試しました。 切経において、昔の教科書の取穴と現在の教科書の取穴の違いを 議論しながらの刺鍼となりました。 右脚と左脚の経穴を診た感じ、左の地機の方がウブな感じを受けたので、 刺鍼を試します。 舌の出し方が穏やかになり、正中線上に近くなりました。 歯痕も少なくなっております。 今回、特徴的だったのは写真では表現できていないかもしれませんが、 舌に溢れんばかりの潤いが出てきました。 おおよそ、水が引く事のイメージをもっていたので、少し驚いております。 腹診においては前回の治療(04)回と同じように 刺鍼後になってから、脾募へ特徴的な何かを感じました。 ミルフィーユのように階層があるようにも思え、 何かをどかしたら、何かが見えるようになった。のでしょうか。。 今後も経過を見てみたいと思います。
夕焼け

中医内科学 その2 心の病理①

前回の記事 『中医内科学 第2版』冒頭 臓腑の働きについて 『中医内科学 第2版』P.49〜、P.72〜より 心 『霊枢』邪客篇にて 「心なる者、五臓六腑の大主なり、精神の舎(やど)る所なり。」 とあり、 心の主な生理作用は、神明を主るものである。 『素問』痿論篇にて、 「心は身の血脈を主るなり」 とあり、 心は血脈を主るとは、また特別重要な生理作用であり、 ゆえに神明を失し、血脈が不利になることは、 心の基本病理変化である。 (1)心不主神明(心、神明を主らず) ・・・心が常を失すると、心神安ぜず、神舍を守らず、 患者に失眠りや多夢、恍惚(こうこつ)、健忘、惊悸、恐怖、 妄言、妄見、ときに悲しみ、ときに喜ぶ、ふるまいが常を失して、 痴呆、癲狂等の病証。 甚だしき場合は、神明が閉塞あるいはばらばらになる、 うわごと、意識がはっきりしない、 神明が臓腑百骸を統率・主宰できなければ、 患者の生命に危険がおよぶ。 ゆえに 『素問』霊蘭秘典論篇では 「主が明らかならざれば十二官危うし、 使道閉塞して通ぜず、形すなわち大いに傷れる」とあり 心が神明を主らなければ、心神が失養して、邪気受けて心竅を乱す。 心の要は正常な神志活動の進行であり、 必ず気血陰陽の充養を頼る。 ・・・ ゆえに『景岳全書』では 「営は血を主り、血虚なれば心を養えず、心虛なれば心は舍を守れず」 とある。 心竅に、火熱、痰濁、瘀血などの邪気が犯せば、神明は主を失し、 軽ければ火熱擾心、神志不寧となり、患者は失眠や多夢、煩躁あるいは精神狂躁等を引き起こし、 甚だしければ痰濁、痰火、瘀熱が心竅をあざむき、嗜睡、痴呆、昏迷等を引き起こす。 ゆえに『霊枢』邪客篇では 「心なる者、その蔵強固にして、邪容(い)るあたわざるなり。 これに容(い)ればすなわち心傷れ、 心傷るればすなわち神去り、神去ればすなわち死す。」とある。 (2)心不主血脈(心、血脈を主らず) については次回に続きます。 ■参考文献 『中医内科学 第2版』 人民衛生出版社

朗読、会話

  朗読 最近人に合わせるって難しいなと痛感しています。   合わせにいったらより合わなくなる感じがします。   正直どうしようかと悩み中なのですが、何かしらやっていかないと変わらないので色々試していっています。   最近試し始めた事が人の朗読しているところの真似です。   心から入れれば一番いいのでしょうけど、できていないのでまずは形から入ろうと思ってYouTubeなどで人が行なっている朗読を真似してみています。   人との会話中に全く同じ事をしていたら違和感が生まれそうですが、相手と同じ事をする必要があるので少しは相手の理解に繋がる気がします。   また、長い文章になると腹から声が出ていないと読みきる事ができないので伝わりやすい声を出さなければいけなかったり、瞬発的に言葉を出す訓練にもなります。       会話 ストレスなく一緒に過ごせる人は波長が合って自然に過ごせる。   家族でも体調不良を起こすと様子が違ってくるので違和感から色々察知しやすいと言った話をよく聞く。   違和感を察知できるのは、同じ空気感をもった人の違和感だと思う。   鍼灸院には若者からお年寄りまで幅広い年齢の方が来るし、色んな個性を持っている。   そういった相手を理解しようと思えば尊重しなければ話は始まらない。   綺麗なものばかりに囲まれているとそう言った人にしか対応できなくなるし、逆もそうなる。   本当に会話上手な人は違和感を感じない。   きっと一致してるんだと思う。   ネガティブなもの 会話の中でネガティブなものが出てくるとそれに同意してはいけない。   もっていかれる。   ただ真っ向から否定するとそれもまた問題なので違和感を感じさせずにかわす必要がある。  

視点

学校の帰りに人と喋りながら帰る。 難しい話ではなく、その人が今何を見ているものを教えてくれた。 自分とは違う視点。 そこに照準を合わせると今まで見えていなかった別のものが目に入る。 新しい発見があった。 何に合わせるか。 改めてとても大切な事だと思いました。 一緒に帰って良かった。 行動は大切!  
切脈一葦

切脈一葦 序文2

こんにちは、大原です。 前回(切脈一葦 序文1)は、 『切脈一葦』の二ページ目の最後の一文の途中で終わりました。 今回はその続きからになります。 今回も原文から文意を汲み取って、 文章の読み方を考えていきます。 <読み方> 王叔和(おうしゅくか)、この理を知らず。 心と指とを分けて論ずること、一笑に余れり。 また指を以て診する法は、世に伝えて教えと為すべし。 心を以て了する法は、其の人にあらざれば伝うることあたわず。 しかるに今その伝うることあたわざる法を易しとし。 その伝えて教えと為すべき法を難かしとす、思わざるの甚だしきなり。 またその明らかし難き所の脈状を書き著して、 教えを世に垂れんとす。 これ全く己を欺き、人を欺くの甚だしき甚だしなり。 歴代の医、これを弁ずることあたわず。 却ってその説を潤色して、脈の一診を以て、病を知るの法とす。 これ古人の脈法廃して、ただ王叔和の脈法のみ。 世に盛んなるゆえんなり。 家君かつて曰く、 凡そ脈の変態多しといえども、その状十余種に過ぎず、 ただこれを形容する所の文字多きのみ。 王叔和の徒これを弁ぜず。 形容する所の文字を以て、脈状の名と定めて、一字一字に註解を加えて、 二三十の脈状と為す。 これ脈学塗炭に墜(お)ちるゆえんなり。 ○敏ならずといえども、黙してこれを看過するに忍びず。 因りて切脈一葦を作ると。 これ家君が文字の脈状を破りて、脈状の文字を活用するの大意なり。 この書は固(もと)より大河の一葦にして、 脈学を尽くすことあたわずといえども、 これをもって学ぶときは、古人の流に溯(さかのぼ)るべし。 古人の流に溯ぼるときは、古人と異なることなし。 古人何人ぞ今人何人ぞ、 ただ古人は志を厚くして深くこの道を窮(きわ)めるのみ。 これ今人のあたわざるところにあらず。為さざる所なり。 もし今志を厚くして深くこの道を窮(きわ)める者あらば、 脈を診するに臨みて何ぞ古人に譲らんや。 もし古人に譲る心 (以下、次のページ、下に続く) 有りて、脈を診するときは、必ず心に安ぜざる所あり。 もし心に安ぜざる所あるときは、必ずその病を決断することあたわざるなり。 故に脈を診するに臨みては○がごとき浅劣の者といえども、 必ず古人と異なることなき心を以てこれを診す。 いわんや明達の人においては、 ○が古人と異なることなき心を以て診すると同じからず、 必ず古人と全く同じき者あらん。 豈(あに)ただ古人と全く同じきのみならんや。 必ず古人のいまだ発せざる所を発するものあらん。 後生畏るべし。 これ○が議するところにあらざるなり。 天保辛卯春三月十五日男○謹序 --------------------------------------------------------------------------------- 況(いわん)や:もちろん、言うに及ばず 豈(あに):どうして〜(反語) 決して〜ない --------------------------------------------------------------------------------- 前回に続きですが、 その内容は、著者の 「王叔和は何も分かってない」という 非常に厳しい批判から始まります。 脈診で必要なのはそれを診る心であるが、 王叔和は脈の状態を何種類かに分類して 「○○脈であれば△△の病である」と、 脈の状態でその場合の病はこうであるというように分類しているが、 こんなことが正しいのだろうか・・・、 このような考え方が広まってしまうのは脈学にとってマイナスではないか、 これでは脈学は地に堕ちてしまう、 もうこれは見過ごせない!、 ということで、この『切脈一葦』を記したと書かれています。 その後に、前回の記事の内容とからめ、 まとめのような形で 大事なことも書かれています。 ちなみに王叔和は、 有名な『脈経』という大書を著した人物として有名です。 また『傷寒論』の編纂もされたといわれており、 その功績は非常に大きく、 東洋医学の歴史の本には必ず載っているイメージがあります。 (為沢先生が王叔和についてのブログを書かれています。 https://www.1sshindo.com/blog/zenith17665/ ぜひ参考にしてください。) 参考文献 『切脈一葦』(京都大学附属図書館所蔵) 画像は京都大学デジタルアーカイブより

中国の思想(03)

老子 四十七章 知を外に求めるな 不出戸、知天下、不闚牖、見天道。 其出弥遠、其知弥少。 是以聖人不行而知、不見而名、不為而成。 戸より出ず、天下を知り、窓よりうかがわず、天道をみる。 その出ずる事ますます遠く、その知るはますます少なし。 これをもって聖人は行かずして知り、見ずしてあきらかにし、なさずして成す。 「道」を体得したなら、外に出ずとも、おのずと天下の動静が判り、 外を見ずとも、おのずと天体の運行が判る。 ところが、知識を外に求めて、駆けずり廻れば廻るほど、 ますます知識はあやふやになる。 だから、「道」を体得した聖人は、外物に頼らずに物事を理解し、 感覚に訴えずに物事を識別し、知ろうと努めず無為を守って知のはたらきを完全にする。 (引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P84) 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店

天気・指の受けた感覚

  重さ 梅雨に入って雨の日も多くなってきました。   外を歩くと空気が重たいだけでなく、中にも冷たさを含んだ日もあります。   雨の日の登校時に香る独特な匂いは何なのか気になります。   月曜日は人を見ると月曜日の学校で一定数のクラスメイトが空気的にも重くなっている印象でした。   人によっては学校に来てもしんどそうで、なかなか起きられなかった人もいました。   普段より猫背がちになっている人もいました。   翌日の火曜日は晴れていて、空気的にもそんなに湿度を感じない。   前日体調が悪そうな人は前日よりは目に輝きが戻っている印象でした。   気になった事が、一定数体調が良さそうに見える人もいる事。   実際に本人に体調を聞いた訳ではありませんが、普段より落ち着いて見える感じがあります。   何でも天気に結びつけても良くないと思いますが、この重さが+に働く人もいるのか。   観察を続けようと思います。     切経 寺子屋で切経させてもらった。   脈の関部に力が無かった。   当たる指にゾワッと感があったのですが、ああいった感覚も集めていくべきか。   むしろ長く置きすぎだからそう言ったことになるのか。   自分が感じた時、相手も感じていたのか。   後になってその時何か感じたか聞いたらよかったなと後悔。   舌・腹とは一定の相関関係が見られたと思いました。   また、人を触る時も相手の呼吸を感じながら行う方がいいなと思いました。   土曜日 勤務中でお金を頂いている立場にも関わらずとても有難いお話をして下さいました。 ここで教わった内容を書く事は憚れますが、少しだけ書かせて頂くと名前を変える事は自分にとってとても良い方法だと感じました。 その心づもりで仕事にも取り組んでみたいと思います。  

順気一日為四時篇 第四十四(01)

黄帝曰、願聞四時之気。 岐伯曰、春生、夏長、秋収、冬蔵、是気之常也、人亦応之。 以一日分四時。 朝則為春、日中為夏、日入為秋、夜半為冬。 朝則人気長、長則勝邪、故安。 夕則人気始衰、邪気始生、故加。 夜半人気入蔵、邪気独居干身、故甚也。 黄帝曰く、願わくば四時の気を聞かん。 岐伯曰く、春は生、夏は長、秋は収、冬は蔵、これは気の常なり、人もまたこれに応ず。 以て一日を四時に分つ。 朝は則ち春を為し、日中は夏を為し、日入は秋を為し、夜半は冬を為す。 朝は則ち人気が長じ、長則ち邪に勝り、故に安なり。 夕は即ち人気が衰え始め、邪気が生まれ始まる、故に加なり。 夜は人気が蔵に入り、邪気が独り身に居り、故に甚だしきなり。 【参考文献】 『黄帝内経 霊枢 下巻』東洋学術出版社
六甲山

純粋な東洋医学を実践していくということ:前編

先日、一般向けの方向けに 東洋医学の歴史について講義をさせて頂いた。 その時に、少し専門的であるが故に 話さなかった内容をここに記し、 今後 皆さんにとって 「東洋医学を実践する」と言う点に於いて 僕が思う「ここだけは絶対に揺るがないで欲しい」と いうところを医療史から見ていき 前編・後編に分けて記事にしていきます。 --------------------------------------------------------------------------------- 明治時代まで我が国の医学は 中国の思想、文化、哲学を集約した 中国医学を基に、 日本人独自の職人の様な五感の感覚を 組み合わせたものであった 鍼灸・漢方を中核とした東洋医学が 中心であった。 それが皆さんご存知の様に、 明治維新・文明開化と呼ばれる制度や文化を 西欧諸国化してしまう波がやってき、 勿論 医学もこの波にのまれてしまい 蘭学、西洋医学が日本の医療と位置付けられてしまい、 業界的にいう「東洋医学不毛の時代」がやって来るのである。 ただ日本の医療が転換したのは この時代だけでは無かった。 984年、丹波康頼によって「医心方」という 中国医学を基とした 我が国にとって非常に貴重な書物が編纂され、 言い換えれば、ここで日本の医療には 中国医学が中心になったと思われる。 実は中国から医学がやってきた時に 時の桓武天皇は日本独自の医療が途絶えてしまうと 危機感を持ち、 808年に「大同類聚方」という 我が国に於いて実践されていた治療を記録した 我が国最古の書物を編纂させたとされている。 ただやはり、先述したように 医療は中国医学が中心となったのであるが、 どこか伝承的、経験的にあった当時の日本医療にとっては 理論的に人間、そして病をみた中国医学は 非常に多くの人を助け、受け入れられたと思う。 ただこの2つの転換期、 すこし意味合いは違えども、 我々日本人の注意すべき点があると感じます。 これを後編で書こうと思います。 では。