色々わからないけども
身体を触るとき意識が一つに引っ張られていたことを指摘して頂きハッとした。
何かを見ようとして、その分他が疎かになっていたんだと思う。
意識を働かせない様にしなければ。
頭ではなく体が主。
テーマとしてはずっと持っているものなんだけど難しい。
このテーマで進めるには自分の人間性も見直さなければいけないけど、いちいち一つの事に囚われているところがダメなんだと思う。
そもそも体に限らず全ての事はこれ!って言うより一連の流れで繋がっているんだから何か違うような気がする。
身体をみる時も犯人探ししてる訳ではないんだから。
自分の状態として、前に意識が深く沈む?みたいな感覚があった時が一番良かった。
そうなっていく為にも生き方も大事なんだろうなと思う。
色んなことに対してサラッと生きれる様になりたいな。
そんなこんなで最近は勉強というより自分の人間性について考える時間が多くなっている。
まあ自分みたいな人間は自己否定してるくらいでちょうど良い様な気がする。
色んなものをへし折ってへし折って更地の状態にしたい。
人の幸せを喜ぶとかもその先にあるものだと思う。
まあ素朴が一番です。
切脈一葦 上巻2
こんにちは、大原です。
前回の続きです。
前回:切脈一葦 上巻1
今回も、原文に書かれている文意を汲み取りながら、
その読み方や
著者の言いたいことは何かを考えていきます。
今回のところは、主に、著者の脈診に対する
厳しい考え方が記されているところになります。
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画像は京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より、
9ページ目から引用。
(本ブログ記事で参照した箇所を掲載)
<読み>
脈は、血気の盛衰を診する処(ところ)にして、
病の所在を診する処にあらず。
故に部位を論ぜず、
ただ動脈のあらわる処(ところ)をもって、
診脈の処となすべし。
寸口を診するの法、三指をもって、
掌後後骨の側、動脈手に応ずる処を按じて、もって寸口と定むべし。
脈あらわる処長き者は、指を疎にして診し、
脈あらわる処短き者は、指を密にして診るべし。
小児は、一指をもって診すべし。
反関の者は、動脈あらわる処を以て、寸口と定むべし。
凡脈を候うことは、五十動を診するをもって法とす。
必ず倉卒(そうそつ:急なさま。また、あわただしいさま)に
看過することなかれ、
もっぱら心を指下に留めて、
言することなかれ、
観ることなかれ、
聴くことなかれ、
嗅ぐことなかれ、
思うことなかれ、
これ脈を診するの要訣なり。
→ここまでは脈診における秘訣が書かれています。
脈を診るときは、
それ以外のことに神経を奪われたりせずに
脈診に集中することが一番大事であるぞ!
と書かれています。
寸口は、手太陰肺経の脈にして、
五臓六腑の死生吉凶を決する所となし。
肺は諸気を主るゆえに、
また気口と名づけ、
肺は百脈を朝せんとして、
脈の大会なるゆえに、
また脈口と名づく。
その名3つあれども、その処は一なりというは、
皆分配家の説にして空論なり。
寸口は固より十二経の名も、
経穴の名も、いまだ有らざる以前の名にして、経穴の名にあらざるなり。
然るも後世に至って、
経絡を分かちて空所の名を配するときに、
寸口の地を、肺経の脈動と定めて、経渠・太淵二穴を配したる者なり。
また気口・脈口等の名は、
その後肺経の理を推して、名づけたる者なり。
→以上、ここでは、
脈診で脈をとる手首のあたりのことを
寸口といったり気口といったり脈口というが
それらは
「単に言い方を変えているだけで
同じものだ」というのは嘘だぞ!
と言ってます。
『素問』に、寸口気口の名有りて寸関尺を分かちて
三部と為すの説なし。
『難経』に始めて寸関尺の名を立つといえども、
いまだ左右に臓腑を分配するの説なし。
晋の王叔和に至って、始めて左右に臓腑を分配
するの説を出せり。
一の難は、一呼吸の間に、脈行くこと六寸、一日一夜に、脈行くこと五十度と定めて、
二の難は、尺寸を一寸九分と定めて、
臆見(おっけん:確たる根拠のない、推測や想像に基づく考え)を
もって空理を論じたる者なり。
十八の難は、三部四経の説を立てるといえども、その言簡古にして解すべからず。
王叔和の分配を得て、粗通すといえども、これを要するに無用の空言なり。
→ここの最後のあたりに
「空理を論じているぞ」、
「無用の空論」であるぞ!
と言ってますが
つまり、脈診において
左右の脈それぞれに臓腑を割り当てるのは
机上の空論であって
実際はそんなことは全くないのだ!
と言ってます。
『霊枢』に、気口と人迎とをもって陰陽に配して診することあり。
これまた無用の空言なり。
→また「無用の空論」が出てました。
『素問』に、寸を按ずの語あれども、寸は寸口のことなり。
尺は肘の横紋より、掌の根までの間を尺といいて、
この処の堅脆滑渋を見て、診法と為することなり。
また尺内の両傍は季肋なりの語あれども、尺内は、腹のことなり。
然るを分配家の徒が、尺脈のこととするは誤りなり。
→「尺」とは
いわゆる「寸関尺」の尺だけではないぞ、
他の意味もあるんだぞ、と言ってます。
趺陽は、趺上にあらわるをもって、名づけたる者なり。
然るを後世に至って、分配家の徒が足陽明胃経に配して、
衝陽と名づけて、胃気の有無を候う処と為す者は、
寸口を五臓の気を候う処とするともってなり。
また人迎を足陽明胃経に配するも、この意なり。
それ脈は、皆胃気を候うの診法なり。
なんぞ、人迎趺陽のみに限らんや。
両額の動脈を、上部の天となし、
両頬の動脈を、上部の地となし、
耳前の動脈を、上部の人となし、
手太陰を、中部の天となし、
手陽明を、中部の地となし、
手少陰を、中部の人となし、
足厥陰を、下部の天となし、
足少陰を、下部の地となし、
足太陰を、下部の人となす者は、
素問の三部九候なり。
両額の動脈は、足少陽胆経の頷厭の動脈を指すなり。
両頬の動脈は、足陽明胃経の地倉の動脈を指すなり。
耳前の動脈は、手少陽三焦経の和髎の動脈を指すなり。
手太陰は、肺経の経渠の動脈を指すなり。
手陽明は、大腸経の合谷の動脈を指すなり。
手少陰は、心経の神門の動脈を指すなり。
足厥陰は、肝経の太衝の動脈を指すなり。
足少陰は、腎経の太谿の動脈を指すなり。
足太陰は、脾経の箕門の動脈を指すなり。
これ皆分配家の空論にして、
実時に用え難し。
もし、よく18箇所の動脈を診し得るといえども
病証を論ずるに臨みて、いずれの動脈を主となすべけんや。
これ一身一動脈にして、
別脈にあらざることを知らざるの誤りなり。
→脈を診る場所が18箇所もあったら、
どの脈を診て判断すればいいのか?
人間の身体に18本の脈があるんではなくて
全部つながってるから(一身一動脈)
18箇所も診なくて良いのではないか?
そういうことが分かってないから
こんな誤った空論を書いてしまったのだ!
魚際と尺沢との間を、一尺と定めて、
掌後一寸九分をもって、尺寸の地となし、
前九部を寸となし、
後ろ一寸を尺となし、
寸と尺との間を関となす。
これを三部という。
寸は胸以上の疾を主どり、
関は膈より臍に至るまでの疾を主り、
尺は臍以下の疾を主る。
また医の指を浮かべて診するを浮となし、
中按して診するを中となし、
沈めて診するを沈となす。
これを九候という。
浮は心肺を候がえ、
中は脾胃を候がえ、
沈は肝腎を候がう。
これ難経の三部九候にして、
全く分配家の空論なり。
たとえば・・・
(ここまで)
→脈で、
寸は胸以上の病、
関は膈〜臍の病、
尺は臍より下の病を診るとあり、
浮は心肺、
中は脾胃、
沈は肝腎を診ると難経にあるが、
これらも空論であるぞ、
と言ってます。
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さて、著者がばっさりと「空論であるぞ」とした内容は
鍼灸の学校の実技の授業などでも
教わった内容だと思います。
『素問』の現代語訳など目を通すと
「素問に書いてあるのでやっぱり正しいことなのか・・・」
と思ったり
でも、やはり「本当にそうなのか?」みたいな感じも
個人的には両方あったように思います。
脈診における考え方において、
この『切脈一葦』を読んで
「空論だと言っているから
寸関尺を臓腑に割り当てる考え方は間違っているんだ」などと
安直に片付けてしまうのは良くないでしょうが、
著者が空論だと言い切る理由を
知っておくのは大事だと思います。
もしその理由が腑に落ちないなら、
もとの考え方にも一理あるのでは、
という具合に
考え方の幅が拡がるように思います。
重要なところですが、
長いので続きは次回にします。
引用:
京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より
気になった事を色々と
《標本》
色んなパターンを思考してみる。
例えば、方剤では「芍薬甘草湯が腓返りに効く」とされる。
以前勤めていたところは整形外科の処方箋がバンバン来るので反応聞いてみると確かに症状は緩和されている。
しかし、効かない人やいつまでも服用する人も発生する。
全く効かない一つのパターンとして存在したものが「脾胃が弱って痩せ細っている人」
《現代語訳 黄帝内経素問 P375》
「食物が胃に入って消化されると、一部分の精微な気は肝臓に送られ、そこで浸みこみ溢れた精気は筋に滋養を与えます。」
ここから脾胃の弱りから肝が関わる腓返りが発生すると想像すると、じゃあ※太衝を使って肝血を増やしたとする。
でも発生した肝血虚が副次的なもの何だったら繰り返し起こる事になる。
方剤でも抑肝散の構成をみると
〈柴胡・甘草・川芎・当帰・白朮・茯苓・釣藤鈎〉
説明では、
《中医臨床のための方剤学 P428》
「健脾薬の配合は、脾の健運を通じて肝の陰血を補充し、柔肝する目的である。」
元々脾胃が未成熟である乳幼児の処方であった事を考えると、本は脾胃であると考えられる。
※まだ刺して治した経験がないので、穴性学の知識で仮定しています。
《自身の治療変化》
ここ最近の治療で体がまた変わってきた事を感じる。
自身がほんのり感じていた右の違和感に変化あり。
治療後の自分のお腹を触る。
右の邪が溜まっている部分が熱くなっている。
きっとしっかり治っていってるんだなと嬉しくなる。
そういえば、臍の形も変わったな。
変化を感じた箇所
太白周辺が赤みを帯びている
何か走ったなと思う箇所の付近にある経穴
腎経…兪府
胆経…京門、風市、帯脈、環跳、頭臨泣
脾経…血海、三陰交、商丘、大包、四白
肝経…曲泉
色々あるが使われた手数はとても少ない。
《電車の中で》
電車に乗っていると
こちらが逃げたくなる様なかなりの圧を感じる人がいる。
おそらく警戒心の様なものなのかな。
自身が投影されている部分もあるのかも…
患者さんの体を触るときも気をつけたい。
《臍》
神厥で起こる様な変化は果たして神厥に限った話なのかな。
他の経穴にも起こるのかもしれない。
そうなってくるときっと本に乗っていない様な色んな見方ができる様になるかもしれない。
それが合っているかどうかはまずはきちんと診れる様になった先にある話だけれど。
参考資料
「中医臨床のための方剤学」 東洋学術出版社 神戸中医学研究会著
「現代語訳 黄帝内経素問 上巻」 東洋学術出版社 南京中医学院編
鍼治療を受けて
先日鍼治療を受けて感じたこと
鍼を置かれた後、
即座に足底の方に向けて動き出す
勢いがあってまるで足から抜けていくような動き
同時に大きな呼気が生じる、
呼吸が何度か続けて起こる。
ふと治療に入る前に心に抱えていた、感情的なこだわり
(直近で起こった事について「解せない」と思う、苛立ち、怒りに似た感情)
が手放せて軽くなったことに気づく
(これは気滞に当てはまるのか?)
この直後に体の別の部位、
肩の力みについて意識が入り、肩の緊張が緩む。
この肩の力みは腰の弱さ(慢性腰痛あり)と関連していると自覚する
____________________________
ある部分の滞りが他の部位にも波及していくように
ほどける時にも推進力のようなものが働くのだろうか
普段はおとなしい腰痛が悪化する時には、
体が疲労倦怠の状態にあることが多い。
腰に違和感を感じ始めた後に続くのが、
上半身と下半身の疎通不良、からだ全体の動きの硬さや気鬱の症状
(気虚が先で、気滞が後か?)
記事を書きながら、考えていたが
「どちらが」という検討に意味がないと思えてきた
ただ、はっきりとしたこと
これまでは気病が4種に分類されていること、
この4つをこれまで概念的にしか見てこなかった。
表れる症状を単語と結んで並べていただけだった。
しゃべる訓練など
しゃべる訓練
しゃべる訓練として自分語りをします。
先日一鍼堂で「なぜ鍼灸師になろうと思ったのか」と言った話を先生とした。
その時にお伝えした内容ですが、それよりもっと前になぜ医療をやりたいのかと言った問答が自分の中にあった。
大学生一回生の時、情報基礎倫理の授業で
「グラスに入った水が半分残っています。
これをどう考えますか?」
と言ったテーマで講師が話していた。
その問いに対して
「残り半分もある」
「残り半分しかない」
どう捉えましたか?
と言った内容だった。
話を聞いていて、ふと陰陽の考え方がよぎった。
グラスには水の入った部分もあれば空の部分もある。
全てには逆の側面がある。
もちろんその先もあるが、ほとんどの事象はそう。
世間一般の良いや悪いの評価に対して
何でお前らに決められなあかんねん、と疑問を抱いていた中で出会ったそんな考え方。
自分の中にドカーン!と言った感覚があって、その日の学校の帰りは見るもの全ての逆の側面を見るようにしていた。
東洋医学の中にある考えの一つに触れ、それが何なのか知ってみたくなった。
何となくですが、その先に自分みたいなしんどい人が救われる未来があるのかなと医療人を目指したような気がします。
過去に囚われるのは良くありませんし、そこに縛られている訳でもありませんが、先へ進む為にもいい振り返り方はありかなと感じた。
カフェにて
老子を読んでいて、ボーッとしながらふと周りの景色が入ってきた。
その時に大きく飾られていた世界地図を見た。
ありきたりな感想ですが、
「日本って小さいなぁ」
そう思いました。
この狭い国の中でさらに狭いコミュニティに縛られる必要はない。
もっと広く、大きなものを。
世界地図だって宇宙を含めたらまだまだ狭い。
どこまでも伸び伸びと。
思い浮かんだ逍遥という言葉。
単語としては一番好きかもしれません。
何も抱かない
何か不満が募る。
そこは出した方がいいかもしれない。
でも、そこを抱かない事が一番大切。
最初からなければ何も生まれない。
何に焦点を当てて生きていくか。
スッキリした人間でありたい。
腹部と経穴
習った腹部のエリアと経穴を一致させるために、心経の穴のみをを軽く刺した。
刺した後に感じる腹部の変化。
変化を感じる事ができて良かったです。
動かし方など
動かし方
自身の受けた治療について。
下焦を動かしたいからと言ってアプローチするところは下焦に直接的にアプローチすればいいとは限らない。
上からのアプローチは自身で受けたものでは2回目ですが、何故か新鮮に感じられ、治療翌日の動き方も今までと違う気がして勉強になりました。
標本?
症状には経絡・経筋など枝葉があるけども、それを考える時は臓腑でも同じ。
相剋・相生など五行では習いますがそう言ったものに限らない話で、あるのかもしれませんが書籍ではなかなか載っていない自身の知らない繋がりが隠れている。
何か教わった事で一つのキッカケで色んな関連したものが「バババっ!」と繋がっていく感覚。
自分の中で発見があるとても楽しい時間でした。
自分の体で灸を受けた時も同じ反応が出ます。
本体性振戦
調べると「原因はよく分からないけど震える状態」に付けられる病名。
場所は手指・頭・声に多いらしい。
薬はβ遮断薬が良く使われる。
陽明蓄血
現代語訳 宋本傷寒論 P422
「陽明の証があり、患者に健忘がある場合は、必ず蓄血がある。なぜかというと、その患者にはもともと瘀血があり、これが患者に健忘をおこさせている。大便は乾燥して硬くなっていても、かえって排便は容易で、しかも大便の色が必ず黒ずんでいる。この場合は、抵当湯で瘀血を攻下すればよい。」
役立ちそうなのでメモとして残します。
この本再販されないかな…
生き方
とても大切だと感じる出来事が最近多い。
どんな過酷な環境でも自分を失わず、自分の思う正しい生き方をして鍼灸師として治療にあたれる。
そういう治療家になりたい。
参考資料
現代語訳宋本傷寒論解説 東洋学術出版社 生島忍編著
五行色体表の学習
皆さまこんにちは。
本日は五行色体表の暗記を行う際に、
気になったものについて学習しました。
私が特に難しいと感じたのは〝五脈〟です。
五脈(弦、鈎、代、毛、石)
難しいと感じる理由として、
漢字からどういう脈なのか
イメージできるものと、しにくいものがあると感じました。
そこで、まずは教科書から五脈について学んでみたいと思います。
はじめに五脈とは?
→五脈は五臓と対応する脈のことである。
〈対応する五臓と脈について〉
(肝)弦は、糸がピンと張ったような脈
(心)鈎は、拍動の来るときが強く、去るときが弱い脈 である。
(脾)代は、やわらかく弱い脈のことで、「代脈(不整脈の一種)」とは異なる。
(肺)毛は、羽毛のように軽く浮いて力のない脈
(腎)石は、石のように硬く沈んだ脈
『素問』平人気象論篇第十八では、五季の正常な脈を
「春は微かに弦」「夏は微かに鈎」「長夏は微かに耎弱(ぜんじゃく)」
「秋は微かに毛」「冬は微かに石」と記載し、この脈以外では病や死になるとしている。
ここまでは教科書に記載していた内容です。
次に、東洋学術出版社『素問』平人気象論篇第十八(p304〜308)から抜粋した原文をみてみたいと思います。
【原文】
平人之常气禀於胃。胃者平人之常气也。人无胃气曰逆。逆者死。
春胃微弦曰平。弦多胃少曰肝病。但弦无胃曰死。胃而有毛曰秋病。毛甚曰今病。藏真散於肝。
肝藏筋膜之气也。夏胃微钩曰平。钩多胃少曰心病。但钩无胃曰死。胃而有石曰冬病。
石甚曰今病。藏真通於心。心藏血脉之气也。长夏胃微耎弱曰平。弱多胃少曰脾病。
但代无胃曰死。耎弱有石曰冬病。弱甚曰今病。
藏真濡於脾。脾藏肌肉之气也。秋胃微毛曰平。毛多胃少曰肺病。但毛无胃曰死。毛而有弦曰春病。弦甚曰今病。藏真高於肺,以行荣冲阴阳也。
冬胃微石曰平。石多胃少曰肾病。但石无胃曰死。石而有钩曰夏病。钩甚曰今病。
藏真下於肾。肾藏骨髓之气也。
【書き下し文】
平人の常気は胃に稟く。胃なる者は平人の常気なり。人に胃の気なきを逆と曰う。逆なるものは死す。春の胃は微弦なるを平と曰う。弦多く胃少なきを 肝 病むと曰う。但 弦のみにして胃なきを死と曰う。胃ありて毛あるを秋に病むと曰う。毛甚だしきを今病むと曰う。蔵の真は肝より散ず。肝は筋膜の気を蔵するなり。夏の胃は微鈎なるを平と曰う。鈎多くして胃少なきを心 病む曰う。但 鈎のみにして胃なきを死と曰う。胃ありて石あるを冬に病むと曰う。
石甚だしきを今病むと曰う。蔵の真は心に通ず。心は血脈の気を蔵するなり。長夏の胃は微・耎弱なるを平と曰う。脈多く胃少なきを脾 病むと曰う。但 代のみにして胃なきを死と曰う。耎弱にして石あるを冬に病むと曰う。弱甚だしきを今病むと曰う。
...
順気一日為四時篇 第四十四(01)
黄帝曰、願聞四時之気。
岐伯曰、春生、夏長、秋収、冬蔵、是気之常也、人亦応之。
以一日分四時。
朝則為春、日中為夏、日入為秋、夜半為冬。
朝則人気長、長則勝邪、故安。
夕則人気始衰、邪気始生、故加。
夜半人気入蔵、邪気独居干身、故甚也。
黄帝曰く、願わくば四時の気を聞かん。
岐伯曰く、春は生、夏は長、秋は収、冬は蔵、これは気の常なり、人もまたこれに応ず。
以て一日を四時に分つ。
朝は則ち春を為し、日中は夏を為し、日入は秋を為し、夜半は冬を為す。
朝は則ち人気が長じ、長則ち邪に勝り、故に安なり。
夕は即ち人気が衰え始め、邪気が生まれ始まる、故に加なり。
夜は人気が蔵に入り、邪気が独り身に居り、故に甚だしきなり。
【参考文献】
『黄帝内経 霊枢 下巻』東洋学術出版社
祖母への鍼灸ケア:温灸器
祖母(94歳。認知症あり。要介護4。脳梗塞後遺症あり。)
に対する、スモークレス温灸器の動作テスト。
不定愁訴は便秘。
使用経穴は督脈の腰陽関と霊台あたり。
経穴は使わないと覚えられん……
※7月14日に行いました。
良かった感覚
面白い体験が出来た。
できる限り沈んだ感覚で相手を感じれた。
その時は問診で特に何も聞いてなかったのですが、患部側の反応が大きかったので感じる事が出来た。
一連の流れから明らかにおかしくなってる箇所があって、そこで自分の気が当たるとバチバチバチ!となる。
イメージ的には
ーーーーーーーーー物質ーーーーーーーーーーーーーー
この何かが流れを止めていて、その箇所に症状が出ていたイメージ。
良い状態で入れたので、自分と相手の境界線がなく、相手の事が自分の事の様に感じれた。
その時の自分の心の状態のイメージはどんよりした暗さではなく、澄んだ暗さのイメージだった。
どこかの鍼灸師さんの話で男性でも女性の生理痛がわかるって話を聞いた事があるけど、あの感覚なんだろうか。
こう言ったことをもっと探って理論化して治療に役立てていく様にしたい。









