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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

【学生向け勉強会】 「素問を読もう!」勉強会のお知らせ

こんにちは、一鍼堂の大原です。 鍼灸学生の皆さんへお知らせです。 この春から、東洋医学のバイブルである黄帝内経を 週1回ペースで読んでいこうという勉強会を 開催します! こんな人にオススメです↓↓ 「黄帝内経を読んだ方が良いと言われたけれど、どうやって読んだら良いか分からない」 「自分一人では勉強がなかなか続かない」 「将来は、東洋医学の伝統的な考えに基づく鍼灸治療を行っていきたい」 「土日は忙しくて勉強会に参加できない」 週1回ペースで素問を読んでいくことで、 半年後には漢文を読めるようになることを 目標にしたいと思います。 興味がありましたらぜひお問い合わせください! 参加希望・お問い合わせはこちらへ↓ 学生向け勉強会フォーム ↑「エントリーしたい議題」の欄に、「火曜」か「木曜」のどちらかをご記入ください。 以下、詳細です。 【予定内容】 座学で、黄帝内経(素問)の内容を読み合わせていく。 目標としては「週1回ペースで古典に触れていくことで、 半年後には漢文を読めるようになる」 【参加対象】 鍼灸学生(新1年生~新3年生) 【日程・スケジュール】 (1)火曜の部 毎週火曜日 19時00分 ~ 20時30分頃 (2)木曜の部 毎週木曜日 13時00分 ~ 14時30分頃 火曜か木曜のどちらか参加しやすい方に ご参加ください。 ※上記(1)と(2)について、 同じ週の火曜と木曜は基本的に同じ内容の予定ですが、 進捗状況が異なってくると 少しずつずれてくるかも知れませんので できるだけ同じ曜日に出席されるのが良いかと思います。 第0回 (説明回 → 素問・上古天真論(第1)を少し) ・3月20日(火) 19時00分 ~ ・3月22日(木) 13時00分 ~ →以降、同じように、 毎週火曜19時~と、木曜13時~に行なっていく予定です。 詳しくはスケジュール表を参照ください。 【参加費】一回あたり2,500円 ただし、第0回は説明会を兼ねておりますので 「無料」といたします! 興味がありましたら ぜひお問い合わせください! エントリーされる方はこちらへ↓ 学生向け勉強会フォーム ↑「エントリーしたい議題」の欄に、「火曜」か「木曜」のどちらかをご記入ください。 ------------------------------------------------------------------------- 【最後に】 新2、3年生の鍼灸学生さんは 色々な技術を習得していく中で、 将来自分が進むべき道というのが 少しずつ見えて来たかも知れません。 また新たに鍼灸学生さんになる方は 夢を持ってこの業界に進もうと 思っておられると思います。 ですが、伝統的な鍼灸をやってみたいが 古典を学ぶ場所が無いという声を聞きます。 そんな皆さんの為に、継続して学習していく 勉強会を開催することとなりました。 このような週1ペースの勉強会は初の試みですので 正直どのようになるか分かりませんが、 参加者の方と一緒に勉強させていただく気持ちを忘れず、 共に学んでいけたらと思います。 一定数に達した場合は 定員とさせていただきますので、 ご容赦下さいませ。 (人数が集まらない場合は中止とさせて頂きますので ご了承くださいますようお願いします。) 【講師】一鍼堂 大原 エントリーはこちら ↓ ↓ ↓ 学生向け勉強会フォーム ↑「エントリーしたい議題」の欄に、「火曜」か「木曜」のどちらかをご記入ください。 一鍼堂

澤田流鍼灸術に正式入門。

澤田流聞書、鍼灸真髄。 学校の先生からオススメされて、図書室で細々と読んでましたが、自分や家族の治療で頻繁に参照するので、思い切って買いました。 …… P143「古道研究の態度」より引用。 ある時、私は先生より、 「あなたは和漢三才図会を読んだことがありますか。」 と聞かれ、何気なく「読みました」と答えたところ、非常に叱られた。 その際、先生はこう仰っしゃられた。 【今の人間は本の数だけ沢山よめばそれで良いと思っているが、それでは本当のことはわからん。三才図会のような良い本になると、一通りや二通り読んだだけでは駄目です。百ぺんでも二百ぺんでも読んで、生きた人間に当て嵌めて診て、わからん処のなくなるまで読まねばなりません。あなた方の、読んだ、というのは、それは本当に読んだのではない。ただ眼で見ただけにすぎない。】 こう言われ、私の軽率な態度を戒められた。 (中略) 古医学を学ばんとするものは、まず現代の医学的知識を【一応】投げ捨てて、我見を去り、無私なる虚心に帰ることが必要である。 (後略) …… この本は、鍼灸専門学校一年修了(経絡経穴・東洋医学概論・灸術)ぐらいの実力で、そこそこの?治療ができるレベルにまで導いてくださる上に、伝統鍼灸術における学習の仕方まで叩き込んでくれます。 おかげで、母や弟の治療に役立ってます。 …… 澤田先生の檄を胸に、もっかい、気合、入れ直そう。 ロックンロール。

勉強会など

先日勉強会で症例検討を行いました。 その際に気になった点を書いていきます。   舌 状態から考えて陰液の欠乏、熱、正気の弱りが考えられる。   脈 Oさんから教えていただいた感覚から 瘀血、虚熱、正気の弱りが伺えた。   切経も含めて、まずは脾と胃の関係を考え直したい。   また、症状からして脾気虚を原因とした脾陰虚の様なニュアンスも感じます。 これが原因で病理産物も生成されたのか。   現代語訳 黄帝内経素問上巻 太陰陽明論篇 「四肢は皆気を胃に稟くけども、経に至ることを得ず。必ず脾に因りて、乃ち稟くることを得るなり。 今 脾病みて胃の為に其の津液を行らすこと能わざれば、四肢水穀の気を稟くるを得ず。」   「黄帝がいう。「脾と胃とは、一つの膜を挟んで連ねているだけであるが、脾が胃に変わって津液を輸送するというのはどういう理由か。」 岐伯がいう。 「足の太陰脾経は、三陰と言いますが、その経脈は胃を貫いて脾に連属し、咽喉を絡っています。 このため太陰経の脈は胃の水穀の精気を手足の三つの陰経に送ることができるのです。 一方、足の陽明胃経は、足の太陰脾経の表にあたり、五臓六腑の栄養の供給源です。 このため太陰脾経が胃に変わって津液を送るといわれています。 五臓六腑はいずれも脾経を経て胃の水穀の気を受けています。 このため太陰脾経が胃に変わって津液を送ると言われています。」」     切経から陽明の熱の様な存在も気になったのですが、脾が立て直され陰液が生成される様になれば自然と落ち着くのか? 上の文、気になったので書き残します。 他に瘀血のできる位置もとても勉強になりました。   課題 相手を感じれた?時なんとなく相手の気持ちが移ってきて同じ様な状態になる事が少し増えたのですがこれはまた自分の課題とするところと違うのか。 良い事なのか悪い事なのかわかりませんし、一向に問題をクリアできていないのですが今までにはなかった感覚なので新鮮です。

第28回 はり師・きゅう師 国家試験。

令和2年2月23日、『第28回 はり師・きゅう師 国家試験』を受験しました。 解答速報での自己採点では、ある程度余裕をもって合格点を越えていますので、致命的なマークミスが無い限り大丈夫と思われます。 試験が終わって、”やり終えた感”の試験後を過ごしておりますが、 本日も朝の目覚めの時に「勉強せな!」と起きて・・ 「あれ?模試?、、卒試?、、国試?、、、?、いやいや、全部終わってるやん。」 となってしまいました。 先生方にしてみれば、懐かしい感覚ではないでしょうか。 私のクラスは最後の一ヶ月間、皆が共に勉強する雰囲気が出来て、ラストスパートが上手くいった様です。 その結果、卒業できる者は全員、国家試験に合格点をクリアする事ができました。 それが、一番嬉しく思っています。 卒業式が3月に行われますが、変に気を使わずに最後の3年生の1日を皆と過ごせそうです。 院長はじめ、皆様には学生の期間中に大変お世話になりました。 お一人ずつに顔をみてお話が出来たら良いのですが、一先ずこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。 本当に、ありがとうございました。 受付をしていると云う事で、各種勉強会に優遇措置にて参加させて頂き、院長のご厚意に大変感謝しております。 学生中の勉強会の一つ一つが貴重な時間であり、お世話になりました。 これからが本当の意味での勉強の始まりと考えております。 厚生労働省の正式な発表まで、まだ時間は少しありますが、 日々、医学の探求に精進して参りたいと思います。 宜しくお願い致します。

背中・寺

  姉の身体を触らせて貰いました。   気になったのは右の腎兪のあたりのエリアが落ち込んでいると思った。   お腹を向けてもらうと夢分流腹診の表で左の腎に当たるエリアが右に比べて力がなく柔らかかった。   実際のところ背中の臓腑の反応は腹とリンクするのか、またリンクするとしたらそこに規則性はあるのか気になります…。   腹、背中と触っていたら左の踵が痒いと掻き始めたのでこれも何なのか考えてみます。   また、背候診とは別件ですが、先日京都の法然院に行ってきました。   銀閣寺から哲学の道をしばらく歩いていった場所にあるお寺なのですが、行ってみると観光客もおらずゆっくり見て周ることが出来ました。   静かなのでセミや鳥の鳴き声、水の音などをじっくり聴け、生えている苔などもとても綺麗でいい場所でした。   また気が向いた時に行こうと思います。   写真撮影可能なお寺でしたのでアイキャッチ画像に設定しています。

初学者の心得

「予想外なことが起きるとパニックになり思考停止するのは治さないといけないことだね。」 とご指摘いただきました。 また、ある日は、 「ネガティブな思考にハマるとどんどん引っ張られる」とも。 また、ある日は、 「甘えや恐れは禁止」 とも。 自分の心情を優先してしまい 患者さんの事を置き去りにしてしまっている。 なにより治療に集中できていないことです。 患者さんとの距離感、問診、切経、刺鍼、 治療が終わるまで… ひとつひとつの流れの中で この間できなかったことだから、 今日は直そうと取組むが、 打開できず、悔しい日々。 課題が山積みで、パニック、ネガティブになり もどかしくて凹みます。 患者さんと術者の距離感、 今まで自分がやっていた人間関係を築く方法は、 鍼の効力を下げてしまうと教わり、 これはマズイと思うものの、 あれもこれもと課題があって 今はどうすれば良いかわかりません。 恐れ、迷い、揺らぎがある時に鍼をすると、 悪い方向に傾くとので、 鍼はとても繊細だと思い知りました。 自分を鼓舞して挑んで失敗しても、 先生方がリカバリーしてくださり、 その失敗から多くを得る事もできました。 これは甘えなのか? ふと、心配になりますが、 挑んだ結果得られた物なのだから、 一旦今日は良しとします。 初学者だけど、これから将来 治療者として絶対にブレてはいけない 大切な心構えを教わっています。 まずは、凹んだことを引きずったり ネガティブモードに「執着」することを辞めます。

お腹と体型

  最近は腹診を中心に勉強しています。   まず自分の体験として一鍼堂で治療を受けさせて頂いて外形の変化で一番感じたところがお腹でした。   下っ腹と側面の形が特徴的なお腹です。   治療を受けていくとだんだんとフラットになり、自分では別人のお腹の様になったと思っています。   そこから似たような人を意識して観察する様にしているのですが、反り腰、股関節の動きが悪いという特徴がある気がします。   まだ例が少ないし勘違いかも知れませんが…   循行的には胃経が絡んでくる場所で、私自身も食や消化器官に関するトラブルが発生しやすいので関連があるかもしれないなと思っています。   また、胃関連の気になったところで、普段はそんなに舌が濡れていていないのにその日はとても唾液が多い人がいた。   腹部を触らせて頂くと胃の部分がとても冷たかった。   お話を聞くと冷たいものが多くなっているらしく、食欲不振も起こっているらしい。   残念ながら背中は触れませんでしたが、反応があるのか気になるところでした。     PS今回のブログで使用している写真ですが淀川花火大会のものです。 自宅付近のとある場所から見えるのですが、3年ぶりでしたのでじっくり観ました。 とても綺麗で、フィナーレの打ち上げではたくさんの歓声が上がっていました。 自宅の近くで毎年行われるイベントなので正直最近はしっかり観れていませんでしたが、やはり行なって頂いた方が8月!って感じで楽しいです。
切脈一葦

切脈一葦 序文2

こんにちは、大原です。 前回(切脈一葦 序文1)は、 『切脈一葦』の二ページ目の最後の一文の途中で終わりました。 今回はその続きからになります。 今回も原文から文意を汲み取って、 文章の読み方を考えていきます。 <読み方> 王叔和(おうしゅくか)、この理を知らず。 心と指とを分けて論ずること、一笑に余れり。 また指を以て診する法は、世に伝えて教えと為すべし。 心を以て了する法は、其の人にあらざれば伝うることあたわず。 しかるに今その伝うることあたわざる法を易しとし。 その伝えて教えと為すべき法を難かしとす、思わざるの甚だしきなり。 またその明らかし難き所の脈状を書き著して、 教えを世に垂れんとす。 これ全く己を欺き、人を欺くの甚だしき甚だしなり。 歴代の医、これを弁ずることあたわず。 却ってその説を潤色して、脈の一診を以て、病を知るの法とす。 これ古人の脈法廃して、ただ王叔和の脈法のみ。 世に盛んなるゆえんなり。 家君かつて曰く、 凡そ脈の変態多しといえども、その状十余種に過ぎず、 ただこれを形容する所の文字多きのみ。 王叔和の徒これを弁ぜず。 形容する所の文字を以て、脈状の名と定めて、一字一字に註解を加えて、 二三十の脈状と為す。 これ脈学塗炭に墜(お)ちるゆえんなり。 ○敏ならずといえども、黙してこれを看過するに忍びず。 因りて切脈一葦を作ると。 これ家君が文字の脈状を破りて、脈状の文字を活用するの大意なり。 この書は固(もと)より大河の一葦にして、 脈学を尽くすことあたわずといえども、 これをもって学ぶときは、古人の流に溯(さかのぼ)るべし。 古人の流に溯ぼるときは、古人と異なることなし。 古人何人ぞ今人何人ぞ、 ただ古人は志を厚くして深くこの道を窮(きわ)めるのみ。 これ今人のあたわざるところにあらず。為さざる所なり。 もし今志を厚くして深くこの道を窮(きわ)める者あらば、 脈を診するに臨みて何ぞ古人に譲らんや。 もし古人に譲る心 (以下、次のページ、下に続く) 有りて、脈を診するときは、必ず心に安ぜざる所あり。 もし心に安ぜざる所あるときは、必ずその病を決断することあたわざるなり。 故に脈を診するに臨みては○がごとき浅劣の者といえども、 必ず古人と異なることなき心を以てこれを診す。 いわんや明達の人においては、 ○が古人と異なることなき心を以て診すると同じからず、 必ず古人と全く同じき者あらん。 豈(あに)ただ古人と全く同じきのみならんや。 必ず古人のいまだ発せざる所を発するものあらん。 後生畏るべし。 これ○が議するところにあらざるなり。 天保辛卯春三月十五日男○謹序 --------------------------------------------------------------------------------- 況(いわん)や:もちろん、言うに及ばず 豈(あに):どうして〜(反語) 決して〜ない --------------------------------------------------------------------------------- 前回に続きですが、 その内容は、著者の 「王叔和は何も分かってない」という 非常に厳しい批判から始まります。 脈診で必要なのはそれを診る心であるが、 王叔和は脈の状態を何種類かに分類して 「○○脈であれば△△の病である」と、 脈の状態でその場合の病はこうであるというように分類しているが、 こんなことが正しいのだろうか・・・、 このような考え方が広まってしまうのは脈学にとってマイナスではないか、 これでは脈学は地に堕ちてしまう、 もうこれは見過ごせない!、 ということで、この『切脈一葦』を記したと書かれています。 その後に、前回の記事の内容とからめ、 まとめのような形で 大事なことも書かれています。 ちなみに王叔和は、 有名な『脈経』という大書を著した人物として有名です。 また『傷寒論』の編纂もされたといわれており、 その功績は非常に大きく、 東洋医学の歴史の本には必ず載っているイメージがあります。 (為沢先生が王叔和についてのブログを書かれています。 https://www.1sshindo.com/blog/zenith17665/ ぜひ参考にしてください。) 参考文献 『切脈一葦』(京都大学附属図書館所蔵) 画像は京都大学デジタルアーカイブより

臓腑について学ぶ(02)

伝導不随:大腸の腑氣の鬱滞と津液の不足により起こる。 大腸 〇 燥熱傷津(熱秘) 熱邪と糟粕が結びつき、津液を焼いて乾燥させる。 熱の原因として 「表寒が裏に入って熱化する」 「温邪が肺胃より大腸に順伝する」 「五志の異常が火化し、胃腸を攻撃する」 「味の濃いものばかりを食べて内熱が生じる」 〇気機鬱滞(気秘) 肝氣の鬱滞より脾胃の氣機も鬱滞し、腸道の伝導機能が動かない。 そして火化する。 〇気血虚衰(虚秘) 大腸の伝導能力がなくなってしまう。 排便後は疲れてしまう。 氣血の欠虚原因として 「普段から氣血が欠虚しており、津液が不足している」 「産後の陰血不足」 「長患いの為、脾肺の氣が虚す」 「年老いた為に元気が不足」 〇陰寒凝滞(冷秘) 腸道が温まらず氣機が停滞する。 冷やす原因として 「冷たいものを食べ過ぎ中焦の陽気が打撃をうける」 「長患いの為に脾胃が陽虚になり寒が発生する」 《私議》 氣がスムーズに動いているのか?水分量が適切なのか?との問いについて、 他の臓腑にも共通するのか、考察します。 鍼灸学生の頃、解剖学の先生に小腸と大腸の違いを質問した事がありました。 細胞の形態の違いなどから、大腸を「要は外ですわ。」と教えられた事がありました。 なるほど!と合点がいったのを覚えております。 【参考文献】 『中医病因病機学』東洋学術出版社

文字・言語

  文字、言語って何なのか。   調べた訳ではないが、集団で行動する為にイメージから共通の認識を言化・文字化したのではないのかな。   つまり「大体こういう意味ですよね」という共通認識を作ることでコミュニケーションを容易にさせているのだと想像。   では、共通言語や文字を持たない相手とは理解し合えないのか。   様子に出るのでそういう訳ではないと思う。   家の猫を見て、 「今かまってほしくないんだな」 「これからこっちくるぞ」 「喜んでるな」 「この空気が好きなんだろうな」   など伝わるものもある。   身体を触らせてもらった時で一番わかる時は包む様に触った時。   その時の自分は柔らかい状態にあると思う。   結局は猫ではなく、人間の治療をする訳だけれども、同じく言語に振り回されず、言葉は通じないものとしてやってみたい。   先日受付で話に出たケータイは怖いですよねと言った話、 「勝手に枠組みを作られて色眼鏡になり、相手を見れなくなる」   その認識とも繋がる気がする。   結局何か情報として伝えられた段階っていうのはわかった気にはなれるけど、わかってないんだと思う。   そこに自分の感覚が乗らないと本当に理解できない。   次の寺子屋は「人ではなく生命現象に触れる」   あれこれ書いたけど、そっちの方が自身をフラットに保てる気がするので、そんな感じでシンプルに切経してみよう。