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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

木

五行色体表の学習

皆さまこんにちは。 本日は五行色体表の暗記を行う際に、 気になったものについて学習しました。 私が特に難しいと感じたのは〝五脈〟です。 五脈(弦、鈎、代、毛、石) 難しいと感じる理由として、 漢字からどういう脈なのか イメージできるものと、しにくいものがあると感じました。 そこで、まずは教科書から五脈について学んでみたいと思います。 はじめに五脈とは? →五脈は五臓と対応する脈のことである。 〈対応する五臓と脈について〉 (肝)弦は、糸がピンと張ったような脈 (心)鈎は、拍動の来るときが強く、去るときが弱い脈 である。 (脾)代は、やわらかく弱い脈のことで、「代脈(不整脈の一種)」とは異なる。 (肺)毛は、羽毛のように軽く浮いて力のない脈 (腎)石は、石のように硬く沈んだ脈 『素問』平人気象論篇第十八では、五季の正常な脈を 「春は微かに弦」「夏は微かに鈎」「長夏は微かに耎弱(ぜんじゃく)」 「秋は微かに毛」「冬は微かに石」と記載し、この脈以外では病や死になるとしている。 ここまでは教科書に記載していた内容です。 次に、東洋学術出版社『素問』平人気象論篇第十八(p304〜308)から抜粋した原文をみてみたいと思います。 【原文】 平人之常气禀於胃。胃者平人之常气也。人无胃气曰逆。逆者死。 春胃微弦曰平。弦多胃少曰肝病。但弦无胃曰死。胃而有毛曰秋病。毛甚曰今病。藏真散於肝。 肝藏筋膜之气也。夏胃微钩曰平。钩多胃少曰心病。但钩无胃曰死。胃而有石曰冬病。 石甚曰今病。藏真通於心。心藏血脉之气也。长夏胃微耎弱曰平。弱多胃少曰脾病。 但代无胃曰死。耎弱有石曰冬病。弱甚曰今病。 藏真濡於脾。脾藏肌肉之气也。秋胃微毛曰平。毛多胃少曰肺病。但毛无胃曰死。毛而有弦曰春病。弦甚曰今病。藏真高於肺,以行荣冲阴阳也。 冬胃微石曰平。石多胃少曰肾病。但石无胃曰死。石而有钩曰夏病。钩甚曰今病。 藏真下於肾。肾藏骨髓之气也。 【書き下し文】 平人の常気は胃に稟く。胃なる者は平人の常気なり。人に胃の気なきを逆と曰う。逆なるものは死す。春の胃は微弦なるを平と曰う。弦多く胃少なきを 肝 病むと曰う。但 弦のみにして胃なきを死と曰う。胃ありて毛あるを秋に病むと曰う。毛甚だしきを今病むと曰う。蔵の真は肝より散ず。肝は筋膜の気を蔵するなり。夏の胃は微鈎なるを平と曰う。鈎多くして胃少なきを心 病む曰う。但 鈎のみにして胃なきを死と曰う。胃ありて石あるを冬に病むと曰う。 石甚だしきを今病むと曰う。蔵の真は心に通ず。心は血脈の気を蔵するなり。長夏の胃は微・耎弱なるを平と曰う。脈多く胃少なきを脾 病むと曰う。但 代のみにして胃なきを死と曰う。耎弱にして石あるを冬に病むと曰う。弱甚だしきを今病むと曰う。 ...
夕焼け

中医内科学 その2 心の病理①

前回の記事 『中医内科学 第2版』冒頭 臓腑の働きについて 『中医内科学 第2版』P.49〜、P.72〜より 心 『霊枢』邪客篇にて 「心なる者、五臓六腑の大主なり、精神の舎(やど)る所なり。」 とあり、 心の主な生理作用は、神明を主るものである。 『素問』痿論篇にて、 「心は身の血脈を主るなり」 とあり、 心は血脈を主るとは、また特別重要な生理作用であり、 ゆえに神明を失し、血脈が不利になることは、 心の基本病理変化である。 (1)心不主神明(心、神明を主らず) ・・・心が常を失すると、心神安ぜず、神舍を守らず、 患者に失眠りや多夢、恍惚(こうこつ)、健忘、惊悸、恐怖、 妄言、妄見、ときに悲しみ、ときに喜ぶ、ふるまいが常を失して、 痴呆、癲狂等の病証。 甚だしき場合は、神明が閉塞あるいはばらばらになる、 うわごと、意識がはっきりしない、 神明が臓腑百骸を統率・主宰できなければ、 患者の生命に危険がおよぶ。 ゆえに 『素問』霊蘭秘典論篇では 「主が明らかならざれば十二官危うし、 使道閉塞して通ぜず、形すなわち大いに傷れる」とあり 心が神明を主らなければ、心神が失養して、邪気受けて心竅を乱す。 心の要は正常な神志活動の進行であり、 必ず気血陰陽の充養を頼る。 ・・・ ゆえに『景岳全書』では 「営は血を主り、血虚なれば心を養えず、心虛なれば心は舍を守れず」 とある。 心竅に、火熱、痰濁、瘀血などの邪気が犯せば、神明は主を失し、 軽ければ火熱擾心、神志不寧となり、患者は失眠や多夢、煩躁あるいは精神狂躁等を引き起こし、 甚だしければ痰濁、痰火、瘀熱が心竅をあざむき、嗜睡、痴呆、昏迷等を引き起こす。 ゆえに『霊枢』邪客篇では 「心なる者、その蔵強固にして、邪容(い)るあたわざるなり。 これに容(い)ればすなわち心傷れ、 心傷るればすなわち神去り、神去ればすなわち死す。」とある。 (2)心不主血脈(心、血脈を主らず) については次回に続きます。 ■参考文献 『中医内科学 第2版』 人民衛生出版社

陰陵泉

こんにちは高山です。 今日は陰陵泉穴について書いていきたいと思います。 陰陵泉って初めて聞いた時、ちょっとカッコいいって思いました。 陰陵泉の漢字を見てみると、 「陰」は陰陽の陰であったり、 陰真、陰津、陰虚、陰血など陰に関わりのある経穴って イメージです。 「陵」はあまり馴染みの漢字ではなかったのですが、訓読みで「いささぎ」という読みがあるようで、 意味は天皇や皇后のお墓という意味があるそうです。 ということはすごく大事な場所ですね 「泉」は水が湧き出るところ。 つまり陰陵泉は陰に属していて水が湧き出るすごく大事なところって意味で捉えることが出来るかもしれません。 名前のイメージ通り、陰陵泉の穴性は利水と言われています。 脾の運化機能の失調による、水湿や水飲の滞留を通調してくれる作用があります。 つまり脾の失調による水様便や浮腫など、もしかしたら 花粉症の透明な鼻水にも効果があるのかもしれません。 逆に脾の関わりが薄そうな、胸水や、自汗、尿量減少、 関節に水が溜まるなどにも効果があるのでしょうか? 弁証によっては効果があったり、なかったりするのかもしれません。 陰陵泉は脾経の合穴であるので、脾に関係のない水による疾患には効果がないのでしょうか? 水が密接に関わってくる臓腑は腎、脾、肺、三焦な感じがします。 これら全てに陰陵泉に効果があれば、すごく便利かもしれません。 水に関連する経穴をよく調べてみようと思います。

舌診(04)

舌苔について整理する 【苔色】 白苔 表証を示し、傷寒の太陽病や温熱病の衛分証でみられる。 黄苔 熱証を示す。表に熱が留まったり、邪熱が裏に入ったり。 化熱もあり表寒化熱や陽虚の水湿不化をあらわす。 灰苔 裏証を示し、裏熱・痰飲・寒湿などでみられる。 黒苔 裏証を示し、熱極か陽虚寒盛など病変の重篤な段階でみられる。 緑苔 瘟疫や湿温などであらわれ、湿熱・痰飲などの化熱が考えられる。 霉醤苔 紅・黒・黄の混ざった苔で、湿濁が長期にわたって化熱を示す。 【参考文献】 『中医臨床のための 舌診と脈診』医歯薬出版社 『新版 東洋医学概論』医道の日本社

良かった感覚

面白い体験が出来た。   できる限り沈んだ感覚で相手を感じれた。   その時は問診で特に何も聞いてなかったのですが、患部側の反応が大きかったので感じる事が出来た。   一連の流れから明らかにおかしくなってる箇所があって、そこで自分の気が当たるとバチバチバチ!となる。   イメージ的には   ーーーーーーーーー物質ーーーーーーーーーーーーーー   この何かが流れを止めていて、その箇所に症状が出ていたイメージ。   良い状態で入れたので、自分と相手の境界線がなく、相手の事が自分の事の様に感じれた。   その時の自分の心の状態のイメージはどんよりした暗さではなく、澄んだ暗さのイメージだった。     どこかの鍼灸師さんの話で男性でも女性の生理痛がわかるって話を聞いた事があるけど、あの感覚なんだろうか。   こう言ったことをもっと探って理論化して治療に役立てていく様にしたい。

初学者の心得

「予想外なことが起きるとパニックになり思考停止するのは治さないといけないことだね。」 とご指摘いただきました。 また、ある日は、 「ネガティブな思考にハマるとどんどん引っ張られる」とも。 また、ある日は、 「甘えや恐れは禁止」 とも。 自分の心情を優先してしまい 患者さんの事を置き去りにしてしまっている。 なにより治療に集中できていないことです。 患者さんとの距離感、問診、切経、刺鍼、 治療が終わるまで… ひとつひとつの流れの中で この間できなかったことだから、 今日は直そうと取組むが、 打開できず、悔しい日々。 課題が山積みで、パニック、ネガティブになり もどかしくて凹みます。 患者さんと術者の距離感、 今まで自分がやっていた人間関係を築く方法は、 鍼の効力を下げてしまうと教わり、 これはマズイと思うものの、 あれもこれもと課題があって 今はどうすれば良いかわかりません。 恐れ、迷い、揺らぎがある時に鍼をすると、 悪い方向に傾くとので、 鍼はとても繊細だと思い知りました。 自分を鼓舞して挑んで失敗しても、 先生方がリカバリーしてくださり、 その失敗から多くを得る事もできました。 これは甘えなのか? ふと、心配になりますが、 挑んだ結果得られた物なのだから、 一旦今日は良しとします。 初学者だけど、これから将来 治療者として絶対にブレてはいけない 大切な心構えを教わっています。 まずは、凹んだことを引きずったり ネガティブモードに「執着」することを辞めます。
日にあたる猫

食べることについて②

皆さまこんにちは、イワイです。 前回の続きです。 〝後天の精〟とは生まれ持った〝先天の精〟とは別に 飲食物から補います。この後天の精の全身へのルートをみてみますと、 後天の精 ↓ 別名 水穀の精微といわれる ↓ 一部は気、血に化生→全身の組織、器官に行き渡る ↓ 残りの一部は 腎 に収まる となっています。 次は〝精〟の作用についてです。①〜③ ①生殖 ②滋養→人体の組織、器官に滋養する 詳しくみてみると、 精は必要に応じて、血へ変化。 ↓ 血も旺盛、正常に各組織、器官を滋養。 精は気へ化生。 ↓ 人体の新陳代謝を推動、抑制し生命活動を維持する。 精は人体を構成する基本物質と捉えられており、 東洋医学では精が充足していると、 生理機能は正常に働くと考えられています。 ③神の維持 神:広義では、生命活動の総称であり、精が充足することで、神の機能が保たれる。 狭義では、精神、意識 、思惟活動を主るもの。 ここからは、勉強した感想です。 飲食物を食べることで、西洋医学的に考えるとエネルギー源となるということ、一方で東洋医学的に考えると、エネルギー源という役割と五臓六腑が正しい働きを出来るようにしていたり、精神活動も主ることになるので、幅広い意味で捉えることが出来ることに気づきました。 【参考文献】 『新版 東洋医学概論 』東洋療法学校協会
切脈一葦

切脈一葦 上巻2

こんにちは、大原です。 前回の続きです。 前回:切脈一葦 上巻1 今回も、原文に書かれている文意を汲み取りながら、 その読み方や 著者の言いたいことは何かを考えていきます。 今回のところは、主に、著者の脈診に対する 厳しい考え方が記されているところになります。 --------------------------------------------------------------------------------- 画像は京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より、 9ページ目から引用。 (本ブログ記事で参照した箇所を掲載) <読み> 脈は、血気の盛衰を診する処(ところ)にして、 病の所在を診する処にあらず。 故に部位を論ぜず、 ただ動脈のあらわる処(ところ)をもって、 診脈の処となすべし。 寸口を診するの法、三指をもって、 掌後後骨の側、動脈手に応ずる処を按じて、もって寸口と定むべし。 脈あらわる処長き者は、指を疎にして診し、 脈あらわる処短き者は、指を密にして診るべし。 小児は、一指をもって診すべし。 反関の者は、動脈あらわる処を以て、寸口と定むべし。 凡脈を候うことは、五十動を診するをもって法とす。 必ず倉卒(そうそつ:急なさま。また、あわただしいさま)に 看過することなかれ、 もっぱら心を指下に留めて、 言することなかれ、 観ることなかれ、 聴くことなかれ、 嗅ぐことなかれ、 思うことなかれ、 これ脈を診するの要訣なり。 →ここまでは脈診における秘訣が書かれています。 脈を診るときは、 それ以外のことに神経を奪われたりせずに 脈診に集中することが一番大事であるぞ! と書かれています。 寸口は、手太陰肺経の脈にして、 五臓六腑の死生吉凶を決する所となし。 肺は諸気を主るゆえに、 また気口と名づけ、 肺は百脈を朝せんとして、 脈の大会なるゆえに、 また脈口と名づく。 その名3つあれども、その処は一なりというは、 皆分配家の説にして空論なり。 寸口は固より十二経の名も、 経穴の名も、いまだ有らざる以前の名にして、経穴の名にあらざるなり。 然るも後世に至って、 経絡を分かちて空所の名を配するときに、 寸口の地を、肺経の脈動と定めて、経渠・太淵二穴を配したる者なり。 また気口・脈口等の名は、 その後肺経の理を推して、名づけたる者なり。 →以上、ここでは、 脈診で脈をとる手首のあたりのことを 寸口といったり気口といったり脈口というが それらは 「単に言い方を変えているだけで 同じものだ」というのは嘘だぞ! と言ってます。 『素問』に、寸口気口の名有りて寸関尺を分かちて 三部と為すの説なし。 『難経』に始めて寸関尺の名を立つといえども、 いまだ左右に臓腑を分配するの説なし。 晋の王叔和に至って、始めて左右に臓腑を分配 するの説を出せり。 一の難は、一呼吸の間に、脈行くこと六寸、一日一夜に、脈行くこと五十度と定めて、 二の難は、尺寸を一寸九分と定めて、 臆見(おっけん:確たる根拠のない、推測や想像に基づく考え)を もって空理を論じたる者なり。 十八の難は、三部四経の説を立てるといえども、その言簡古にして解すべからず。 王叔和の分配を得て、粗通すといえども、これを要するに無用の空言なり。 →ここの最後のあたりに 「空理を論じているぞ」、 「無用の空論」であるぞ! と言ってますが つまり、脈診において 左右の脈それぞれに臓腑を割り当てるのは 机上の空論であって 実際はそんなことは全くないのだ! と言ってます。 『霊枢』に、気口と人迎とをもって陰陽に配して診することあり。 これまた無用の空言なり。 →また「無用の空論」が出てました。 『素問』に、寸を按ずの語あれども、寸は寸口のことなり。 尺は肘の横紋より、掌の根までの間を尺といいて、 この処の堅脆滑渋を見て、診法と為することなり。 また尺内の両傍は季肋なりの語あれども、尺内は、腹のことなり。 然るを分配家の徒が、尺脈のこととするは誤りなり。 →「尺」とは いわゆる「寸関尺」の尺だけではないぞ、 他の意味もあるんだぞ、と言ってます。 趺陽は、趺上にあらわるをもって、名づけたる者なり。 然るを後世に至って、分配家の徒が足陽明胃経に配して、 衝陽と名づけて、胃気の有無を候う処と為す者は、 寸口を五臓の気を候う処とするともってなり。 また人迎を足陽明胃経に配するも、この意なり。 それ脈は、皆胃気を候うの診法なり。 なんぞ、人迎趺陽のみに限らんや。 両額の動脈を、上部の天となし、 両頬の動脈を、上部の地となし、 耳前の動脈を、上部の人となし、 手太陰を、中部の天となし、 手陽明を、中部の地となし、 手少陰を、中部の人となし、 足厥陰を、下部の天となし、 足少陰を、下部の地となし、 足太陰を、下部の人となす者は、 素問の三部九候なり。 両額の動脈は、足少陽胆経の頷厭の動脈を指すなり。 両頬の動脈は、足陽明胃経の地倉の動脈を指すなり。 耳前の動脈は、手少陽三焦経の和髎の動脈を指すなり。 手太陰は、肺経の経渠の動脈を指すなり。 手陽明は、大腸経の合谷の動脈を指すなり。 手少陰は、心経の神門の動脈を指すなり。 足厥陰は、肝経の太衝の動脈を指すなり。 足少陰は、腎経の太谿の動脈を指すなり。 足太陰は、脾経の箕門の動脈を指すなり。 これ皆分配家の空論にして、 実時に用え難し。 もし、よく18箇所の動脈を診し得るといえども 病証を論ずるに臨みて、いずれの動脈を主となすべけんや。 これ一身一動脈にして、 別脈にあらざることを知らざるの誤りなり。 →脈を診る場所が18箇所もあったら、 どの脈を診て判断すればいいのか? 人間の身体に18本の脈があるんではなくて 全部つながってるから(一身一動脈) 18箇所も診なくて良いのではないか? そういうことが分かってないから こんな誤った空論を書いてしまったのだ! 魚際と尺沢との間を、一尺と定めて、 掌後一寸九分をもって、尺寸の地となし、 前九部を寸となし、 後ろ一寸を尺となし、 寸と尺との間を関となす。 これを三部という。 寸は胸以上の疾を主どり、 関は膈より臍に至るまでの疾を主り、 尺は臍以下の疾を主る。 また医の指を浮かべて診するを浮となし、 中按して診するを中となし、 沈めて診するを沈となす。 これを九候という。 浮は心肺を候がえ、 中は脾胃を候がえ、 沈は肝腎を候がう。 これ難経の三部九候にして、 全く分配家の空論なり。 たとえば・・・ (ここまで) →脈で、 寸は胸以上の病、 関は膈〜臍の病、 尺は臍より下の病を診るとあり、 浮は心肺、 中は脾胃、 沈は肝腎を診ると難経にあるが、 これらも空論であるぞ、 と言ってます。 --------------------------------------------------------------------------------- さて、著者がばっさりと「空論であるぞ」とした内容は 鍼灸の学校の実技の授業などでも 教わった内容だと思います。 『素問』の現代語訳など目を通すと 「素問に書いてあるのでやっぱり正しいことなのか・・・」 と思ったり でも、やはり「本当にそうなのか?」みたいな感じも 個人的には両方あったように思います。 脈診における考え方において、 この『切脈一葦』を読んで 「空論だと言っているから 寸関尺を臓腑に割り当てる考え方は間違っているんだ」などと 安直に片付けてしまうのは良くないでしょうが、 著者が空論だと言い切る理由を 知っておくのは大事だと思います。 もしその理由が腑に落ちないなら、 もとの考え方にも一理あるのでは、 という具合に 考え方の幅が拡がるように思います。 重要なところですが、 長いので続きは次回にします。 引用: 京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より

朗読、会話

  朗読 最近人に合わせるって難しいなと痛感しています。   合わせにいったらより合わなくなる感じがします。   正直どうしようかと悩み中なのですが、何かしらやっていかないと変わらないので色々試していっています。   最近試し始めた事が人の朗読しているところの真似です。   心から入れれば一番いいのでしょうけど、できていないのでまずは形から入ろうと思ってYouTubeなどで人が行なっている朗読を真似してみています。   人との会話中に全く同じ事をしていたら違和感が生まれそうですが、相手と同じ事をする必要があるので少しは相手の理解に繋がる気がします。   また、長い文章になると腹から声が出ていないと読みきる事ができないので伝わりやすい声を出さなければいけなかったり、瞬発的に言葉を出す訓練にもなります。       会話 ストレスなく一緒に過ごせる人は波長が合って自然に過ごせる。   家族でも体調不良を起こすと様子が違ってくるので違和感から色々察知しやすいと言った話をよく聞く。   違和感を察知できるのは、同じ空気感をもった人の違和感だと思う。   鍼灸院には若者からお年寄りまで幅広い年齢の方が来るし、色んな個性を持っている。   そういった相手を理解しようと思えば尊重しなければ話は始まらない。   綺麗なものばかりに囲まれているとそう言った人にしか対応できなくなるし、逆もそうなる。   本当に会話上手な人は違和感を感じない。   きっと一致してるんだと思う。   ネガティブなもの 会話の中でネガティブなものが出てくるとそれに同意してはいけない。   もっていかれる。   ただ真っ向から否定するとそれもまた問題なので違和感を感じさせずにかわす必要がある。  

学生・東洋医学を学ぶ者の為のプロジェクトを設置。

これからも勉強会や企画を 展開していきますが、 参加して頂いても、 なかなか単発でその場では 触発されて気持ちが盛り上がる ものの、 結局、それが日常にはならないといった問題が 発生します。 これが根本問題だと思います。 そこで、 一鍼堂の方から一つ、新しい サイトを作り、 勉強したいと思う有志にそれぞれ アカウントを発行して、 勉強した内容や疑問などを日記調に書き記して いってもらって、 それを僕らの方で見させてもらって、 アドバイス出来るものはするといった ものを考えています。 エントリーしたい人はまた、挙手お願いします。