できる事だらけ
体の使い方でずっと指導して頂いている事を強く意識する。
方向性。
土台を固めた上で預けて脈をみる。
鍼を行うときにもその感覚が活きる気がする。
押手などでしっかり固定化した上でどこに届けるのか。
人に練習させてもらって、この意識で置いたらいい感覚だった。
この先に微細な調整などもあるんだろうな。
指の使い方なんかも少し馴染んできて良い感じです。
生まれた感覚を大切に、ブラッシュアップしていきます。
寺子屋時に学びの姿勢に関して受けた言葉に対して思うところ。
結局のところ、それを生業とするプロとしての責任感を持った上で、楽しんで学びを進めれるかというところに帰ってくると思う。
伝えて頂いた学び方なら、何事にも答えや正解といった枠を作らないので限界がないし、やれる事は無限に広がっていく。
先に患者さんの治療があるならこれ以上の事はないよなと思う。
行動
行動
とにかく相手に合わせながら動く。
ごちゃごちゃ考えず、いい意味で一心不乱に。
流れを止めない。
自分も相手も頭を使った時は空気が止まる。
先週見させて頂いた人の時、時間をかけすぎてしまっていた。
戻り、報告の際受けた時間をかけすぎというご指摘。
術後の反応を探るときはとにかく早く。
見れる見れないは関係なく行った。
何より驚いたのは患者さんの拍子抜けした空気。
「え?終わり?」
言葉にしなくても伝わった。
見れる見れないはこちらの都合。
患者さんには関係のない話。
患者さんのステージの上で見れる様になる。
相手には相手の都合がある。
常にそこを見ずに先はない気がしました。
都合を考えずに触ってしまって申し訳なくなる。
明日の寺子屋。
燃え盛る様なものをいらない。
ただ相手に任せる事を意識してみる。
平胃散
先日家の近所へランチに行った。
出てきた量が予想外のボリュームだった。
炭水化物のオンパレード。
この時代に600円でありがたい話ではあるんだけれども、自分の胃の許容量は完全に超えてしまった。
翌日、舌を見るとまあ大きくなっている。
胖大。
腹の様子も変わっている。
ただ水分で多くなっているわけではないので潤ったテカテカな様子は見受けられず。
治療対象がはっきりした平胃散で対処して腹や経穴などの反応を追ってみた。
胃経の様子と腹が変わった。
腹証奇覧だと六君子湯の腹に近かった様に思いますが、平胃散でも対処できました。
便への影響もあり。
先週見させて頂いた患者さんの状態も過食だったのでいい勉強になりました。
鬼退治
2月3日は節分の日。
日本人は恵方巻きを買って、その年の恵方に向かって、その巻き寿司を食べる習慣があります。いったい何故なんでしょう?
「その一年縁起がいいらしい、福が舞い込むらしい。」
食べるだけで福が舞い込むなら行っておきましょう。と私も今年も食べました。
でも豆まきは行なわなかったです。今思えば、せめてまかないまでも豆くらいは食べておくべきだったかもしれません。
東洋の伝統的な陰陽五行思想では、季節の変わり目には「悪い気が入りやすい」という考え方あります。そのため立春である節分に悪い気の象徴である鬼を追い払う豆まきをするのですね。
そう言えば最近、朝や夜に寒気をよく感じるようになってます。背中がゾクゾクする感覚が頻繁にあり、布団に入っても寒くて寝れない時もあります。
でも寝たら寝たで寝汗をかきやすいですし、完全に営衛が乱れてます。
そんな状態だとイチコロで鬼にやられてしまいそうです。
とりあえず応急処置的に漢方を飲んだり、風門を温めたりしているおかげか本格的にまだ風邪は引かないですんでます。
だんだんここまで書いているうちに、今からでも豆まきをしておいた方がいいような気分になってきました。
豆(魔滅)はすごいアイテムかもしれない。
香
五臭(五香)では、「土」は「香(かんばしい)」とあります。
臊、焦、腥、腐はいかにも「臭そう」と思うのですが、「香」だけは日中どちらも辞書では「芳しい」という意味のようですから、違和感を覚えました。
先日、地元に帰ると雨が降った後でした。
「ラッキー!」と思い、マスクを少しずらしました。
降雨後、水を吸った樹皮や苔や土が蒸され、湿りを帯びた空気が漂っています。
なんとも言えない「甘い香り」がします。
(「匂い」「臭い」ではなく、「香り」)
地元の人は1300年前から続くこの香りが大好きです。
前述の香りとは異なりますが、樹々に覆われチョロチョロと小川が流れる湿気を帯びた森の方が、陽の当たる木陰の少ない森と比べてしっとりとした芳しい香りがします。
先人の指す「香」はどのように芳しい香りだったのかなぁと思いを馳せるとワクワクします。
様子など
様子
まれに中の様子がわかる事がある。
先週は顕著で、隣の部屋の様子が映像化された。
勘違いかもしれませんが感覚として残しておきたいと思います。
流れ
受付をしていて乱れ始めると何かが起こる。
不思議です。
正しい流れの時は乱さない様に流れに沿っていきたい。
自分の性質
うんざりする事が多い。
その後の立ち上がり方も含めて見直していきたい。
先週聞いたこと
自分の腹でも確認。
取れなかったけど、あの人もこんな感じだったのかな。
次回以降この部位も取れる様になりたい。
力
昔よりは余分なものは減ったと思う。
でも残っている部分がまだまだ沢山ある。
心と体は切り離せないなとつくづく感じます。
脈
人にとらせてもらった。
尺部を深めに抑えた時、全身?で感じる何かがあった。
深みに入れた感覚はあったけど、それが何なのか分からない。
経験として置いておきます。
衛気と発汗
専門学校で使った教科書では衛気に関する項で、その作用として「外邪の侵襲を防ぐ他、皮毛を潤沢に保ち、肌肉声 •皮毛 •臓腑などを温め、腠理の開闔(皮膚の収縮と弛緩)により発汗を調整し、体温を一定に保つ働きがある」と説明する。
(そもそも異なる分野の言葉を同じく取り扱うことが間違っているのかも知れないが)生理学の教科書では、発汗に関する基礎として発汗を温熱性発汗と精神性発汗とに大別している。教科書レベルの説明であったとしてもこの括り方に誤りはないはずですが、寝汗や自汗の説明に使えないと考えます。
同じく生理学の蒸発の項で体表面からの蒸発が不感蒸散と発汗によってなされることを教わります。一般的には、呼吸の際に呼気に含まれる水分、皮膚や気道の粘膜から蒸発する水分を合わせたものを指すようですが、衛気が主るところの水分の排出はどちらかというとこの不感蒸散の方を当てはめる方がしっくりくる気がします。はっきり「発汗」と書いている以上、それは学校で習った様に衛気と汗腺の働きを結ぶのが正解なのかも知れませんが、分からない、まま保留としたいと思います。
体表観察で拾う情報に湿り気や冷たさがあるが、それが体に備わる発汗の機構の顕れである場合ととそうでない他の理由による場合とを区別しておく必要がある、体表が冷たいことが体が冷えを表すわけではないことを再認識する機会になりました。
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【参考文献】
新版 東洋医学概論/医道の日本社
生理学 第3版/医歯薬出版株式会社
肺は気を主り、呼吸を司る
今回はあらためて、五臓の肺が司る
呼吸についてまとめてみました。
肺は気を主り、呼吸を司る といわれています。
肺は呼吸を通して、清気を取り入れる。
清気をもとに宗気・営気・衛気などが生成される。
また、清気は体の上部へ送られて、視覚・聴覚・嗅覚・発生などを正常に保つ。
連続する呼吸運動が、全身の気を動かす原動力となる。
気を上へ、外へ動かす。気を下へ、内へ動かす。(宣発と粛降)
そうして気の運行の中心を担う。
気と共に、全身をめぐる脈に気血が通され、(肺は百脈を朝す)
津液の運行が支えられる。(水道を通暢する)
当然人のいちばん身近に在って、
健康なときは特に意識することも少なく静かで、
裏では人体(心も)を成り立たせる根元的な働きを担う。
そして、そこにバランスしていること。
検討するほどますます面白さを感じるところだと再認識しました。
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【参考文献】
『中医学ってなんだろう』東洋学術出版社
加味
先ずは一番気になっていた青皮から始めてみます。
柴胡桂枝湯のエキス顆粒にミルで潰した青皮を加え、お湯を注いで出来上がり。
ん〜〜、美味しくなっている。
柑橘系の香りで爽やかさが加わり、私の好きな味です。毎回飲むのが楽しみになりました。
2日ほどこの組み合わせで飲んでみたのですが、何となくいいかもしれないという感じで、もう少し長く検証した方が良かったんでしょうが、我慢できず他の生薬も気になって、陳皮を加えることにしました。
生薬の組み合わせに相須薬対というのがあって、同じ性能と効果を示す生薬を組み合わせることで、効果を強める考えもあるので、まあ、いいか。
柴胡桂枝湯+青皮+陳皮
そして数日経過。
上腹部は問題ない感じですが、まだ中・下腹部がどうもスッキリしない。
更に大腸に働く枳実も加えよう。
柴胡桂枝湯+青皮+陳皮+枳実
枳実が加わったら、少し苦くなったような感じがします。
そして数日経過。
悪くはないですが、でもまだ何かが足りないような感じ。
東洋医学探訪(01)
もう夏の終わりですが、私の日焼けは遊びではありません。
修行の結果です。
京都を散策してまいりました。
『延命院』とは『医療施設』
御由緒
(引用:武信稲荷神社の”案内”より)
平安時代初期、清和天皇貞観元年(859年)
西三条大臣といわれた 右大臣左近衛大将 藤原良相(よしすけ)公によって創祀。
平安時代の古図には三条から南の神社附近一帯は
「此の地、藤原氏延命院の地なり」と記されている。
延命院とは藤原右大臣によって建てられた医療施設であり、
当社は延命院と勧学院(学問所)の守護社として創祀された。
後世、藤原武信(たけのぶ)公がこの社を厚く信仰し、
御神威の発揚につとめたので、武神神社と称されるようになる。
その後延命院・勧学院は失われるが神社だけが残り、
創祀以来一千余年にわたり広く人々に信仰されて今日に及んでいる。
撮影をけっこうしましたが、蚊にはご注意ください。(経験談!)
















