学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

怒るエネルギー

肝火上炎 肝気鬱結や他の熱(火)邪などにより、肝の火が燃え上がったもの。めまい、耳鳴り、頭痛、顔面紅潮、焦燥易怒感、動悸、不眠などの上部熱症状や口苦、季肋部、出血、過多月経、黄色小便などを呈する。虚実錯雑証の肝陽上亢とは異なり、実熱証であり腰部下肢脱力などの虚熱症状は呈さない。 実践漢薬学 三浦於菟 p379 日頃から好きでよく韓国ドラマを観るのですが、何せストーリーの展開が劇的で劇中に俳優さんが怒りに震えて眩暈を起こして倒れたり、急に心臓が苦しくなって病院に運ばれたりするシーンがよくあります。日本だとそこまで怒りに任せて爆発するようなことはしないのだと思いますが、お国柄もあるのでしょうが、反応がストレートでわかりやすい。なので第三者としてテレビの前で観ているいち視聴者としてはある種爽快なのでしょう。 怒りを爆発させるのにも相当なエネルギーが必要だと思います。私は元々がエネルギー不足なので怒るのが面倒くさいです。面倒くさくて怒りの沸点まで上昇させることができません。なので、ある意味怒りを爆発、発散できる人を羨ましく思います。いつか体質を改善してエネルギーが満たされた人間なったら爆発させてみたいです(笑) お国柄とありますが、日本は世界的にみても穏やかな民族であることは間違いないと思います。怒りの原動力はエネルギーだと思いますので、そのエネルギーは陰気ではなくて陽気になるでしょう。日本食は鮮度を生かして生の食材が多かったり、本来の食材の味を生かして薄味にしたりと、どちらかというと精進料理的な食事が多いと思います。陽気は少なそうです。 それに比べて中華や韓国料理は肉食も多く辛い香辛料もふんだんに使った料理が多く、みるからにエネルギーに満ちた食事に見えます。そういった食事を常にしているのもお国柄を作る要因の一つではないかと思います。 しかし現代はその和食文化も相当変わってきているので、このまま何十年何百年と進んでいくうちに、日本人の気質も変化していくのだと思います。  

寺子屋で

3月23日(水) 患者さんの舌の観察をしました。 患者さんにお会いする前に、先生の許可を得てカルテを見せていただき、主訴から舌の状態を想像しました。 歩くと息が切れて疲れやすいということから、見た目は弱々しく舌色は淡白舌で舌体は痩せて小さい、 気虚のイメージで考えていました。 実際は、 全体的に絳紫色を帯びた地図舌、ところどころ凸凹と丘のような形状がみられ、舌下静脈の怒張あり。 細身ではありますが弱々しい感じは全くなく、はきはきしたキャリアウーマンという印象でした。 息切れして疲れやすい⇒気血が不足している⇒淡い舌色と思いこんでいましたが、 実際の色は紅が強く熱を帯びていた。 舌下静脈の怒張から瘀血があるため気血のめぐりが悪くなり、 それが息切れや疲れやすさの原因になっているのか。その瘀血はどこからきているのか? 地図舌や凸凹な形状は何を表しているのか? 次回、経過がわかればまた考察します。

脈診(05)

『中医脉学と瀕湖脉学』 (引用:P11「第一部 現代中医脉論」の”脉診の方法 3.指の置き方”より) 『並べる指の間隔は患者の身長に対応して、 腕の長いものには少し広めに置き、 腕の短いものに対しては指を詰めて並べる。 指の位置が決まれば、三指で同時に診脉するのを総按といい、 また単按といって、一部の脈象を重点的に診るために、 中指と環指をもち挙げることによって寸脉を診たり、 示指と環指をもち挙げて関脉を診たり、 示指中指をもち挙げて尺脉を診たりすることも行われる。 示指ないし中指のみを用いて単按することもある。 実際の診脉においては総按も単按もあわせて駆使される。』 寸・関・尺 を総按にて診ようと固執していたように思います。 特に自身の手が大きいとこもあり、 もっと指の使い方に柔軟さが必要だったと思いました。 そういえば、院長に診て頂いた時が極めてフレキシブルだったと思い出しました。 【参考文献】 『中医脉学と瀕湖脉学』たにぐち書店

発汗

学校の実技にて。 施術中、パートナーの膈兪穴を刺した直後、ドバッと首から背中にかけて発汗しました。 (膈兪穴の前に太渓穴を置鍼していました。) 数分後、自然と汗は止みました。 パートナーは施術後に「は〜スッキリした!」と言っていました。 施術前のパートナーの第一声は「今日は調子が良い!手首が痛いくらいかな」 切経では、肌肉がモチモチとつきたてのお餅みたいで、気になるのは下腿がラップに巻かれたようで浮腫がありました。 上肢や下肢が熱く、指先だけが冷えていました。百会に直接触れなくても熱感がありました。 脈幅があり、柔らかく、 舌診は、舌裏共に褪せた紫寄りの淡紅舌。舌苔が薄く一面にあり、やや胖大舌。 施術後、舌は綺麗な淡紅舌になっていました。   汗法を目的に施術したわけではなく、心配になったのは、発汗したことで正気の漏れがなかったかどうかということです。 翌日と2日後にパートナーに体調を確認しましたが、健康状態に問題はなかったそうです。 汗をかいたということは、 湿が出たとポジティブに考えてよいのか… 私も治療で足裏から汗をかいたことがあります。先生にこの現象は何か聞いてみると、それだけ湿を溜めていたと言う事だそうです。   汗証について調べましたが、自汗、盗汗などネガティブな汗しかありません。 施術後汗が出るという文献もなく困り果てました。 膈兪穴の穴性にもそれらしきことはありません。 けれども、上焦と中焦を隔てる膈兪穴というのは面白いな〜と染み染み思いました。 下野先生に伺ってみると、 「湿というのは表層にあるものと、奥にあるものがある」 モチモチの肌は湿が表にあったもの。 カサカサの浮腫んだ肌は湿が深層にあるもの。 湿のありかも様々で、古い湿は深層に入っていくものなのか、これについてはまた考察していきたいです。 下野先生:「ダメな発汗は体がむしろ冷えてしまう。ポジティブな汗は運動後の発汗と同じ」 ということで、腑に落ちました。 サウナと水風呂3セットすると、直後はスッキリするのですが、1〜2時間すると体の芯から冷たくなり、コタツに全身入れても寒くて寒くて震えていたことがありました。 発汗によって祛邪するのが目的であるが、過度に発汗させると津液を消耗し、甚だしいときは虚脱を招くということが考えられると思います。  

穴の名前、実技での体験など

テスト前で暗記の時期に入りました。 経穴丸暗記は面白くないので、少しですが付随する情報を書いて認識を深めたいと思います。   腎経 ①湧泉 (井木穴、子穴だが腎なので瀉法厳禁)、回陽九鍼穴 足背、足屈曲時、足底の最陥凹部 まんが経穴入門P184 由来「足の少陰腎経の木穴に属し、腎経の脈気が湧き出る」 五兪穴では(井・滎・輸・経・穴)があり、陽経には原が加わる。 霊枢:九鍼十二原では気血の巡りを自然界の水の流れで例えた。 井穴は水源。   ②然谷 (滎火穴) 足内側、舟状骨粗面の下方、赤白肉際 まんが経穴入門P184 由来「別名、※龍淵 火が深いところで燃え盛り、水の相剋を受け付けない」 ※考察 龍の火のイメージが符合しているのか。   ③太谿(原穴、兪土穴) 足関節後内側、内果尖とアキレス腱の間の陥凹部 まんが経穴入門P185 由来「内踝の真後ろの深い陥凹部にあるため、湧泉から出て然谷を通った腎水の流れがここで一つにまとまる」 診断でも使える穴な事がよく分かります。     気になること 最近絡穴が気になっています。 豊隆の調べ物をしている時になぜ豊隆は化痰作用があるのか。 それは絡穴で脾と連絡しているからだという内容に触れたので、穴性を学ぶ時もこういう事も意識していきたいと思います。   実技で 実技の授業である穴に置鍼5分くらいされた。 その時恐らく肝がやられて季肋部あたりが痛み始めた。 この時に何で左何だろうと不思議になった。 理論的には 中薬の配合 P 78 「左右者、陰陽之道路也」とあるように、肝気は左から上昇することで、木気は行き渡り(条達)、肺気が右から下降することで、金気は正常に運行(粛降)します。   とありました。 五行でも左に属するのでその辺もあるのでしょうか。 逆に肝気虚と呼ばれる状態にこの治療をしたらどうなるのか。 気になりました。 本では存在している肝気虚も、実際は肝は剛臓なので中々ないとは思いますが…     プライベート 先週から1ヶ月間だけ兵庫県に住むことになりました。 引っ越し中々大変でしたがやっと落ち着いてきました。 テストが終わったら武庫川にでもゆっくり散歩に行こうと思います。   気持ちの面 後期試験が終われば2回生になります。 色々自分に対して思うことがありますが、極力無心でやれることを黙々とやりたいと思います。   参考資料 まんが経穴入門 周春才編著 土屋憲明訳 医道の日本社 中薬の配合 丁光迪編著 小金井信宏訳 東洋学術出版社

しゃべる訓練など

  しゃべる訓練 しゃべる訓練として自分語りをします。   先日一鍼堂で「なぜ鍼灸師になろうと思ったのか」と言った話を先生とした。   その時にお伝えした内容ですが、それよりもっと前になぜ医療をやりたいのかと言った問答が自分の中にあった。   大学生一回生の時、情報基礎倫理の授業で 「グラスに入った水が半分残っています。 これをどう考えますか?」   と言ったテーマで講師が話していた。   その問いに対して 「残り半分もある」 「残り半分しかない」   どう捉えましたか? と言った内容だった。   話を聞いていて、ふと陰陽の考え方がよぎった。   グラスには水の入った部分もあれば空の部分もある。   全てには逆の側面がある。   もちろんその先もあるが、ほとんどの事象はそう。   世間一般の良いや悪いの評価に対して 何でお前らに決められなあかんねん、と疑問を抱いていた中で出会ったそんな考え方。   自分の中にドカーン!と言った感覚があって、その日の学校の帰りは見るもの全ての逆の側面を見るようにしていた。   東洋医学の中にある考えの一つに触れ、それが何なのか知ってみたくなった。   何となくですが、その先に自分みたいなしんどい人が救われる未来があるのかなと医療人を目指したような気がします。   過去に囚われるのは良くありませんし、そこに縛られている訳でもありませんが、先へ進む為にもいい振り返り方はありかなと感じた。     カフェにて 老子を読んでいて、ボーッとしながらふと周りの景色が入ってきた。   その時に大きく飾られていた世界地図を見た。   ありきたりな感想ですが、   「日本って小さいなぁ」   そう思いました。   この狭い国の中でさらに狭いコミュニティに縛られる必要はない。   もっと広く、大きなものを。   世界地図だって宇宙を含めたらまだまだ狭い。   どこまでも伸び伸びと。   思い浮かんだ逍遥という言葉。   単語としては一番好きかもしれません。     何も抱かない   何か不満が募る。   そこは出した方がいいかもしれない。   でも、そこを抱かない事が一番大切。   最初からなければ何も生まれない。   何に焦点を当てて生きていくか。   スッキリした人間でありたい。     腹部と経穴 習った腹部のエリアと経穴を一致させるために、心経の穴のみをを軽く刺した。   刺した後に感じる腹部の変化。   変化を感じる事ができて良かったです。

ミート、霊道、名前

  ミート 体の使い方の件で、なぜそうするかのイメージが繋がって発見がありました。   要領はサッカーのキックと共通する部分も多いにあると感じて発見がありました。   ただ、その前段階で患者との信頼関係が出来上がっていないと相手も反応してくれないと思うので 色々感じ取りながら、向き合いながら相手を主体にやっていこうと思います。     霊道 患者さんの状態を観察させて頂いきました。 成因についても教えていただき、またそれがなぜ起こるか。 穴から背景が見える現象が勉強になりました。 その時の患者さんの様子も覚えておこうと思います。   名前 その場所にいる時はどういった自分でありたいのか。 自分のスタンスを表す名前にしたい。 一つは「貞」を盛り込みたいと思います。   意味は二つの意味で一つは自分のためで、もう一つは医療人としての意味を込めました。   自分のための意味としては   貞には「定」という意味があり、精神が安定して惑わされないという意味もある。 頑固になる訳ではなく、一つ自分の核を持って物事に向き合いたいと思います。 堅物になりたい訳ではありませんが、奥底にはいるべきものを納めて浮つかないようにしたい。   医療人としての意味は易学の乾元亨利貞から取りました。   この意味を表す前置きとして、 「尚書」の「天一生水、地二生火」 の言葉があり、 万物発生論としてまず水が生まれたとの考え方が私は好きだからです。   菅子でも 「人は水である。男女の精気が合し、形となったものである」とあり、水に人間を例えています。   水は坎水なので、坎を探ると陰の画象、陽の画象、陰の画象で出来上がっている様に中に陽を宿す。   その水が生まれる前段階として 乾(純陽)と坤(純陰)が交わりがあり、 坤(陰)の中に陽(陽)が入ることで水が生まれた。   昔、大変自分に影響を与えた本で火神派ではなく火神派的な医案解説集という本があり、そこには 生命現象とは「無形の陽気」が「有形の陰気(肉体)に宿っている状態」といった内容が書かれていました。   ここで患者さんの生命現象の本質を水の中に宿る陽で見てみた時、 乾の特性である「元亨利貞」は 訓読みで 「元まり亨り利しく貞し(はじまりとおりよろしくただし)」   易経講話 「天の大元気の働きによって、万物は始まり生まれるのである。それが元であり、始まるのである。 それが始まり生まれると、だんだん盛んになり、十分に伸びていくのである。 それが亨であり、通るのである。 盛んになり十分に伸びていくと、それぞれの物が各々そのよろしきを得、その便利とするところを得るのである。 大きくなるべきものは大きくなり、小さくあるべき物は小さくできあがり、太いものは太く、細いものは細く、各々そのよろしきところを得、各々その利とするところを得るのである。 それが利であり、よろしきである。 各々そのよろしきところを得ると、その正しきところを堅固に守って完全に出来上がるのである。 それが貞であり、正しきである。」   これが私には良い状態の人間の一生の様にも感じられ、貞は完成形なので、患者さんの最大限のパフォーマンスを最大限発揮できる貞の状態に持っていきたい。 との意味から貞を選びました。   一文字でいくか、他の文字も入れるか考えてみます。   参考資料 易経講話(1) 公田連太郎 明徳出版社 P141〜146 火神派ではなく火神派的な医案解説集 小金井信宏著 星雲社P26〜35、P108 中国の水の思想 法蔵館 蜂屋邦夫 P148、149  

ホップ

豊中に行って業務終わりくらいに先生が受付さんに話をしていた。 横で話を聞かせて頂く。 その話と単語から連想するイメージ。 トーン、雰囲気もあるのかな。 心が軽くなった。 その時の感情を食材で表現したくてスーパーへ行く。 今回はホップで試してみたけど、少し違うな… でも、ホップが含まれるものを採ると眠くなると言うのは収穫でした。 もちろんノンアルコールです。  

歯痛

学校の東洋医学の授業で歯痛(歯に関係のない歯周辺の痛み)についてを習う。 私も歯痛になったことがある。痛みの性質としては、 痛みの場所は上の時もあれば下の時もある動く→気滞? キリで突かれるような刺痛→瘀血? 灼熱感を伴う痛み→熱証 下顎から歯根にかけて走る痛み→? 触ると鈍痛、歯肉腫脹 いろんな痛みが混在していたので、教科書の病症のように1種類の痛みでは例えられないし、病因も単純そうではない。教科書や病症分類は極端な例しか載っていないのではないか。 教科書では病症の一例として、肝火上炎で歯痛が起こると書かれている。 現在もストレスを感じた時は当時の1/10ぐらいの痛みが稀に再現される。 当時の歯痛は随伴症状と照らし合わせると、肝鬱気滞もしくは、肝火上炎への移行期だったのではないかと考察する。 今なら脈や舌も見て他の視点からも考察できるのに…と思うが、やっぱり歯痛は嫌だ。

文字・言語

  文字、言語って何なのか。   調べた訳ではないが、集団で行動する為にイメージから共通の認識を言化・文字化したのではないのかな。   つまり「大体こういう意味ですよね」という共通認識を作ることでコミュニケーションを容易にさせているのだと想像。   では、共通言語や文字を持たない相手とは理解し合えないのか。   様子に出るのでそういう訳ではないと思う。   家の猫を見て、 「今かまってほしくないんだな」 「これからこっちくるぞ」 「喜んでるな」 「この空気が好きなんだろうな」   など伝わるものもある。   身体を触らせてもらった時で一番わかる時は包む様に触った時。   その時の自分は柔らかい状態にあると思う。   結局は猫ではなく、人間の治療をする訳だけれども、同じく言語に振り回されず、言葉は通じないものとしてやってみたい。   先日受付で話に出たケータイは怖いですよねと言った話、 「勝手に枠組みを作られて色眼鏡になり、相手を見れなくなる」   その認識とも繋がる気がする。   結局何か情報として伝えられた段階っていうのはわかった気にはなれるけど、わかってないんだと思う。   そこに自分の感覚が乗らないと本当に理解できない。   次の寺子屋は「人ではなく生命現象に触れる」   あれこれ書いたけど、そっちの方が自身をフラットに保てる気がするので、そんな感じでシンプルに切経してみよう。