梅核気
肝気鬱結を勉強している際に気になる言葉が出てきたので調べてみました。
肝気鬱結の症状には、イライラする、憂鬱、有声のため息がよく出る、
胸腹部の脹痛、月経不順などがあるが、その中に「梅核気」というものがありました。
「梅核気」は現代病名だと神経性咽喉部狭窄症(ヒステリー球)というそうです。
のどに梅干しの種があるような違和感があり、飲み込もうとしても
吐き出そうとしてもなくならないが、飲食は普通にとれる。
気の滞りによって咽喉部に痰が生じていることによって異物感があるようです。
ストレスが原因の病は現代に多いような感じがしますが、金匱要略にも
「婦人、咽中に炙臠(あぶった肉の切り身)有るが如きは、半夏厚朴湯之を主る」
とあり、婦人・・・と書かれているが、男性にも起こる。
他の臓器の影響(脾胃が多い?)、過度の情志、情志の抑制などによって肝の
疏泄作用が失調することによって発生した気滞が肺に昇って起こる。
理気去痰解うつ作用のある半夏厚朴湯を用いて治療するとあるように、薬物による治療が行われることが多い。
梅の種は肉のかたまり、というより大きいしもっと固いように思いますが
実際に梅核気があるような方に尋ねると名前の由来となっている梅の種が
つまっているような、ということはわからないけど息苦しい感じがあり、不快であるとのこと。
臨床医学総論でもヒステリー症を勉強した際に、ヒステリーはギリシャ語で「子宮」を
意味することから昔は子宮が原因で引き起こされる女性の病気とされていた、と習いました。
西洋でも東洋でも同じように病を分類していることもあるのかと思うと興味深く感じました。
魂と魄
癲狂(てんきょう)
「癲」とは無症状、寡黙、無気力などが出現する抑鬱状態を指し、西洋医学のうつ病やうつ状態に相当する病状。多くは痰気鬱結による心神の活動低下などで出現する。
「狂」は落ち着きがなくなったり、騒がしく、怒ったり、罵ったり、イライラしたり、異常行動をとるなどの興奮状態の病状で、西洋医学の躁病や躁状態に相当する。多くは痰火による心神不安により出現する。
〜実践漢薬学 用語解説 三浦於菟〜
東洋医学の考えに五臓・五神・五志があります。
肝ー魂ー怒
肺ー魄ー憂
例えば統合失調症や双極性障害の治療は脳内の伝達物質を増やしたり減らしたり調整することによって症状を改善する薬物療法が行われます。
大脳の構造は発生学的に古い脳である大脳辺縁系に新しい脳である大脳皮質が外からかぶさってできています。
大脳辺縁系は人の本能的、原始的な反応が行われているところであると習ったと思います。
例えば物事の好き嫌いを一瞬で反応して記憶する扁桃体や海馬があるところです。
一方大脳皮質の特に前部である前頭前野は理性的に判断して、その場にふさわしい言動をとるようコントロールしていると言われています。
となると
肝ー魂ー怒ー大脳皮質ー新ー外ー陽
肺ー魄ー憂ー大脳辺縁系ー旧ー内ー陰
ちなみに統合失調症や双極性障害はこの大脳辺縁系のドパミンの過剰を調節する治療がメインです。抑えすぎるとうつ状態にもなってきます。
症状の一部に幻覚や幻聴、幻視などがあります。→魄のトラブル
現実には起こり得ない事を信じ込んでしまう妄想も強いです。→魂のトラブル
東洋医学からのアプローチでは魂・魄の調整も必要になってくるのかもしれません。
分かりません禁止令
切診をさせていただく機会が増えました。
お腹の段差は何なのか。
右が辛いと主訴に対して左が硬い。
左足は凹んでいて痩せているのか。
右足は脹りがあり硬直している。
果たしてどちらが正常なのか。
どちらも正常ではない可能性もある。
下野先生に「何か感じましたか?」
と聞かれても、「分かりません」としか言えず、治療後の変化を診てから考えることにしました。
治療の後に切診してお腹や足の寒熱、凹凸、肌の色艶、左右差など変化を診ることで、初めて施術前に切診したお腹の段差と硬いものが邪だったことを知りました。
痩せていた左足は肌肉にふくよかさが出て左右差がなくなりました。
下野先生の問い掛けに「分かりません」と答えてしまったことに、寺子屋の帰り道ずっとモヤモヤする自分…
「分かりません」と答えてしまうと自身の思考を止めてしまい何も生み出せない。
次回から間違ってもいいから感じたことを先生に話していきます。
治療前と治療後の変化、手や指のセンサーを作りながら気付きと文献を照らし合わせながら積み重ねていこうと思います。
皮膚と内臓
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2021/09/18 『皮膚と内臓』
内熱を存在を示すものと考えていた、ある患者さんの上背部で観察された毛穴の広がり。その範囲では肌質も乾燥度合いが顕著にあった。
今日見せてもらったときには、毛穴は開いておらず、元より開いてなかったところと比べると「閉じた」跡が確かに見てとれる。
患者は、以前はしきりに訴えていた胃脘部から食道上部にかかる、突き上げるような気持ち悪さを今は訴えない。皮膚が内臓の状態を反映していることを再認識する。
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2021/09/19 『考察の材料として』
川を運航する水上バス ー 通過する際におこした波が川岸に到達し、また返して複雑な波紋を生む。分岐する右手の水路に向けて舵を切り船が消えていった後しばらくの間観察された。
空気の流れが目にみえたならー
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2021/09/20 『怒』
「怒」に振り回されている、とまでいかなくても適切に取り扱うことができていない人は自分も含めて多数あると感じる。治療中にからだの内に静かにおさまっている感覚を知る、その時間を経験することだけでも価値があると感じている。怒気に振り回されない自分、またはありのままを見るのにつながるのかも知れない。
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2021/09/21 『思い込み』
自分が鍼を受けているときには、中から感じる動きがめまぐるしくて、その感じをどのようにして察知されているのか不思議で仕方なかった。でも、今日そのほんの一端を今日見せて頂いた。
短時間で下腿の浮腫がすっきりとしていく。そのエリアが広がっていく。形に表れるのは時間がかかる、という思い込みが浮きあがって軽くなった。(そういえば初めてのことではなかった、数年前にも見せてもらっていたのだったと後から思いだされた。)
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2021/09/22 『舌の変化』
先日、ある患者さんの舌状で、それまで見られなかった苔が初めて見られるようになった様を観察したことにを記した。その後の展開として、苔が同じエリアにまずは定着していくこと、つまり緩やかな変化を前提にイメージしていた。
今週は、舌体一面に広く薄白苔がみられ、(内熱の反映と考えられる)紅絳舌だったのが、薄紅の部分が主だってみられるようになった。ずっと同じような舌状だったのが、こんなに変化を見せるものなのか。
形態模写
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2021/11/27 『形態模写』
形態模写をすることで、患者さんの(動作時の)状況・状態を自分の体を通して得ることができ、より生の情報として取り入れて、考察に活かすこともできる為重要。下野先生からこのことについて様々な角度から指導してもらっている。
自分なりにやってみる中で、いま、ある患者さんの症状について、これにより、何か手がかりが得られそうな事があり、でも、そこに届きそうで届かない。もどかしい…
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2021/11/28 『ツボの反応』
ある患者さん、霊台穴に触れたとき、こちらの指先を通して刺す様な細さで伝わってくる。確認のため上下の穴にずらして確認するも沈黙。再度触れると同じく顕著な反応。それが何を顕すものなのか、今は手がかりがなく、ただ経験としてストックする。
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2021/11/29 『見通し』
痛みや辛さは結果であってあくまで表層ということなのか。生じた後の結果ばかりに焦点を当てているから見通しが悪くてなるのか。
卒腰痛
先日経験した卒腰痛について。
過去経験したなかで最も激烈な痛みを伴うものだった。
昼間、仕事中からシクシク痛んでいた。
数日前から多少気になってはいたが、晩悪くても翌朝には動けていたし、軽く見積もっていた。
振り返ってみると、根拠もなしに、きちんと見立てることをせず、見ようとしていなかった。
昼間から、腰を庇いながら動いていた。
陽も落ちて、1日の疲れもあり、
衛気の働きが低下していた為なのか。
他方では、何かにつけて苛々していて感情面の起伏が自覚されていた。
歩けていたので庇いながら帰ろうと考えていた。
寒暖差のある日で、建物を出てみると夜風が冷気を含んでいた。
直後、腰に激痛が走り、体の震えが止まらなくなる。
六淫が臓腑を直接に侵襲することもある、とされる
その型をそのまま体感したような心地だった。
身をもって経験してはじめて、それまで自分が
言葉が指し示すことを実際に想像することを殆ど何もしていなかったのだと知る。
それどころか、
表から徐々に傷られるのと対置しておかれた考え方、というくらいの距離感で見ていた。
悪寒、ただし寒気というより震えが先行する。
ガタガタ震えながら、足はそれ以上進まなくなり立ちすくむ中、
体をそのまま外気に晒しているのは良くない、
損傷が大きくなるばかりと感じられ、建物内に逃げ込む。
部屋に戻ってからは安静にしていたが、
直接に裏へ入ったことを示すように、急転悪化する。
横にした体は寝返りを打つにもうめき声を上げながらでないとできない。
護りをまるで失っている状態に近く、危機的な状況と感じた。
何をしていても痛く、
普段どうしてこの痛みが生じないのかが不思議に思えた。
体は動かせないが何か食べないと駄目だと思った。
小便など積極的な排泄も必須だと思った。
半日かかって一番悪い状態からは脱したものの、
弱りきった状態で、あのとき身を置いていた環境がまずければ、
もっと拗らせていたことは容易に想像できる。
未だ痛みに伴い腰の虚脱感が左脚後面を足部までつたう。
からだについて多方面から捉え直す契機にしたい。
治療問診の中で
数年前よりずっと体が重い
と訴えられる方
先週の治療から当日までの調子を尋ねたときに
前回の治療のあと帰りから軽い「けど」まだしんどい。
他の点でも状態は良い「けど」まだ悪い、という矛盾表現が印象的だった
脈診がよく分からない自分にも治療前の左右のバラつきが治療後に
整うのがはっきりと分かる、お腹の全体のおさまりが良くなったと感じられる
数回目の治療で体にそれまでに見えなかった調子が現れていることが感じられる
今週のコンディションは良い状態にあることに違いはないが、
そのことを受け入れる準備が整っていない
それは葛藤の様なものとして映った
治療的にはどんな意味を持つものになるのか
穴性について思うこと
先日母が風邪をひき、熱は下がったが咳が治り切らずに寝れないとの事で治療した。
脈は寸部が圧迫されている印象。
腹診後、腹を出した状態で咳をする時の動き方をみる。
触った感覚と視覚的なもの、腹の動き方を確認する。
何となくここかな?と思う部分がある。
配穴では、最初手足で使う。
しばらく置いて、マシにはなるんだけどまだ残っている印象。
背中を出してもらう。
確認すると、膈兪の周辺が湿気を帯びて一部硬くなっている。
そこに鍼を置く。
しばらくすると溢れ出す鼻水。
咳も治ってきた。
後々、学術的にも考え直した。
膈兪は血会であり、本ではやはり血の鬱滞に特に多く使われている印象。
今回は、舌下の血色や舌下静脈・脈などからでも瘀血所見は見られたが、そこは痰湿が中心に絡んでいて起きたものだと感じた。
後々考えると、「血会」に縛られすぎて感覚を疑う怖さも感じた。
また、東洋医学に限らず、一面を見たものがそれが全てだと感じて範囲外の認識が見えなくなる現象は良くある。
全てにおいて太極的な視点は必要だと改めて感じた。
そうだ、古典を読もう
そろそろ、古典を読んでみないといけないかな。という思いに至ったので、
とりあえず、ずいぶん昔に購入していた「難経鉄鑑」を引っ張り出してみました。
かなり分厚くて重い本です。
口語で訳されて、更に詳しい解説もついているので自習できそうですが、1日一難やっても81日かかります。
数年前に一度サラッと読んではいる筈なのですが、ほとんど記憶の彼方です。
今回はじっくりと読んでみようかと思います。
難経八難を読んでみたところ
腎間の動気について書かれています。
①生気の原
②五臓六腑の本
③十二経脈の根
④呼吸の門
⑤三焦の原
⑥守邪の神
かっこいい言葉が満載です。
山楂子など
山楂子
実験として無理して食事を大量に摂取。
やはり次の日は大ダメージ。
症状として気になったところは鼻詰まり・咳・軽い腰痛・股関節痛
舌下静脈が浮き出て、脈は沈気味になった。
行った実験は山楂子を大分多めに摂取。
気になる原穴付近にも体感として反応あり。
勿誤薬室方函口決には浄府湯という処方がありますが、ここで大切なのは山楂子だと思いました。
ネットでは処方構成、文章を確認しましたが今手元に本がないので、また原文を確認したいと思います。
とにかく身体への現れ方がとても勉強になりました。
命
生命の危機に瀕したとき、人間は一番能力を発揮する。
最近そう思う事が増えました。
事象
東洋医学を考えるとき、文字面になってはいけない。
一定の揺らがない法則があり、それは日常の現象でも当たり前に観測される。
人間も自然の中の一部なのだからそれは当てはまる。
そのイメージを持ってくると見えてくるものもあるのではないか。
そう考えてみています。
環境
沢山の勉強をさせて頂いている本当にありがたい環境にいるなと思います。
発見があるとやはり嬉しいし、拡がってくる。
しかしそうなった時に怖いのが自分。
それが日常になっては絶対にいけない。
自分自身で非日常にする努力を行うべきで、そこに甘えてしまう事は本当に恥ずかしい事だと思います。
自分なんて碌でなしを肯定するわけにはいかない。
















