肺の物語…
こんにちは、
クリステンです。
今日は雨で、学校のテストもあったので少し疲れています。
せっかく寺子屋なのでこの時間を充実にしたいのに、気づいたら文字を眺めているだけ頭に入ってこない。もったない。
でも、こういう日はありますよね。
“今日はがんばりすぎたらダメという合図のかな...”
先日の下野先生くださったアドバイス→
「臓腑経絡学」を4回にサラっと読んで、5回目に熟読すること。
ただ、文字を読んでいても、頭に入ってこない今日ですので、何か工夫が必要。
→家に帰った後は絵として描いてみよう。
(絵を描くのが私にとってはリラックス手段ですし、視点を変えると何かの気づきやヒントが出てくる時もあります)
① 肺蔵象と経絡:肺
私のイメージだけですが、
「肺」は上品で美しい気配りの良い母親のように見えます。
デリケートでありながらも、皆を養って守れる女性ならでの強みを持つ。
「華蓋」ともいう、もっとも高位に位置、八葉っぱを有する花のような形をし、
上焦・陽中の陰・牝の臓である。
脾胃から水穀精微と自然界からの清気を受け取って、
それらに生み出された宗気・衛営気と津液を皆にくまなく宣発し、潤う。
衛気を主り、衛の気が充実となれば、
腠理が正常に開閉でき、体表を温め養い、
皮毛を潤沢に保つ。
そうなると、皆を外邪から守られる。(体表を防衛)
鼻に開竅する。香りを知る
魄を蔵し、本能的で感覚に関係が深い。
濁を排出。水液代謝。
(母親って、普段はデリケートで柔らかい人でも、日々弁当を作って、掃除する。カゼなどを引いていても自分より子供達の養うことを先にする。子供が危険な状態になると、ものすごい力を発揮し、全力で守る。というイメージ)
「メモ」
・外邪や上逆の影響を受けやすい。
・「表証で軽いものであれば、裏証症状はほとんどみられないが、唯一咳がでることがある」(←臓腑経絡学。これについて意味をもっと詳しく調べていきます)。
《肺と肝》
なぜか、描いた絵には、肝が蓮の花になっていました。
本では、肺が「蓮のような」と書いてあるけれど、
あまり考えずにこうなりました。
肺は西を属し、牝の臓。肝は東に属し、牡の臓。
私の頭の中、肺はお嬢さんであれば、肝はその主人である。
(心は君主)
日本人とは違うかもしりませんが、私にとって蓮の花は美しくて、たくましいイメージしますので、どちらかというと男性らしい。
____
肺の役割や、肺ー肝、肺―腎・肝―心の関係について、たくさんの話はありますが、
今日の物語・絵はここまで。
また次回。
参考した本:
歯が痛い日々
歯が痛い。
歯痛ってこんなに辛いものんなんですね。
昔に虫歯で治療した歯が疼くので、被せを外して再度削ってもらったのですが、その歯が痛すぎる(泣)
仮歯状態なんですが、麻酔が切れた後から痛みが始まってずっと痛いんですけど。歯が気になって集中できず、何事もやる気が起きなくなっています。もちろん勉強も・・・
再度かかってる歯医者さんに相談したら、恐らく歯髄炎でしょうと言われました。通常は一週間くらいで痛みは治るそうです。
歯の神経を抜くのは嫌なので、この痛みに耐えるためにロキソニンを毎日飲んでいます。
それでも痛くて気になってしまうので、何かいい方法はないかと思いついたのが針麻酔でした。昔行った勉強会でそんな実技もしたはずだと、資料を引っ張り出し、電気パルスをつなげて取り敢えずやってみようかと。
患部は下の歯なので、三叉神経の第3枝の大迎と下関。あと合谷と曲池。
パルスを行っている時は何となく痛みが薄らいでいるような感じがするものの、鍼を抜くとやっぱり歯の痛みは消えてなかったです(泣)
やり方がマズかったのでしょうか。
痛みが去るまで、我慢するしかなさそうです。
欲しかった本入手
以前から欲しかった意訳黄帝内経太素が安値で売られていたので手に入れる事ができました。
まだ読み始めたところですが自身が内経を読んで疑問に思っていたところがハッキリ書かれていたりして勉強になります。
今回は勉強用のブログとして、書籍から学んだ事を書いていこうと思います。
本一辺倒にならない様に、モードを切り替えながら生活していこうと思います。
まだパラパラ読み始めたところですが、気になった部分の一部を書いていきます。
意訳黄帝内経太素 P131 五臓命分
「志・意と者(は)精・神を御し魂・魄を収め、寒・温を適え喜・怒を和す所以者也。」
P132
「志・意が和す則(と)精・神は専直(すなお)となり魂・魄は散ぜ不、悔・怒も至ら不、五臓が邪気を受けることは不矣(ない)」
ここでは志・意が切り離されていない点も気になる。
現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻P161 本神篇
「物を任うゆえんの者これを心と謂う。意の存する所これを意と謂う。意の存する所これを志と謂う。」
全訳 内経講義 P201
「李中梓の注「意がすでに決まり、堅固になったものが志である。」」
記憶などで例えられた場合、意は短期記憶力で志は長期的記憶力と説明されていました。
(意の在する所これを志と謂う。)
医学三蔵弁解 P151 帰脾湯
「人参は心気を補い、遠志は腎中の志気を補います。心腎の二気がよく交通すると、脾気がその昇降の間を保ち、三臓の気が自然と充実してきます。」
帰脾湯は心脾両虚の薬ですが、心神不交も兼ねる。
しかし帰脾湯の物忘れの特徴的な現れ方は「直前の記憶がない」という点。
さっきまで何をしていたのか分からなくなる。(意病)
でも、意志は切り離せるものではなく、実際に遠志という生薬で腎気(志気)を心に届ける過程で脾気(意)を巻き込んで治している。
この後のストーリーとして意志が安定して魂・魄なども安定、喜・怒も過剰なものが無くなればいいなと思いました。
参考書籍
意訳黄帝内経太素 第一巻 築地書店 小曽戸丈夫著
現代語訳 黄帝内経霊枢 東洋学術出版社 南京中医薬大学著
全訳 内経講義 たにぐち書店 田久和義隆訳
医学三蔵弁解 たにぐち書店 伴尚志 現代語訳
心に汗をかくと涙が出る
私はいつも電車で通勤しています。
先日、朝の通勤時に本を読んでいたら、たまたま文章の感動シーンとぶつかってしまい、不覚にも涙と鼻水でデロデロになってしまいました。
この頃はコロナ禍で常時マスクをしているので、鼻水はあからさまに見えずに済んで助かりましたが、マスクの中はひどい状態でした(笑)
その時、何故急にさっきまで何ともなかったのに、一瞬で涙と鼻水が溢れるんだろうと不思議に思い、ちょっと考えてみることにしました。
涙と鼻水(涕)
五行色体表で考えると
木と金→肝と肺→魂と魄
もしかすると感動などで心(神)が乱れて正常心を保てなくなるのを防ぐため、魂と魄が代わりにその感情を浄化させるために涙や鼻水として体外へ排出するのではないかと考えました。
七情が臓気を損傷し、心神が乱され、異常反応が現れれば、それとともに魂病が出現する。魂魄は依存し合い、分離することができないので、また両者の異常が同時に存在することがよくある。〜中医病因病機学〜
という一文を見つけました。やはり涙と鼻水はセットになりやすい、切っては切れない関係のようです。
刺したり刺されたり
中都
自分の身体で実験しました。
最初ただでさえテスト前で好調って状態でない状態からコーヒーを飲む。
案の定、軽い胸脇苦満が起こり、脈と太衝の状態も変化した。
じゃあ変化を追おうと思って気になった穴の中都を刺してみた。
脈、症状、精神状態の一定の変化は見られた。
一時的な変化かもしれないし色々見ていきたい。
実技で
自分の弱点なのかどうかわからないけど、大腸兪を刺されたら絶望的に体調が悪くなる。
ただ悪くなる中でも勉強できるものがあるので変化を追う。
一番顕著に感じた事は気持ちの変化。
肺と表裏関係である大腸兪を刺したからか、憂が出てくる。
疲れて喋る気にもならないし、授業も聞いてられない。
「気を損なった」という感覚が近いと思います。
休憩中に顔色をみると、いつもより暗く感じる。
脈をみると幅はなく、力も弱くなっていた。
腹診でこの前教わった場所にも変化がありました。
膀胱経なので腎にも影響があったのかな。
追記
立ちくらみも起こった。
腎虛の眩暈でしょうか。
いつ食べるか学
時間栄養学という言葉を初めて知りました。
いつ食べるのかに着目した栄養学のようです。
いつ食べるかが健康に与える影響というのが、一般的に思われている以上にとても大きいことが最近わかってきているそうです。例えば肥満、糖尿病、心疾患、脳出血、老化、うつ、ガンなどにも影響することがわかってきたそうです。
体内時計は一つで全身を調整しているのではなく、全身くまなくあることがわかっています。(ここら辺は五臓六腑の五神の話や子午流注の時間の話を連想してしまいます)それは細胞ひとつ一つに存在する時計遺伝子の機能で、今わかっているだけでも、数十種類の時計遺伝子が確認されています。
たとえばそのうちのピリオドという時計遺伝子は物質の生成と分解を一定の周期で行っていることがわかっています。
この時計遺伝子のサイクルによって食欲や睡眠欲などの周期がつくられています。
しかしこの体内時計と異なる周期で生活すると体内時計自体がズレていってしまいます。このズレがストレスのもとになって身体の不調や病気もとになって現れてくるのです。
それでは、ズレてしまった体内時計をもとに戻すにはどうすればいいでしょうか?
この時間のズレを戻す方法の一つとして食事のタイミングが大事になってきます。
その食事のベストタイミングいつなのか。
先ず朝食は起床後すぐ、2時間以内がいいです。
朝食はズレた体内時計を合わせる役割があります。
起床時は体内時計がズレている状態なのです。実は体内時計のサイクルは24時間より長いため、毎日起床時にはズレています。従って一日の体内時計の開始を朝食で合わせる必要があるのです。
あともう一つ太陽の光を浴びることで体内時計を合わせるのも欠かせないポイントです。脳の中の視交叉上核(主時計)が光を浴びることで全身の体内時計のズレを合わせる働きがあります。しかし食事を取らないと体内時計がまたズレる原因になりかねません。
昼食は朝ご飯を食べてから5時間後ぐらいに日中を迎えるのがよいです。体内時計の観点から言うと、消化吸収系の臓器が一番活発になる時間は日中になります。
夕食のベストタイミングは朝食をとってから10〜12時間後ぐらいです。できれば20時までには終えておきたいです。
子供の頃は当たり前だったことでも、大人になると大人の事情でなかなか実行が難しいのが実情です。だから不健康な大人が増えてしまうのかもしれません。
火の神様
コロナ禍になった頃から、時間を見つけては山歩きに行くようになりました。
私にとって山を歩く事はいろいろ得るものがあります。自然の領域に入る事で何となく心が癒されたり、その時の季節を強く感じることができますし、家に帰ってきた時にクタクタになりながらもある種の達成感をを得ることもできます。
今回は日頃からの運動不足の解消と、下半身を鍛える事が目的の一つです。私が行く山道はそれなりに舗装はされていますが、足元がでこぼこしていて、当然坂道や下り坂だったり、いろんな形の道があるので、身体を上手く使わないと転んだり滑ったりもしないとも限りません。それも山を楽しむ醍醐味です。
疲れにくい歩き方というのが、身体のどこに重心を置くかという事にもつながっているように思います。だんだん山歩きに慣れてくることができたら、身体の使い方も上手くなるのではないかと思っています。
今日は嵐山の方にある愛宕山に行きました。山頂には愛宕神社があり、火伏せ、防火に霊験のある神社として知られています。
今回で3度目の参拝になりますが、なかなか登りがきつく、階段が多い参道なので、毎回登りが多い前半は来てしまった事に後悔します。やはり今回もそんな気分にさせられました。
そんな道ですが、小さなお子様を含む家族連れやご年配の方々なども登っています。
そういう光景を見ては励まされ、なんとか登りきりました。
そして神社に到着し、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれたお札を無事授かることができました。
また来年まで自宅の台所に新しいこのお札を貼っておきます。
感受性
人の感覚、感じ方、反応って個人差が大きいなと改めて感じています。
私はとても鈍感で、敏感な人の感覚に日々とても驚き、感心してしまいます。
学生の時に鍼を受けるのも、とても敏感な人がいて少しの刺激で悶絶するような激痛を受けるみたいで、辛そうにされていました。
そこまでの敏感さは要らないですが、もう少し繊細な感覚が知覚できるようになりたいです。
そう言えば以前、一ヶ月近く東南アジアを旅行した時は、私はお腹を壊したのは1回だけで、他の日本人旅行者はほぼずっと下痢が続いていると言っていたので、その時は私の鈍感力が功を奏したのでよかったですけど。
単純化など
単純化
ありがたい事に最近色々やることをやらせて頂いている。
すると色んな余計なものが入りにくくなってきた。
余裕が無くなるとミスを起こしてしまう傾向は相変わらずですが、そうならない様に自分をコントロールしていきたい。
やるべき事に向き合ってさっさとクリアしていく。
そのためにも自分の中で色々単純化させていく必要あり。
バイアスを取っ払う。
治療にも繋がる。
批判的思考
自分は裏が見えていない事が多々ある。
何か形を受け取ったものも、内包されるものが違っている事がある。
その違和感に気付けるか。
先に起こるものへヒントが隠されている事もある。
思い返せばでは遅い。
ある種の健全な疑う心も必要。
清濁全て飲み込める様に。
それを瞬間に判断できる様に色々経験を積む必要あり。
繕うな
良いものを作ろうとした時、そこへ自分がどの程度関わる事が良いか。
まだ配分が上手くいっていない。
目的の達成のためにどうすればいいか。
人を信じてお任せするところはする。
お任せして良いかわからないなら相談する。
そこを任せられないのもある種のエゴ。
自分の弱さ。
人と向き合う
どんな忙しかろうが寺子屋の時にお身体を貸して頂いている患者さんにきちんとで向き合う。
向き合い方が全然足りない。
患者さんに限らず、大切にすべき人たち全員に言える話だと思う。
となって来ると相手への話。
本質的に大切なのは相手の事をどれだけ考えれるか。
良い面も悪い面も向き合う。
というか善悪なんてないから。
それがどの様な現れ方をするかというだけ。
わかっていたら躱せるものも増えてくる。
ミート、霊道、名前
ミート
体の使い方の件で、なぜそうするかのイメージが繋がって発見がありました。
要領はサッカーのキックと共通する部分も多いにあると感じて発見がありました。
ただ、その前段階で患者との信頼関係が出来上がっていないと相手も反応してくれないと思うので
色々感じ取りながら、向き合いながら相手を主体にやっていこうと思います。
霊道
患者さんの状態を観察させて頂いきました。
成因についても教えていただき、またそれがなぜ起こるか。
穴から背景が見える現象が勉強になりました。
その時の患者さんの様子も覚えておこうと思います。
名前
その場所にいる時はどういった自分でありたいのか。
自分のスタンスを表す名前にしたい。
一つは「貞」を盛り込みたいと思います。
意味は二つの意味で一つは自分のためで、もう一つは医療人としての意味を込めました。
自分のための意味としては
貞には「定」という意味があり、精神が安定して惑わされないという意味もある。
頑固になる訳ではなく、一つ自分の核を持って物事に向き合いたいと思います。
堅物になりたい訳ではありませんが、奥底にはいるべきものを納めて浮つかないようにしたい。
医療人としての意味は易学の乾元亨利貞から取りました。
この意味を表す前置きとして、
「尚書」の「天一生水、地二生火」
の言葉があり、
万物発生論としてまず水が生まれたとの考え方が私は好きだからです。
菅子でも
「人は水である。男女の精気が合し、形となったものである」とあり、水に人間を例えています。
水は坎水なので、坎を探ると陰の画象、陽の画象、陰の画象で出来上がっている様に中に陽を宿す。
その水が生まれる前段階として
乾(純陽)と坤(純陰)が交わりがあり、
坤(陰)の中に陽(陽)が入ることで水が生まれた。
昔、大変自分に影響を与えた本で火神派ではなく火神派的な医案解説集という本があり、そこには
生命現象とは「無形の陽気」が「有形の陰気(肉体)に宿っている状態」といった内容が書かれていました。
ここで患者さんの生命現象の本質を水の中に宿る陽で見てみた時、
乾の特性である「元亨利貞」は
訓読みで
「元まり亨り利しく貞し(はじまりとおりよろしくただし)」
易経講話
「天の大元気の働きによって、万物は始まり生まれるのである。それが元であり、始まるのである。
それが始まり生まれると、だんだん盛んになり、十分に伸びていくのである。
それが亨であり、通るのである。
盛んになり十分に伸びていくと、それぞれの物が各々そのよろしきを得、その便利とするところを得るのである。
大きくなるべきものは大きくなり、小さくあるべき物は小さくできあがり、太いものは太く、細いものは細く、各々そのよろしきところを得、各々その利とするところを得るのである。
それが利であり、よろしきである。
各々そのよろしきところを得ると、その正しきところを堅固に守って完全に出来上がるのである。
それが貞であり、正しきである。」
これが私には良い状態の人間の一生の様にも感じられ、貞は完成形なので、患者さんの最大限のパフォーマンスを最大限発揮できる貞の状態に持っていきたい。
との意味から貞を選びました。
一文字でいくか、他の文字も入れるか考えてみます。
参考資料
易経講話(1) 公田連太郎 明徳出版社 P141〜146
火神派ではなく火神派的な医案解説集 小金井信宏著 星雲社P26〜35、P108
中国の水の思想 法蔵館 蜂屋邦夫 P148、149
















