学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

舌の考察 2023/12/6

もう、気がついたら今年も残りわずかになってしまいました。また一年が過ぎようとしています。 この一年は毎日、やるべきことはやって、行くべきところに行き、家に帰ったら、家での作業をこなし、寝る。というルーティンを守って生活していた印象です。 もう少し余白の時間も作れればと思っていますが、来年の課題になるでしょうか。   点刺はありますが、前回ほどは舌先の密集度は低下した?かなと思います。でも舌辺に広がったようにも見えます。苔の色が黄色に傾いてきました。胃の停滞もありますが、下焦の停滞間の方が強く感じます。最近は便が硬い状態が続いています。 舌裏の怒張が濃くなっています。血の停滞が見られます。   院での治療直後です。 前回の舌の写真より舌全体に膨らみが増し、ふっくらした状態で、気血の巡りが良くなった様に感じます。色味も明るくなりました。舌の苔も程よくついています。通常のベースはこのような舌なのかなと思いました。 でもこの日に急な鼻水が湧き起こる現象が見られ、頻繁に鼻をかんでいたのが気にかかりました。本人曰く、風邪からでは無く、学校での実技でお灸を中脘に10壮をしたせいだと思うとのことでした。そのせいで気逆を起こし鼻水として上に溢れたようです。 そういうこともあるのですね。  

飽和

久しぶりに友達が家に遊びに来ることになりました。 なのでその準備をしなくてはと、部屋を片付け始めたところ、とんでもなく散らかっていることに気つかされました。 知ってはいましたが、よくもまぁこの10年ほどでモノがこんなに増えたものだと、片付けながらつくづく思いました。 増えすぎた服、カバン 増えすぎた靴 増えすぎた食器、調理器具 定期購読しているまだ封を開けていない雑誌の山 買い込み過ぎたインスタント食品 そして書籍 以前から断捨離しなければと思い続けていましたが、いざモノを捨てようとしても、まだ使えるし、また使うことがあるかもしれないと思い、結局捨てずにそのままになっていました。 でもとうとう家の収納に限界が来てしまっていたようです。 こころの切り替えをしなくてはいけません。 「部屋はその人の心の状態を表している」 とも聞いたことがあるので、本当に耳が痛いです。  

気について

東洋医学を学んでいると、気についての話が常に出てきて、ずっと私を悩ませているものの一つです。 最近手に取った「積聚治療」という書籍を読んで、少し頭の中が整理されたような気がします。 気は宇宙を構成する要素であることは、古代中国での文献にすでに表現されている。 最新の物理学において、世の中の物質の最小単位は素粒子(クオーク)から成り立っているとも聞きます。 呼び方が違うだけであって、この素粒子は東洋的に言えば「気」であることになります。 結局のところ、世の中、全宇宙は全て解体してみると気というものでしかないということになります。 気にも「見える気」と「見えない気」があるようです。 「見える気」について、この書籍には身体の構造を例に挙げて、8層に分けて分類しています。 ①骨 8層の中で一番硬く、深層にあるもの ②筋 骨より柔軟性に富んだ状態であり、骨よりも浅い ③肌肉 筋肉や腱、靭帯よりも一層柔らかい ④血脈 血液やリンパ液などを示して流動性がある ⑤皮毛 固形性の気の中で最も消耗しやすい ⑥汗 血が変化したもので、私にもまだ見える気の状態 ⑦熱気 身体から発散するもの、人体の変化した状態そのもの。熱気は液体から気体の状態になって身体から発散する気のさま。目には見えないですが、感知できるレベル ⑧オーラなど 人体の最も外側の気らしいですが、私には見えませんし感知不能です 身体には深さに応じて異なる気の層があることになるが、これらの質に根本的な違いはなく、ただその密度が異なるだけである。身体は気の重層構造になっているととらえ、表面に近く浅いところほど気の密度が低く、深いところほど気の密度が高いと表現できる。 積聚治療 気を動かし冷えを取る 小林詔司 より 学びとしては、「見える気」という考え方が新鮮でした。

誘引など

歩き方 体の使い方で関節を意識すると体の使い方も変わる。 この間人から聞いた話で、膝の話があった。 色々考えて、遊びを持たせる方がいいよなとなりました。 膝をピンと伸ばせば勢いが吸収できなくなる。 歩行の時もそうで、極力自重+体幹?で歩き無駄な力を入れない様にしたい。 自分も芯で捉える。   刺す 鍼を受けていても 「今から刺しますよ」 とはあまり言われたくない。   上手な人ならそんなに弊害はないかもしれませんが、 「さあ今から刺すぞ!」 みたいな感じで来られると体が強ばる。   油断している様な時に刺すのとまた効果も違ってくるんじゃないかと感じる今日この頃です。   ケータイを忘れた この前学校にケータイを持っていくのを忘れた。 最寄駅で気づいたのですが、そういったものが無い1日も過ごしてみたくなりそのまま登校。   文字や情報から解放された時間はとても気持ちよかったです。   また、そうなってくると事象を自分の頭でいつもより考える様になる。   自由で楽しい時間だなと思いました。   誘引 邪気にやられた時、自身の心持ちや行動次第でも邪気の体へ与える影響は変わると思う。 黄帝内経でも季節の過ごし方で心持ちについて言及していたと思うけど、何も季節に限らない話だなと改めて思いました。 また、邪気が入った時にどのような思考や行動すると、どのように転化するか。 そういった事を知っていくのも面白いなと思いました。

何気ないひと言

先日、久しぶりに寺子屋の実技練習に参加しました。 先生が何気なく仰った一言や、行動に、 ぼんやりと、悶々としていた事、 見落としていた!と気づいた事。 ちょっと視野が拡った感じで ワクワクします。 1年前、数ヶ月前、数日前なら 先生の言葉がよく分からなかったかもしれません。 日々臨床に出て、疑問に思ったことがなければ、 今日得た気付きはなかったかもしれません。 些細なことでも 次から現場で活かそう! 勉強会や実技練習に参加すると、 モチベーションに繋がります。 分からない事、できない事を嘆くより、 それも楽しんでいけるくらい 肩の力を抜いていて歩んで行こうと思います。

試験が終わり、色んなことに挑戦する余裕が出てきました。 色々調べていくと、1、2回生の時の様に好きな事に浸かっていき、その中で想像が膨らんで楽しいです。 最近は「生きるとは何なのか」といったテーマで調べ物を進めています。 その中で季節感というものも改めて取り入れたいと思いました。 今の季節で言うと春に何を感じるか。 1日1日と変わりますが、今は冬のキリッとした厳しさに比べてフワフワする日が多い様な… 色々体感しながら学びを進めていきます。

紫色から色々探る

昔の人の認識を知るために。 神農本草経では霊芝を「青芝、赤芝、黄芝、白芝、黒芝、紫芝」と六種に分類している。 神農本草経攷異 青芝「味酸平。…補肝気。」 赤芝「味苦平。…益心気。」 黄芝「味甘平。…益脾気。」 白芝「味辛平。…益肺気。」 黒芝「味鹹平。…益腎気。」 紫芝「味甘温。…益精気。」 紫以外の五色に関しては通常の解釈でわかりやすい。 では紫の益精気とは何なのか。 まずは紫について考えたい。 これは高貴な位を表す事も多くある。 例えば紫禁城の名前の由来など。 日本でも儒教を学んでいたとされる聖徳太子が定めた冠位十二階では、紫(徳)・青(仁)・赤(礼)・黄(信)・白(義)・黒(智)との順位で位が定められている事から紫の立ち位置と文化の伝来が伺える。 人体にも紫宮という経穴があり、それが何を指すのか。 神仙思想でも度々出てくる紫。 五色以外にも着目する必要がありそう。   参考資料: 神農本草経攷異 有明書房 森立之著 煉丹術の世界 大修館書店 秋岡英行・垣内智之・加藤知恵著  

真夜中のドン

昨日の事。 寝る前に鍼の事を考えて就寝。 夜中に目が覚める。 うつらうつらしてる。   ふと足を切経する。 寝る前も気になっていたが、薄暗くこの様な状況だと顕著。 明らかに形態もおかしく崩れていて、奥行きを感じる。 ここに置きたいと感じた。   幸い枕元に鍼を置いていたので一連の流れは崩れずに済んだ。   置く直前に東洋医学考で読んだ四肢の経穴を使う時の刺法が浮かんだ。 暗いので鍼先なども見えないけど、刺法だけ注意して後は何となく感覚で照海に置く。   ドンっといった重低音に近い感覚があった。   後の反応を追う前から分かる良い感覚。 しばらくするとこの前教えて頂いた2箇所に変化が現れる。 自分に対してだと今までで一番良い鍼ができた気がして嬉しくなった。   六味丸を使った感覚と少し似てる。   参考資料 東洋医学考 星雲社 一鍼堂出版 

淡々

菜根譚を読んでいると色々ヒントが散らばっていると感じる。   「醸肥辛甘非真味、真味只是淡。神奇卓異非至人、至人只是常。」   神農本草経を読んでいても、神農はあくまで1人ではないと思いますが、その人達はこういった感覚も持っていたように感じる。 もしくは美食に溢れた現代人だからこう思うのか。 また、それをどの様に表現したか。   切経を行う時も同じことだと思う。 何かをやろうとするではなく、無駄を削ぎ落として純粋でありたい。 雑音なんて知らない。 患者さんとの一対一。 一つ一つが淡々とした真剣勝負。 そういった気持ちで望みたい。   参考書籍 座右版 菜根譚  講談社 久須本文雄

できる事だらけ

体の使い方でずっと指導して頂いている事を強く意識する。 方向性。 土台を固めた上で預けて脈をみる。 鍼を行うときにもその感覚が活きる気がする。 押手などでしっかり固定化した上でどこに届けるのか。 人に練習させてもらって、この意識で置いたらいい感覚だった。 この先に微細な調整などもあるんだろうな。 指の使い方なんかも少し馴染んできて良い感じです。 生まれた感覚を大切に、ブラッシュアップしていきます。     寺子屋時に学びの姿勢に関して受けた言葉に対して思うところ。 結局のところ、それを生業とするプロとしての責任感を持った上で、楽しんで学びを進めれるかというところに帰ってくると思う。 伝えて頂いた学び方なら、何事にも答えや正解といった枠を作らないので限界がないし、やれる事は無限に広がっていく。 先に患者さんの治療があるならこれ以上の事はないよなと思う。