自分の確認手段など
週末
先週の週末くらいですが、学校での様子をみると全体的にイライラしている様子の人が多かった気がします。
こちらから話を振る訳でもなく、久しぶりに昔出ていた症状が出てきたなど会話で出てきた。
そういう時期だったのかなと勉強になりました。
肝火の人は目と喋り方が爆発的な特徴を持つ気がします。
自分の確認手段
最近自分のどんな状態が良くて、どんな状態が良くないか前よりは実感できる様になってきた気がします。
良くない状態を作ってしまっている時、現実に存在する音、匂いなどに対する取りこぼしが多く、みるものの視点が近い。
その状態になっている時を確認すると変な没頭の仕方をしてしまっている事が多い。
改善方法としては、今に集中したら状態は良くなる。
もっと受動的に。
要らないものが多すぎる。
もっと自分と周りの環境を一致させたいな。
場所によって
小腸経の切経を行う時、相手の顔近くに手を置いてもらうやり方で労宮でみようとすると物理的に距離感が近くなりやすい。
最近は手の指でもみれたらいいなと思い、指先でも軽く触れるよう色々指先で触る訓練中です。
流れ
細かい部分を見るのはいいけども、そこに囚われた瞬間他の情報との関連を切ってしまっているので別物になる。
診断時、そうならないためにもサッパリ生きなきゃなと思います。
施術日記(01)
ご協力いただきました。
T.I 先生をモデルに勉強させていただきます。
舌診の鍛錬
【目的】
① 舌診における基準のレベルアップ。
② 事前・事後の変化を漏れなく獲る。
舌が右に傾いています。
舌尖が少し細くなって、力が入っているように思えます。
苔の具合ですが、昔は白膩が強かったのかな?と。
淡い剥離が舌辺に散見されます。
陰陵泉(右)に3番鍼にて置鍼(10分)
刺鍼後は全体的に力が抜けたように感じます。
舌辺の剥離?斑点?も主張が弱くなっているように思います。
力が抜けた分、相対的にそう感じるだけかもしれません。
画像ではわかりにくいですが、実際には正気が出てきたように感じました。
この時は気づかなかったですが、
画像を編集している際に ”唇の渇き” が気になりました。
喫茶店
最近の出来事。
時々行く近所のカフェに入ろうとしたら生憎の定休日だった。
そのまま帰っても良かったんだけど、普段あまり通らない場所に目を傾けてみると昔ながらの喫茶店を発見。
入ってみるとお客さんと談笑中の店員のおばあさんが愛想よく出迎えてくれた。
飲み物を準備し、自分に出し終えると再び楽しそうに談笑再開。
良い雰囲気で喋っているので、どんな会話をしているのか耳を傾けてみた。
A「私、炊飯器に直接にカレーを入れて炊き上げるねん」
B「え、そうなん?」
まあ普通の会話。
でもとても楽しそう。
そこに今の自分に必要な要素が詰まっている様な気がしました。
ある患者の所見から
ある患者の所見から──
気虚がベースにあり年齢的にも腎精の減退は必至。
心火の過度の亢進の元に
心腎の不交が患部の症状を引き起こしている主因と想定していた。
治療中に鬱熱が発散される様が見られる等の所見が
当初こそ見られたものの最近ではそうした著しい変化が追えない。
本格的な寒気到来に合わせ体調は悪化。
寒邪を感受、裏に入り
程度のきつい手足厥冷と浮腫は定着気味。
以前にも増して処置後の変化を追うことが容易じゃなくなってきた。
最初の検討のまま只今寒症の所見が表に強く現れていると考えるべきか。
秋口には隠れていた本態が上下で現れていると捉えるべきか。
そんな時期に手の冷えが緩和が確認される日があった。
胃の気を動かして後押しをすべく配穴に変更を加えて処置。
次回に繋げる。
鍼治療を受けて④
浮力が働いている様な感じと表現できるかもしれない
いつもの様に
置鍼中に一瞬眠った様な状態になったあと
ふと自分の体の感覚に戻るともうすっかり動いている動き回っている
体は動かしていないけど体が動いている
水のない風呂
今日そう感じたのは足の輪郭がぼわぼわと波たっており暖かく
温かい湯船に浸かっている時と似ているからかも知れない
ゆっくり静かに観じていられる体はベッドのうえで浮力が働いている様にやさしい
こうして完全に身を預ける時間を通して
反対に普段一体どれだけ抵抗を抱えて過ごしているのかについて思わされる
(忘備録として)
単純化など
単純化
ありがたい事に最近色々やることをやらせて頂いている。
すると色んな余計なものが入りにくくなってきた。
余裕が無くなるとミスを起こしてしまう傾向は相変わらずですが、そうならない様に自分をコントロールしていきたい。
やるべき事に向き合ってさっさとクリアしていく。
そのためにも自分の中で色々単純化させていく必要あり。
バイアスを取っ払う。
治療にも繋がる。
批判的思考
自分は裏が見えていない事が多々ある。
何か形を受け取ったものも、内包されるものが違っている事がある。
その違和感に気付けるか。
先に起こるものへヒントが隠されている事もある。
思い返せばでは遅い。
ある種の健全な疑う心も必要。
清濁全て飲み込める様に。
それを瞬間に判断できる様に色々経験を積む必要あり。
繕うな
良いものを作ろうとした時、そこへ自分がどの程度関わる事が良いか。
まだ配分が上手くいっていない。
目的の達成のためにどうすればいいか。
人を信じてお任せするところはする。
お任せして良いかわからないなら相談する。
そこを任せられないのもある種のエゴ。
自分の弱さ。
人と向き合う
どんな忙しかろうが寺子屋の時にお身体を貸して頂いている患者さんにきちんとで向き合う。
向き合い方が全然足りない。
患者さんに限らず、大切にすべき人たち全員に言える話だと思う。
となって来ると相手への話。
本質的に大切なのは相手の事をどれだけ考えれるか。
良い面も悪い面も向き合う。
というか善悪なんてないから。
それがどの様な現れ方をするかというだけ。
わかっていたら躱せるものも増えてくる。
腹をうかがうにあたって
腹診を学ぶにあたって理解があやふやな用語をまとめてみました。
心下痞(しんかひ)=心下痞満(しんかひまん)
心下とは胃脘部を指す。胃脘部に気機の阻滞によって痞えたような不快がある。患部に疼痛はなく押さえると軟らかい。
心下痞硬(しんかひこう)=心下痞鞭(しんかひこう)
硬と鞭は同意語。気機の阻滞により胃脘部に痞えたような不快感があり、患部を押さえると硬く抵抗感がある。また心下痞硬の一種として心下部が菱形状に抵抗が強い心下痞堅がある。
どうやら心下痞は自覚症状のみですが、痞硬の方は他覚的に抵抗があって場合によっては疼痛もある感じです。
心下支結(しんかしけつ)
胃脘部が詰まったような不快な煩悶感がある。
少腹急結(しょうふくきゅうけつ)
左の前上骨棘と臍を結んだちょうど真ん中あたりに索状物を触れ、押したり按じると響くように痛むもの。瘀血の症の一つ。
小腹腫痞(しょうふくしゅひ)
右の腰骨と臍を結んだ線の上から3分の1あたり、回腸部付近にしこりや圧痛があるもの。瘀血の症の一つ。
一語でわかる中医用語辞典(源草社)
はじめての漢方診療十五話(医学書院)
私と鍼灸 その2
・・・つづき
鍼もやってみたいとう思いが芽生えてから、私が通っていた漢方薬の勉強会では雑談などの合間に鍼の話がどんどん増えていき、とても楽しそうに聞こえ、それと同時に私の興味もどんどん膨らんでいきました。
鍼灸専用の勉強会も新たに立ちあがり盛り上がりをみせ始めました。周りの先生方は医師も多かったので、そのまま参加できましたが、私が参加するとなると、やはり鍼灸師の免許がなくては今後活かせないので、とうとう決心して鍼灸学校に通うこと決めました。
そして3年間通い続け無事卒業したものの、最初の勢いはどこ行く風で、いろんな勉強会に行ってはみるものの、今ひとつそのエッセンスがつかめずじまいで、最終的には全くの迷子になってしまいました。その原因は自分の触覚の鈍さなのかと思っています。漢方薬の場合はある程度、知識があれば治法を決めれ、あとは薬を飲めばそれぞれの生薬が勝手に身体の中で働いてくれますが、鍼灸の場合は脈やお腹の反応をその都度判断して処方を組み立てていかなくてはならないので、その反応をキチンと追えてないと治療ができません。
今の私にとって鍼灸としての世界は余りにも広大で漠然としいて、明確なものがないように思えどうしたらいいかわからないというのが正直なところです。治療法もたくさんあります。
そんな中、一鍼堂に出会いました。せっかく取った資格も無駄にしたくはないです。もう一度、ここで鍼灸の世界と向き合い直したいと思います。
生理物質の色
初めまして、高山将一と言います。
血にはなぜ色が存在するのだろうか。
血というのは脾で水穀、営気、津液から生成されたものであるが
脾で作られた後、心が全身に送ると共に、なぜか心は血に赤色を与えるのである。
なぜ心は血を赤色に染めたのだろうか。
なにか利点があって色をつけたのだろうか。
私の知る生理物質には、他に気や津液、精、神があるがこれらには、色があるのだろうか。
僕が建てた仮説は、これが血であったり、気であったり、津液だよっていうのを全身の組織にわかりやすく受け止めてもらうために
色をつけてるのではないのではと考えた。
津液は涙や、汗、鼻水と考えられているがこれらはそれといった色がなく無色透明である。
でも風邪になると鼻水が黄色くなったりする、これは私たちに今風邪だよっていうのを知らせてくれているのかもしれない
だから血にも何かしらの理由があって色をつけているのだと思う。
今の私には気というものは見えないが、もしかしたら気にも色がついているのかもしれない。
イメージ的に気の色は黄金であって欲しい、もしかしたら人によって色が違うかもしれませんね。
もしくは、気には6個の作用ががあるのでそれぞれの作用によって色分けされているかもしれません。
そうなると気が見えるという人たちには人間がレインボーに見えてちょっとおしゃれに見えているかもです。
私が気というもを見える様になったらまた報告したいと思います。
医古文の学習(1)
一鍼堂(大阪本院)で行われる「素問を読もう!」(木曜日)に参加しています。
【黄帝内経素問】
《上古天眞論篇第一》
昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天.
廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶.
岐伯對曰.
上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞.故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去.
今時之人不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也.
(読み下しや翻訳に関しては、沢山の先生方が訳した書物がありますので割愛させて頂きます。)
黄帝を表して
生 弱 幼 長 成
神靈 能言 徇齊 敦敏 登天
五進法から始まってます。「このリズムでいきますよ。」と感じます。
当時の発音も解れば、より以上感ずることも多いのかと、、残念な思いと探究心が交錯しますが。
法 和 節 常 不作
陰陽 術數 食飮 起居 妄勞
「昔の人は偉かった」との話の中に一つのモデルケースが示されています。
ここの”陰陽”をとってみても、具体的に話しているようで総論的な意味合いも含んでいるように思えます。
素問全体を通して理解が進む事を期待しつつ進んでまいります。
漿 常 入房 竭精 耗散 不知 御 快 逆 無節
酒 妄 醉 欲 眞 滿 神 心 生樂 起居
今度は”今時の人”のダメ出しパターン。
倍の10件も記されています。説教が長い・・・タイプのようです。
エジプトのピラミッドを作った労働者の落書きに「最近の若者はダメだ」とあったように聞いたことあります。
大古の昔より、「変わらぬものは変わらない」と感じた記憶があります。
医古文もまた共通の不変性を示しているように思います。
年を重ねて分かるからこそ、伝えるべき”無駄”を伝えようとしているように感じるのですが、
どうなのでしょうか?
参考文献
「現代語訳 黄帝内経素問 上」東洋学術出版社
「重廣補注 黄帝内経素問」天宇出版社
稲垣英伸