臓腑について学ぶ(01)
肺
上焦にあり、静粛下降の役割を持つ
気や水液が下降し全身を巡る事によって五臓の気機は昇降のバランスを保つ。
《肺が粛降機能を失う阻害要因》
実の病理変化:外邪や瘀血痰湿などの病理産物により水道が塞がる→痰水壅肺
虚の病理変化:虛寒などにより津液を宣発散布することが出来なくなる→肺虚失制
【痰水壅肺】
息切れ・咳逆・喘息で横になれない。胸脇満痛。飲邪の氾濫による水腫。など
【肺虚失制】
遺尿・頻尿。など
ーーー関連領域より病理を考えるーーー
鼻・涕:鼻閉、鼻汁。呼吸や嗅覚に影響あり。
皮・毛:易感冒。皮膚の乾燥。掻痒感。
魄 :感覚・運動・情志などの本能的な精神活動の失調。
憂・悲:憂う。悲しむ。
辛 :気の消耗や熱化。大腸の機能に影響あり。
【参考文献】
『中医病因病機学』東洋学術出版
『新版 東洋医学概論』医道の日本社
仕事の帰りに少彦名神社
少彦名神社
【御鎮座】
道修町には、明暦四年(1658)頃から薬種商が集まっており、享保七年(1722)
124軒が幕府より道修町薬種中買仲間として公認された。
この仲間が生命に関する薬を神の御加護のもとに間違いなく取り扱えるよう、中国の薬祖神・神農氏と共に、
安永九年(1780)京都・五条天神から少彦名命をお招きして、仲間会所(現在地)におお祀りした。(引用:神社の案内より)
(´ー`)
仕事の帰りに足を延ばし、少彦名神社に参拝に行ってきました。
御鎮座より今年で240年という事で、お薬と大阪との長い付き合いを感じます。
学生時代より度々お参りに来ておりますが、卒業後では初めて来させて頂き、試験合格のお礼をさせて頂きました。
卒業し、鍼灸師となった立場で神様に手を合わすというのは違った思いがあります。
本日は梅雨時の隙間、暑さは止みませんが、良い風が吹いていたように思いました。
学生・東洋医学を学ぶ者の為のプロジェクトを設置。
これからも勉強会や企画を
展開していきますが、
参加して頂いても、
なかなか単発でその場では
触発されて気持ちが盛り上がる
ものの、
結局、それが日常にはならないといった問題が
発生します。
これが根本問題だと思います。
そこで、
一鍼堂の方から一つ、新しい
サイトを作り、
勉強したいと思う有志にそれぞれ
アカウントを発行して、
勉強した内容や疑問などを日記調に書き記して
いってもらって、
それを僕らの方で見させてもらって、
アドバイス出来るものはするといった
ものを考えています。
エントリーしたい人はまた、挙手お願いします。
動かし方など
動かし方
自身の受けた治療について。
下焦を動かしたいからと言ってアプローチするところは下焦に直接的にアプローチすればいいとは限らない。
上からのアプローチは自身で受けたものでは2回目ですが、何故か新鮮に感じられ、治療翌日の動き方も今までと違う気がして勉強になりました。
標本?
症状には経絡・経筋など枝葉があるけども、それを考える時は臓腑でも同じ。
相剋・相生など五行では習いますがそう言ったものに限らない話で、あるのかもしれませんが書籍ではなかなか載っていない自身の知らない繋がりが隠れている。
何か教わった事で一つのキッカケで色んな関連したものが「バババっ!」と繋がっていく感覚。
自分の中で発見があるとても楽しい時間でした。
自分の体で灸を受けた時も同じ反応が出ます。
本体性振戦
調べると「原因はよく分からないけど震える状態」に付けられる病名。
場所は手指・頭・声に多いらしい。
薬はβ遮断薬が良く使われる。
陽明蓄血
現代語訳 宋本傷寒論 P422
「陽明の証があり、患者に健忘がある場合は、必ず蓄血がある。なぜかというと、その患者にはもともと瘀血があり、これが患者に健忘をおこさせている。大便は乾燥して硬くなっていても、かえって排便は容易で、しかも大便の色が必ず黒ずんでいる。この場合は、抵当湯で瘀血を攻下すればよい。」
役立ちそうなのでメモとして残します。
この本再販されないかな…
生き方
とても大切だと感じる出来事が最近多い。
どんな過酷な環境でも自分を失わず、自分の思う正しい生き方をして鍼灸師として治療にあたれる。
そういう治療家になりたい。
参考資料
現代語訳宋本傷寒論解説 東洋学術出版社 生島忍編著
異名同穴への一考察。
稲垣さんが
以前に異名同穴①という記事を作ってくれた。
こういった勉強はやはり重要であり、
今後の為には必ずなると思う。
そういった訳で、僕も考察を挙げてみよと思う。
経穴は元々孔穴と呼ばれており、
『素問』以前の古代では
臓腑との関連性と言うものはほぼ分かっていなかったようだが、
それが『黄帝内経』(ここではこう記しておきましょう)の編纂により、
中国医学の基礎ができ、
それ以後『難経』や『傷寒論』へと続いたと考えられている。
それに合わせ経穴の研究も始まり、
夫々 名前がつけられたのだと。
これが、現在の基本的な考え方だと僕は思う。
ただ稲垣さんが記したように、
経穴には様々な名前(原文には一名●●と記す)があり、
これに関しては、
単純に様々な流派が存在したと考える。
これは真柳誠氏の書籍等も含め考えたのだが、
一例として『黄帝内経』を基礎とした”黄帝流派”、
そして鍼の名医であった”扁鵲流派”があったのだと思う。
流派が違うというのは、
現代の鍼灸流派で言うと、考え方、捉え方の違いくらいだと思うが、
当時は実際に『黄帝内経』だけでなく、
様々な治療集団があり(元々 統一されてない国であったし)、
全て根底から異なっていたのではないか。
そうなると、
治療に使う経穴名というものも全然変わり、
それを後世の医家達が『明堂』のような書物を編纂する際に
色々な書籍を参考にした結果、
こういうものになったのであろうと。
で、『黄帝内経』を基礎とした書物が遺っていたから
これを基軸に経穴名もつくられたのでは?と考えた。
まぁ、どこにも確証がないので、
一意見として。
朱丹溪の処方について。
反佐論
『たとえば近代の医家が宗とし法とするものに丹渓の書がある。その朱丹溪が呑酸を治療する際には炒黄連(さおうれん)を君とし呉茱萸(ごしゅゆ)を佐とする《左金丸》のが常である。また心腹が痛むものを治療する際には、山梔子(さんしし)を倍加して炒乾姜(さかんきょう)を佐とするとよいと言っている。このように寒薬を君とし熱薬を佐とするような処方の構成は、私には理解できない。もしその症状が熱によって出ているものなら冷やせばよいだろうが、どうしてさらに呉茱萸や生姜といった熱する薬を用いるだろうか。もしその症状が寒によって出ているものなら熱せばよいだろうが、どうしてさらに黄連や梔子といった冷やす薬を用いるのだろうか。・・・その疾病の原因を理解できないので、熱薬を用いたり寒薬を用いたりするのである。また、病状と方剤の寒熱が同じか違うかを判断できないので、その病気に対して真の見解を持つことができず、寒熱両方の見解を持ったまま治療していくことになるのである。これが医家における病の最たるものであり、自分自身を深く反省しよく戒めなければならないところである。』
黄連 :清熱燥湿、清熱瀉火、瀉火解毒
呉茱萸 :暖肝・散寒止痛、下気止嘔
山梔子 :清熱瀉火・除煩、清熱利湿、清熱涼血・止血、清熱解熱
炒乾姜 :温中散寒、回陽通脉、温肺化痰・化飲
左金丸(別名:回令丸、萸連丸):清肝瀉火、降逆止嘔
君薬 :主となる病態を治療するもので配合薬の中で最も重要なもの
臣薬 :君薬の作用を強めたり主証に付随する兼証を治療するもの
佐薬 :君薬・臣薬を補助するもの
使薬 :諸薬を調和したり服用しやすくするもの
張景岳は景岳全書の陰陽論の中で劉河間と朱丹溪を、陰陽に対しての治療方針について批判的でありましたが、反佐論の中でも丹渓の書を用いて説明がされています。
病因の把握、治療方針の見立てなど、歴代の医家達にも様々違いがあるように難しいところなのかと思います。
そして、そこが研究し続ける重要なテーマに思います。
【参考文献】
『現代語訳 景岳全書 伝忠録』たにぐち書店
『中薬学』東洋学術出版社
『方剤学』医歯薬出版株式会社
『新版 東洋医学概論』医道の日本社
食事制限など
空気感
自身の出す空気がいい状態の時はキチンと周りを見れている。
悪い状態の時は何か引っ掛かりがあってそこに引っ張られている。
自分をしっかり持つ。
それしか解決策はなさそうです。
腹の陰圧
体の使い方で自分の中で大きな発見があった。
自分の身体は片方の腹筋が弱い。
特に陰圧をかける動作を怠っていた様で、そこが原因で側面の筋肉や腰に負担をかけていた。
過度な食事制限
長期的に続くと脾胃飲みではなく腎も痛める。
すると志も傷つくので継続する事が難しくなり、パニックも起こしやすくなるし、記憶への影響も現れる。
拒食症の方は何人か出会った事がありますが、深いものになると中々治療が難しそうだなと感じます。
脳についての復習
こんにちは、大原です。
脳に関して、解剖学・生理学の復習を行いました。
(以下、復習した内容をまとめたものになります。)
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脳は、脊髄と合わせて中枢神経系をなし、
解剖学的に
延髄、橋、中脳、小脳、間脳、大脳に分けられる。
脳の松果体はメラトニンを分泌し、
人の睡眠や生体リズムに関わる。
形態は、松かさ状の小体で、大きさはあずき粒大、
色は赤灰色である。
松果体の前方には
視床、視床下部があり、これらを間脳といい、
視床下部の下には下垂体という器官がある。
下垂体からは
成長ホルモン、プロラクチン、FSH、LH、TSH、ACTHと、
多くの種類のホルモンが分泌され、
これらの分泌の亢進や抑制を主っているのは
視床下部である。
参考文献
『解剖学 第2版』
『生理学 第2版』 医歯薬出版 東洋療法学校協会 編
色々失敗する
問診、切経が長すぎる問題。
先生の施術を診て、省略できる所はどこか
効率の良い方法を流れを止めずに如何に行うか。
模倣してみて、集中できる環境に繋がり効率の良い所作だと感じました。
観察して模倣して、発見して。
少しずつ気付きを積み重ねていきたいです。
鍼を置く時、「手にばかり集中している」
と寺子屋の練習の時に指摘を受けました。
あ、これは切経にも言えることだなと、
下半身にちょっと意識を置いた途端
不思議と相手の脈が私の体の中に入って来る
感覚になり、景色が変わりました。
休日、ひたすら細かい作業をしました。
何時間も作業するので手先に集中するために
無意識で重心や姿勢を調整していたと思います。
たまーに出くわす近所のおっちゃんがいます。
昨日久々に道端で会ったら「人相変わったなー!」と私を見て笑っていました。
(悪い意味ではないらしい。)
「毎日ちょっとずつプラスやで。
いっぱい失敗して勉強させてもらいや〜」
飄々として、気の良いおっちゃん。
「まあ、楽しむんやで」
と一言もらってさよならしました。
切脈一葦 序文2
こんにちは、大原です。
前回(切脈一葦 序文1)は、
『切脈一葦』の二ページ目の最後の一文の途中で終わりました。
今回はその続きからになります。
今回も原文から文意を汲み取って、
文章の読み方を考えていきます。
<読み方>
王叔和(おうしゅくか)、この理を知らず。
心と指とを分けて論ずること、一笑に余れり。
また指を以て診する法は、世に伝えて教えと為すべし。
心を以て了する法は、其の人にあらざれば伝うることあたわず。
しかるに今その伝うることあたわざる法を易しとし。
その伝えて教えと為すべき法を難かしとす、思わざるの甚だしきなり。
またその明らかし難き所の脈状を書き著して、
教えを世に垂れんとす。
これ全く己を欺き、人を欺くの甚だしき甚だしなり。
歴代の医、これを弁ずることあたわず。
却ってその説を潤色して、脈の一診を以て、病を知るの法とす。
これ古人の脈法廃して、ただ王叔和の脈法のみ。
世に盛んなるゆえんなり。
家君かつて曰く、
凡そ脈の変態多しといえども、その状十余種に過ぎず、
ただこれを形容する所の文字多きのみ。
王叔和の徒これを弁ぜず。
形容する所の文字を以て、脈状の名と定めて、一字一字に註解を加えて、
二三十の脈状と為す。
これ脈学塗炭に墜(お)ちるゆえんなり。
○敏ならずといえども、黙してこれを看過するに忍びず。
因りて切脈一葦を作ると。
これ家君が文字の脈状を破りて、脈状の文字を活用するの大意なり。
この書は固(もと)より大河の一葦にして、
脈学を尽くすことあたわずといえども、
これをもって学ぶときは、古人の流に溯(さかのぼ)るべし。
古人の流に溯ぼるときは、古人と異なることなし。
古人何人ぞ今人何人ぞ、
ただ古人は志を厚くして深くこの道を窮(きわ)めるのみ。
これ今人のあたわざるところにあらず。為さざる所なり。
もし今志を厚くして深くこの道を窮(きわ)める者あらば、
脈を診するに臨みて何ぞ古人に譲らんや。
もし古人に譲る心 (以下、次のページ、下に続く)
有りて、脈を診するときは、必ず心に安ぜざる所あり。
もし心に安ぜざる所あるときは、必ずその病を決断することあたわざるなり。
故に脈を診するに臨みては○がごとき浅劣の者といえども、
必ず古人と異なることなき心を以てこれを診す。
いわんや明達の人においては、
○が古人と異なることなき心を以て診すると同じからず、
必ず古人と全く同じき者あらん。
豈(あに)ただ古人と全く同じきのみならんや。
必ず古人のいまだ発せざる所を発するものあらん。
後生畏るべし。
これ○が議するところにあらざるなり。
天保辛卯春三月十五日男○謹序
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況(いわん)や:もちろん、言うに及ばず
豈(あに):どうして〜(反語) 決して〜ない
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前回に続きですが、
その内容は、著者の
「王叔和は何も分かってない」という
非常に厳しい批判から始まります。
脈診で必要なのはそれを診る心であるが、
王叔和は脈の状態を何種類かに分類して
「○○脈であれば△△の病である」と、
脈の状態でその場合の病はこうであるというように分類しているが、
こんなことが正しいのだろうか・・・、
このような考え方が広まってしまうのは脈学にとってマイナスではないか、
これでは脈学は地に堕ちてしまう、
もうこれは見過ごせない!、
ということで、この『切脈一葦』を記したと書かれています。
その後に、前回の記事の内容とからめ、
まとめのような形で
大事なことも書かれています。
ちなみに王叔和は、
有名な『脈経』という大書を著した人物として有名です。
また『傷寒論』の編纂もされたといわれており、
その功績は非常に大きく、
東洋医学の歴史の本には必ず載っているイメージがあります。
(為沢先生が王叔和についてのブログを書かれています。
https://www.1sshindo.com/blog/zenith17665/
ぜひ参考にしてください。)
参考文献
『切脈一葦』(京都大学附属図書館所蔵)
画像は京都大学デジタルアーカイブより









