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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

中国の思想(01)

老子 一章 真理は固定したものではない 道可道、非常道。 名可名、非常名。 無名天地之始、有名万物之母。 故常無欲以観其妙、常有欲以観其徼。 此両者同出而異名。 同謂之玄。 玄之又玄、衆妙之門。 道を可とする道は、常なる道に非ず。 名を可とする名は、常なる名に非ず。 無は天地の始まりの名、有は万物の母の名。 故に常なる無は其の妙を観さんと欲し、常なる有はその徼を観さんと欲す。 この両者は同じ出にして名を異とする。 同じく、これを玄と謂う。 玄のまた玄を、衆妙の門とす。 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店

脈(奇恒の腑)は血脈・血府とも言われる。 脈は主に気血などの生理物質を運搬し、心の機能により送り出された後、肺や肝の機能により推動され全身をめぐり、組織・器官を滋養している。 生理物質および各臓腑の状態を表すだけでなく、内外の環境や病因の特性を反映するため、脈診によって臓腑の機能失調および内在する病態を推察することが可能となる。 ーーーーーーーーーーー 五臓の働きや生理物質の種類・作用に関して、 異なる臓器や生理物質なのに同じような働きを持っているように見えたり、 一つの生理物資の代謝にいくつかの臓器が関与していたりで、 入り組み過ぎてそれぞれを独立して認識しづらかったため、五臓のことは横目で見つつ イメージが付きやすい奇恒の腑について学んでました。ですが 「中医学において、生理代謝の中心は五臓六腑にあり、その生理活動をみていくと ただ1つの臓器が中心となって行っているものがあったり、2つの臓器が関与して行っているものや、さらには3つ以上の複数の臓器が関与しているものもある。 そして生理活動の中では、関与する臓器の数が多いものほど重要度が高くなっている。 このことは気・血・津液の代謝がどれも3つ以上の複数の臓器が協調して行っていることからも分かる」 ということで、複雑に絡み合ったままでもいいんだなと分かったので、 引き続き進めていきます 「新版 東洋医学概論」医道の日本 「やさしい中医学入門」関口善太 西

五行大義(08)

学生時代に教科書『新版 東洋医学概論』より 第3章 東洋医学の思想 第2節 五行学説 Ⅱ 東洋医学における五行学説の運用 のところに 『五時(春、夏、長夏、秋、冬):五時は四季(春夏秋冬)に土用を加えたものであり、五季という・・ 』 ここに違和感を覚えておりましたが、 五行大義を拝読し、全てを網羅した分けではありませんが、 五時ではなく、四時(春、夏、秋、冬)としての記述であり、”土”は別の価値観としてあります。 この四時とした方が、立体的に五行として捉えており、 五時(春、夏、長夏、秋、冬)とした場合の、平面的な詰め込んだような違和感が無いように思います。 精査を続けたいと思います。   第二辯體性 (淮南子云)  「形体と性質について」淮南子(思想書)から引用すると、 淮南子云、天地之襲精爲陰陽。 陰陽之專精爲四時、四時之散精萬物。 積陰之寒氣、反者爲水、積陽之熱氣、反者爲火。 水雖陰物、陽在其内。 故水體内明。 火雖陽物、陰在其内。 故火體内暗。 木爲少陽、其體亦含陰氣。 故内空虚、外有花葉。 敷榮可觀。 金爲少陰、其體剛利、殺性在外、内亦光明可照。 土苞四德。 故其體能兼虛實。 淮南子がいうには、天地の襲精は陰陽となす。 陰陽の専精は四時となす、四時の散精は万物なり。 積陰の寒気、反なるもの水となし、積陽の熱気、反なるもの火となる。 水 陰物といえども、内に陽あり。 故に水の体内は明なり。 火 陽物といえども、内に陰あり。 故に火の体内は暗なり。 木 少陽たり、その体または陰気を含む。 故に内は空虚、外は花葉あり。 敷栄して観ることが出来る。 金 少陽たり、その体は剛利、殺性は外にあり、内はまた光明して照らすことが出来る。 土 四徳を苞む。 故にその体はよく虚実を兼ぬ。 【参考文献】 『五行大義』株式会社 明德出版社 『新版 東洋医学概論』株式会社 医道の日本社

欲しかった本入手

  以前から欲しかった意訳黄帝内経太素が安値で売られていたので手に入れる事ができました。   まだ読み始めたところですが自身が内経を読んで疑問に思っていたところがハッキリ書かれていたりして勉強になります。   今回は勉強用のブログとして、書籍から学んだ事を書いていこうと思います。   本一辺倒にならない様に、モードを切り替えながら生活していこうと思います。   まだパラパラ読み始めたところですが、気になった部分の一部を書いていきます。   意訳黄帝内経太素 P131 五臓命分 「志・意と者(は)精・神を御し魂・魄を収め、寒・温を適え喜・怒を和す所以者也。」 P132 「志・意が和す則(と)精・神は専直(すなお)となり魂・魄は散ぜ不、悔・怒も至ら不、五臓が邪気を受けることは不矣(ない)」   ここでは志・意が切り離されていない点も気になる。   現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻P161 本神篇 「物を任うゆえんの者これを心と謂う。意の存する所これを意と謂う。意の存する所これを志と謂う。」 全訳 内経講義 P201 「李中梓の注「意がすでに決まり、堅固になったものが志である。」」   記憶などで例えられた場合、意は短期記憶力で志は長期的記憶力と説明されていました。 (意の在する所これを志と謂う。)   医学三蔵弁解 P151 帰脾湯 「人参は心気を補い、遠志は腎中の志気を補います。心腎の二気がよく交通すると、脾気がその昇降の間を保ち、三臓の気が自然と充実してきます。」   帰脾湯は心脾両虚の薬ですが、心神不交も兼ねる。 しかし帰脾湯の物忘れの特徴的な現れ方は「直前の記憶がない」という点。 さっきまで何をしていたのか分からなくなる。(意病) でも、意志は切り離せるものではなく、実際に遠志という生薬で腎気(志気)を心に届ける過程で脾気(意)を巻き込んで治している。 この後のストーリーとして意志が安定して魂・魄なども安定、喜・怒も過剰なものが無くなればいいなと思いました。   参考書籍 意訳黄帝内経太素 第一巻 築地書店 小曽戸丈夫著 現代語訳 黄帝内経霊枢 東洋学術出版社 南京中医薬大学著 全訳 内経講義 たにぐち書店 田久和義隆訳 医学三蔵弁解 たにぐち書店 伴尚志 現代語訳

背中・寺

  姉の身体を触らせて貰いました。   気になったのは右の腎兪のあたりのエリアが落ち込んでいると思った。   お腹を向けてもらうと夢分流腹診の表で左の腎に当たるエリアが右に比べて力がなく柔らかかった。   実際のところ背中の臓腑の反応は腹とリンクするのか、またリンクするとしたらそこに規則性はあるのか気になります…。   腹、背中と触っていたら左の踵が痒いと掻き始めたのでこれも何なのか考えてみます。   また、背候診とは別件ですが、先日京都の法然院に行ってきました。   銀閣寺から哲学の道をしばらく歩いていった場所にあるお寺なのですが、行ってみると観光客もおらずゆっくり見て周ることが出来ました。   静かなのでセミや鳥の鳴き声、水の音などをじっくり聴け、生えている苔などもとても綺麗でいい場所でした。   また気が向いた時に行こうと思います。   写真撮影可能なお寺でしたのでアイキャッチ画像に設定しています。

老子の第一章から想像

先日老子を読み終えました。 速読を意識したので二周目はじっくり読んでいきたいと思います。   第一章 道可道、非常道。名可名、非常名。 無名、天地之始。有名、萬物之母。 故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。 此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。   訓読文 道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。 名無きは天地の始め、名有るは万物の母。 故に、常に欲無くして以て其の妙を観、常に欲有りて以て其の徼を観る。 此の両者は同じきより出でて而も名を異にす。 同じきを之を玄と謂う。玄の又た玄、衆妙の門。   ・この文章から今の時点で感じている事 これが道だというものは常の道ではない。 道は万物の根元ではあるが、それを言葉で説明することは出来ないし、ましてや名付けることなど出来ない。 全ての事象は道から為るが、道を観ようとすれば無欲でなければいけない。 無欲のため観えるものは妙であり、奥深い。 有欲であれば徼しか観ることが出来ない。 妙とは「あまりにも奥深くて見ようとしても見えないこと」で、 徼とは「帰結や端」という意味とされます。 妙も徼も同じ玄から生まれるものではあるけれども観ているものが違う。 王弼は 「両者は始と母である。同出とは同じく玄から出ること。異名とは名付けられる場面が同じでないこと。首(はじめ)に在れば始といい、終にあれば母という」と注釈されています。 図解雑学 老子では 「「名有る」状態が「万物の母」だというのは、万物は名が与えられてはじめて万物と認識されるからで有る」 としました。 第四十二章では 「三生万物」という言葉がありますが、これは「天地間の陰陽の気が混ざり合って万物を生むということ」とされます。 つまり欲がある立場に立てば 徼という「天地間の陰陽の気が混ざり合って生まれた万物に名前がつけられた状態」しか観えないのではないでしょうか。 確かにそれは玄から生まれたものの一つではあるけども、端であって全てではないのかなと思います。 何事も無欲の立場で妙を観なければいけないのではないかと思いました。 道は奥深くて決してこれ!と捉えられる存在ではけれども、老子の様に無欲の立場に立てば感じることが出来るものなのではないのでしょうか。 道理という言葉は広辞苑では「物事のそうあるべきすじみち」とされますが、 道の理はどこまでも奥深いので、妙であり「玄の又た玄、衆妙の門」とされたのではないのかと思います。 臨床現場にまだ立っていませんが、きっとそういったことも必要なのではないか。と感じています。   参考資料 老子 岩波文庫 蜂屋邦夫著 図解雑学 老子 ナツメ社 蜂屋邦夫著 広辞苑 第七版 岩波書店

東洋医学探訪(01)

もう夏の終わりですが、私の日焼けは遊びではありません。 修行の結果です。 京都を散策してまいりました。 『延命院』とは『医療施設』 御由緒 (引用:武信稲荷神社の”案内”より) 平安時代初期、清和天皇貞観元年(859年) 西三条大臣といわれた 右大臣左近衛大将 藤原良相(よしすけ)公によって創祀。 平安時代の古図には三条から南の神社附近一帯は 「此の地、藤原氏延命院の地なり」と記されている。 延命院とは藤原右大臣によって建てられた医療施設であり、 当社は延命院と勧学院(学問所)の守護社として創祀された。 後世、藤原武信(たけのぶ)公がこの社を厚く信仰し、 御神威の発揚につとめたので、武神神社と称されるようになる。 その後延命院・勧学院は失われるが神社だけが残り、 創祀以来一千余年にわたり広く人々に信仰されて今日に及んでいる。 撮影をけっこうしましたが、蚊にはご注意ください。(経験談!)

舌診(01)

舌の研究 修行生のSさんと勉強をします。 「左腕の外転について難あり。」との主訴により 刺鍼を行いました。 〈前〉 〈後〉 上逆し易い体質と考え、 上がらない重しをしっかりとさせる事を 長期的な目標としております。 主訴を受け、 気血の巡りをよくしたいと思い その阻害要因が中焦より下焦へと続く 舌の苔に診られる通りの邪熱かと考えます。 刺鍼後、 左腕の外転にやや改善が診られた事で好転反応はあり。 舌苔が面積も厚さも少なくなってる事、 舌体より気虚症状の減少が診られる事などから ある程度の効果があったのかと推測されます。 経過を観察をしていきます。  

胃火上炎について

胃熱証について学んでいて気づいたことです。 胃火上炎:胃で滞った熱が経に沿って上昇する病理変化 胃熱が強くなると上方へ昇る。 辛い物、アルコール、脂っぽいものなど刺激の強いものの取り過ぎ 外感した熱邪が胃に伝わること ストレスなど情志に内傷され肝鬱が起こること などによる火熱化火により胃の津液が損傷して胃気が消耗する。 →受納、和降の機能低下が起こる 胃津が損傷され、腸の潤いがなくなる→大便秘結 +胃熱の亢進により胃濁を伴って上昇→口臭発生 消化器の機能失調→胃気上逆?→呑酸 胃熱→口渇、冷たいものが欲しくなる、食欲亢進 深部で熱が鬱滞→口渇、煩熱、嘈雑、灼熱痛←拒按 熱邪が胃を破る→吐血 火熱が経脈を塞ぐ→血分が乾く→歯肉炎、歯周炎 胃で水穀を受納できない→食欲低下?→水穀を得られない →気血不足?→津液不足亢進 胃に火熱が発生→上炎→頭痛、咽頭痛、顎、顔面部の腫れ (経に沿って熱が上昇するため)   熱は摂取した水穀をどんどん消化する働きがあり、食べても食べても 空腹感を感じてしまう状態になる。 お正月に胃熱によって食欲が亢進するのは何故なのか、と考えていましたが この症状のことを、「消穀善飢」ということがわかりました。 【memo】 肝鬱との関連 水穀を消化することで火熱は更に強くなってしまうのか? 水穀を入れないことで火熱が鎮まることはあるのか? (火熱の原因による?) 胃濁とは 胃で本来降ろすはずだったものなのか? 消化しきれなかったもの、ということなのか?

腰・スピード・労宮など

気になった事を書いていきます。   ①腰 重いものを持つ時どう持てばいいか。 それも体の使い方に繋がる気がしました。 灯油を持つ時も訓練になってます。 また、シャワーを浴びているときに手をだらんとさせてみたんですけど、自分で手の重さを感じれる事が発見出来たので色々体勢を工夫してどんな体勢でも診れる様にしたいと思います。   ②スピード 手を動かすスピードを変える事で感じるものが変わった。 そこに集中すればするほど全体が失われていく。 中医学でも整体観念を大切にしますが、そういう事も繋がっている気がします。   ③労宮 触り方としては、労宮に意識を持っていけば自然と腰の使い方も連動される。 そうなってくれば指の緊張が無くなって受け手も硬さを感じない。 そんな感じがしました。   ④呼吸 呼吸は吐く息を意識すれば不必要な緊張が生まれにくくなる気がしました。   ⑤肘までみる 切経の時なぜ肘までみた方が良いのか。 素問攷注の図の認識が少し繋がった気がします。   ⑥橈入鍼法 やってみたいなと思って試していってるのですが切皮がうまくいかない… 多分前教えて頂いた銀鍼の話に繋がるのかと思いました。 練習します。