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東洋医学・鍼灸医学の研究用ブログです。

痹と痺

もう直ぐ国家試験となると授業も過去問を対象とした時間が大半です。 期末試験は期間がとれないので、各教科の試験は授業内で実施されていきます。 試験や資料の誤字については3年間で、かなり慣れました。 ○ 井・滎・兪・經・合 × 井・榮・兪・經・合 ○ 噯氣 × 曖氣     など 本日は痹と痺について 痹(ひ) 1⃣しびれる 2⃣リウマチ 痺(ひ) 1⃣うずらの雌 大漢和辞典の”痺”の欄には”参考”として「俗に此の字を痹に用いるは誤」と、 『字彙』からの引用も記載されています。 「痺與痿痹字不同」との事。 ※字彙(じい)は、明代の梅膺祚(ばいようそ)により編纂された中国の漢字字典。 明の時代から「同じ字じゃないよ」との注意書きがある以上、 出来るだけ正確を期したいと”しびれる”は”痹”で書き通しておりますと、 同じような人がいた時に、ほっこりします。 【参考文献】 『大漢和辞典』(株)大修館書店

傅と傳

霊蘭秘典篇 第八 黄帝問曰・・ 心者、君主之官也。神明出焉。 肺者、相傅之官、治節出焉。 肝者、将軍之官、謀慮出焉。 胆者、中正之官。決断出焉。 膻中者臣使之官。喜樂出焉。 脾胃者倉廩之官。五味出焉。 大腸者傳道之官。變化出焉。 小腸者受盛之官。化物出焉。 腎者、作強之官、伎巧出焉。 三焦者、決瀆之官、水道出焉。 膀胱者、州都之官、津液蔵焉、気化則能出矣。 凡此十二官者、不得相失也。・・ 十二の臓腑を政府の官職に例えて働きを説明している章ですが、似ている字があり確認の為に書き留める事といたします。 肺  :相傅之官(そうふのかん) 大腸 :傳道之官(でんどうのかん) 傅(ふ、ぶ) 1⃣もり、かしづき、もり役(左右に奉侍して養育する職) 2⃣ひかえ、かはり ・ ・ 【傅育(ふいく)】まもり育てる、保育 【傅相(ふそう)】もりやく、つきそい 傳(てん、でん)”伝”の旧字体 1⃣つたへる、つたわる 2⃣のべる 3⃣おくる ・ ・ 【傳意(でんい)】わが心を他へつたえる 【傳記(でんき)】人間の一代の事がらを記した記録 『霊蘭秘典篇 第八』の官位への例えですが、”心”を中心として役職を配置していますが、それが解剖学的とも思え、例えば”脾胃”を中心として他の臓器の配置してみたらどうなるのかと・・ 【参考文献】 『大漢和辞典』大修館書店 『現代語訳 黄帝内経素問』東洋学術出版社
切脈一葦

切脈一葦 上巻2

こんにちは、大原です。 前回の続きです。 前回:切脈一葦 上巻1 今回も、原文に書かれている文意を汲み取りながら、 その読み方や 著者の言いたいことは何かを考えていきます。 今回のところは、主に、著者の脈診に対する 厳しい考え方が記されているところになります。 --------------------------------------------------------------------------------- 画像は京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より、 9ページ目から引用。 (本ブログ記事で参照した箇所を掲載) <読み> 脈は、血気の盛衰を診する処(ところ)にして、 病の所在を診する処にあらず。 故に部位を論ぜず、 ただ動脈のあらわる処(ところ)をもって、 診脈の処となすべし。 寸口を診するの法、三指をもって、 掌後後骨の側、動脈手に応ずる処を按じて、もって寸口と定むべし。 脈あらわる処長き者は、指を疎にして診し、 脈あらわる処短き者は、指を密にして診るべし。 小児は、一指をもって診すべし。 反関の者は、動脈あらわる処を以て、寸口と定むべし。 凡脈を候うことは、五十動を診するをもって法とす。 必ず倉卒(そうそつ:急なさま。また、あわただしいさま)に 看過することなかれ、 もっぱら心を指下に留めて、 言することなかれ、 観ることなかれ、 聴くことなかれ、 嗅ぐことなかれ、 思うことなかれ、 これ脈を診するの要訣なり。 →ここまでは脈診における秘訣が書かれています。 脈を診るときは、 それ以外のことに神経を奪われたりせずに 脈診に集中することが一番大事であるぞ! と書かれています。 寸口は、手太陰肺経の脈にして、 五臓六腑の死生吉凶を決する所となし。 肺は諸気を主るゆえに、 また気口と名づけ、 肺は百脈を朝せんとして、 脈の大会なるゆえに、 また脈口と名づく。 その名3つあれども、その処は一なりというは、 皆分配家の説にして空論なり。 寸口は固より十二経の名も、 経穴の名も、いまだ有らざる以前の名にして、経穴の名にあらざるなり。 然るも後世に至って、 経絡を分かちて空所の名を配するときに、 寸口の地を、肺経の脈動と定めて、経渠・太淵二穴を配したる者なり。 また気口・脈口等の名は、 その後肺経の理を推して、名づけたる者なり。 →以上、ここでは、 脈診で脈をとる手首のあたりのことを 寸口といったり気口といったり脈口というが それらは 「単に言い方を変えているだけで 同じものだ」というのは嘘だぞ! と言ってます。 『素問』に、寸口気口の名有りて寸関尺を分かちて 三部と為すの説なし。 『難経』に始めて寸関尺の名を立つといえども、 いまだ左右に臓腑を分配するの説なし。 晋の王叔和に至って、始めて左右に臓腑を分配 するの説を出せり。 一の難は、一呼吸の間に、脈行くこと六寸、一日一夜に、脈行くこと五十度と定めて、 二の難は、尺寸を一寸九分と定めて、 臆見(おっけん:確たる根拠のない、推測や想像に基づく考え)を もって空理を論じたる者なり。 十八の難は、三部四経の説を立てるといえども、その言簡古にして解すべからず。 王叔和の分配を得て、粗通すといえども、これを要するに無用の空言なり。 →ここの最後のあたりに 「空理を論じているぞ」、 「無用の空論」であるぞ! と言ってますが つまり、脈診において 左右の脈それぞれに臓腑を割り当てるのは 机上の空論であって 実際はそんなことは全くないのだ! と言ってます。 『霊枢』に、気口と人迎とをもって陰陽に配して診することあり。 これまた無用の空言なり。 →また「無用の空論」が出てました。 『素問』に、寸を按ずの語あれども、寸は寸口のことなり。 尺は肘の横紋より、掌の根までの間を尺といいて、 この処の堅脆滑渋を見て、診法と為することなり。 また尺内の両傍は季肋なりの語あれども、尺内は、腹のことなり。 然るを分配家の徒が、尺脈のこととするは誤りなり。 →「尺」とは いわゆる「寸関尺」の尺だけではないぞ、 他の意味もあるんだぞ、と言ってます。 趺陽は、趺上にあらわるをもって、名づけたる者なり。 然るを後世に至って、分配家の徒が足陽明胃経に配して、 衝陽と名づけて、胃気の有無を候う処と為す者は、 寸口を五臓の気を候う処とするともってなり。 また人迎を足陽明胃経に配するも、この意なり。 それ脈は、皆胃気を候うの診法なり。 なんぞ、人迎趺陽のみに限らんや。 両額の動脈を、上部の天となし、 両頬の動脈を、上部の地となし、 耳前の動脈を、上部の人となし、 手太陰を、中部の天となし、 手陽明を、中部の地となし、 手少陰を、中部の人となし、 足厥陰を、下部の天となし、 足少陰を、下部の地となし、 足太陰を、下部の人となす者は、 素問の三部九候なり。 両額の動脈は、足少陽胆経の頷厭の動脈を指すなり。 両頬の動脈は、足陽明胃経の地倉の動脈を指すなり。 耳前の動脈は、手少陽三焦経の和髎の動脈を指すなり。 手太陰は、肺経の経渠の動脈を指すなり。 手陽明は、大腸経の合谷の動脈を指すなり。 手少陰は、心経の神門の動脈を指すなり。 足厥陰は、肝経の太衝の動脈を指すなり。 足少陰は、腎経の太谿の動脈を指すなり。 足太陰は、脾経の箕門の動脈を指すなり。 これ皆分配家の空論にして、 実時に用え難し。 もし、よく18箇所の動脈を診し得るといえども 病証を論ずるに臨みて、いずれの動脈を主となすべけんや。 これ一身一動脈にして、 別脈にあらざることを知らざるの誤りなり。 →脈を診る場所が18箇所もあったら、 どの脈を診て判断すればいいのか? 人間の身体に18本の脈があるんではなくて 全部つながってるから(一身一動脈) 18箇所も診なくて良いのではないか? そういうことが分かってないから こんな誤った空論を書いてしまったのだ! 魚際と尺沢との間を、一尺と定めて、 掌後一寸九分をもって、尺寸の地となし、 前九部を寸となし、 後ろ一寸を尺となし、 寸と尺との間を関となす。 これを三部という。 寸は胸以上の疾を主どり、 関は膈より臍に至るまでの疾を主り、 尺は臍以下の疾を主る。 また医の指を浮かべて診するを浮となし、 中按して診するを中となし、 沈めて診するを沈となす。 これを九候という。 浮は心肺を候がえ、 中は脾胃を候がえ、 沈は肝腎を候がう。 これ難経の三部九候にして、 全く分配家の空論なり。 たとえば・・・ (ここまで) →脈で、 寸は胸以上の病、 関は膈〜臍の病、 尺は臍より下の病を診るとあり、 浮は心肺、 中は脾胃、 沈は肝腎を診ると難経にあるが、 これらも空論であるぞ、 と言ってます。 --------------------------------------------------------------------------------- さて、著者がばっさりと「空論であるぞ」とした内容は 鍼灸の学校の実技の授業などでも 教わった内容だと思います。 『素問』の現代語訳など目を通すと 「素問に書いてあるのでやっぱり正しいことなのか・・・」 と思ったり でも、やはり「本当にそうなのか?」みたいな感じも 個人的には両方あったように思います。 脈診における考え方において、 この『切脈一葦』を読んで 「空論だと言っているから 寸関尺を臓腑に割り当てる考え方は間違っているんだ」などと 安直に片付けてしまうのは良くないでしょうが、 著者が空論だと言い切る理由を 知っておくのは大事だと思います。 もしその理由が腑に落ちないなら、 もとの考え方にも一理あるのでは、 という具合に 考え方の幅が拡がるように思います。 重要なところですが、 長いので続きは次回にします。 引用: 京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より

ジメジメ、酒など

  ジメジメ 最近の空気は湿度と温度が上がり、緩くて重い感じがする。   この時期に人の身体を見ていると湿疹を起こしている人が増えてきた印象です。   大腸経のあたりに出る人もいれば、肺経のあたりに出る人もいたり。   そう言った人のお腹も重そうな感じです。   また、コロナにもかかる人も段々増えてきました。   知り合いの収容人数60人の施設でもクラスターが発生し、30人が発症したらしいです。   季節によって体も反応は変わるので必然的にこの時期に使用する事の多くなる穴もあると思います。   先週触らせて頂いた合谷の感じも勉強になりました。     酒飲んで常に下痢している人 授業で打鍼の授業があったのでお腹を触らせてもらった。 脈だけ先にとらせてもらうと沈実、関が弱い。 腹部は脾募、胃募の冷え、臍右の箇所がパンパン、左肝相火の熱。 聞くと20代より毎日飲酒して下痢をしているらしい。 臍右を押すと睾丸まで響くという現象も勉強になりました。 明日は脈診で同じペアになるのでついでに舌もみせてもらおう。     穴の深さ 深さって何だろうと考えることが最近多いです。 手を当てた時になんとなく感じる事のある掘り下げられたものでいいのか。 色んな人の身体を触らせてもらって情報を集めていかなければ。 とにかく色んな人の身体を触りまくろう。   言い方 ブログなどの記事を書くにあたってその言葉がどういった印象を与えるか。 言葉使いが綺麗な人はいいですね。 相手の立場に立って考えられている印象を受けます。   名前 考えていて、貞和にすることにしました。 貞の定のイメージを中にもち、和で合わせるイメージも持つ。 そんな人間でありたいので、名前はそうしました。   頭より体 ずっとテーマにしている事ですが、捉え方を少し変えて見て、とにかく身体を運ぶ様にしてみることにしました。 全部相手に教えてもらう。 頭でわかっていた事ですが、実行方法を変えます。

初めまして。

大阪の鍼灸学生で稲垣といます。宜しくお願いします。 もうすぐ後期単位認定試験が始まります。 試験勉強をしていると、食事が少量になってきます。 お腹いっぱいになって眠くなってしまうのも困りますし、運動不足もあったり、体重を増やしたくないのもあり。。。 そんな生活の中、年をめされた方で食欲が旺盛な方を拝見する機会がありました。年齢を重ねると食は細くなっていくものだろうと思っていましたが。 『養生訓』には老人の食に関しての注意喚起を目にします。 例えば、 「第二章 飲食 (23 老人は食を少なめに)」 ”胃腸虚弱の人、ことに老人は、飲食に傷められやすい。味わいのよい飲食物に向かうときは、我慢をすべきである。節度を越えてはならない。心弱くては欲には克てない。心強くして欲に克つべし。” 僕が目にしたその方を考えるに、単純に”食い意地が張ってる”と、判断するには寂しく感じます。 もしかしたら、水穀の精微を得んが為の必死な姿なのかもしれない。 悩み(主訴)を発する途中なのかもしれないのでは。 それを鍼灸にて治療を考えると腎を補する法なのか・・心の障害を瀉する法なのか・・ もしかしたら、主訴を解消しても、それが最終ではないように感じます。 出典 『口語 養生訓』貝原益軒(日本評論社)

客氣の”客”

景岳全書 伝忠録 夏月伏陰續論 『主氣と異なるものとして、客氣がある。天は五氣を周らし、地は六氣を備えている。・・ ・・この客氣は冬であろうと夏であろうと、その季節とは異なる氣を引き起こして、人々を病気にさせる氣である。・・』 『夏期になると陰気は伏して内にある。これは本来、天地の間における陰陽消長の理である。・・』 の冒頭から始まるこの篇ですが、 朱丹溪との陰陽の考え方の違いを解説し、張景岳の持論を展開している章になります。 この章を咀嚼した内容は別の機会に上げさせて頂くとして、 ときおり出てくる”客”が気になりましたので、調べてみる事としました。 【客氣(かくき)】 1⃣一時のから元気。血氣の勇。假(仮)勇。 2⃣其の歳の運を動かす外部から來る運気。主気に對(対)していふ。 客 ①よせる。よる。身を寄せる。 ②まらうど(客人)。主の對。 ③上客。一座の尊敬する人。 ④かかり人。 ⑤外來人。 ⑥あひて。 ⑦たびびと。 ⑧たび。 ⑨居處(いどころ)の定まらない者。 ⑩人。士。 ⑪とくい。得意。顧客。 ⑫來しかた(過ぎ去った時)。過去 ⑬姓。 この夏月伏陰續論の客氣に関していえば、主たる氣とは別の 「病をもたらす得体の知れない氣」といったところでしょうか。 景岳全書の後の章、「命門余義」の中には 『・・三焦の客熱として邪火がある場合も火が原因となっているのであり、・・』 とあります。この客熱もまた、主体の火化とは異質の火に感じられます。 經穴では、 小陽胆経の經穴で上関穴を別名:客主人といいますが、この場合は 「頬骨弓を挟んだ、下関穴の相手方」という意味として、鍼灸学校で教えて頂きました。 その意味合いだけなのかどうか、今後の新たな発見を目指したいと思います。 【参考文献】 『大漢和辞典』大修館書店 『新版 経絡経穴概論』医道の日本社 『現代語訳 景岳全書 伝忠録』たにぐち書店

流行り病など

  流行り病 ここ最近自分含め変な咳をしている人が多くなった気がする。   発熱したので医療機関に抗原検査に行くとコロナもインフルも陰性。   どんな病気が流行っているのか見てみると今年はアデノウイルスによる咽頭結膜熱(プール熱)が過去10年で最多らしい。   対策なども見ていくと ・アデノウイルスのためエンベロープを持たないのでアルコールが効かない(次亜塩素酸は効く) ・基本は手洗いうがい ・空気感染はなく、飛沫と接触が主   後の症状を考えないと意味はないけど、感染経路的には温病に属しそうです。 自身の状態も邪が少陽にくっついて胃気の和降を妨げていたのかもしれない。 この状態で腹式呼吸をしようと試したのですが、降りずに途中で咳が出た。 解剖学的に考えてもそうなるよなと感じました。     左右対称の動き 私は右足と左足の使い方に違いが出てしまっている。 で、以前ミドルキックが良かったと書いたのですが、少し腰の入れ方のコツを掴んだ。 しばらくその動きを繰り返していくと使えていなかったところが使える様になったからか、体からバキバキ音がなった。 詰まっていた右胸郭出口あたりも動きが良くなった。 体重の乗せ方も変わるので、自分の左右の重心の乗せ方の違い、体の歪みも良くなる事を期待します。  

異名同穴④

腧穴(しゅけつ)とは、いわゆる「つぼ」と呼ばれるものの総称である。 腧穴には、十四経脉上(正経十二經脉・督脈・任脈)にある「經穴(正穴)」、経脉に所属せず治療効果から発生し名称と部位が定まっている「奇穴」、奇穴の中でも1901年以降になってから定められた「新穴」、押すと心地がよかったり、圧痛を感じたりするが、名称も部位も定まっていない「阿是穴(天応穴、圧痛点)」などが含まれる。 經穴(正穴)      : 十四經脉上にあり名称、部位が定まっている。 奇穴          : 十四經脉上になく名称、部位、主治症が定まっている。 (新穴         : 1901年以降に定められた奇穴) 阿是穴(天応穴、圧痛点): 名称や部位は定められていないが、病態と深く関わって出現したり、治療点となる部位がある。   ④4つの異名のあるもの 穴名         異名 陰交穴    :   少関穴、横戸穴、丹田穴、小関穴 陰都穴    :   食呂穴、食宮穴、石宮穴、通関穴 横骨穴    :   下極穴、屈骨穴、曲骨穴、下横穴 客主人穴   :   上関穴、客主人穴、客王穴、太陽穴 曲地穴    :   鬼臣穴、陽沢穴、鬼臣穴、鬼腿穴 頬車穴    :   機関穴、鬼牀穴、曲牙穴、鬼林穴 曲骨穴    :   尿胞穴、屈骨穴、曲骨端穴、回骨穴 三陰交穴   :   承命穴、太陰穴、下三里穴、女三里穴 心兪穴    :   背竅穴、俉焦の間穴、心の兪穴、背兪穴 上脘穴    :   上管穴、上紀穴、胃脘穴、胃管穴 衝陽穴    :   会原穴、趺陽穴、会湧穴、会骨穴 神門穴    :   兌衝穴、中郄穴、鋭中穴、兌骨穴 身柱穴    :   知利気穴、散気穴、塵気穴、知利毛穴 臑会穴    :   顴髎穴、臑交穴、臑輸穴、臑兪穴 太谿穴    :   昌細穴、照海穴、陰蹻穴、大系穴 中府穴    :   膺中兪穴、肺募穴、府中兪穴、膺兪穴 中極穴    :   気原穴、玉泉穴、膀胱募穴、気魚穴 瞳子髎穴   :   太陽穴、前関穴、後曲穴、童子髎穴 命門穴    :   属累穴、竹杖穴、石門穴、精宮穴 腹結結    :   腹屈穴、腸結穴、腸屈穴、陽屈穴 陽関穴    :   関陽穴、寒府穴、陽陵穴、関陵穴 湧泉穴    :   地衢穴、地衝穴、蹶心蹶、涌泉穴 労宮穴    :   五里穴、鬼路穴、掌中穴、鬼窟穴 【参考文献】 『新版 経絡経穴概論』医道の日本社 『鍼灸医学事典』医道の日本社

はじめました

初めて投稿します。北山です。よろしくお願いいたします。お正月、実家でひたすら食べ物が出現する状況でしたので、飲食について調べてみました。 飲食物の摂取については、適量を維持することが最も重要であり、食べ過ぎたり(過飽)、食べる量が十分でない状態(過飢)はどちらも脾胃の機能を損傷させる、とありました。 バランス良く食べる事は大切ですし、食べ過ぎてしまうことが身体に良くないことはなんとなく体感としてわかるように思います。しかし身体は食物を摂取することで気血を生成するため、当然適切な量を食べないと気血は衰弱、減少する。気血が減少すれば正気が不足し、外邪の侵入を防げなくなってしまう。考えたら当たり前なのかもしれませんが、食べないことによるダメージは実感としてわかりにくいため(個人差?病のような状態になるまで時間がかかるから?でしょうか?)、食べ過ぎることと、食べなさ過ぎることが同じくらい脾胃にダメージを与えてしまうとは思っていなかったので驚きました。もう少し調べてみたいと思います。 【memo】 脾胃: 飲食物の栄養を運搬吸収する主要な器官 五味: 酸苦辛甘咸、食物成分、飲食物の総称 「五味口に入りて、もって五気を養う」(素問  六節臓象論篇)  

今日の一曲

Takaaki Itoh - Bloom After Broken Life  https://www.youtube.com/watch?v=8nnwbs_umFA 勉学や人生の諸問題で、煮詰まった時に、僕はたまにこれを聴き返す。 【破綻したあとに咲く、「何か。」】 こういう音楽を、勉強時のBGMに取り入れることがあります。 いったい、何回、聴いた(=破綻≒何か咲く)ことやら…… ※林先生より「Blogは自由に、なんでも書いていい。」と承ったので、今後はこういう記事も増やしていきます。 ※怒られたら止めます。