脾胃が弱くなる
食べる量が充分ではない状態が続くことによって
脾胃が弱くなる、とは?(→水穀が入ってきても生気が精製されなくなる)
=虚弱になる?ということ? =病気になる?→昇降異常?
=機能が弱くなる?
脾胃の機能の主なもの:「納運(受納機能/運化機能)」
運化:飲食物を消化し吸収する過程であり胃と小腸が関わる。
失調すると消化吸収が阻害され食欲不振になる。
受納:水穀を受け入れる場所。水穀を腐熟させ水穀の精微へと変化させる。
胃は水穀で満たされることから水穀の海と呼ばれる。
胃が受納できる⇒食欲がある、ということ。
教科書ではそれぞればらばらに習っていることも、実際には
同じ身体の中で起こっていることであって機能が対立し、融合し合っている、のは
脾胃だけでなく他の臓腑もそうなのかもしれないな、と思いました。
臓腑の生理や機能についてあやふやになっていることが沢山あると感じたので
しっかりと復習することにします。
純粋な東洋医学を実践していくということ:前編
先日、一般向けの方向けに
東洋医学の歴史について講義をさせて頂いた。
その時に、少し専門的であるが故に
話さなかった内容をここに記し、
今後 皆さんにとって
「東洋医学を実践する」と言う点に於いて
僕が思う「ここだけは絶対に揺るがないで欲しい」と
いうところを医療史から見ていき
前編・後編に分けて記事にしていきます。
---------------------------------------------------------------------------------
明治時代まで我が国の医学は
中国の思想、文化、哲学を集約した
中国医学を基に、
日本人独自の職人の様な五感の感覚を
組み合わせたものであった
鍼灸・漢方を中核とした東洋医学が
中心であった。
それが皆さんご存知の様に、
明治維新・文明開化と呼ばれる制度や文化を
西欧諸国化してしまう波がやってき、
勿論 医学もこの波にのまれてしまい
蘭学、西洋医学が日本の医療と位置付けられてしまい、
業界的にいう「東洋医学不毛の時代」がやって来るのである。
ただ日本の医療が転換したのは
この時代だけでは無かった。
984年、丹波康頼によって「医心方」という
中国医学を基とした
我が国にとって非常に貴重な書物が編纂され、
言い換えれば、ここで日本の医療には
中国医学が中心になったと思われる。
実は中国から医学がやってきた時に
時の桓武天皇は日本独自の医療が途絶えてしまうと
危機感を持ち、
808年に「大同類聚方」という
我が国に於いて実践されていた治療を記録した
我が国最古の書物を編纂させたとされている。
ただやはり、先述したように
医療は中国医学が中心となったのであるが、
どこか伝承的、経験的にあった当時の日本医療にとっては
理論的に人間、そして病をみた中国医学は
非常に多くの人を助け、受け入れられたと思う。
ただこの2つの転換期、
すこし意味合いは違えども、
我々日本人の注意すべき点があると感じます。
これを後編で書こうと思います。
では。
五行大義(04)
稼穡
土爰稼穡。稼穡者、種曰稼、歛曰穡。
土爲地道、萬物貫穿而生。故曰稼穡。
土居中、以主四季、成四時。
中央爲内事。宮室夫婦親屬之象。
古者天子至於士人、宮室寝處、皆有高卑節度。
與其過也寧儉。禹卑宮室孔子善之。
后夫人左右妾媵有差、九族有序、骨肉有恩、
爲百姓之所軌則、則如牝。
順中和之氣、則土得其性。
得其性、則百穀實、而稼穡成。
如人君縦意、廣宮室臺榭、鏤雕五色、罷盡人力、
親踈無別、妻妾過度、則土失其性。
土失其性則氣亂、稼穡不成、故五穀不登、風霧爲害。
故曰土不稼穡。
土は稼穡。稼穡とは、種を稼といい、歛を穡という。
土は地道。万物は貫穿して生ず。故に稼穡という。
土は中にあり、四季を主り、四時を成す。
中央を内事となす。宮室、夫婦、親属の象なり。
古なる者、天子から士人に至るまで、宮室、寝処、皆が高卑の節度を有する。
その過を興するよりは、むしろ倹なり。禹は宮室を卑し、孔子はこれを善とす。
后、夫人、左右の妾媵に差を有し、九族に序を有し、骨肉に恩を有し、
百姓の軌則のところとなす、すなわち牝のごとし。
中和の氣に順じ、すなわち土はその性を得。
その性を得れば、すなわち百穀を実して、稼穡をなす。
もし人君の意をほしいままにし、宮室、台榭をひろめ、五色の鏤雕、人力を罷つくし、
親踈に別を無くし、妻妾の度を過ぐれば、すなわち土はその性を失う。
土はその性を失えば氣が乱れ、稼穡ならず、ゆえに五穀を登せず、風霧の害をなす。
ゆえに曰く、土は稼穡せず。
【参考文献】
『五行大義』明德出版社
『漢語林』大修館書店
『新版 東洋医学概論』医道の日本社
中国の思想(06)
老子
六十八章 「不争の徳」
善為士者不武。
善戦者不怒。
善勝敵者不与。
善用人者為之下。
是謂不争之徳、是謂用人之力、是謂配天之極。
善く̪士たる者は武ならず。
善く戦う者は怒らず。
善く敵に勝つ者は与わず。
善く人を用うる者はこれが下となる。
これを不争の徳と謂い、これを人の力を用いると謂い、これを天の極みに配すと謂う。
(引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P108)
《私議》
以前は戦時中を題材にした書物を読む事が多かったですが、
その中にあった『海軍士官たるもの、常に激してはならない』との教訓を覚えております。
日露戦争の終わった後に、連合艦隊が解散する時、
『連合艦隊解散告別之辞』というのが発せられます。
一番有名なのは最後の一文なのですが「・・勝って兜の緒を締めよと」です。
そこに至るまでの文面においては、日本という地形上に海軍が重要である事や
日々の訓練が重要であるとの教えを説いています。
戦うというのは腕力だけに限らないですが
日々の心の持ちよう、日々の努力、俯瞰して全体を観る能力とか、
人との関わりあいとか、為になります。
【参考文献】
『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店
開業いたします。
こんにちは稲垣です。
私が鍼灸学生の時も、国家資格を得てからも
同じ質問を受けた事がありました。
「なぜ一鍼堂なのですか?」
です。
学生向けの勉強会を
一鍼堂で開催する準備をしておりましたので、
その際に、未来の鍼灸師さんたちに向けて話そうと
思っていたのですが、
このご時世で学生さんたちに集まって頂く機会が
なかなか持てませんので、
お伝えしておこうと思います。
(パソコンの画面を通じてのテレビ電話では
臨場感がありませんので、
実際に集まって頂く事を待ち望んでいたのですが、
非常に残念です。)
私は鍼灸学生の一年生の時より
林院長にお世話になりました。
各種勉強会など、様々に参加させて頂き、
大切な価値観を沢山頂戴しました。
学生の頃からの四年間ですから、それはそれは数知れず。
院長の治療を受けさせて頂き、
最初に感じたものは、“テコ”です。
“重い岩”を退けるには支点をおいて、
長い棒のようなもので力点に力を加え
岩という作用点に力を伝える。
そしてゴロンと動かせる。
なるほど!
臓腑へアクセスさせるには、こうするのか!
と鍼治療を体験させて頂きました。
同時に、
このテコよりもっと良い方法はないのか?
支点を岩に近づけたらどうだろう?
力点をより遠くに伸ばしたらどうだろう?
”より良い方法を探し続ける好奇心”を教えられました。
学問に対しての「もっと!もっと!」
というエネルギーを感じ、
同じ場所を掘り続ける魅力を院長より感じました。
私はそんな環境が心地よく思い
一鍼堂に通い続けたのだと思います。
「なぜ一鍼堂なのですか?」
という問いの答えとしては
「探究し続ける楽しさを感じたから。」
となるのでしょうか。
”面白さを教えて頂いた”
これは、私にとっては極めて重要です。
そして、
(話が急に展開して申し訳ありませんが、、)
開業いたします。
その”面白さ”を人生の楽しみにして行きたいと思います。
“修行を完了させて一流のはり師になったから店を持つ”
というのとは全く異なりますが
鍼灸道の修行の為に、
自身の鍼灸院を持つ事といたしました。
ベッドが一つだけの小さな所ですが
臨床の場として、
研究の場として
励んでまいります。
面倒を見て頂いた院長の気持ちを察するに
痛恨を感じるのと、院長が長期的に考えて
準備されていたもろもろを考えると
心苦しいだけではありません。
罵倒の裏にある優しさを感じるだけに
申し訳ない気持ちなど多々あり、
私自身の心中が穏やかではありませんが
怨まぬ為に、
嫌いにならぬ為に、
少し間合いをとることとしました。
身を切り分けて、与え続ける院長のアンパンマン力を感じて
お返しをしなければと、学校を卒業した際に思い続けて
現在まで至っておりますが、必ずお返ししていきたいと思います。
いつになる事やら…
小さな小さな鍼灸院を行っていきますが
温かく見守って頂けるとありがたく思います。
お世話になった皆様に本当に感謝しかありません。
ありがとうございました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
令和3年6月
稲垣 英伸
怒りが病を生む
怒りというのは誰もが持つ感情だと思います。
しかし、慢性的にずーっと怒っていたり、急激な怒りが出ると、病を引き起こしてしまうと言います。
怒ってしまうと、顔面の紅潮や、頭が痛くなったり、我を忘れてしまって、理性を抑えられないことがあります。
これはなぜなのでしょうか?
怒りは肝が大きく関わっていると言います。
肝の機能は気を五臓六腑、全身に気を回し、昇降出入に大きく関わっています。
つまり、怒って顔が赤くなってしまうのは、
気が過度に上がって血も同時に上がって赤くなってしまうのではないでしょうか?
いわゆる気逆というものです。
この肝気による気逆は中焦にある脾胃を攻撃することがあるとあります。
気というのは、身体を守ったり、温めたり、栄養したり、
良いことづくしなイメージがありましたが、行くべきでないところに行くと、害になってしまうこともあると考えられます。
よく怒りやすい人がいますが、これは肝の疎泄作用が弱っている人に見られるのではないでしょうか?
怒ってしまうと気が上逆してしまう。肝がそれを抑える力が有れば、上逆してしまうこともないのかもしれません。
それとも他に怒りを抑える機能が生き物にはあるのでしょうか?あ
慢性的にイライラしたり、怒っている人は針で治せるのか?それとも、患者さんとよく対話して、怒りの原因を紐解いていくのか?
感情の異常は万病の元と言いますし、そこにアプローチすると、もしかしたら、治療効果も大きく上がるかもしれません。
本人は悲しみや、怒り、恐れなど、自分では気づいていないが、心の底でその感情を常にずーっと感じている人も居るかもしれません。
そこを気づかせて、治療するのも大事なのかもしれません。
脈診(03)
S.T先生 より四診について教授を受ける。
四診をさせて頂いた、ある患者さんの尺位の洪脉は不可欠な情報であるとの事。
そこで『中医脉学と瀕湖脉学』(たにぐち書店)を読んでみる。
瀕湖脈学七言訣(十一、洪脈)
寸洪在左主心診、
右寸洪時肺不堪。
肝火胃虚関内察、
腎虚陰火尺中看。
寸に洪あり 左心診を主る、
右寸洪の時 肺たえざる。
肝火、胃虚 関内を察し、
腎虚、陰火 尺中を看る。
この「洪脉=大脉」が発生する病機が重要なのかと思います。
【参考文献】
『中医脉学と瀕湖脉学』(株)谷口書店
「10/7(日) 学生向け勉強会」の感想
講師は、盧先生より学びました。
私は現在、鍼灸学校の2年生です。
日々、書物を目にしたり妄想を繰り返したりする日々を過ごしておりますが、
「自分なら、○○なのかな~」とシュミレーションをしたりもします。
それが1年生とは違うところと感じています。
書物などを読み進める上で再確認できたのが、”帰納”と”演繹”。
【帰納】
個々の事例の観察より、これを含む一般命題を確立する事。
一つの症例より他の患者の症例も、このケースであろうとする。
【演繹】
1つまたはそれ以上の命題より、論理法則に基づいて結論を導出する思考の手続。
学術論議を症例を元に構築していき、結論を推定する。
本日学んだ事の一つで重要な事だと感じています。
歴代医家たちのカルテの集積が、症例集であって絶対的な答えではないのだろうと思えます。
学術的に議論の構築を進めることも重要に思いますし、
現実の臨床を繰り返すことと、歴代医家たちのカルテの集積とを見比べることも
精度を高める為に必要な事なのかと思います。
今年のノーベル賞受賞者の本庶佑博士は、記者の質問に
「・・・教科書に書いてあること、文字になっていることを信じない、疑いを持つこと」
と答え、有名な論文雑誌も疑う対象の例外ではないと強調されています。
「自分の目で物を見る、そして納得する。そこまで諦めない」
とも答えらています。
考えていた事と学んだ事がリンクする機会が多かったように自分では思いました。
座学をし、二礼二拍手の効果を実感し、病床にて臨床実技をし、、、
時間のある限り、幅のある講義を試そうされていた様に思います。
お疲れ様でした。次回も楽しみにしています。
最後になりましたが、機会を頂いた院長にお礼申し上げます。
平成30年 秋
稲垣 英伸
傷寒論の学習 その2
傷寒論で、六経病における各々の
主となる病(「提綱証(ていこうしょう)」)は
以下のようになると
前回の記事(傷寒論の学習 その1)でまとめました。
①太陽病:表寒証
②陽明病:裏実熱証
③少陽病:半表半裏証
④太陰病:裏虚寒証(脾陽の虚)
⑤少陰病:裏虚寒証(心腎の虚)
⑥厥陰病:外感病の末期で陰陽の失調
上のまとめの内容は
学校の東洋医学概論の教科書にも載っていますが、
実際に傷寒論の条文において
これらの主となる病は
どのように書かれているのかを
確認してみましょう。
①太陽病:表寒証
第1条
太陽之為病、脈浮、頭項強痛、而悪寒。
(太陽の病たる、脈浮、頭項こわばり痛みて、悪寒す。)
②陽明病:裏実熱証
第180条
陽明之為病、胃家実也。
(陽明の病たる、胃家実なり)
③少陽病:半表半裏証
第263条
少陽之為病、口苦、咽乾、目眩也。
(少陽の病たる、口苦く、咽乾き、目眩(くるめ)くなり。)
④太陰病:裏虚寒証(脾陽の虚)
第273条
太陰之為病、腹満而吐、食不下、自利益甚、時腹自痛。
若下之、必胸下結鞕。
(太陰の病たる、腹満して吐し、食下らず、自利益(ますます)甚しく、
時に腹自(おの)づから痛む。
若し之を下せば必ず胸下結鞕(けっこう)す。)
⑤少陰病:裏虚寒証(心腎の虚)
第281条
少陰之為病、脈微細、但欲寐也。
(少陰の病為る、脈微細にして、ただ寐(いね)んと欲するなり。)
第282条
少陰病、欲吐不吐、心煩、但欲寐、五六日、自利而渇者、属少陰也、虚故引水自救、
若小便色白者、少陰病形悉具、小便白者、以下焦虚、有寒、不能制水、故令色白也。
(少陰の病、吐かんと欲して吐かず、心煩し、ただ寐(いね)んと欲し、
五六日、自利して渇する者、少陰に属する也、虚故に水を引いて自ずと救い、もし小便色白なる者、少陰の病形悉(ことごと)く具(そな)わり、
小便白なる者、もって下焦虚、寒あり、水を制することあたわず、ゆえに色をして白せしむなり。)
⑥厥陰病:外感病の末期で陰陽の失調
第326条
厥陰之為病、消渇、気上撞心、心中疼熱、饑而不欲食、食則吐、下之利不止。
(厥陰の病たる、消渇し、気心に上撞し、心中疼熱し、饑(う)えて食欲せず、食すればすなわち吐き、これを下せば利止まず。)
まず太陽病について、
現代の中医学では
「太陽病は表(寒)症について述べている」とされています。
これは第1条の
太陽之為病、脈浮、頭項強痛、而悪寒。
の中の「脈浮」「頭項強痛」「悪寒」がその根拠となるということです。
その中でも「脈浮」とは、
気血が外に向かって邪に抵抗しようとするもので、
すなわち邪が表層部にあることを示し
重要な所見となります。
この表証の場合の治療法は発汗法であると
後の条文に記されていますので、
表証かそうでないかを鑑別することは
治療法を決定する上で重要になります。
また、この後の条文に、
症状の一つとして「体痛(体痛み)」とあり、
太陽病で
手足の関節や腰なども痛んだりするとあります。
以上まとめると、
腰痛、肩こり、首の痛みのような症状でも、
表証であれば発汗法を用いるということになります。
逆に、一見カゼのような症状でも
表証でなければ発汗法は用いないことになります。
参考までに「表熱証」という病についても
太陽病篇の中に記述がありますが、
表証ですので治療はこれも発汗法になります。
・・・熱証なので、熱の反対の「寒涼剤」が良い、
と誤った判断をするとどうなるか。
「寒」には「凝滞性」、すなわち
収縮させ固まらせるという性質があるので、
表熱に対しては、表にある
発すべき熱が発散されず凝固してしまい、
さらに悪化を招くことになるようです。
<続く>
(追記)2019/12/04
表熱症には発汗法を用いると書きましたが、
他の文献を調べると、
発汗法は津液を損傷するため熱証には禁忌であり、
治法は益気生津であると書かれていました。
この辺りについては、また追って書いていきたいと思います。
流行り病など
流行り病
ここ最近自分含め変な咳をしている人が多くなった気がする。
発熱したので医療機関に抗原検査に行くとコロナもインフルも陰性。
どんな病気が流行っているのか見てみると今年はアデノウイルスによる咽頭結膜熱(プール熱)が過去10年で最多らしい。
対策なども見ていくと
・アデノウイルスのためエンベロープを持たないのでアルコールが効かない(次亜塩素酸は効く)
・基本は手洗いうがい
・空気感染はなく、飛沫と接触が主
後の症状を考えないと意味はないけど、感染経路的には温病に属しそうです。
自身の状態も邪が少陽にくっついて胃気の和降を妨げていたのかもしれない。
この状態で腹式呼吸をしようと試したのですが、降りずに途中で咳が出た。
解剖学的に考えてもそうなるよなと感じました。
左右対称の動き
私は右足と左足の使い方に違いが出てしまっている。
で、以前ミドルキックが良かったと書いたのですが、少し腰の入れ方のコツを掴んだ。
しばらくその動きを繰り返していくと使えていなかったところが使える様になったからか、体からバキバキ音がなった。
詰まっていた右胸郭出口あたりも動きが良くなった。
体重の乗せ方も変わるので、自分の左右の重心の乗せ方の違い、体の歪みも良くなる事を期待します。








