切脈一葦 序文1
こんにちは、大原です。
『切脈一葦(せつみゃくいちい)』という書物を読んでいきます。
今回は、一番はじめの序文からになります。
原文には二つのカナ文字が一つに合わさった
「合略仮名」という文字があるので、
慣れない内は読みにくいかも知れません。
<読み方>(以下の読み方は、原文をもとにした拙者の解釈によります。(後述))
切脈一葦 序
脈は実事にして、脈色声形四診の一つなり。
その状、弁しやすからずといえども、指下に心を留めて診するときは、
その掌を指すが如し。
ただその弁じ難き者は、
脈状を全証に参考して邪気の緩急と精気の虚実とを弁ずるにあるのみ。
その法素問霊枢及び扁鵲仲景二氏の書に備わるといえども、
皆分配家のために真面目を失する所多し。
故に活眼を開いてこれを観るにあらざれば、
その真面目を観ることあたわざるなり。
晋の王叔和、これを弁ずることあたわず。
ただ分配家の説を論じて、脈経を著わす。
その書詳なりといえども、ただ文字を論じて脈を論ぜず。
その言に曰く、脈理精微にして、その体は弁じ難く、弦緊浮芤、展転相類す。
心に在りて了し易く、指下明らかにし難し。
沈を謂いて伏と為し、則ち方治永くそむき、緩を以て遅と為すごときは、
則ち危殆(きたい)立ちどころに至ると。
この説出てより以来、脈を診する者、脈状を明むることあたわず。
その弊遂に脈状は明じ難き大業と為すに至る。
これ医門の大厄なり。
それ道は大路のごとくにて、知り易く行なえ易し。
いわんや脈は、実事にして顕然(けんぜん)たる者、
何ぞ指を以て明じ難きの理あらんや。
ただ心に在りて了し難きのみなり。
弦緊浮芤は相類すといえども、
重き脈は、その状分明にして、診し易く、
ただ軽き脈のみ相類して、分明ならさる者あり。
然れども、分明ならざる者は、固(もと)より相類する者にして、
その証異ならざれば、通し用いゆといえども害あることなし。
伏は沈の極みなり。
遅は緩の極みなり。
故に弦緊浮芤の分明ならざる者は、
その証に因りて、沈を伏とし、緩を遅と為すといえども、
また害あることなし。
これ指を以て明にし難きにあらざる所以(ゆえん)なり。
たとえ沈伏緩遅たがわずといえども、
その脈状を全証に参考するの時に当たって、
もし医の心動くときはその証を決断することあたわず。
いわんや病毒に痞塞(ひそく)せられて、
虛脈をあらわし虛損の極み、反って実脈をあらわす者においては、
脈状の疑似に論なく医の心を以て取捨して、
決断するにあらざれば、決断することあたわず。
何ぞただ脈の一診に止らんや。
これ心に在りて了し難きゆえんなり。
手は心を得てよく探り、足は心を得てよく踏む。
もし心手足に在らざれば、探れどもその探る所を知らず、踏めどもその踏む所を知らず。
今その探る所を知り、
その踏む所を知る者は心よくこれを明むるを以てなり。
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<用語の意味>
真面目:本来のすがた、ありさま
活眼:物事の道理をはっきり見通す眼識、見識
上の<読み方>ですが、現代の読み方に近づけるため
個人的な解釈で、
原文をもとに以下のように変更しています。
・漢字の送り仮名を補足
・口読点「。」を、文脈から「、」「。」に分別
・読み方が難しい漢字の読み方を補足、またはひらがなに変更
序文はまだ続きますが、
長くなりますので、続きは次回になります。
参考文献
『切脈一葦』(京都大学附属図書館所蔵)
画像は京都大学デジタルアーカイブより
脾胃が弱くなる
食べる量が充分ではない状態が続くことによって
脾胃が弱くなる、とは?(→水穀が入ってきても生気が精製されなくなる)
=虚弱になる?ということ? =病気になる?→昇降異常?
=機能が弱くなる?
脾胃の機能の主なもの:「納運(受納機能/運化機能)」
運化:飲食物を消化し吸収する過程であり胃と小腸が関わる。
失調すると消化吸収が阻害され食欲不振になる。
受納:水穀を受け入れる場所。水穀を腐熟させ水穀の精微へと変化させる。
胃は水穀で満たされることから水穀の海と呼ばれる。
胃が受納できる⇒食欲がある、ということ。
教科書ではそれぞればらばらに習っていることも、実際には
同じ身体の中で起こっていることであって機能が対立し、融合し合っている、のは
脾胃だけでなく他の臓腑もそうなのかもしれないな、と思いました。
臓腑の生理や機能についてあやふやになっていることが沢山あると感じたので
しっかりと復習することにします。
脈・意識・腹・動作など
初めての脈診の感覚
寺子屋で脈診をさせて頂いた。
その時脈がフワッと乗ってきたのだけど、それがいつも以上に指ではなく身体に感じた様な気がして新鮮だった。
良い経験ができた。
また、最初の感じたあれは滑か。
患者さんの問診で仰っていた内容と一致。
それが何なのかまだまだ考察がいるな。
ただ材料が少ないので一旦ここまで。
取り逃しは沢山あると思うけど感覚として置いておく。
課題
自分が柔らかい状態でいられる様にしなければなと思う。
人を触らせて頂いて触り方がどうとか自分との引っ掛かりがある時点でダメなんだよな。
対話する相手が違う。
邪魔しないで欲しい。
でも自分を操作する経験上、それを過度にどうこうしようとしたらもっとダメになる。
表面的な否定は避けたい。
それも許容していきたい。
お腹を触って
触らせて頂いた患者さんの術後、術前と触らせて頂いたお腹の様子が違った。
あの印象、イメージでも復習して手に叩き込まなきゃな。
体で覚える様にする。
また、そこから弁証する時は下から上への関係も判断できる様にする。
脈診でも尺部に違和感を覚えていたはずなのに何でその考えになってしまったのか。
自分の身体
シャワーを浴びている時よく動作確認をする。
その時にふと教えて頂いた事と自分の身体が頭ではなく体で繋がった気がした。
そうなると良くいう胆経で左右のバランスが崩れるとか本当か?というか本当なんだろうけど本質なのか?とかも思う。
また、筋肉の発達でも一つの指標にはなる気がする。
色々訓練していかなきゃいけないんだけれども、そうなった時日本から和式便所が無くなったことが悔やまれて仕方ない。
最近試していること
最近試してる事①
目に頼らなかったらどうなるんだろうって事で色々試してみています。
目を瞑って10分程度過ごす。
その際ゆっくりでもいいから歩きながら、猫の位置を探ってみる。
分からなかったら目を開けて場所を確認。
当たったら触ってみる。
いつもと違う感覚で面白いです。
しかし物にぶつかるかもしれない恐怖で歩くのが中々怖いです。
視覚障害の方は点字ブロックに対して杖が当たった時の音と触覚で歩行を行っているそうなのですが、神経張ってないとできないなと思いました。
できれば目を開けながら研ぎ澄まそう。
使わない事はできると思う。
道の物為る、惟れ恍惟れ惚。惚たり恍たり、其の中に象有り。恍たり惚たり、其の中に物有り。
窈たり冥たり、其の中に精有り。其の精甚だ真なり、其の中に信有り。
老子21章とも繋がるのかな。
最近試してる事②
じゃあそれを目を開けながら近づけようとして、色々方法はあると思うのですが目を背けながら対象物に触るという事を行ってみています。
また違った印象を受けます。
最近試している事③
会話する時、伝えたい事が伝わった瞬間を探る。
トーン、テンポ、躱しかたなど。
また、伝わりにくい状態はどんな状態?
自分がその状態ならどうなる?
この前最悪な精神状態だった時の自分の感覚も参考になります。
妊婦
妊婦さんを見て、もし「治療してくれ」と言われたらどうするんだろうと思った。
1人ではなく、2人分の命を見なければいけないので状況が違う。
母体も分け与えている状態。
そもそもの目的が違うので、脈なども正常時とは違う。
臍も参考になりそう。
ここで胃気などにも踏み込むことになると思うが、今勉強している傷寒論とも関連させていきたい。
まだ多分何かあるんだろうなと言った段階です。
フロイト
最近ちら〜と見ていっているのですが、面白い考えの人だと思いますし、勉強になってます。
第28回 はり師・きゅう師 国家試験。
令和2年2月23日、『第28回 はり師・きゅう師 国家試験』を受験しました。
解答速報での自己採点では、ある程度余裕をもって合格点を越えていますので、致命的なマークミスが無い限り大丈夫と思われます。
試験が終わって、”やり終えた感”の試験後を過ごしておりますが、
本日も朝の目覚めの時に「勉強せな!」と起きて・・
「あれ?模試?、、卒試?、、国試?、、、?、いやいや、全部終わってるやん。」
となってしまいました。
先生方にしてみれば、懐かしい感覚ではないでしょうか。
私のクラスは最後の一ヶ月間、皆が共に勉強する雰囲気が出来て、ラストスパートが上手くいった様です。
その結果、卒業できる者は全員、国家試験に合格点をクリアする事ができました。
それが、一番嬉しく思っています。
卒業式が3月に行われますが、変に気を使わずに最後の3年生の1日を皆と過ごせそうです。
院長はじめ、皆様には学生の期間中に大変お世話になりました。
お一人ずつに顔をみてお話が出来たら良いのですが、一先ずこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
本当に、ありがとうございました。
受付をしていると云う事で、各種勉強会に優遇措置にて参加させて頂き、院長のご厚意に大変感謝しております。
学生中の勉強会の一つ一つが貴重な時間であり、お世話になりました。
これからが本当の意味での勉強の始まりと考えております。
厚生労働省の正式な発表まで、まだ時間は少しありますが、
日々、医学の探求に精進して参りたいと思います。
宜しくお願い致します。
切脈一葦 上巻2
こんにちは、大原です。
前回の続きです。
前回:切脈一葦 上巻1
今回も、原文に書かれている文意を汲み取りながら、
その読み方や
著者の言いたいことは何かを考えていきます。
今回のところは、主に、著者の脈診に対する
厳しい考え方が記されているところになります。
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画像は京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より、
9ページ目から引用。
(本ブログ記事で参照した箇所を掲載)
<読み>
脈は、血気の盛衰を診する処(ところ)にして、
病の所在を診する処にあらず。
故に部位を論ぜず、
ただ動脈のあらわる処(ところ)をもって、
診脈の処となすべし。
寸口を診するの法、三指をもって、
掌後後骨の側、動脈手に応ずる処を按じて、もって寸口と定むべし。
脈あらわる処長き者は、指を疎にして診し、
脈あらわる処短き者は、指を密にして診るべし。
小児は、一指をもって診すべし。
反関の者は、動脈あらわる処を以て、寸口と定むべし。
凡脈を候うことは、五十動を診するをもって法とす。
必ず倉卒(そうそつ:急なさま。また、あわただしいさま)に
看過することなかれ、
もっぱら心を指下に留めて、
言することなかれ、
観ることなかれ、
聴くことなかれ、
嗅ぐことなかれ、
思うことなかれ、
これ脈を診するの要訣なり。
→ここまでは脈診における秘訣が書かれています。
脈を診るときは、
それ以外のことに神経を奪われたりせずに
脈診に集中することが一番大事であるぞ!
と書かれています。
寸口は、手太陰肺経の脈にして、
五臓六腑の死生吉凶を決する所となし。
肺は諸気を主るゆえに、
また気口と名づけ、
肺は百脈を朝せんとして、
脈の大会なるゆえに、
また脈口と名づく。
その名3つあれども、その処は一なりというは、
皆分配家の説にして空論なり。
寸口は固より十二経の名も、
経穴の名も、いまだ有らざる以前の名にして、経穴の名にあらざるなり。
然るも後世に至って、
経絡を分かちて空所の名を配するときに、
寸口の地を、肺経の脈動と定めて、経渠・太淵二穴を配したる者なり。
また気口・脈口等の名は、
その後肺経の理を推して、名づけたる者なり。
→以上、ここでは、
脈診で脈をとる手首のあたりのことを
寸口といったり気口といったり脈口というが
それらは
「単に言い方を変えているだけで
同じものだ」というのは嘘だぞ!
と言ってます。
『素問』に、寸口気口の名有りて寸関尺を分かちて
三部と為すの説なし。
『難経』に始めて寸関尺の名を立つといえども、
いまだ左右に臓腑を分配するの説なし。
晋の王叔和に至って、始めて左右に臓腑を分配
するの説を出せり。
一の難は、一呼吸の間に、脈行くこと六寸、一日一夜に、脈行くこと五十度と定めて、
二の難は、尺寸を一寸九分と定めて、
臆見(おっけん:確たる根拠のない、推測や想像に基づく考え)を
もって空理を論じたる者なり。
十八の難は、三部四経の説を立てるといえども、その言簡古にして解すべからず。
王叔和の分配を得て、粗通すといえども、これを要するに無用の空言なり。
→ここの最後のあたりに
「空理を論じているぞ」、
「無用の空論」であるぞ!
と言ってますが
つまり、脈診において
左右の脈それぞれに臓腑を割り当てるのは
机上の空論であって
実際はそんなことは全くないのだ!
と言ってます。
『霊枢』に、気口と人迎とをもって陰陽に配して診することあり。
これまた無用の空言なり。
→また「無用の空論」が出てました。
『素問』に、寸を按ずの語あれども、寸は寸口のことなり。
尺は肘の横紋より、掌の根までの間を尺といいて、
この処の堅脆滑渋を見て、診法と為することなり。
また尺内の両傍は季肋なりの語あれども、尺内は、腹のことなり。
然るを分配家の徒が、尺脈のこととするは誤りなり。
→「尺」とは
いわゆる「寸関尺」の尺だけではないぞ、
他の意味もあるんだぞ、と言ってます。
趺陽は、趺上にあらわるをもって、名づけたる者なり。
然るを後世に至って、分配家の徒が足陽明胃経に配して、
衝陽と名づけて、胃気の有無を候う処と為す者は、
寸口を五臓の気を候う処とするともってなり。
また人迎を足陽明胃経に配するも、この意なり。
それ脈は、皆胃気を候うの診法なり。
なんぞ、人迎趺陽のみに限らんや。
両額の動脈を、上部の天となし、
両頬の動脈を、上部の地となし、
耳前の動脈を、上部の人となし、
手太陰を、中部の天となし、
手陽明を、中部の地となし、
手少陰を、中部の人となし、
足厥陰を、下部の天となし、
足少陰を、下部の地となし、
足太陰を、下部の人となす者は、
素問の三部九候なり。
両額の動脈は、足少陽胆経の頷厭の動脈を指すなり。
両頬の動脈は、足陽明胃経の地倉の動脈を指すなり。
耳前の動脈は、手少陽三焦経の和髎の動脈を指すなり。
手太陰は、肺経の経渠の動脈を指すなり。
手陽明は、大腸経の合谷の動脈を指すなり。
手少陰は、心経の神門の動脈を指すなり。
足厥陰は、肝経の太衝の動脈を指すなり。
足少陰は、腎経の太谿の動脈を指すなり。
足太陰は、脾経の箕門の動脈を指すなり。
これ皆分配家の空論にして、
実時に用え難し。
もし、よく18箇所の動脈を診し得るといえども
病証を論ずるに臨みて、いずれの動脈を主となすべけんや。
これ一身一動脈にして、
別脈にあらざることを知らざるの誤りなり。
→脈を診る場所が18箇所もあったら、
どの脈を診て判断すればいいのか?
人間の身体に18本の脈があるんではなくて
全部つながってるから(一身一動脈)
18箇所も診なくて良いのではないか?
そういうことが分かってないから
こんな誤った空論を書いてしまったのだ!
魚際と尺沢との間を、一尺と定めて、
掌後一寸九分をもって、尺寸の地となし、
前九部を寸となし、
後ろ一寸を尺となし、
寸と尺との間を関となす。
これを三部という。
寸は胸以上の疾を主どり、
関は膈より臍に至るまでの疾を主り、
尺は臍以下の疾を主る。
また医の指を浮かべて診するを浮となし、
中按して診するを中となし、
沈めて診するを沈となす。
これを九候という。
浮は心肺を候がえ、
中は脾胃を候がえ、
沈は肝腎を候がう。
これ難経の三部九候にして、
全く分配家の空論なり。
たとえば・・・
(ここまで)
→脈で、
寸は胸以上の病、
関は膈〜臍の病、
尺は臍より下の病を診るとあり、
浮は心肺、
中は脾胃、
沈は肝腎を診ると難経にあるが、
これらも空論であるぞ、
と言ってます。
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さて、著者がばっさりと「空論であるぞ」とした内容は
鍼灸の学校の実技の授業などでも
教わった内容だと思います。
『素問』の現代語訳など目を通すと
「素問に書いてあるのでやっぱり正しいことなのか・・・」
と思ったり
でも、やはり「本当にそうなのか?」みたいな感じも
個人的には両方あったように思います。
脈診における考え方において、
この『切脈一葦』を読んで
「空論だと言っているから
寸関尺を臓腑に割り当てる考え方は間違っているんだ」などと
安直に片付けてしまうのは良くないでしょうが、
著者が空論だと言い切る理由を
知っておくのは大事だと思います。
もしその理由が腑に落ちないなら、
もとの考え方にも一理あるのでは、
という具合に
考え方の幅が拡がるように思います。
重要なところですが、
長いので続きは次回にします。
引用:
京都大学デジタルアーカイブ『切脈一葦』より
経穴(01)
【地機】
学生時代に使用した経穴の教科書を新・旧で比較してみる。
旧教科書の”地機”は”陰陵泉”より5寸下、
新教科書は”地機”は”陰陵泉”より3寸下、とされている。
考えらる可能性は「2つとも違う」「片方が正解」「2つとも正解」。
重要なのは点でなく、線をとらえる事にあるのかな?と思う。
今後の切経の参考にして行きたいと思います。
旧
『経絡経穴概論』(株)医道の日本社
初版:1992年3月20日
●地機(郄穴)
取穴部位:内果の上8寸、脛骨内側縁の骨際に取る。
(注)脛骨内側顆の下際から下5寸に当たる。
筋肉:ヒラメ筋
運動神経:脛骨神経
知覚神経:伏在神経
血管:後脛骨動脈
新
『新版 経絡経穴概論』(株)医道の日本社
初版:2009年3月30日
●地機 SP8(脾經の郄穴)
部位:下腿内側(脛側)、脛骨内縁の後際、陰陵泉の下方3寸
取り方:脛骨内縁の後際、内果尖と膝蓋骨尖とを結ぶ線を3等分し、
膝蓋骨尖から3分の1の高さに取る。
解剖:ヒラメ筋・長母指屈筋〈筋枝〉脛骨神経,
《皮枝》伏在神経,後脛骨動脈
【参考文献】
『経絡経穴概論』(株)医道の日本社
『新版 経絡経穴概論』(株)医道の日本社
施術日記(05)
T.I 先生との治療練習5回目。
舌診での、軸を作りたいと考えて継続しております。
脉や腹診も含めて考察いたします。
舌診の鍛錬
【目的】
① 同經への刺鍼であるが、経穴を変更してみる。
② 舌の理解の為に、脉や腹診との共通項を考える。
問診にて「少々、お疲れ」との事。
この先生がダメージを体に受けている場合には、
舌の右への偏向がみられるようです。
ついでにいえば舌だけに限らず、
立ち居振る舞いにも、ある動きにも特徴が出てきます。
また、脈診においても右腕の脈に特徴を診ました。
舌尖の赤みはあるにせよ、舌辺の赤い斑点はかなり少なくなっています。
ただ、歯痕の凸凹が強く感じられました。
(左)地機:0番鍼にて置鍼(5分)
今回は(04)回までの経穴ではなく、別の経穴を試しました。
切経において、昔の教科書の取穴と現在の教科書の取穴の違いを
議論しながらの刺鍼となりました。
右脚と左脚の経穴を診た感じ、左の地機の方がウブな感じを受けたので、
刺鍼を試します。
舌の出し方が穏やかになり、正中線上に近くなりました。
歯痕も少なくなっております。
今回、特徴的だったのは写真では表現できていないかもしれませんが、
舌に溢れんばかりの潤いが出てきました。
おおよそ、水が引く事のイメージをもっていたので、少し驚いております。
腹診においては前回の治療(04)回と同じように
刺鍼後になってから、脾募へ特徴的な何かを感じました。
ミルフィーユのように階層があるようにも思え、
何かをどかしたら、何かが見えるようになった。のでしょうか。。
今後も経過を見てみたいと思います。
脈診(04)
瀕湖脉学七言訣(二十、弱脉)
弱来無力按之柔、
柔細而沈不見浮。
陽陥入陰精血弱、
白頭猶可少年愁。
弱脉は力無く来て、按じても柔、
柔は沈にして細、浮では見られず。
陽は陥入し、陰精血は弱、
白頭(老人)は考えられるが、少年なら愁う。
脉が骨周辺まで沈む理由が何なのか..
自問自答してみる。
年老いて骨が弱くなり営気を必要としているから、
骨への栄養補給の為に沈下する?
いや、肌肉の中空を維持出来ない為に沈む?
衛気が衰えて、エマージェンシー発生の為に
脉が皮毛に栄養補給にやってくるのが浮脈?
現象に対しての理由は多々ありそう。
【参考文献】
『中医脉学と瀕湖脉学』(株)谷口書店
心血虚証
心の血不足によって血脈が空虚になり、身体を滋養することができなくなる。
心血が不足すれば「神」にも影響が出る。
思慮過多、心労過多、目の使い過ぎ、血の生成不足(脾胃の失調からくる)などが原因。
心悸、怔忡、胸悶、眩暈、健忘、不眠多夢、顔面蒼白などの症状が現れる。
心血虚が痩せやすいのは、脾胃からの影響を受けて血の生成不足が起こり、
身体が栄養を吸収できないため。(舌もやせてくる)
心血が不足し、神を滋養できなくなると落ち着かなくなり、不安になる、心悸怔忡がおこる。
(眩暈や健忘が現れるのは血が少なくなり、髄海を養えないため)
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