胖大にて白苔の舌を観察します。
【舌診(09)】
こんにちは稲垣です。
患者さんのHさんに舌の研究の為にご協力頂きました。
学術の為にご協力頂き感謝いたします!
《令和3年1月22日》
表は白苔が強く水泛しているように思います。
嫰であり、胖大。
湿に覆われているように思います。
表と裏の違いが謙虚。
舌下静脈が中央に近い形でストレートに伸びている。
《令和3年1月27日》
表は全苔より苔の剥離が診られ、
溢れていた水が引き始めているように思います。
胖大はやや狭まりつつあるように思いますが、
22日よりも白苔は強く感じます。
裏は舌下静脈の形は変わりませんが、色が薄くなっています。
舌裏全体の色が淡くなっていますが、
左前に舌瘡のようなものが出来ています。
《令和3年1月30日》
苔全体が薄くなっているのが顕著。
剥離され舌体がみえるところと苔との境目が緩やか。
全体的に赤みを帯びてきたように感じます。
全体的に水が引いた状態と共に
歯痕も少なくなってきたように思います。
舌裏の色合いがかなり薄くなってきており、
舌下静脈も姿が薄くなってきたように思います。
苔が少なくなる経過には、
一時的に苔が強くみえる現象があるのかもしれないと感じました。
これは苔だけの現象ではないのかもしない、と感じております。
来院と来院の間に何があったのか、
舌の情報だけでは足りないところです。
皮膚の肌荒れも、おさまりつつあるように感じています。
脾胃に優しく過ごしてみました
1月7日は無病息災を願って七草がゆを食べる日!と短絡的に考えていましたが、調べてみると中国から渡ってきた風習とのこと。「人日」という五節句(陰陽五行説に由来して定着した日本の暦における年中行事を行う季節の節目の日)の1つで、「人を大切にする日」なのだそうです。
一般的に春の七草(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ)が使われていますが、何を使ってもいいみたいです。食材には五味、五性があり、春の七草は涼性の性質を持つものが多く、熱証(陽盛、陰虚)にいいとされているため、食べ過ぎて熱を持っている胃腸に優しいのかな。胃が熱を持つと過食になり、脾に負担がかかる、脾の働きが弱まると胃にも影響がでる?そもそも胃は疲れてるのになぜ過食がちになってしまうのか…と色々考えてしまいました。
人を大切にする=自分や家族のからだを大切にする日ということでもいいのかな?と私は思います。普段めったにキッチンに立つことがない私ですが、せっかくなので七草セットを買ってきて七草がゆを作ってみました。作りすぎたので明日の朝も脾胃に優しく過ごしたいと思います。
水からのメッセージ
水の本を読みました。
水とはいったい何なんでしょうか。水は生命力だと言うことです。…人間は水によって栄養素を体内に取り込み、それらは血液によって体中に運ばれ、循環します。…水とはエネルギーの運び屋といえるのです。水は情報を転写し記憶することができるのです。……水は地球を循環し、私たちの体の中を経て、さらに世界へと広がっていきます。…水を知ることは宇宙と大自然、生命全てを知ることなのです。
水は答えを知っている その結晶にこめられたメッセージ 江本勝
著者は長年にわたって水の研究をされていて、特殊な機械を使って情報を転写した水を与えることで健康を回復させると言う独自の療法もおこなっていたようです。
そんな中で「雪の結晶は、二つとして同じものはない」という言葉にヒントを得て、水を凍らせて水の結晶写真を撮りはじめたところ、いろいろな発見があったそうです。
まずは世界各地の自然水を調べてみる
次に水に音楽を聴かせてみる
それから水に言葉を見せてみる
驚いたことに全てにおいて色々な表情の水の結晶が写真に現れています。本の中にそれぞれの写真が紹介されています。一見の価値ありです。
そんな中でも美しい結晶として「愛・感謝」が最強のようです。 強いて言えば「感謝」が一番ともありました。
日常の食事をいただく時にも「いただきます。」、感謝を持っていただくことによって、その食べ物も良いエネルギー体に変化するということです。
全てにおいてよく「感謝」が大事とききますが、そういうことに通ずるのですね。
すべては人間の意識がつくっている。イメージが世界を作っている。
とも書いてありました。
一年経過
一鍼堂の寺子屋でお世話になり始めて、今月で1年が経過しました。
この一年の時の流れが早かったのか遅かったのかどちらか改めて振り返ってみて、どちらなんだろうと考えてみましたが、正直即答できる感じではなく、ハッキリわかりませんでした。
早かったように感じますし、遅かったようにも感じます。
ただ充実した1年であったのは間違いないです。
1年を通して、こんなに鍼灸の勉強に向き合ったことは今までになかったと思います。
これもひとえに、一鍼堂という学びの場に参加できたことに尽きると思います。
何かを学ぶ際には周りの環境がとても大事だと思いますし、特に私の場合は自分の意思や決意が軟弱なので、すぐに自分の甘い心に負けてしまいがちです。
でも一鍼堂での院長や各先生方、スタッフの方々の鍼灸に対する向き合い方にプロ意識を強く感じますし、そんな空間に自然と触れていると自分も精進して行きたいという強い気持ちが生まれてきます。
それに他のワクワク感を抱いた優秀な寺子屋生の皆さんと交流することで鍼灸に対する勇気や希望など、とてもよい影響を受けることができます。
只々、今の心境は、この場に居させていただくだけで大変ありがたい気持ちでいっぱいです。
火の神様
コロナ禍になった頃から、時間を見つけては山歩きに行くようになりました。
私にとって山を歩く事はいろいろ得るものがあります。自然の領域に入る事で何となく心が癒されたり、その時の季節を強く感じることができますし、家に帰ってきた時にクタクタになりながらもある種の達成感をを得ることもできます。
今回は日頃からの運動不足の解消と、下半身を鍛える事が目的の一つです。私が行く山道はそれなりに舗装はされていますが、足元がでこぼこしていて、当然坂道や下り坂だったり、いろんな形の道があるので、身体を上手く使わないと転んだり滑ったりもしないとも限りません。それも山を楽しむ醍醐味です。
疲れにくい歩き方というのが、身体のどこに重心を置くかという事にもつながっているように思います。だんだん山歩きに慣れてくることができたら、身体の使い方も上手くなるのではないかと思っています。
今日は嵐山の方にある愛宕山に行きました。山頂には愛宕神社があり、火伏せ、防火に霊験のある神社として知られています。
今回で3度目の参拝になりますが、なかなか登りがきつく、階段が多い参道なので、毎回登りが多い前半は来てしまった事に後悔します。やはり今回もそんな気分にさせられました。
そんな道ですが、小さなお子様を含む家族連れやご年配の方々なども登っています。
そういう光景を見ては励まされ、なんとか登りきりました。
そして神社に到着し、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれたお札を無事授かることができました。
また来年まで自宅の台所に新しいこのお札を貼っておきます。
穴性について思うこと
先日母が風邪をひき、熱は下がったが咳が治り切らずに寝れないとの事で治療した。
脈は寸部が圧迫されている印象。
腹診後、腹を出した状態で咳をする時の動き方をみる。
触った感覚と視覚的なもの、腹の動き方を確認する。
何となくここかな?と思う部分がある。
配穴では、最初手足で使う。
しばらく置いて、マシにはなるんだけどまだ残っている印象。
背中を出してもらう。
確認すると、膈兪の周辺が湿気を帯びて一部硬くなっている。
そこに鍼を置く。
しばらくすると溢れ出す鼻水。
咳も治ってきた。
後々、学術的にも考え直した。
膈兪は血会であり、本ではやはり血の鬱滞に特に多く使われている印象。
今回は、舌下の血色や舌下静脈・脈などからでも瘀血所見は見られたが、そこは痰湿が中心に絡んでいて起きたものだと感じた。
後々考えると、「血会」に縛られすぎて感覚を疑う怖さも感じた。
また、東洋医学に限らず、一面を見たものがそれが全てだと感じて範囲外の認識が見えなくなる現象は良くある。
全てにおいて太極的な視点は必要だと改めて感じた。
親友と
友人に体を診せて貰った。
ベロ見せてといってベロは出せるけど
裏見せてと言って裏返せない。
こうできる?とやって見せて、
それでもできないみたい。
無意識にか指をベロの下に入れて裏を見せてくれようとしている。
モゾモゾと動くだけで、やはりできない。
人のそんな様子を目の当たりにした。
激しく上気していて、喋り始めるともうとまらない彼に
少しでも落ち着いてもらえるように鍼をさせてもらった。
手を作る
近頃、切経を学んでいると、
高校でやっていたことに似ているなと思う。
デッサンでひたすら軽く腕を動かし、
極々白に近い灰色を描く練習をしていた。
ティッシュ、木、石、レンガ、瓶、おたま、布、長靴、林檎、ハンマー、フランスパン…
描きながらモチーフを執拗なくらい触って
寒熱燥湿軽重硬柔、形状や密度、奥行きを
手に染み込ませた。
なぜその形になったのか、
なぜそんな手触りなのか、
考えながら描いていた。
デッサンなんか修行みたいで好かんと思っていたけれど、段々と瞑想チックな面白いゾーンになってくる。
意識の持っていき方が
望経や切経もよく似ているのかもしれない。
でも、人体デッサンでは、モデルさんの身体に直接触れることは御法度だった。
鍼灸学校に入学するまで人体の感触は未知のゾーン。
鍼灸学校に入学した頃、
ある先生が「手を作りなさい」と仰った。
身体を切経していると色んな感触に出会う。
「あなたの肌肉は硬いね」
とある先生が仰り、初めて自分の肌は硬いのかぁと自覚した。
他の先生は、
「キメが細かいからあなたは感受性が高いね」「乾燥しているね」
と仰った。
なぜ、そんな風になるのか、
東洋医学を勉強し始めてから少し見えてきたと思う。
〇〇さんはプラスチックみたいやなぁ
〇〇さんは部分的に紙みたいなところがあるなぁ…
〇〇さんはお腹だけ黄色いなぁ…
肌肉の感触や色を捉えることに注力してみると、何が悪いかよくわからないけど、
直感的におや?っと思うことがある。
そして、似たような身体に出会うことがある。
共通する何かがあるのかもしれない。
ある日、TVで地形の成立ちみたいなものを観て、
肌肉=土なんだし、身体も地形みたいなものがあるのかもしれないなぁ…
と思うようになってきた。
下野先生も、身体を大きく地形を捉えてみるのも良いですよ、と教えてくださった。
身体は面白い。
なぜこんな形になるのか?
なぜこんな感触なのか?
そこまで書いてる本はあるのかな?
あれば興味があるけど、
手を作りながら自分で考えていくのも面白そうだ。
血の色は赤い
血液の赤色はどっからきているのか?
西洋学的に考えると赤血球に含まれるヘモグロビンの色だと学校で習いました。
ヘモグロビンは鉄(ヘム)とタンパク質(グロビン)が結びついたもので、この鉄が赤色素を持っているためです。
いっぽう、東洋医学的にはどうなのかというと話が複雑になります。
血は水穀の精微と腎精から化生される とあります。
二通りのパターンがあるようです。
パターン ①
飲食物が脾胃の運化を受けて水穀の精微に転化したのち、営気によって脈中に滲注し、肺に上輸されて清気と合するとともに心火(心陽)の温煦を受けて赤く変化し血となる。
つまり消化管で得られたエネルギーの素みたいなものを肺と心まで運び上げた後に、心のパワーで温められてようやく赤く変化するらしいのです。それまでは無色なのでしょうか?
パターン②
腎精化血であり、腎陽の温煦により腎精が血に転化して脈中に入る。
この書き方だと腎の温煦でも赤くさせるのかがハッキリしません。でもきっと心と同じように温煦パワーで赤い血になっているのでしょう。
そういえば西洋学的に腎臓から産生・放出されるエリスロポエチンというホルモンが、骨髄での赤血球を産生を日々促しつづけているので、ここでは怖いほどシンクロしていますね。
因みに、エビやタコは青色の血(銅の色)、植物は緑色の葉緑素(マグネシウムの色)だそうです。
(基礎中医学 神戸中医学研究会 p19参照)
















