春になると・・・
私はいつも春先になると不調がでることが多く、
今までは梅核気や左中指に見に覚えのない腫れ(今でも原因わからず、1ヶ月位腫れていた)
今年は生理不順に胃の不調と、気分も落ち込みやすくなったりするので
春がくるのが待ち遠しい反面、不調がくることに怯え毎年身構えてしまいます。。。
でも。もう私も3年生になりますし、下野先生の施術も受けつつ、
せっかくなので自分でも鍼してみようとあれこれ原因を考えてみました。
生理不順については、最近は17日くらいの短い間隔で生理がはじまっておりそのせいで貧血気味で
胃の調子も悪いので脾の弱りが原因?年齢的に腎も原因かも?いつも春先に不調でるし肝の気があがっていることも考えないといけないのか?思いつく限りいろいろ自分の身体に鍼をして変化を観察しようと思います。
寺子屋でも先生方に、脈の変化を観察する方法や毎日自分に鍼してみたら?とアドバイスをいただいたので
さっそく実践してみます!
やっと暖かくなってウキウキする季節を心も身体も元気に過ごしていきたいです。
ホルモンからの支配
書籍「閃めく経絡」 ダニエル・キーオン
を読み終えました。
感想としては、いろいろと盛りだくさんの内容で、私にとっては気づきや謎解きのヒントになるようなありがたい本でした。
まだ十分理解はできていませんが、
印象に残った部分、具体例をあげると、
中医学が想定している腎の機能のほとんどを副腎が担っている。
副腎は身体で最高濃度の神経堤細胞誘導体(腎精)を含む点で非常に興味深い腺である。
副腎→髄質→アドレナリン、ノルアドレナリン、ドパミン
例えば、パニック障害の時は強い恐怖心を呼び起こし、警報装置が誤作動を起こすように過剰にアドレナリンやノルアドレナリンが分泌されて、血圧を高め、心拍数を上げて、めまいや動悸などを起こします。
強い恐怖心は副腎を刺激するのです。(→過剰な恐れは腎を損なう)
また脳では過度な不安や恐怖によって扁桃体のドパミン受容体が活性化することがわかっているそうです。(→脳髄も腎に含まれます)
またドパミンは意志の力を発揮するのに非常に重要とあります。(→五神の志)
臓器から放出されたホルモンは感情の変化(こころ)と深く関わっているのです。ホルモンや神経伝達物質は各臓器からの気持ちが添付されたメッセージなのかもしれません。
そう思うと益々面白いなと思います。
またこうも書かれていて、
つまりホルモンは我々の脳の延長であり、脳と区別がつかないものだ。
あたかも臓器が脳から生じたかのようだ。(あるいは逆かもしれない)
そうなると人間の感情は臓器が作る、ホルモンや神経伝達物質によって支配されている!?
P︎MSや更年期障害、うつ病などの精神疾患、心因的なことが絡む疾患などが代表的なものでしょうか。
こういったトラブルに対して東洋医学では、五臓を正常化することで解決できることに繋がるんですね。
きっと。
四診(1)
四診とは、望診・聞診・問診・切診からなる4つの診察法の総称である。
四診法
①望診(神技):術者の視覚を通じて病態を診察する方法
②聞診(聖技):術者の術者の聴覚・嗅覚を通じて病態を診察する方法
③問診(工技):患者との対話を通じて病態を診察する方法
④切診(巧技):術者の触覚を通じて病態を診察する方法
望診
望診は、視覚的に観察することにより心身の状態を知る診察法である。患者の神・色・形・態の観察を基本とし、身体全体や局所の状態、分泌物・排泄物や舌象などを視覚的に観察する。
望診は、患者に対する第一印象から始まり、問診や切診の際にもあわせて行われる。
聞診
聞診は、聴覚と臭覚により患者の身体から発する音と臭いを聞き、心身の状態を知る診察法である。
患者から聞く音として発語時の音声、呼吸音やその他異常音がある。そのうち、音声を聞くことで診察することを声診という。
臭いには体臭、口臭、排泄物・分泌物の臭いなどがあり、臭いのことを気味という。
聞診は問診を行なっている際にあわせて行われ、術者が直接確認できないものは問診により患者に尋ねて確認する。
問診
問診は患者やその付き添いの者に質問し、対話によって得られた情報から心身の状態を知る診察法であり、弁証に必要な情報を収集するために行うものである。
問診では、まず患者の主訴について確認し、それに関連する事項を掘り下げながら質問し、情報を集める。
東洋医学では各種病因により気血津液・経絡・臓腑に虚実・寒熱といった変動が起こり、その結果、各種の愁訴が発生したものと考えるため、各種愁訴を全身的な病態と関連づけて推察することが重要である。そこで患者本人が主訴と関連のないように思っている全身症状や生活状況などについても確認する。
東洋医学的な問診の内容をまとめたものに、『景岳全書』(張介賓、1640年)の「十問歌」がある。この「十問歌」を参考に各項目について問診を行なう。
問診において、受容・共感的態度、傾聴的態度は患者との良好な信頼関係の構築に重要であり、信頼関係が得られているか否かは治療効果や患者の治療継続の意思などに影響する。
問診時には、状況に応じて患者の表情や仕草、動作などの望診、音声や口臭などの聞診、脈診などの切診もあわせて行う。
切診
切診は、手指や手掌を直接患者の身体各部に触れ、術者の触覚や患者が術者に触れられた際に感じた感覚により心身の状態を診る診察法で、腹診、切診、経穴診、脈診などが含まれる。
切診は、触れる、撫でる、擦る、押す、摘まむなどして得られる反応を病態推察の材料とし、反応点を治療点としても考慮する。
★
先輩の先生と共に、病室に入らせてもらい、患者さんとの四診の場を共有させて頂いております。
実際に患者さんが発する情報をメモし、病証把握や仮想の治療を考えたりしておりますが、自分でも緩いところが多いと痛感しております。
そんな中でも、鍼を打った後から暫くし、先生が「いかがですか?」と患者さんの様子を伺う際に、微妙に変化を感じれる時があり、貴重な時間を頂いております。診療に来られた時と帰る際との変化、顔色や目の表情、舌の様子、声色・・
患者さんの変化を頭の中で情報処理にはまだまだ時間を要しますが、前進して参りたいと思います。
【参考文献】
『新版 東洋医学概論』医道の日本社
舌の考察 2023/11/22
最近は舌の考察を寺子屋生どうして写真をとってみたりして行なっています。
今までこんなにじっくり舌を観察する機会がなかったので、やはり勉強になるなと改めて思っています。
自習の方では難経鉄鑑の34難まで進みました。
以前読んだ時は33難が難しくて、一体何のことを言っているのかチンプンカンプンでしたが、今回改めて読み返してみると何となく全体像を理解できたような感じになり、繰り返し読み返す意味を再確認することができました。
舌質 胖大 やや淡白より。
厚みがあって、パンと張った気が充実している舌で、気滞があるのかなと思われる。
しかし舌尖の赤味が他の2人とは違ってみられない。
舌苔も薄く消化管も問題なさそうに見える。
舌の張り感がなく、だらんとした気が抜けた舌。
舌苔は粘稠で厚みがあり、低速モードで消化管の働きが追いついてない。中焦、下焦に停滞している。
備考:生理が終わって、口周りの吹き出物の活動が治ったように思う。
上の2人に比べると、舌の色が暗く、鮮やかさに欠ける印象をもつ。
舌の弾力性も以前の写真に比べると低下している雰囲気がして、気虚が増したように感じる。
舌裏も白抜け感があり、まだらで血の停滞が見られる。
私の相方は何なのか
陰陽とはどういったものなのだろうか?
陰は月、陽は太陽 陰は水、陽は火というイメージが
自分の中にある。
世の中の一切の物事には陰と陽で振り分けられていて、
お互いを助け合い、依存し、制約しあっていて、片方の
存在が消えれば、一方も存在しなくなるようだ。
では、もし私が陽であると仮定すると、相方の陰は
何になるのだろうか?
家族?友人?恋人?それとも人間とは全然関係のない
ものなのだろうか。
僕が生まれてこなかったと仮定してみる。
僕がこの世に存在していなければ、私の妹達には兄がいなかった。家族や、友人、恋人の記憶にも存在しない。
小学生の時クラブチームで決勝ゴールをあげたあのゴールも存在しない。
友人と他愛もない話で笑い合った日常も存在しない。
今書いてる文書も存在しない。
未来に作り上げる物も子供も存在しない。
その先続く子孫もその歴史もない。
あげればキリがないほど消えていく。
私の相方は私の歩んできた道なのかもしれない。
私の全ての道とそれを作り上げてくれた一切の物事に感謝と敬意を表します。
PS.写真は私の地元の丹波篠山の朝日です。
寺子屋で
3月23日(水)
患者さんの舌の観察をしました。
患者さんにお会いする前に、先生の許可を得てカルテを見せていただき、主訴から舌の状態を想像しました。
歩くと息が切れて疲れやすいということから、見た目は弱々しく舌色は淡白舌で舌体は痩せて小さい、
気虚のイメージで考えていました。
実際は、
全体的に絳紫色を帯びた地図舌、ところどころ凸凹と丘のような形状がみられ、舌下静脈の怒張あり。
細身ではありますが弱々しい感じは全くなく、はきはきしたキャリアウーマンという印象でした。
息切れして疲れやすい⇒気血が不足している⇒淡い舌色と思いこんでいましたが、
実際の色は紅が強く熱を帯びていた。
舌下静脈の怒張から瘀血があるため気血のめぐりが悪くなり、
それが息切れや疲れやすさの原因になっているのか。その瘀血はどこからきているのか?
地図舌や凸凹な形状は何を表しているのか?
次回、経過がわかればまた考察します。
皮膚と内臓
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2021/09/18 『皮膚と内臓』
内熱を存在を示すものと考えていた、ある患者さんの上背部で観察された毛穴の広がり。その範囲では肌質も乾燥度合いが顕著にあった。
今日見せてもらったときには、毛穴は開いておらず、元より開いてなかったところと比べると「閉じた」跡が確かに見てとれる。
患者は、以前はしきりに訴えていた胃脘部から食道上部にかかる、突き上げるような気持ち悪さを今は訴えない。皮膚が内臓の状態を反映していることを再認識する。
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2021/09/19 『考察の材料として』
川を運航する水上バス ー 通過する際におこした波が川岸に到達し、また返して複雑な波紋を生む。分岐する右手の水路に向けて舵を切り船が消えていった後しばらくの間観察された。
空気の流れが目にみえたならー
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2021/09/20 『怒』
「怒」に振り回されている、とまでいかなくても適切に取り扱うことができていない人は自分も含めて多数あると感じる。治療中にからだの内に静かにおさまっている感覚を知る、その時間を経験することだけでも価値があると感じている。怒気に振り回されない自分、またはありのままを見るのにつながるのかも知れない。
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2021/09/21 『思い込み』
自分が鍼を受けているときには、中から感じる動きがめまぐるしくて、その感じをどのようにして察知されているのか不思議で仕方なかった。でも、今日そのほんの一端を今日見せて頂いた。
短時間で下腿の浮腫がすっきりとしていく。そのエリアが広がっていく。形に表れるのは時間がかかる、という思い込みが浮きあがって軽くなった。(そういえば初めてのことではなかった、数年前にも見せてもらっていたのだったと後から思いだされた。)
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2021/09/22 『舌の変化』
先日、ある患者さんの舌状で、それまで見られなかった苔が初めて見られるようになった様を観察したことにを記した。その後の展開として、苔が同じエリアにまずは定着していくこと、つまり緩やかな変化を前提にイメージしていた。
今週は、舌体一面に広く薄白苔がみられ、(内熱の反映と考えられる)紅絳舌だったのが、薄紅の部分が主だってみられるようになった。ずっと同じような舌状だったのが、こんなに変化を見せるものなのか。
難経十六難
先日、難経十六難を読みました。
印章に残ったところを書き留めてみます。
肝は色を司ります。
色は眼を喜ばせる原因となるもので、目は鮮麗なもの(鮮やかで美しいもの)をみるのを好みます。これが人情です。
→ふむふむ
芸術肌の人は肝タイプが多いのかも知れません。あくまでも個人の感想です。
肝が病んでいる時は、肝の本質的な性質が現れて、浄潔なもの(清浄で清潔なもの)を喜ぶようになります。
→いたって普通ではないでしょうか。これも人情だと思います。不潔で汚いものを好む人は少ないと思います。ひょっとして病んでいる時だから偏って過剰に好むようになるということでしょうか。例えば潔癖症みたいな感じ?
怒りは自分の思いと異なる時に表れます。自分の思いは陽であり、それと異なるものは陰です。陰が陽を抑える時、陰中の陽となり、春の少陽の状態と合致することになります。陽が抑鬱されると逆します。怒りは逆上の気ですので、肝木の本気が現れたものと考えることができます。
→肝気が条達できるように、自分の思いも大切にしてあげないといけませんね。
『難経鉄鑑』第十六難 たにぐち書店より引用
易経 その2
つづき
この易経ですが、一般的には「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の占いのイメージがつよいですが、本を読んでみてそれだけではないことがわかりました。
易経には大昔の人が、世の中の仕組みや人生においての法則があって、その法則には一定のルールがあり、それを64種類の物語にして教えてくれているらしいのです。
その法則を理解して身につければ、もはや占う必要性もなくなり世の中の森羅万象、物事の道理、そしてその先行きが見通せるようにもなるというのです。
そう聞くと更に興味が湧き、是非理解を深め、その智慧の恩恵に与りたいと思うのも必至です。
そんな易経ですが、いつの時代に出来上がった考え方なのかと調べてみると、今、日本で一般的に使われている「易」は「周易」と言って周王朝時代に確立したそうです。
その周王朝時代の日本は何時代か見ると、縄文時代でした。
恐るべし中国史です。
そんな昔から世の中の道理が解明されていたのにびっくりです。
東洋医学といい、易経といい太古の先人に感謝します。
思うこと
先日、院長のお宅にお邪魔して寺子屋生の勉強会を行いました。
雨の止んだ敷地内の森は芳しく、藪椿が点々と地に落ち、小川のせせらぎと鳥の声だけが聴こえる。
自然の中に身を置き学びを得ることに喜びを感じました。
薪は程よく乾いているから火が着く。
木の水を吸い上げる力が土砂崩れを塞いでくれる。
水たまりができている。
小川が流れている。
それができなくなったらどうなる?
大阪のような町に住んでいると自然の中に生きる人間としての存在を忘れていくのではないでしょうか。
『鍼灸医学における実践から理論へ 「北辰会」は何をアピールするのか パート1 藤本蓮風著』
子どもの頃、都会に出るといつも発熱して、目や音や匂いに酔い、逃げるように奈良に帰りました。今でも、偶に都会でいいと思います。
五官の感情は情志と外界を連絡する橋であるとして、「耳目が音や色に惑わされれば、五臓は動揺する。
五臓が動揺すれば、血気が騒いで溢れる。
血気が溢れれば精神を平静に保つことができず暴れ出す。
精神暴れ出せばあらゆる状況に対する判断力がなくなる」淮南子
『中医病因病機学 宋鷺冰 主編』
感覚を刺激すると魂は混乱する(中略)刺激によって人は、本当の問題から目を背け、目を背けるという事実からも、目を背ける
『老子の教え あるがままに生きる 安冨歩著』
ホースで水を撒きながら水を出したりあえてホースを踏んで詰まらせて脈はこんなんかな。
ゴロゴロしてコンロの火を消し忘れて煮詰まった鍋を見ながら瘀血や湿はこんなふうにしてできるんやろうか?
ベーコンを仕込みながら次第に肉がこんなふうになるんやなと。
ハンバーグを焼きながら舌を思い浮かべました。干からびた苗木を見て、気血が巡らないと肌肉とはこういうことを言うのか。
初めて手にした鍼灸の本は「鍼灸真髄」だったのですが、澤田健氏が教えを請いに来た代田文誌氏に「ただこの表見といたらだんだんわかるようになってくる!」
と五行色体表を示したと書かれていたのですが、自分で検証してみると面白いです。
2年生になりこの違和感は何なのか、3年になりより一層違和感を覚え、言葉に出来ずにいました。
自然と人間が一体であって、自然の中に調和しながら自然と共に生きている人間こそ人間として見るという思想が働きているからなんです。
もしこういう思想を度外視して東洋医学をやるならばいびつなものになっていく。
『鍼灸医学における実践から理論へ 「北辰会」は何をアピールするのか パート1 藤本蓮風著』
そうやな、「人間を人間として見ない」からや。ようやく気持ちの整理がつきました。
私はそうありたくないです。
内経は、情志を「恬淡虚無」の状態に保つことによって精神異常を予防するよう提案した。
『中医病因病機学 宋鷺冰 主編』
世界を見る態度から、余計な考えをすべて取り除き、ただ虚心担懐に受け入れる。
その態度を極限にまで徹底させた状態を、「冷静さをどこまでも保つ」という。
『老子の教え あるがままに生きる 安冨歩著』
老師の教えを読み、一鍼堂に身を置いて見て感じて東洋医学の世界に染まり、益々面白くなってきました。
「川の水は凍らへんけど池は凍る」
一鍼堂で交わされる何気ない会話にふと気付かされることが喜びで、この環境に身を置けたことが幸いです。