学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

開放感

脈診について

長い年数をかけて習熟していくものと習う 書籍では列記されているけど、 遅数をみるのと、浮沈や虚実をみるのとでは全然ニュアンスが違うと考える 「ぴんと張った弦に触れたように、まっすぐで長くはっきりと触知できる」 このような書き表し方になるのは 脈気を捉えるためには、実際指先に触れる感覚を通して行うことになる為で 時間をかけて養っていくべきは、脈状分類の技術というより、脈に触れてリンクするため の意識の向け方なのかも知れない そもそも、この考え方は全くの検討違いなのかも知れないが今は分からない 疑問が変化した記録として

穴性について思うこと

先日母が風邪をひき、熱は下がったが咳が治り切らずに寝れないとの事で治療した。 脈は寸部が圧迫されている印象。   腹診後、腹を出した状態で咳をする時の動き方をみる。 触った感覚と視覚的なもの、腹の動き方を確認する。 何となくここかな?と思う部分がある。   配穴では、最初手足で使う。 しばらく置いて、マシにはなるんだけどまだ残っている印象。   背中を出してもらう。   確認すると、膈兪の周辺が湿気を帯びて一部硬くなっている。 そこに鍼を置く。 しばらくすると溢れ出す鼻水。 咳も治ってきた。   後々、学術的にも考え直した。 膈兪は血会であり、本ではやはり血の鬱滞に特に多く使われている印象。   今回は、舌下の血色や舌下静脈・脈などからでも瘀血所見は見られたが、そこは痰湿が中心に絡んでいて起きたものだと感じた。 後々考えると、「血会」に縛られすぎて感覚を疑う怖さも感じた。   また、東洋医学に限らず、一面を見たものがそれが全てだと感じて範囲外の認識が見えなくなる現象は良くある。 全てにおいて太極的な視点は必要だと改めて感じた。

汗を絞りすぎない

肝陽上亢 肝陰虚のため陽気を抑えることができず、陽気が上昇し、主に上半身に動きがある熱性症状が出現した病態。陰虚の結果の陽気亢進であり、下部(肝)は陰証、上部は実証となる。めまい、耳鳴、頭痛、顔面紅潮、焦燥感、不眠、動悸、腰部下肢脱力感、紅色舌、弦細脈などを呈する。 実践漢薬学 三浦於菟 東洋学術出版社 p381 私的に肝陽上亢は前回の肝火上炎と混同しやすいです。 そうそう、肝陽上亢は肝陽上亢に似ているけれどもベースに陰虚あるのでした。 人間の身体はほとんどが水でできているとよく言われます。成人で体重の60%が水だとか。でも子供だと70%と多く、お年寄りだと50%に減ってしまうのだとか。 この身体の構成成分である水は、東洋医学でいう気血水の水であることは間違いないでしょう。水は陰陽に分けると、陰の性質のもの。それが加齢とともに減っていくということは、陰虚体質になっていくということ。 私はホットヨガに8年ぐらい通っていました。普段の生活ではほとんど汗をかくようなことはないので、デトックスにもなって身体にもいいと思っていました。そんなに頻繁に通った訳ではないですが、夏でも冬でも季節を問わず一年を通して汗をかき続けていました。 そうするうちに冷え性だった足が、冷えの感じがなくなってあったかく感じるようになっていいように感じられ、体質が変わったのだと喜んでいたのですが、どうやら良くない方向の陰虚体質になってたみたいです。その頃から寝汗をよくかくようになったり、生理が早まるようになっていました。(さすがに肝陽上亢の症状にまではなってませんが) なので気虚や血虚など虚証体質の人はホットヨガに気をつけてください。どんどん身体の潤いを失って陰虚体質になって老化が進んでしまうかも知れません。特に40歳以上の方は更年期が早まったり、更年期症状が悪化しやすくなるかもしれませんので注意をしたほうがいいと思います。
新緑がさらに色濃く

治療問診の中で

数年前よりずっと体が重い と訴えられる方 先週の治療から当日までの調子を尋ねたときに 前回の治療のあと帰りから軽い「けど」まだしんどい。 他の点でも状態は良い「けど」まだ悪い、という矛盾表現が印象的だった 脈診がよく分からない自分にも治療前の左右のバラつきが治療後に 整うのがはっきりと分かる、お腹の全体のおさまりが良くなったと感じられる 数回目の治療で体にそれまでに見えなかった調子が現れていることが感じられる 今週のコンディションは良い状態にあることに違いはないが、 そのことを受け入れる準備が整っていない それは葛藤の様なものとして映った 治療的にはどんな意味を持つものになるのか

柴胡桂枝湯

まずは方剤の勉強から 柴胡桂枝湯 組成は小柴胡湯+桂枝湯からなっています。 小柴胡湯 柴胡 黄芩 ーー清熱和解 人参 炙甘草 大棗 ーー益気調中 半夏 生姜ーー和胃降逆 柴胡が肝胆の疏泄機能を調節し、少陽経気の流れを通じさせ、黄芩と合わせることで少陽経の邪熱を清する。本証は邪気が体質の虚に乗じて少陽系に入り込んできた病証なので、益気薬を用いて邪気の伝変を防ぐ必要がある。本方は清熱薬と益気薬を配合した扶正去邪の方剤である。 桂枝湯 桂枝ーー解肌発汗 温経通陽 芍薬ーー和営斂陰 生姜ーー桂枝の解肌発汗を補佐 大棗ーー芍薬の和営養陰を補佐 炙甘草ーー諸薬の調和 桂枝と芍薬は一散一収して衛気と営陰を調和する扶正去邪の方剤である。芍薬の収斂作用は、桂枝の辛散による正気の損傷を抑え、桂枝の辛散は芍薬の酸収による邪気の閉じ込めを防ぐ働きがある。 漢方方剤ハンドブック 東洋学術出版社 特に起床時と就寝前くらいによくゾクゾクした寒気を感じていたので、中医学的に考えると、衛気の運行が脈中と脈外の間で入れ替わるような不安定な時期に寒気を特に感じていたのかもしれません。 柴胡桂枝湯を飲み始めてからの変化ですが、確かに寒気はなくなったように思います。著しい寒波がなくなったということもあるかもしれませんけど... あと膈内のひきつり感もほぼほぼよくなったのではないかと思います。あと一年ぐらい前から急に視力が落ちた感じがしていて気になっていたんですが、それも回復しているようにも思います。特に夜に自転車に乗るような時はかなり見づらくなっていたのが、あれ?目がよくなってる?と思えるくらい、ライトで光るお店の看板や信号がクリアに見えるようになっています。肝は目に開竅するというので疏肝作用の改善の恩恵でしょうか。 でもまだ改善できていないところもあるので、ここに理気薬を加えてみたいです。  

朱丹溪の処方について。

反佐論 『たとえば近代の医家が宗とし法とするものに丹渓の書がある。その朱丹溪が呑酸を治療する際には炒黄連(さおうれん)を君とし呉茱萸(ごしゅゆ)を佐とする《左金丸》のが常である。また心腹が痛むものを治療する際には、山梔子(さんしし)を倍加して炒乾姜(さかんきょう)を佐とするとよいと言っている。このように寒薬を君とし熱薬を佐とするような処方の構成は、私には理解できない。もしその症状が熱によって出ているものなら冷やせばよいだろうが、どうしてさらに呉茱萸や生姜といった熱する薬を用いるだろうか。もしその症状が寒によって出ているものなら熱せばよいだろうが、どうしてさらに黄連や梔子といった冷やす薬を用いるのだろうか。・・・その疾病の原因を理解できないので、熱薬を用いたり寒薬を用いたりするのである。また、病状と方剤の寒熱が同じか違うかを判断できないので、その病気に対して真の見解を持つことができず、寒熱両方の見解を持ったまま治療していくことになるのである。これが医家における病の最たるものであり、自分自身を深く反省しよく戒めなければならないところである。』 黄連  :清熱燥湿、清熱瀉火、瀉火解毒 呉茱萸 :暖肝・散寒止痛、下気止嘔 山梔子 :清熱瀉火・除煩、清熱利湿、清熱涼血・止血、清熱解熱 炒乾姜 :温中散寒、回陽通脉、温肺化痰・化飲 左金丸(別名:回令丸、萸連丸):清肝瀉火、降逆止嘔 君薬 :主となる病態を治療するもので配合薬の中で最も重要なもの 臣薬 :君薬の作用を強めたり主証に付随する兼証を治療するもの 佐薬 :君薬・臣薬を補助するもの 使薬 :諸薬を調和したり服用しやすくするもの   張景岳は景岳全書の陰陽論の中で劉河間と朱丹溪を、陰陽に対しての治療方針について批判的でありましたが、反佐論の中でも丹渓の書を用いて説明がされています。 病因の把握、治療方針の見立てなど、歴代の医家達にも様々違いがあるように難しいところなのかと思います。 そして、そこが研究し続ける重要なテーマに思います。   【参考文献】 『現代語訳 景岳全書 伝忠録』たにぐち書店 『中薬学』東洋学術出版社 『方剤学』医歯薬出版株式会社 『新版 東洋医学概論』医道の日本社

しゃべる訓練など

  しゃべる訓練 しゃべる訓練として自分語りをします。   先日一鍼堂で「なぜ鍼灸師になろうと思ったのか」と言った話を先生とした。   その時にお伝えした内容ですが、それよりもっと前になぜ医療をやりたいのかと言った問答が自分の中にあった。   大学生一回生の時、情報基礎倫理の授業で 「グラスに入った水が半分残っています。 これをどう考えますか?」   と言ったテーマで講師が話していた。   その問いに対して 「残り半分もある」 「残り半分しかない」   どう捉えましたか? と言った内容だった。   話を聞いていて、ふと陰陽の考え方がよぎった。   グラスには水の入った部分もあれば空の部分もある。   全てには逆の側面がある。   もちろんその先もあるが、ほとんどの事象はそう。   世間一般の良いや悪いの評価に対して 何でお前らに決められなあかんねん、と疑問を抱いていた中で出会ったそんな考え方。   自分の中にドカーン!と言った感覚があって、その日の学校の帰りは見るもの全ての逆の側面を見るようにしていた。   東洋医学の中にある考えの一つに触れ、それが何なのか知ってみたくなった。   何となくですが、その先に自分みたいなしんどい人が救われる未来があるのかなと医療人を目指したような気がします。   過去に囚われるのは良くありませんし、そこに縛られている訳でもありませんが、先へ進む為にもいい振り返り方はありかなと感じた。     カフェにて 老子を読んでいて、ボーッとしながらふと周りの景色が入ってきた。   その時に大きく飾られていた世界地図を見た。   ありきたりな感想ですが、   「日本って小さいなぁ」   そう思いました。   この狭い国の中でさらに狭いコミュニティに縛られる必要はない。   もっと広く、大きなものを。   世界地図だって宇宙を含めたらまだまだ狭い。   どこまでも伸び伸びと。   思い浮かんだ逍遥という言葉。   単語としては一番好きかもしれません。     何も抱かない   何か不満が募る。   そこは出した方がいいかもしれない。   でも、そこを抱かない事が一番大切。   最初からなければ何も生まれない。   何に焦点を当てて生きていくか。   スッキリした人間でありたい。     腹部と経穴 習った腹部のエリアと経穴を一致させるために、心経の穴のみをを軽く刺した。   刺した後に感じる腹部の変化。   変化を感じる事ができて良かったです。

食について

過食や、少食は万病の元だと考えます。 生き物は気、血、津液から構成されています。 この気、血、津液は食べ物から構成されています。 だから、食べ物は生き物が正常に生きていくには、正常に食べ物を摂取していかなくてはならないと考えます。 そして、食べ物を化成しているのは主に脾の役割です。 なので、脾の失調は万病の始まりとも言えるのではないでしょうか? 少食になると、脾で食べ物を水穀の精に変えることが出来なくて、気血津液を化成することが出来なくなり 臓腑機能の失調や、気虚、血虚など、虚症が顕著になるのではないでしょうか。 たしかにお腹が減っている時は頭がボーってしたり、体に力が入らない時が多々あります。 しかし、少食は食べたいけど食べ物がないから食べない時と 食べ物を食べてないけど、お腹が減らないという2種類があると思います。 前者よりも後者が問題だと考えます。 食べてないのにお腹が減らないということは生理的な現象に反します。 これにはどのような原因があるのでしょうか? やはり、一つに脾の機能失調があるのではないでしょうか? 逆に過食になると、脾胃が食べ物を精に化成できる容量を超え、食べ物が脾胃に溜まってしまう。 そうすると脾胃を傷つけててしまったり、食滞、食積が溜まって、痰に変化して、あらゆる場所に病を起こしてしまう。 これも食べても食べてもお腹が減ってしまうのは生理的に異常があると考えます。 食べても運化されずそのまま流されてしまったり、 身体に気、血が十分に行き渡らずにずーっと運化してしまって食欲が抑えられないなど、多々原因はあると思います。 食べ過ぎて太っている方や、少食で痩せすぎな方も、 意志が弱くてそうなってしまっていると考える方が多くいますが、 東洋医学的に考えると根性論ではなく、病の一つとして考えることもできます。

胃の冷えと肝経

太衝穴を調べていると、瀉法に灸を配すと暖肝散寒理気の効能を持つとの事です。 その効能は湯液における呉茱萸、橘核、茘枝核、小茴香などの効に類似 <治療範囲> 3.肝経経脈上の病変 太衝は、厥陰肝経の経脈、経別の循行路線上で肝と関係する膝、大腿、陰器、小腹、少腹、上腹、膈、乳、脇肋、眼目、巓頂、喉、口唇などの部位を治療することができる。   との事です。 ここで巓頂とあったので、呉茱萸で治せる厥陰頭痛にも使えるのだろうなと思いました。 厥陰頭痛は頭頂部に起こる痛みとされます。   なぜ起こるか調べていくと、 中医病因病機学 P304 「虚寒とは、中焦が虚寒で土が木を養えなかったり、命門の火が衰えたために肝の温煦作用が失調したりして、肝陽不足・陰寒内生という病理に陥ったものである。臨床症状としては、足腰がだるく力が入らない・異常に疲れる・憂鬱感・びくびくする・涎を嘔吐する・頭頂部痛などがある」 という事なのですが、慢性病の事しか言っていないのであまりしっくり来ませんでした。 確かにその様な時もあるのでしょうが、自分の体の経験から急性病のパターンもあると思います。   高校時代、かき氷を一気にかき込んで頻繁に頭頂部に痛みを走らせていましたし、 大学時代に奈良の極寒の中コンビニでキンキンのビールを飲んだ時も頭頂部に鋭い痛みが走っていました。 どちらのパターンでもその後、しばらくは薄い大量の唾液が出る状態でした。   肝経の走行経路を見ていくと、 臓腑経絡学 P255 「挟胃屬肝絡膽:胃の腑を前と後ろから挟むように、または囲むように流注している。」 例えば、胃を強烈に冷やし、寒邪が居座る事で側を通る肝経に影響をしているなら この場合は 胃=本、肝=標 になるのではないかと思います。   そうなると一生懸命に太衝や太敦を治療しても枝葉の治療に過ぎず、 根本の胃を治さなければ治らないのではないかと思います。   胃を治す治療としては、よく中脘に灸をする様です。 大学時代の胃を痛めたパターンの時ですが、帰宅後に猫がお腹の上に乗ってきたのでそのままにしておくととても楽になりました。 思い返すとあれは中脘あたりだったので、手元に灸が無くても何とかなるのでは?と思いました。   参考資料 中医鍼灸臨床経穴学 東洋学術出版社 穴性学ハンドブック たにぐち書店 中医病因病機学 東洋学術出版社 臓腑経絡学 アルテミシア 中国傷寒論解説 東洋学術出版社

脉要精微論篇 第十七(01)

黄帝問曰、診法何如。 岐伯對曰、診法常以平旦。 陰氣未動、陽氣未散、飮食未進、 經脉未盛、絡脉調匀、氣血未亂。 故乃可診有過之脉 切脉動静、而視精明、察五色、 観五藏有餘不足、六府強弱、形之盛衰。 以比参伍、決死生之分。 患者さんが来院され、部屋に案内して暫く。 問診に入らせて頂き、四診を行うも 患者さんの全体象が掴めていないなぁ・・と反省の日々。 対峙した時の弱さをつくづく思う。 治療する側として、心持ちから何から必要なものが多々あり。 切脉一つするにせよ、無駄遣いを心掛けなくてならないと緊張感を持つ。 【参考文献】 「現代語訳 黄帝内経素問 上巻」東洋学術出版