舌を考察②
前回の続きです。
寺子屋で患者様の舌を見せて頂きました。
受けた印象は白滑苔淡白胖大でした。
このケースでの白苔に関しては、以前書いた風寒邪の欬嗽から穴性を学ぶ②で院長からコメントで教えて頂いた様に重要視しない事にしました。
この時に舌色や舌を潤す津液をよく観察するべきとも教えて頂いたのでむしろこちらを見るべきなのでしょう。
《中医臨床のための舌診と脈診》 P40
滑苔
「滑苔は寒証・湿証を示す。
陽虛のために水湿の運化ができなくなり寒湿や痰飲が内生したり、寒邪により陽気が鬱阻されて水湿が停滞したり、湿邪が停聚して痰飲が発生するなどの機序で引き起こされる。
臨床的には、陽虛による痰飲水湿の内停がよくみられる。」
以上から、前回の記事と合わせて何らかの要因で陽虛になっているのでは?と思いました。
参考資料
中医臨床のための舌診と脈診 神戸中医学研究会編著 医歯薬出版株式会社
台風の役割
大型台風が接近しています。
過去に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風並みの台風だと連日報道されています。
そんなニュースの中で台風(低気圧)は反時計回りで、高気圧は時計回りに回転していると聞いて、ふと鍼を施す時の補瀉の考えが頭をよぎりました。
鍼の手技の中で
補法は右回旋(時計回り)、瀉法は左回旋(反時計周り)の考え方があります。
となると高気圧は補の働きで、台風(低気圧)は瀉の働きになります。
高気圧は上空から地上に向かって下降気流が発生しています。
低気圧は地上から上空に向かって上昇気流が発生しています。
ネジや瓶などの蓋も右に回す→閉まる(下向きの方向性)。左に回す→開ける(上向きの方向性)
これはたまたまの偶然?
再び鍼の手技の考え方に戻って
右回旋→補法→気を集める
左回旋→瀉法→気を抜く
天気の移り変わりも陰陽のバランスの均衡が保たれるようになっていると考えると、台風は地球において高まりすぎた陽気を瀉して気を抜いているのでしょうか?
確かに台風が過ぎ去った後には、爽やかな秋晴れになることが多いかも。
病因について(1)
人が病を持つに至る過程について考えたいと思います。
健康な状態からどの様に悪化していき病に至るのか?
いわゆる病因について・・
---病因の分類---
〇三因方(三因極一病源論粋)
・外因 六淫、疫癘
・内因 七情
・不内外因 飲食不節、労逸、房事過多、外傷
〇現在
・外感病因 六淫、疫癘
・内傷病因 七情、飲食不節、労逸、房事過多
・病理産物その他の病因 淡湿、瘀血、内生五邪、外傷
現実の病因については複合的に絡みあい、時間軸も重ねれば、
外因、内因など複数の要因が影響し合っているように思います。
病証から考えれば、キッチリと分ける事は出来無いのかもしれません。
人は思っているより強く、我慢や対処を常にされているのだと思います。
そして、悩みを持つに至るのかと・・
そこで、気になったのですが親からの影響は無いのか?
『素問 奇病論篇第四十七』
帝曰.人生而有病巓疾者.病名曰何.安所得之.
岐伯曰.
病名爲胎病.
此得之在母腹中時.其毋有所大驚.氣上而不下.精氣并居.故令子發爲巓疾也.
人、生まれながらにして巓疾(てんかん)を病む者あり、病名を何と言うか?
いずこの所に之を得たるか?
病名は胎病となす。
此れ之を母の腹中に在りし時に得たるなり。
その母大いに驚く所ありて、気上がって下がらず、精気屏居(集中)す。
故に子をして発して巓疾とならしむ。
病因についての理解を時間軸で考えた場合に、今までより以上に長軸で考える必要がありそうです。
参考文献
『素問』明・顧従徳本
『図説 東洋医学〈基礎編〉』学習研究社
『新版 東洋医学概論』医道の日本社
稲垣英伸
最後の夏休み
切経を「練習」という気持ちで取組んでいて、気持ちが緩んでいました。
「学生」というポジションに甘えがありました。
「来年の今頃には臨床に立てるようにせんとな」
昨日に続き今日、2人の先生がお話しされました。
「はい」と即答できない、不安と焦り。
傷寒論を読み始め、原文を読めるようにと
先日父が漢文の読み方を教えてくれました。
後押しをしてくれる人々と寺子屋という恵まれた環境。
わからないなりにも、寺子屋で得たひとつひとつの経験を体に触れ手に染み込ませ、
自分なりに考察を重ねていきます。
寺子屋に来てもうすぐ1年。
あの頃よりかは少し成長できたかな⁈
学生最後の夏休みがもうすぐ終わります。
今日感じた経験を心に留め、
来年の今頃は臨床に立てるように
毎回、集中して本番のごとく取組むべし!
問診
問診情報こそ重要ー 自分でそうインプットした
のは何がきっかけになったか、思い返してみて
理由のひとつが案外浅いところに見つかる。
3年次に学校のある授業で、
はじめの問診でできるだけ疾患の特定までなされるべきと教えられた。
授業中は、その為の説明が訝しい内容に聞こえ、
かといって先生に何か質問をぶつけるとこもできず、
後味の悪い思いも残った。
なのに(だから?)拘っている。(おかしな話です)
でも1番は、他の診察で得る情報を整理できないからに他ならない。
それらをつなげていけるように。
不問診断学
「不問診断学でいきましょうかー」
突然の下野先生のひと言に???
望聞問切の「問」を省くということだそうです。
思い返すと…
短時間で何人もの患者さんを診ておられる下野先生は、必要なことを聞いて日頃から不問診断に近いことをされているのかなと思います。
私がやってることは、望聞問切の「問」だけです。
問診の場に色々と引き出そうと、長くなってしまいます。
それは、やはり私の中で切経と病因病機が紐付けされていないから、問診に頼りたくなるのだろうなと思います。
でも、問診しても取捨選択できないし、
果たしてそこまで必要なんか?
「頭痛」といわれて、
頭痛の病因を見てもあまりにもいっぱいで、
え?肝火かな?脾虚かな?
とかあれこれ考えるから混乱。
「難聴」「目が痛い」「鼻水」…
聞けば聴くほどいっぱい症状が出てきて、
全部調べたところで、パズルのピースみたいにピタッとはまるまで何時間もかけて、結局辻褄が合わず答えも出ず…あ、こりゃ私の身がもたへん。
何週間か前に下野先生が仰っていた
「近所だし」という言葉が今となってジワジワ来ます。
それなら、もっと大きく捉えて、清竅に行き渡らない生理学を調べた方がシンプルではないのかな?
患者さんには申し訳ないけれど、
「あ、はい、頭痛ですか」
と、サラッと通り過ぎて行った方が良いのかもしれません。
まだ1回だけですが、不問診断学、やってみると面白いですね。
今の私は聞いてもわかんないんだし、
聞いたとて結局自己満足なのかもしれません。
○ 写真のこと
ヒレンジャク
GW、実家でBBQをしていたら聞き慣れない鳥の声。
日本にいるのは冬で個体数は少なく、とても珍しい鳥だそうです。
生活癖
甘いものがやめられない。
それにジャンキーなものも・・・。
食べると確実に体調が悪くなるだろうと分かっているのに食べてしまう。
いったい何何でしょうか?
分かっているのにやめられない。
世の中にもそう言う人は多いのではないでしょうか。お酒やタバコもその代表かと思います。
私の場合はそう言う気分になるのは決まって夜です。
朝や昼間はそういうものを見ても何とも思わないのですが、夜になると無性に食べたくなってきます。そしてそんな時は必ず食べすぎてしまいます。
今、色々分析してみると、朝は睡眠から目覚め、身も心もリフレッシュしていて一番健全な状態なように思います。そんな時は気分も落ち着いていて穏やかで心に余裕があります。
昼間の活動時間になると、仕事モードに入り、自分の外のことに終始注意を払って集中している状態です。きっとこの時にかなりのエネルギー(気)を変に(正しくない方法で)消耗しているんだと思います。
そして夜になると何か昼間に失ったものを解消、穴埋めしたい気分になっているように思います。それが反動となって強刺激な甘いものやジャンキーな食べ物の欲に転化しているのではとの分析です。
東洋医学的に考えてみると
人の体は均衡を保とうとします。
昼間に陽気が旺盛になって、夜に陰分が充実する。
気は陰から転化してできる。
私の場合は、本能的に昼間に失った陽気を取り戻そうと夜に過食して(間違った方法)陰分を増やそうとしているのでしょうか? もともと陽気不足なもので。。
睡眠が陰分を増やす行為なら、過食するより早く寝た方が賢明ですね。
そしたら翌朝になって充電され、また心穏やかな朝に戻れるはず。
雰囲気など
雰囲気
最近の状況になると色々自身の課題が見えてくる。
この課題を解決する為にも自分を柔軟にしよう。
どういう心持ちならその雰囲気になるか、どうすれば解除できるかも体感できた。
今は鍼灸師として生きていくための振る舞いが勉強になる状況だと思う。
自身の成長の機会として存分に活用させてもらおう。
環境ではなく自分を変える。
電車の中で
乗車中、座っていると横に人も座っていないのに隅に寄っている自分に気づく。
無駄な気遣い。
緊張が生まれて体が硬くなってしまっていた。
いらないものでした。
鬱
最近、鬱の雰囲気を鮮明に感じる事が出来た。
先にあると事前に察知できていれば避けれるものなのかもしれない。
治療問診の中で
数年前よりずっと体が重い
と訴えられる方
先週の治療から当日までの調子を尋ねたときに
前回の治療のあと帰りから軽い「けど」まだしんどい。
他の点でも状態は良い「けど」まだ悪い、という矛盾表現が印象的だった
脈診がよく分からない自分にも治療前の左右のバラつきが治療後に
整うのがはっきりと分かる、お腹の全体のおさまりが良くなったと感じられる
数回目の治療で体にそれまでに見えなかった調子が現れていることが感じられる
今週のコンディションは良い状態にあることに違いはないが、
そのことを受け入れる準備が整っていない
それは葛藤の様なものとして映った
治療的にはどんな意味を持つものになるのか
院長の治療を受けて(平成30年12月)
院長の治療を受けております。
【主訴】
背中の痛み(肩甲骨内側と下部周辺の張痛)と
慢性腰痛(痛みは軽微で動作開始時痛)。
出来るだけ、些細な変化も記憶に留めておきたいと思い、身体の全体を観察します。
治療に関しての全てが”学び”です。
問診での着目するポイント、
舌など望診における情報をキャッチする速さ、
繊細でありながら落ち着いている切診の感覚。
そして、治療。
背中の痛み関しては即座に無くなります。
腰部の痛みについては、
朝の起きる際やソファーに長時間座った後などのスターティングペインなので、
この時には変化は分らなかったですが、効果は翌朝に十分感じ取れました。
伝えはしたものの、後回しでも良いと考えていた膝の痛みも同時に無くなります。
結果、
嘘のように無くなっています。
鍼を受けて寝ている際に、身体に集中すると
手指の末端がピクピクし、腹部も微妙に内部が動くのを感じます。
刺鍼と、この感覚。結果を思うと、
身体を巡る気血や臓腑からの学術と臨床の関係を感じるに十分です。
日頃学ぶ東洋医学の論理を目の当たりに体感できた素晴らしい時間です。
『開業以来、鍼一本。』
この”鍼一本”の可能性の楽しさを見せて頂いたように思います。
















