学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

毎朝見る光景。自然と空の様子が目に映ります。

側・舌

側 豊中院で先生の身体をみさせて頂いた。 先日寺子屋でここを見といてくださいと言われた部分に反応があった。 中に差し込んでいる様な形。 背候診の時もついでに触って様子を伺う。 停滞している印象。 少陽枢機不利が原因かと思った。     舌 今日患者さんの問診、切経などさせて頂いた。 その患者さんを含めて思う事。 舌を見て、 「子供の様な舌だな。」 と思う方がちらほらいる。 このあたりは持って生まれたものではなく、臓腑の現れ方として共通するものがあると思う。 水の溢れ方も特徴的。

夏の終わりの勉強会

季節の変わり目、昼夜の寒暖差、 厳しい暑さの後の夕立、体がブレやすい時期になってきました。 今朝は夜に雨も降り、ずっとONにしていた冷房を止めました。 朝6時の気温は23度と夏の装いでは少し寒いです。 それでも電車の空調は寒いし、 突然の雨で濡れて冷えることもあります。 夏の疲れが出たのでしょうか。 私の弱い所にブレが出てきて不調気味です。 臨床に出て初めての秋を迎えます。 季節や天候の変化が体にどのように影響を与えるか、体の反応を追いながら学んでいきたいです。 寺子屋の勉強会にて。 上述した状態の体を寺子屋の勉強で診てもらいました。 切経を繰返している間に反応はどんどん変わるし、体調もコロコロ変わります。 患者役になるのは久しぶりでした。 受け手側からの発見ですが、 早く終わらせる事に注力しすぎたり、集中していなかったり、色々他のことを考えながら切経をすると患者さんに全て伝わるなと思いました。 今回は、一穴鍼を置いたら切経を繰返し、 体がどのように変化するか診ていきました。 下肢もまた尺膚診のように考えられるのか? と仮定して、脈、お腹の反応の位置と絡めて取穴してみました。 この考え方では整合性が合わないことも 出てくると思いますが文献を探したり 臨床の場で見立てに沿って検討していければと思います。

素問 陰陽応象大論篇(第5)から その3

<学生向け 近日開催予定のイベント> 【学生向け勉強会のお知らせ】東洋医学概論をモノにしよう! →(随時お問い合わせ受付中です!) 【学生向け勉強会】「素問を読もう!」申込み受付中です →毎週火曜19時〜 または 毎週木曜13時〜(途中からの参加も可能です。) こんにちは、大原です。 前回の続きです。 (前回の記事→素問 陰陽応象大論篇(第5)から) (前回の記事→素問 陰陽応象大論篇(第5)から その2) 前回は、「陰為味」すなわち 飲食物は陰(地)の気によって生じるという記述から 考察していきました。 続いて、今回は「味」と「気」が 身体にどのように作用するかについてを 陰陽で考察していく内容になります。 【原文と読み下し】 ・・・ 陰味出下竅、陽氣出上竅。(陰味は下竅に出て、陽気は上竅に出(い)ず。) 味厚者為陰、薄為陰之陽。(味厚き者は陰と為し、薄きは陰の陽と為す。) 氣厚者為陽、薄為陽之陰。(気厚き者は陽と為し、薄きは陽の陰と為す。) 味厚則泄、薄則通。(味厚ければすなわち泄し、薄ければすなわち通ず。) 氣薄則発泄、厚則発熱。(気薄ければすなわち泄を発し、厚ければすなわち熱を発す。) 壮火之氣衰、少火之氣壮。(壮火の気は衰え、少火の気は壮んなり。) 壮火食氣、氣食少火、壮火散氣、少火生氣。(壮火は気を食らい、気は少火に食らい、壮火は気を散じ、少火は気を生ず。) 氣味辛甘発散為陽、酸苦涌泄為陰。(気味の辛甘は発散して陽と為し、酸苦は涌泄して陰と為す。) 1行目ですが、 味(身体を作る飲食物)と気(身体を動かすための力)は、 味は有形なので身体の下竅(=尿道・肛門)へおもむき、 気は無形なので身体の上竅(=目・耳・鼻・口)へおもむく、とあります。 この関係からすると、味と気を陰陽で分けると、 味は陰で気は陽となります。 そして2〜3行目、 厚い味は陰で、薄い味は陽、 厚い気は陽で、薄い気は陰であると続きます。 すなわち、味は陰に属するので、 厚い味は陰中の陰、薄い味は陰中の陽であり、 気は陽に属するので、 厚い気は陽中の陽、薄い気は陽中の陰である、とあります。 これは 陰が厚くなればさらに陰に傾き(=陰中の陰)、 陽が厚くなればさらに陽に傾く(=陽中の陽)ということです。 気や味について陰陽の分類がなされていますが、 これらをよりイメージしやすくするために 次のように具体的な食材を考えてみました。 (私のイメージですが・・・) ・厚い味 → 濃い味の食べ物:ラーメン、スイーツ、お酒のおつまみ、・・・ ・薄い味 → 薄味の食べ物:おかゆ、豆腐、生野菜、だし汁・・・ 気についても、飲食物で喩えてみると分かりやすいかも知れません。 ・薄い気 → 程良い温度の料理、水、番茶、・・・ ・厚い気 → お酒、熱々の料理、わさびなど鼻がツンとする薬味、・・・ といったところでしょうか? これらが体内ではどのように働くかが4〜5行目にあります。 味厚則泄、→「泄」は泄瀉で下痢のことです。 薄則通。→「通」は気血がよく通じるということでしょう。 氣薄則発泄、→「発泄」とは発汗ということだと思います。 厚則発熱。→「発熱」はそのまま熱を発するということでしょう。 6行目から、「少火」と「壮火」という言葉が出てきます。 「壮火」とは壮(さか)んな火で、「気を散じ」とあることから 過度な陽気を表していると解釈され、これに対し、 「少火」とは「気を生ず」とあることから 正常な陽気を表していると解釈されます。 喩えると、 正常な体温ではなく、発熱した状態が続くと 体力が消耗してしまうようなことだと思います。 最後の行では 味の性質についての説明で 辛甘は発散する性質があるので陽、 酸苦は涌泄させる性質があるので陰、 とあり、五味の性質が書かれています。 「涌泄」とは吐下の作用すなわち 吐かせたり、下したりする作用をいうようです。 さて、五味の性質を陰陽で分けていますが、 なぜこのように分類されるのでしょう?考えてみます。 「辛」→ 働きは「散」 → 発散に働く → 陽 「甘」→ 働きは「緩」 → 気を緩める → 停滞している流れを動かす → 陽 「酸」→ 働きは「収」 → 引きしめる作用 → 陰 「苦」→ 働きは「堅」 → 固める作用 → 陰 (五味の働きについては 前回の記事→素問 陰陽応象大論篇(第5)から その2 を参照ください) ということでしょうか。 また、五味にはあと1つ「鹹」がありますが ここでは述べられていません。 考えてみますと 「鹹」→ 働きは「軟」 → 柔らかくする → 陽 となるかと思います。 味や気について、身体への作用を、 陰陽で考察してきました。 全体として抽象的な内容ではありますが、 自分なりに具体例を考えていくと面白いかも知れません。 参考文献 『黄帝内経 素問』 東洋学術出版社

「11/10(土) 漢方薬「桂枝湯」を学ぼう!」の感想

講師は大原先生より学びました。 傷寒論より太陽病~厥陰病を説明され、 実際に桂枝湯を煎じ、飲用を楽しみながら温かい時間を過ごさせて頂きました。 学生の身で、混沌の日々を過ごしておりますが 通行人や電車で同乗する人達を観る際に、仕草や素行を観察してしまいます。 例えば この人は落ち着きがない、汗が多い、座り方が横柄、疲れてる、顔色が悪い、 歩き方、目の力強さ、物の持ち方、声の大きさ、、、、 その標は?本は? 虚している?、実している?、陽虚?、陰虚?、内熱?、肝気?、腎虚?、、、、と しかし、本日の漢方講座を経験すると、今までは力の入り過ぎた感覚で見ていた様に思いました。 飲用より身体を整えていく感覚を思うと 力を抜いて観察し、全体像より症状とか異変の把握に努めなくてはならないと感じました。 臓腑を補した影響が、体全体へと達すると思えたからなのでしょうか。 この”『補する』を重点とする”という事を 「10/7(日) 学生向け勉強会」後半戦の院長特別講座で教えて頂きました。 その後半戦のフィーリングは一つの起点となっていますが、共通項を得られたのが本日の収穫の一つです。 大原先生、お疲れ様でした。 いつも配慮頂く院長に感謝いたします。ありがとうございました。 【番外編】 (講座が終了し、方剤の効能についての雑談中) 大原先生 「・・は腎陽と腎陰の両方を補うんですよ。逆じゃなくて両方を補えるんです!」 稲垣 「なるほど、太極を大きくするのですか・・」 と返答した際の大原先生の顔が 『稲垣、易経できやがったな』的な顔は脳裏から離れません( ̄▽ ̄)

所見の記録 2

(前回の続き) 眠りが浅いようで一度目覚めると 覚醒してしまって寝付けない。 譫語など、その他の症状から 心火亢盛は当てはまると言えそう。 陰分の枯渇が著しく、 同時に上気しやすく重しが効かない。 これにどう処置がとれるのか。(とるべきか) また、どのような経過をたどり、 バランスを取り戻していくのか。

傅と傳

霊蘭秘典篇 第八 黄帝問曰・・ 心者、君主之官也。神明出焉。 肺者、相傅之官、治節出焉。 肝者、将軍之官、謀慮出焉。 胆者、中正之官。決断出焉。 膻中者臣使之官。喜樂出焉。 脾胃者倉廩之官。五味出焉。 大腸者傳道之官。變化出焉。 小腸者受盛之官。化物出焉。 腎者、作強之官、伎巧出焉。 三焦者、決瀆之官、水道出焉。 膀胱者、州都之官、津液蔵焉、気化則能出矣。 凡此十二官者、不得相失也。・・ 十二の臓腑を政府の官職に例えて働きを説明している章ですが、似ている字があり確認の為に書き留める事といたします。 肺  :相傅之官(そうふのかん) 大腸 :傳道之官(でんどうのかん) 傅(ふ、ぶ) 1⃣もり、かしづき、もり役(左右に奉侍して養育する職) 2⃣ひかえ、かはり ・ ・ 【傅育(ふいく)】まもり育てる、保育 【傅相(ふそう)】もりやく、つきそい 傳(てん、でん)”伝”の旧字体 1⃣つたへる、つたわる 2⃣のべる 3⃣おくる ・ ・ 【傳意(でんい)】わが心を他へつたえる 【傳記(でんき)】人間の一代の事がらを記した記録 『霊蘭秘典篇 第八』の官位への例えですが、”心”を中心として役職を配置していますが、それが解剖学的とも思え、例えば”脾胃”を中心として他の臓器の配置してみたらどうなるのかと・・ 【参考文献】 『大漢和辞典』大修館書店 『現代語訳 黄帝内経素問』東洋学術出版社

自習

新しい本に入りました。 今はこの本です。 今まで読んだことがなかった斬新な切り口で面白いです。 特に冒頭に書かれている六部定位の脈診の考え方に感心しました。 右手 肺→リンパ系 脾→消化吸収 腎陽→カテコールアミン 左手 心→アドレナリン系 肝→自律神経系 腎陰→コルチゾール系 ーー漢方治療の診断と実践 漢方水嶋塾講義録 三和書籍 よりーー 西洋医学での現象とリンクさせた考えはとても興味深いです。まだ読んでいる途中ですが、どうやら経方医学の著者の江部洋一郎先生の考えがベースのようです。 また宿題が増えそうです。  

中国の思想(08)

老子 六十三章 聖人は大をなさず 為無為、事無事、味無味。 大小多少、報怨以徳。 図難於其易、為大於其細。 天下難事必作於易、天下大事必作於細。 是以聖人終不為大。 故能成其大。 夫軽諾必寡信、多易必多難。 是以聖人猶難之。 故終無難矣。 無為をなし、無事を事とし、無味を味わう。 小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳をもってす。 難きをその易きに図り、大をその細になす。 天下の難事は必ず易きより作り、天下の大事は必ず細より作る。 ここをもって聖人はついに大をなさず。 故によくその大を成す。 それ軽諾は必ず信寡く、易きこと多ければ必ず難きこと多し。 ここをもって聖人すらなおこれを難しとす。 故についに難きことなし。 (引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P101~103) ” 怨みに報ゆるに徳をもってす。” 解説の中には「大戦後の蒋介石による対日政策の基調をこの言葉に置いたのを 民族の総意の表現だったと見られる。」とある。 中国大陸に残留孤児が多かったのを 民族性と連ねる説を読んだことがあり、符合するように思います。 その地域性を感じる事ができたようで、面白く思いました。 そして日々の生活の中で 決して偉そうにしない”立場ある人”と出会う度に、 丁寧に一つ一つを対応される姿をみて感心することがあります。 この延長線上に大事ができるのだろうな、、と思います。 先ずは、小さな事をおろそかにしないように心がけたいと思います。 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店

噯と曖

読み物で、漢字の微妙な使い方の違いに時折立ち止まる事があります。 例えば、『井、滎、兪、經、合』の”滎”が”榮”となっていたり。 「ん?」となってしまう時です。 今回は”噯”と”曖”について 口へん、日へんの微妙な違いなのですが。 噯(あい) 1⃣いき。あたたかい氣。 2⃣おくび。 曖(あい) 1⃣かげる。かげって、ハッキリしない。 2⃣くらい。暗くて見えない。 ↓ 例:曖昧(あいまい)ハッキリしない。紛らわしい。 つまりゲップは ”噯氣(あいき)”であって”曖氣(あいき)”ではないのですが、この漢字の入れ替えが多いように思います。 因みに ”噫気(あいき)”もゲップ。 噫氣(あいき) 1⃣吐き出すいき。呼氣。 2⃣おくび。食べた過ぎた時など、胃にたまったガスの口腔外に出るもの。 噯氣(あいき) 1⃣おくび。吹呿。噫気。 噯の意味より、噫氣よりも噯氣の方が少し温度が高いゲップに感じるのは気のせいでしょうか。 【参考文献】 『大漢和辞典』(株)大修館書店

卒腰痛

先日経験した卒腰痛について。 過去経験したなかで最も激烈な痛みを伴うものだった。 昼間、仕事中からシクシク痛んでいた。 数日前から多少気になってはいたが、晩悪くても翌朝には動けていたし、軽く見積もっていた。 振り返ってみると、根拠もなしに、きちんと見立てることをせず、見ようとしていなかった。 昼間から、腰を庇いながら動いていた。 陽も落ちて、1日の疲れもあり、 衛気の働きが低下していた為なのか。 他方では、何かにつけて苛々していて感情面の起伏が自覚されていた。 歩けていたので庇いながら帰ろうと考えていた。 寒暖差のある日で、建物を出てみると夜風が冷気を含んでいた。 直後、腰に激痛が走り、体の震えが止まらなくなる。 六淫が臓腑を直接に侵襲することもある、とされる その型をそのまま体感したような心地だった。 身をもって経験してはじめて、それまで自分が 言葉が指し示すことを実際に想像することを殆ど何もしていなかったのだと知る。 それどころか、 表から徐々に傷られるのと対置しておかれた考え方、というくらいの距離感で見ていた。 悪寒、ただし寒気というより震えが先行する。 ガタガタ震えながら、足はそれ以上進まなくなり立ちすくむ中、 体をそのまま外気に晒しているのは良くない、 損傷が大きくなるばかりと感じられ、建物内に逃げ込む。 部屋に戻ってからは安静にしていたが、 直接に裏へ入ったことを示すように、急転悪化する。 横にした体は寝返りを打つにもうめき声を上げながらでないとできない。 護りをまるで失っている状態に近く、危機的な状況と感じた。 何をしていても痛く、 普段どうしてこの痛みが生じないのかが不思議に思えた。 体は動かせないが何か食べないと駄目だと思った。 小便など積極的な排泄も必須だと思った。 半日かかって一番悪い状態からは脱したものの、 弱りきった状態で、あのとき身を置いていた環境がまずければ、 もっと拗らせていたことは容易に想像できる。 未だ痛みに伴い腰の虚脱感が左脚後面を足部までつたう。 からだについて多方面から捉え直す契機にしたい。