施術日記(03)
T.I 先生との治療練習3回目です。
週ごとに、同じ経脈上に刺鍼する事で変化をとります。
舌診の鍛錬
【目的】
① 一週間前と同穴にて、鍼の番号を変えて違いを診る。
② このシリーズは今回で3回目。
鍼の ”前後” という短期的にできる変化とは違う、中期的な変化を探す。
舌の中央の苔・裂紋には長い歴史を感じるので、
この変化を狙うのは、
長期的に考えなくてはならないのかもしれません。
舌尖と舌辺の赤みは、ぼんやりといつものようにある。
舌の出し方に、強張った感じはみられない。
陰陵泉(右):0番鍼にて置鍼(5分)
一段と力が抜けたように感じる。
刺鍼後には舌尖と舌辺の赤みは、淡く穏やかになるのはいつもの通り。
舌の水分量の違いが、事前事後で間違いなく変化する。
2週間前は・・
この2週間前に舌診した際、
舌の出し方が右へ傾いていたのが特徴的でした。
舌尖の尖がり具合や舌の周辺の赤みは現在もありますが、
現在は少しマイルドになっているように感じます。
ご自身で治療をされているのもあり、
このシリーズでの正確なエビデンスという訳ではありませんが、
変化は感じられます。
突発性難聴、受付
突発性難聴
先日突発性難聴になりました。
最初は何か辺だな?程度のものがいきなり詰まり、耳が塞がった。
片耳でしたがこの間オススメ頂いた映画の通りの体験で、トンネルの中に列車が入った時の耳の詰まりがずっと続く感じでした。
西洋医学的な原因を調べていくと早めの処置を行わないとずっと聞こえない様になる可能性もあるとの記事が多く、患者の視点に立つとこれは怖いことだと感じました。
同時に自身が施術者になった際は全て自己責任で行わなければいけないので、
「もし知識不足により患者の聴力を失わらせてしまったら…」と怖くもなった。
知っておかないと怖いことが沢山ある。
東洋医学一辺倒だとその辺の責任が取れない事もあるのでしっかり勉強しないとなと再認識させられる出来事でした。
東洋的に考えると脈も沈んでおり、臓腑の弱りから生まれた邪気が下焦に蓄積して清竅への気血を送れない様にしていると思いました。
治療していただいて面白いなと思った変化が
翌日、鏡で舌を確認した時、色が少し暗めだった。
確認後5分程度で急に唾液が溢れ出した感覚があったので急いで鏡をみると色が赤みを帯びてきたと同時に表面以外にも色の変化が見られた。
治り方としては一気に治るという訳ではなく、耳が抜けたと思ったら耳鳴りに変わった。
湿邪は取れにくいので、一定の残存は見られるのだと思う。
また、施術も状況に応じて変えていく必要性も感じました。
受付
対人関係でもお互いが尊重できていないと治療にならないと言った事を最近感じる。
素直な人は鍼も薬も効きやすいと聞いた事もあり、自身でもそれを感じる事がある。
受付の仕事としては先生の治療しやすい環境作りが主になるものだと思いますが、
案内する前の患者さんを治療の受けやすい状態で送り出す事も将来的な自身の治療に繋がると感じました。
一般的に正解とされる様な対応を一様に全ての人にとっていてもそれが下準備として正解になる訳ではない。
どの様に相手に映るかも考えていかないといけないと思います。
色んな人の空気、態度、言葉遣いが勉強になります。
様子など
様子
まれに中の様子がわかる事がある。
先週は顕著で、隣の部屋の様子が映像化された。
勘違いかもしれませんが感覚として残しておきたいと思います。
流れ
受付をしていて乱れ始めると何かが起こる。
不思議です。
正しい流れの時は乱さない様に流れに沿っていきたい。
自分の性質
うんざりする事が多い。
その後の立ち上がり方も含めて見直していきたい。
先週聞いたこと
自分の腹でも確認。
取れなかったけど、あの人もこんな感じだったのかな。
次回以降この部位も取れる様になりたい。
力
昔よりは余分なものは減ったと思う。
でも残っている部分がまだまだ沢山ある。
心と体は切り離せないなとつくづく感じます。
脈
人にとらせてもらった。
尺部を深めに抑えた時、全身?で感じる何かがあった。
深みに入れた感覚はあったけど、それが何なのか分からない。
経験として置いておきます。
春
試験が終わり、色んなことに挑戦する余裕が出てきました。
色々調べていくと、1、2回生の時の様に好きな事に浸かっていき、その中で想像が膨らんで楽しいです。
最近は「生きるとは何なのか」といったテーマで調べ物を進めています。
その中で季節感というものも改めて取り入れたいと思いました。
今の季節で言うと春に何を感じるか。
1日1日と変わりますが、今は冬のキリッとした厳しさに比べてフワフワする日が多い様な…
色々体感しながら学びを進めていきます。
血の色は赤い
血液の赤色はどっからきているのか?
西洋学的に考えると赤血球に含まれるヘモグロビンの色だと学校で習いました。
ヘモグロビンは鉄(ヘム)とタンパク質(グロビン)が結びついたもので、この鉄が赤色素を持っているためです。
いっぽう、東洋医学的にはどうなのかというと話が複雑になります。
血は水穀の精微と腎精から化生される とあります。
二通りのパターンがあるようです。
パターン ①
飲食物が脾胃の運化を受けて水穀の精微に転化したのち、営気によって脈中に滲注し、肺に上輸されて清気と合するとともに心火(心陽)の温煦を受けて赤く変化し血となる。
つまり消化管で得られたエネルギーの素みたいなものを肺と心まで運び上げた後に、心のパワーで温められてようやく赤く変化するらしいのです。それまでは無色なのでしょうか?
パターン②
腎精化血であり、腎陽の温煦により腎精が血に転化して脈中に入る。
この書き方だと腎の温煦でも赤くさせるのかがハッキリしません。でもきっと心と同じように温煦パワーで赤い血になっているのでしょう。
そういえば西洋学的に腎臓から産生・放出されるエリスロポエチンというホルモンが、骨髄での赤血球を産生を日々促しつづけているので、ここでは怖いほどシンクロしていますね。
因みに、エビやタコは青色の血(銅の色)、植物は緑色の葉緑素(マグネシウムの色)だそうです。
(基礎中医学 神戸中医学研究会 p19参照)
鍼治療を受けて⑤
刺激というとき、まず物理的な接触(による操作)を想起する。
力、力量、力の方向を連想する。
学校の授業で取り扱われたのは専らこちらで
刺激量の調節が大事とされた。(自分は学生時代にはそう解釈していました)
もし自分が誰かに腕を掴まれたのなら、
もっと大きな力を出せればそれを振り払うことをする様に
加えられた力には一定の抵抗が生まれるはずで、
痛くないように打鍼する技術は教わりながら
学生時代に感じていた違和感は、
ニュアンスがこれに近いのかも知れない。
でも実際は治療を受けているからだのうえに起こるのは、
ほんの些細な“刺激“でそれまで経験しない、想定していない反応が始まる。
ぜんぶ内側で起こっていて、自分の一番静かなところ
から大胆に動かされる様な感覚。
定期的に治療を受けていても、
今日どんなふうに展開するのか分からない(のでドキドキする)
(疑問も募る。これだけのエネルギーは普段いつどこで発露しているのか)
ツボの存在について、ひとつ新しい気持ちで検討できそうな気がします。
現代語訳 景岳全書
現代語訳 景岳全書 伝忠録
著:張景岳 訳:伴尚志
今の自分のレベルを考えたら、”原文からのディテールの正確さ”よりも
精度が落ちたとしても全体像の把握を優先したいと考え、
たにぐち書店さんの景岳全書を選択しました。拝読いたします。
いきなり、劉河間や朱丹溪をディスっているので、
何故そういう考えに至ったのか・・理由を知りたいと思います。
【参考文献】
『現代語訳 景岳全書 伝忠録』たにぐち書店
単純化など
単純化
ありがたい事に最近色々やることをやらせて頂いている。
すると色んな余計なものが入りにくくなってきた。
余裕が無くなるとミスを起こしてしまう傾向は相変わらずですが、そうならない様に自分をコントロールしていきたい。
やるべき事に向き合ってさっさとクリアしていく。
そのためにも自分の中で色々単純化させていく必要あり。
バイアスを取っ払う。
治療にも繋がる。
批判的思考
自分は裏が見えていない事が多々ある。
何か形を受け取ったものも、内包されるものが違っている事がある。
その違和感に気付けるか。
先に起こるものへヒントが隠されている事もある。
思い返せばでは遅い。
ある種の健全な疑う心も必要。
清濁全て飲み込める様に。
それを瞬間に判断できる様に色々経験を積む必要あり。
繕うな
良いものを作ろうとした時、そこへ自分がどの程度関わる事が良いか。
まだ配分が上手くいっていない。
目的の達成のためにどうすればいいか。
人を信じてお任せするところはする。
お任せして良いかわからないなら相談する。
そこを任せられないのもある種のエゴ。
自分の弱さ。
人と向き合う
どんな忙しかろうが寺子屋の時にお身体を貸して頂いている患者さんにきちんとで向き合う。
向き合い方が全然足りない。
患者さんに限らず、大切にすべき人たち全員に言える話だと思う。
となって来ると相手への話。
本質的に大切なのは相手の事をどれだけ考えれるか。
良い面も悪い面も向き合う。
というか善悪なんてないから。
それがどの様な現れ方をするかというだけ。
わかっていたら躱せるものも増えてくる。
意識
受付にて
働いていて、脳がオーバーヒートを起こす様になる前の段階の自分の空気を変えないと。
一度先生が気を使ってくださり空気を変えて受付に戻った時の景色。
朗らかさな空気に包まれていた。
ああじゃなきゃいけないよな、鬼みたいになってはいけない。
そこから先にあるのは争いになってしまう。
真剣にやる事は大前提として、その向かうべき方向性を修正しないと。
…
その為にも言うべき事はハッキリ言う。
でも角が立たない様に言い回しなども増やして行こう。
先生方がやってることを見ればわかる。
やるべき事は沢山あるけど、真剣に楽しんで一つ一つクリアしていこう。
変える部分が沢山あるのはそれだけ本当の楽しみが詰まっている。
今までの自分の在り方に固執してもおもんない。
枠は取らないとな〜
勝手に自分が作った抑圧するものを外す。
どこまでもいけそうな感じになる。
逍遥ってこう言うことなのかな。
昔の中国なんて今より殺伐とした世界だったからこそ出来た発想かもしれない。
通じる
相手と同じ空気になった時、感情がこちらにも通じる。
相手の心の景色が浮かび上がる?
同じ反応が起こる?
なんとも言葉で言い表し難いものですが、そんな体験がとても勉強になる。
波長の合う人と同じ状況になりやすい。
施術者目線に立つと、必然的に幅を増やしていく必要性が出てくる。
最近伝えてくださってるのもそういう事かなと感じる今日この頃です。
綺麗なところにいようとすんなよ自分。
そこから抜けたらもっと楽しいぞ。
と書いてみたものの、
また葛藤が自分に向いた。
この意識では変化が薄まる。
意識のベクトルを変えていく。
相手のことをもっと観察。
内向きを外向きに。
その為にも空虚に、冷静に。
私の相方は何なのか
陰陽とはどういったものなのだろうか?
陰は月、陽は太陽 陰は水、陽は火というイメージが
自分の中にある。
世の中の一切の物事には陰と陽で振り分けられていて、
お互いを助け合い、依存し、制約しあっていて、片方の
存在が消えれば、一方も存在しなくなるようだ。
では、もし私が陽であると仮定すると、相方の陰は
何になるのだろうか?
家族?友人?恋人?それとも人間とは全然関係のない
ものなのだろうか。
僕が生まれてこなかったと仮定してみる。
僕がこの世に存在していなければ、私の妹達には兄がいなかった。家族や、友人、恋人の記憶にも存在しない。
小学生の時クラブチームで決勝ゴールをあげたあのゴールも存在しない。
友人と他愛もない話で笑い合った日常も存在しない。
今書いてる文書も存在しない。
未来に作り上げる物も子供も存在しない。
その先続く子孫もその歴史もない。
あげればキリがないほど消えていく。
私の相方は私の歩んできた道なのかもしれない。
私の全ての道とそれを作り上げてくれた一切の物事に感謝と敬意を表します。
PS.写真は私の地元の丹波篠山の朝日です。
















