学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

実験、公孫など

珈琲 私はコーヒーが合いません。 香りや苦味が好きなんですが、身体に合わない。 自分の感覚として体感しているのは肝の暴走。 散々書籍にあることなので発見でも何でもないのですが、体感としても感じます。 じゃあ、それを思いっきり飲んだらどうなるか。 ボトルコーヒーを一本一気飲みしてみた。 自分の体の反応と術者としての感覚を飲む前、飲んだ後と比較してみました。   術者として 普段から鋭くない感覚が更に鈍くなる。 全く相手を感じる事ができない。 身体を触らせて頂く時に頭に言葉が多くなる。   体感として 自意識が強くなる。 ナポレオンはコーヒーを勇気の出る飲み物として愛用していたらしいのですが、鈍感になっただけじゃないのか。と思った。 また、時間差があるので直後には出ない。 ただ影響がマックスになった時、酒で酔った感覚になる。 調べるとコーヒー酔いというものもあるらしいです。 気逆を起こすと気が大きくなる? 脈の寸には影響があった気がします。 頭には色んな言葉が浮かぶ様に。 エゴが強くなった感覚? いつも以上に自分の世界だけで全てを完結させている気がしました。   家に帰って自分の肝経の経穴に鍼をしてある程度は和らぎましたが、躁鬱状態ってこんな感じなのかなと思いました。   手に受ける感覚 何か違和感を感じたとして、それぞれ種類が違ってくる。 細分化して言語化できればいいなと思いました。 体感として一つ重い感覚はあったので、まずはそれについて考えていく。     切経 術者と患者が合った時、そこに囚われ過ぎるのは良くないと思いました。 ベタベタ触ると段々反応も薄れ、よく分からなくなってくる。 即時即決、一回でどれだけ情報を頂けるか。 患者とどの様な意識で向き合うか、模索します。 深さも意識したい。     公孫 この穴の認識を深めたい。 奇経八脈考、症例から学ぶ中医婦人科などを中心に調べているのですが、まだイメージが掴めていません。 引き続き調べて行きます。   楽しむこと 表面的なものではなくて、この本質って何なんだろう。 考える事で遠のいていっているかもしれないけど、一旦はこの工程を踏みたいと思います。

肺は気を主り、呼吸を司る

今回はあらためて、五臓の肺が司る 呼吸についてまとめてみました。 肺は気を主り、呼吸を司る といわれています。   肺は呼吸を通して、清気を取り入れる。 清気をもとに宗気・営気・衛気などが生成される。 また、清気は体の上部へ送られて、視覚・聴覚・嗅覚・発生などを正常に保つ。   連続する呼吸運動が、全身の気を動かす原動力となる。 気を上へ、外へ動かす。気を下へ、内へ動かす。(宣発と粛降) そうして気の運行の中心を担う。 気と共に、全身をめぐる脈に気血が通され、(肺は百脈を朝す) 津液の運行が支えられる。(水道を通暢する)   当然人のいちばん身近に在って、 健康なときは特に意識することも少なく静かで、 裏では人体(心も)を成り立たせる根元的な働きを担う。 そして、そこにバランスしていること。 検討するほどますます面白さを感じるところだと再認識しました。 ____________________________________________ 【参考文献】 『中医学ってなんだろう』東洋学術出版社

何気ないひと言

先日、久しぶりに寺子屋の実技練習に参加しました。 先生が何気なく仰った一言や、行動に、 ぼんやりと、悶々としていた事、 見落としていた!と気づいた事。 ちょっと視野が拡った感じで ワクワクします。 1年前、数ヶ月前、数日前なら 先生の言葉がよく分からなかったかもしれません。 日々臨床に出て、疑問に思ったことがなければ、 今日得た気付きはなかったかもしれません。 些細なことでも 次から現場で活かそう! 勉強会や実技練習に参加すると、 モチベーションに繋がります。 分からない事、できない事を嘆くより、 それも楽しんでいけるくらい 肩の力を抜いていて歩んで行こうと思います。

張景岳曰、

明清時代、痰に関する研究は日増しに整備されていった。 張景岳は「痰には虚と実とがあり、・・・最良の治療は、痰を発生させない事である。これが天を補うということである。」 と述べている。(『中医病因病機学』第20章 痰飲病機) 気になりましたので備忘録として置いておきたいと思います。 先生方で『景岳全書』を購入するなら、”この出版社がおススメ”などあればご教授頂ければありがたく思います。 【参考文献】 『中医病因病機学』東洋学術出版社

問診

  問診をさせて頂いたが、要点を抑えて聞くことが出来なかった。   まず、主訴もそうだけどもそれがどう原因とリンクしているか。   本来のきっかけであろう可能性が大きいものではなく、枝葉の部分を主訴として来られる事も多々ある。   ただそれだと「ここが痛いから鍼して」というやり方と変わらない。   患者さんからしたら当たり前の話なのだけれども、施術者がそれじゃいけない。   重要であろう情報を汲み取り、そこから時期や広がり方、症状の特徴や進行具合、悪化条件やその他参考になるものも聞いていく。   そこから要点をまとめてパッと先生にお渡しできるぐらいでいい。   他、聞き方としてもクローズドにならない様に気をつけたい。   ありのままの情報を聞き出せないこともそうだし、患者さんの緊張に繋がりそうなものでもある気がする。   また、この間問診させて頂いた人のキッカケを考えても全員がそうなるとは思えない。   背景にある臓腑の状態も考察できそうなものではある。   ただし、弁病論治になれば見落としにつながるので臨床の場では持ってこない様にする必要があると思う。     仮説として置いておき、臨床を重ねて答えを出せる様にストックしておく。   しかし記憶系の問題は日常生活にも支障を来しやすいし、その悩みが続くと別の疾患にもつながるので大変なものだと感じた。     早く治ります様に。

患者、食べ飲み など

患者 今週寺子屋で見せて頂いた患者さん、もし自分があの人ならどういう気持ち、体になるか。   声や様子から色々気にされそう。   治療してなかったら心臓が心配だな。   生殖器関係に問題はないかな。   気逆を起こして気にされやすいだろうから、言葉遣いはどうした方がいいかな。   敏感そうだから特に時間をかけたらいけないな。   拾えなかったけど本当に心経の辺りに反応がなかったんだろうか。   あの状態なら出やすいと思うんだけれども…     食べ飲み   先日友人の結婚式があった。   そこでのスケジュールが11時〜披露宴 15時〜二次会 と言った胃腸にとってのハードスケジュールだった。   家に帰ってお腹を触ると胃がパンパン。   足では地機が硬くなっていた。   浅めに刺しても痛かったのですが、腹満は楽になりました。   舌の変化も見ていたのですが、翌日の変化など特に勉強になりました。   また、大人数は大変だなと改めて実感。   自分の課題です。     感覚 本を読みながら何かを触る。   何も見ずに何かを触る。   感覚が全然違う。   触覚だけでなく、全ての感覚がそうだと感じる。   今、きちんと周りの音を拾えているか?   それがノイズの様に聞こえるか、キチンと聞こえるかは自分の状態によって違う。   そこを聞こうとすれば別のものを拾い溢す。   こちらから行くべきじゃないんだろうな。   結局それが何なのか?とその場で気にしてる時点でダメなんだと思います。     実験   ↑の事を考えていて、先週の寺子屋ではできる限り周りの状況観察に努めてみた。   やり始めの少しの間はいい感じだったのですが、ずっとやっているとしっくりとこなくなりました。   停滞するといい感じじゃなくなる。   一気にその場の空気とのギャップが出てくる感じがしました。   理論から実践しようとしましたが、これは無理だなと痛感。   実践から理論なら可能なんだと思います。     経穴 勘違いかもしれませんが、その穴に対してどういう認識を持つかで効果が変わってくると、何となく感じた出来事がありました。   補寫といった話ではなく、刺し方でも全く違う目的になるのではないのかなと感じています。     背中 知り合いの身体を借りれたので刺させて頂いた。   普段は腹などでみますが、その時は背中で変化を追ってみた。   脾募と脊柱など一致する部分が見られて勉強になりました。
開放感

体表観察で

2021/03/31 練習で先輩の体をみせてもらった 腹部、手、足と順にみせてもらう中 両足で足部外側、踵から第5指にかけて(膀胱経の走行と一致) 著しく冷えている状態を観察した(はじめて観察した所見) 足底の一部、足首(アキレス腱のあたり)にも 冷えは感じられたけど、こちらは、もやりと感じる程度の柔らかい冷え 足の外側のラインの冷えは、触れる手が痛い、 「固い」冷え方、というか 短期的に生じたものでないものに思われた 昨日観察した内容を振り返るなかで、 2つは、冷えとして括ることはできても種類が異なるものといま、考える なぜあんなに風に冷たくなるのか 仮に足首から下をしばらく冷水に曝しても、あんな冷え方はしない 流れ、道筋における不良があるためとするのが妥当か? 他の可能性は? その時には、 別の所見で唇が乾燥していること、自覚症状に喉が渇きがあること などもあわせて注目していたが そもそも経絡の疎通に問題があるだけで、あの様な固さと伴う冷え方を 体は呈すものなのか? 鍼を打たせてもらった後にも、その部分の所見に変化は見られなかった この後、どのように変化していくのか

花筏

桜も終わりかけの頃、 普段通らない川沿いを自転車でひた走っていた時、 川面を見てあらっと思わず自転車を停めて撮影しました。 川を堰き止めて川面は花びらで埋め尽くされています。 古い桜は徐々に褐色と化し、 グラデーションになっています。 もう、見ていてゾワゾワ〜っとしました。 (悪い意味で) 「人の気道はうまく通じるのにこしたことはない。 うまく通じれば津液は流通し まず痰飲の病が起きることはない。 しかし一旦不調になれば 気道は塞がり、膈の上に集まって痰をつくる」 これだけ溜まった桜の花びらが 逆流したり、四方八方に飛散していけば 小さな穴や細い通常に 容易く入り込んで塞いで またまた不通を起こして 大変なことになりますね。 水面の桜は流れているから良いんです。   参考文献 「中医病因病機学」  東洋学術出版

勉強会など

先日勉強会で症例検討を行いました。 その際に気になった点を書いていきます。   舌 状態から考えて陰液の欠乏、熱、正気の弱りが考えられる。   脈 Oさんから教えていただいた感覚から 瘀血、虚熱、正気の弱りが伺えた。   切経も含めて、まずは脾と胃の関係を考え直したい。   また、症状からして脾気虚を原因とした脾陰虚の様なニュアンスも感じます。 これが原因で病理産物も生成されたのか。   現代語訳 黄帝内経素問上巻 太陰陽明論篇 「四肢は皆気を胃に稟くけども、経に至ることを得ず。必ず脾に因りて、乃ち稟くることを得るなり。 今 脾病みて胃の為に其の津液を行らすこと能わざれば、四肢水穀の気を稟くるを得ず。」   「黄帝がいう。「脾と胃とは、一つの膜を挟んで連ねているだけであるが、脾が胃に変わって津液を輸送するというのはどういう理由か。」 岐伯がいう。 「足の太陰脾経は、三陰と言いますが、その経脈は胃を貫いて脾に連属し、咽喉を絡っています。 このため太陰経の脈は胃の水穀の精気を手足の三つの陰経に送ることができるのです。 一方、足の陽明胃経は、足の太陰脾経の表にあたり、五臓六腑の栄養の供給源です。 このため太陰脾経が胃に変わって津液を送るといわれています。 五臓六腑はいずれも脾経を経て胃の水穀の気を受けています。 このため太陰脾経が胃に変わって津液を送ると言われています。」」     切経から陽明の熱の様な存在も気になったのですが、脾が立て直され陰液が生成される様になれば自然と落ち着くのか? 上の文、気になったので書き残します。 他に瘀血のできる位置もとても勉強になりました。   課題 相手を感じれた?時なんとなく相手の気持ちが移ってきて同じ様な状態になる事が少し増えたのですがこれはまた自分の課題とするところと違うのか。 良い事なのか悪い事なのかわかりませんし、一向に問題をクリアできていないのですが今までにはなかった感覚なので新鮮です。

試験が終わり、色んなことに挑戦する余裕が出てきました。 色々調べていくと、1、2回生の時の様に好きな事に浸かっていき、その中で想像が膨らんで楽しいです。 最近は「生きるとは何なのか」といったテーマで調べ物を進めています。 その中で季節感というものも改めて取り入れたいと思いました。 今の季節で言うと春に何を感じるか。 1日1日と変わりますが、今は冬のキリッとした厳しさに比べてフワフワする日が多い様な… 色々体感しながら学びを進めていきます。