学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

『閃く経絡』を読んで

以前より、SNSで噂になってた本『閃く経絡』を読んでみました。 ---------------------------------------------------------- 『閃く経絡』 ”現代医学のミステリーに鍼灸の”サイエンス”が挑む!” 著者:ダイエル・キーオン 発行:日本の医道社 ----------------------------------------------------------- ダニエル・キーオンさんは医師として救急の現場に立ちながら、 キングストン大学で中医学を学び、後に北京に渡り就業を行ないました。 医師でありながら鍼灸師であるという立場で、経絡の謎を解明しようと試まれています。 鍼灸学校で習う解剖学・生理学の復習になり、 学生の立場としてはテストされているような感覚も正直あるのですが。。 医師としての立場らしく、淡々と表現されるグロテスクさも楽しむ事が出来ました。 彼の経絡に対するこの論証の一つ一つは、なかなか見ごたえがある様に思います。 実はこのような生々しい論理は好きだったりします。 この本の素晴らしいところは東洋医学に対する敬意が感じられるところです。 東洋医学の軸を動かさずに西洋医学の詳細を詰めていく方法は、 解明する探検の大変さも感じられますが、気持ち良さを同時に覚えます。 そして、医古文などを読む際に手助けとなるのが、現在の医学への探求があるという事は 太古の昔も医学に燃える医家がいるのだろうと信じる事ができるところでしょうか。 未来の優秀な方々によって、東洋医学の証明がなされていくことに夢をはせます。 以前に一鍼堂ブログの番外編として院長が挙げられていた三焦に関してのブログも添付します。 ↓ https://www.1sshindo.com/blog/zenith16946/
木

内風

内風について

「10/7(日) 学生向け勉強会」の感想

講師は、盧先生より学びました。 私は現在、鍼灸学校の2年生です。 日々、書物を目にしたり妄想を繰り返したりする日々を過ごしておりますが、 「自分なら、○○なのかな~」とシュミレーションをしたりもします。 それが1年生とは違うところと感じています。 書物などを読み進める上で再確認できたのが、”帰納”と”演繹”。 【帰納】 個々の事例の観察より、これを含む一般命題を確立する事。 一つの症例より他の患者の症例も、このケースであろうとする。 【演繹】 1つまたはそれ以上の命題より、論理法則に基づいて結論を導出する思考の手続。 学術論議を症例を元に構築していき、結論を推定する。 本日学んだ事の一つで重要な事だと感じています。 歴代医家たちのカルテの集積が、症例集であって絶対的な答えではないのだろうと思えます。 学術的に議論の構築を進めることも重要に思いますし、 現実の臨床を繰り返すことと、歴代医家たちのカルテの集積とを見比べることも 精度を高める為に必要な事なのかと思います。 今年のノーベル賞受賞者の本庶佑博士は、記者の質問に 「・・・教科書に書いてあること、文字になっていることを信じない、疑いを持つこと」 と答え、有名な論文雑誌も疑う対象の例外ではないと強調されています。 「自分の目で物を見る、そして納得する。そこまで諦めない」 とも答えらています。 考えていた事と学んだ事がリンクする機会が多かったように自分では思いました。 座学をし、二礼二拍手の効果を実感し、病床にて臨床実技をし、、、 時間のある限り、幅のある講義を試そうされていた様に思います。 お疲れ様でした。次回も楽しみにしています。 最後になりましたが、機会を頂いた院長にお礼申し上げます。 平成30年 秋 稲垣 英伸

順気一日為四時篇 第四十四(01)

黄帝曰、願聞四時之気。 岐伯曰、春生、夏長、秋収、冬蔵、是気之常也、人亦応之。 以一日分四時。 朝則為春、日中為夏、日入為秋、夜半為冬。 朝則人気長、長則勝邪、故安。 夕則人気始衰、邪気始生、故加。 夜半人気入蔵、邪気独居干身、故甚也。 黄帝曰く、願わくば四時の気を聞かん。 岐伯曰く、春は生、夏は長、秋は収、冬は蔵、これは気の常なり、人もまたこれに応ず。 以て一日を四時に分つ。 朝は則ち春を為し、日中は夏を為し、日入は秋を為し、夜半は冬を為す。 朝は則ち人気が長じ、長則ち邪に勝り、故に安なり。 夕は即ち人気が衰え始め、邪気が生まれ始まる、故に加なり。 夜は人気が蔵に入り、邪気が独り身に居り、故に甚だしきなり。 【参考文献】 『黄帝内経 霊枢 下巻』東洋学術出版社

学ぶ事

  耳障りの良い言葉、その時自分に合うと思っているものが自分の為になる訳ではなく、辛い経験も絶対に必要。   どんな状況でもそこから学ばなければいけない。   自分の周りに現れた現象には全て意味があると思う。   鍼灸師として生きようと考えているのなら出される答えは普通のものとは違うと思う。   それを学べたのは誰のお陰か。   ちゃんと考えれば分かる。   この経験を無駄にしないことが唯一できる恩返しだと思う。   とても価値のある大きいものを与えて頂いた気がします。

生理物質の色

初めまして、高山将一と言います。 血にはなぜ色が存在するのだろうか。 血というのは脾で水穀、営気、津液から生成されたものであるが 脾で作られた後、心が全身に送ると共に、なぜか心は血に赤色を与えるのである。 なぜ心は血を赤色に染めたのだろうか。 なにか利点があって色をつけたのだろうか。 私の知る生理物質には、他に気や津液、精、神があるがこれらには、色があるのだろうか。 僕が建てた仮説は、これが血であったり、気であったり、津液だよっていうのを全身の組織にわかりやすく受け止めてもらうために 色をつけてるのではないのではと考えた。 津液は涙や、汗、鼻水と考えられているがこれらはそれといった色がなく無色透明である。 でも風邪になると鼻水が黄色くなったりする、これは私たちに今風邪だよっていうのを知らせてくれているのかもしれない だから血にも何かしらの理由があって色をつけているのだと思う。 今の私には気というものは見えないが、もしかしたら気にも色がついているのかもしれない。 イメージ的に気の色は黄金であって欲しい、もしかしたら人によって色が違うかもしれませんね。 もしくは、気には6個の作用ががあるのでそれぞれの作用によって色分けされているかもしれません。 そうなると気が見えるという人たちには人間がレインボーに見えてちょっとおしゃれに見えているかもです。 私が気というもを見える様になったらまた報告したいと思います。

四診(1)

四診とは、望診・聞診・問診・切診からなる4つの診察法の総称である。 四診法 ①望診(神技):術者の視覚を通じて病態を診察する方法 ②聞診(聖技):術者の術者の聴覚・嗅覚を通じて病態を診察する方法 ③問診(工技):患者との対話を通じて病態を診察する方法 ④切診(巧技):術者の触覚を通じて病態を診察する方法 望診  望診は、視覚的に観察することにより心身の状態を知る診察法である。患者の神・色・形・態の観察を基本とし、身体全体や局所の状態、分泌物・排泄物や舌象などを視覚的に観察する。 望診は、患者に対する第一印象から始まり、問診や切診の際にもあわせて行われる。 聞診   聞診は、聴覚と臭覚により患者の身体から発する音と臭いを聞き、心身の状態を知る診察法である。 患者から聞く音として発語時の音声、呼吸音やその他異常音がある。そのうち、音声を聞くことで診察することを声診という。 臭いには体臭、口臭、排泄物・分泌物の臭いなどがあり、臭いのことを気味という。 聞診は問診を行なっている際にあわせて行われ、術者が直接確認できないものは問診により患者に尋ねて確認する。 問診  問診は患者やその付き添いの者に質問し、対話によって得られた情報から心身の状態を知る診察法であり、弁証に必要な情報を収集するために行うものである。 問診では、まず患者の主訴について確認し、それに関連する事項を掘り下げながら質問し、情報を集める。 東洋医学では各種病因により気血津液・経絡・臓腑に虚実・寒熱といった変動が起こり、その結果、各種の愁訴が発生したものと考えるため、各種愁訴を全身的な病態と関連づけて推察することが重要である。そこで患者本人が主訴と関連のないように思っている全身症状や生活状況などについても確認する。 東洋医学的な問診の内容をまとめたものに、『景岳全書』(張介賓、1640年)の「十問歌」がある。この「十問歌」を参考に各項目について問診を行なう。 問診において、受容・共感的態度、傾聴的態度は患者との良好な信頼関係の構築に重要であり、信頼関係が得られているか否かは治療効果や患者の治療継続の意思などに影響する。 問診時には、状況に応じて患者の表情や仕草、動作などの望診、音声や口臭などの聞診、脈診などの切診もあわせて行う。 切診  切診は、手指や手掌を直接患者の身体各部に触れ、術者の触覚や患者が術者に触れられた際に感じた感覚により心身の状態を診る診察法で、腹診、切診、経穴診、脈診などが含まれる。 切診は、触れる、撫でる、擦る、押す、摘まむなどして得られる反応を病態推察の材料とし、反応点を治療点としても考慮する。   ★ 先輩の先生と共に、病室に入らせてもらい、患者さんとの四診の場を共有させて頂いております。 実際に患者さんが発する情報をメモし、病証把握や仮想の治療を考えたりしておりますが、自分でも緩いところが多いと痛感しております。 そんな中でも、鍼を打った後から暫くし、先生が「いかがですか?」と患者さんの様子を伺う際に、微妙に変化を感じれる時があり、貴重な時間を頂いております。診療に来られた時と帰る際との変化、顔色や目の表情、舌の様子、声色・・ 患者さんの変化を頭の中で情報処理にはまだまだ時間を要しますが、前進して参りたいと思います。 【参考文献】 『新版 東洋医学概論』医道の日本社
開放感

体表観察で

2021/03/31 練習で先輩の体をみせてもらった 腹部、手、足と順にみせてもらう中 両足で足部外側、踵から第5指にかけて(膀胱経の走行と一致) 著しく冷えている状態を観察した(はじめて観察した所見) 足底の一部、足首(アキレス腱のあたり)にも 冷えは感じられたけど、こちらは、もやりと感じる程度の柔らかい冷え 足の外側のラインの冷えは、触れる手が痛い、 「固い」冷え方、というか 短期的に生じたものでないものに思われた 昨日観察した内容を振り返るなかで、 2つは、冷えとして括ることはできても種類が異なるものといま、考える なぜあんなに風に冷たくなるのか 仮に足首から下をしばらく冷水に曝しても、あんな冷え方はしない 流れ、道筋における不良があるためとするのが妥当か? 他の可能性は? その時には、 別の所見で唇が乾燥していること、自覚症状に喉が渇きがあること などもあわせて注目していたが そもそも経絡の疎通に問題があるだけで、あの様な固さと伴う冷え方を 体は呈すものなのか? 鍼を打たせてもらった後にも、その部分の所見に変化は見られなかった この後、どのように変化していくのか

最近感じている事

主体性と他力 遠くを感じるためには真っ直ぐそこに向き合わないと到達できない。 また、真っ直ぐになれたとしてもどこまでいけるか? 最終的な主体は自分だけども、自分だけの力では限界がありそうな気がする。 人は個体としていきなり出来上がったわけではなく、天地の交流から生まれた。 生きている間も色んなものを頂いている。 足元が浮ついていれば交流も途絶える気がします。 足の裏の勇泉、掌の労宮。 何かあるのかと気になります。 木が育っていくためには根が必要なのと一緒なのかな。 それにしても桜が散った後の新緑は元気です。 勢いを感じます。   先読み 歩行者を見ていて、あの人今からあの方向に行くのかなとか観察して勉強。 遠めの人の方が分かりやすい現象も勉強になります。   縮こまる 知識に捉われると大きな動きが出来なくなる。 溶け込むことが大切だなと思います。 自分も大きな流れの中の一部といった認識でいることにしてみました。   入浴 最近風呂に入る時電気を消して入っています。 静かさが増すのでとても良い感じです。 周りのザワつきは単純に騒がしい事もあるけど、自分が騒がしい事もある。   春の空気 浮ついているというか、フワフワしてる気がします。 今年は花粉がスゴイらしいのですが、例年に比べてそういった部分はどうなんだろうと気になっています。   歩くテンポ 現代人は急ぎすぎている。 早歩きしている時とゆっくり歩く自分の差も勉強になってます。 ゆっくりするからノロマになる訳でもないと思います。  

シズル感

レストランのメニューなどで見かける美味しそうな写真、新鮮な肉や野菜の色をした写真を「シズル感」といいます。 以前の仕事では、「本物を観て美味しそうな色は記憶しておきなさい!」と教わり、何百枚もの写真を「シズル感」のある写真に仕上げてきました。 鍼灸学校に入ってしまってからそんなことすっかり忘れていました… 健全な舌は「淡紅色」という教科書的な表現も、共通言語的なものかもしれませんが、色名というのは国や人によって曖昧なものです。 以前、寺子屋メンバーで舌の色を話していた時に「好感度のある色」「好感度がない色」と表現していましたが、とても感覚的なものでした。 それって、「美味しそう」と「不味そう」に当てはまらないかなと思いました。 スーパーの生鮮コーナーでも「あ、これ買わんとこう…」って思う物って、青みがかっていたり、褪せていたり、黒ずんでいたり、くすんでいたり。 文字を追ってばかりだと忘れてしまいます。 澤田健先生も仰っておられました。 「書物は死物なり. 死物の古典を以て生ける人体を読むべし.」 日々の生活にヒントは沢山あるので、もう少しシンプルに、素直に物を捉えていかないとなぁ、といつも気付かされます。   引用 「鍼灸真髄」代田文誌 著