症状の記録
記録/9月22日午前
食後数分で胃のあたりがキュウと縮こまるように詰まる感じが苦しい。程度は強め。
座っているより楽なので横になっていると、
足の裏が熱くて気持ちが落ち着かず、やたら口渇感を覚えた。
昨夜はまるで嵐のようだったと思い返しながら軽めに済ませた朝食、
そのすぐ後で同じような胃脘部の苦しさに見舞われてまたかと驚く。
舌体紅、白膩苔、舌先に点刺、舌辺に歯痕あり。
脈は弦、やや数(普段との違いが感じ取れていないだけの可能性が高い)
20日の夕食にめずらしく焼肉を腹一杯頂いた。
からだは対応に追われているのかとも知れない。
食滞胃脘。ベースに脾腎の虚があり?
足底の熱感と同時に表れた口渇がかなり顕著だったこと
自分の舌であまり見ない紅色の舌を観察したこと
山崎、太陰など
山崎
色々取っ払うために学生時代から何となく好きだった山崎駅にいきました。
特に何かがある訳ではないのですが、人通りもそんな多くなく、鳥や風の音が聞こえる中にある踏切の音もいい感じです。
何もない中、外の世界と向き合った時に以前教わった環境のお話が思い返された。
自分だけになってもいけませんが、自我の確立のさせ方も少し見えてきた気がします。
自分の課題と向き合う時、人と関わってどうこうするよりも先にそっちが必要ですね。
太陰など
太陰は太陰と呼ばれるだけあってやはり陰が一番深いところなんだと実感。
心の在り方にも影響するなと思います。
ベクトルが自分に向いて陰鬱な時、脾の弱りも考えられる。
思考がどう向かうかもわかりやすいです。
先週聞かせて頂いた話も水に関係していて、これから梅雨時に入ってどう臓腑が変化していくかみていくと勉強になりそうです。
また、ここで生まれた痰湿は氣滯と結びついて胆に波及する事もあると思う。
胆経に反応がある場合、痰湿を兼ねていることが多いと思います。
合谷の穴性「生血」を考える
合谷の穴性について調べてみます。
穴性学ハンドブックでは補で生血の効果があるとの事です。
しかし「補血」ではなく「生血」である事に違和感を覚えます。
血を生み出す効果がある様なので、中医鍼灸臨床経穴学を中心に調べていきます。
P 65
<効能>
③補法:補気固表・益気固脱・益気摂血・行血・生血
湯液における黄耆、人参、党参、白朮、炙甘草、百合、黄精などの効に類似
P 79
「合谷を補すと補気の作用があり、瀉すと行気散滞の作用がある。したがって、気虚のために統血が悪くなっておこる失血証、「有形の血は自ずとは生じず、無形の気により生じる」という道理によって起こる血虚証、気虚による血行障害の病証に対しては、本穴を補して補気をはかると、摂血、生血、行血の作用をもたらすことができる。」
→つまり
「気血両虚の状態で補血だけ行っても自身の血を作る力は回復しない。
合谷による補気を行う事で血を生じさせる力を付けましょう。」
これが合谷の生血なのだと思いました。
実際どの様な使われ方をしているか見てみます。
P 69
「膿は気血が変化して生じる。久瘡には、膿が外溢して気血両傷となるものが多い。または瘡が長期にわたって治癒せず食欲も低下し、さらに膿が外溢することにより気血大傷、正気虚衰となり久瘡がおこる場合もある。
1.瘡面の肉芽の生成が遅い場合
合谷、三陰交(補)…気血の補益」
P229
三陰交
「本穴には、統血、凉血、全身の血分の虚損を補益する、全身の血液の運行をよくするなどの作用がある。」
中医臨床のための方剤学 P260
当帰補血湯
「皮膚化膿証が潰破したのち瘡口が癒合しにくいのは、気血が不足して肌肉の産生が悪いためである。」
医学三蔵弁解 P133
「気血は互いに根ざしていますので、これを気虚とするときにはすなわち血虚しているものであり、血虚するときには気もまた虚しているものです。
治法には標本の区別があります。
気虚によって血虚となっているものは、気虚を本として血虚を標とします。
血虚によって気虚となっているものは、血虚を本として気虚を標とします。」
→生血で血を生むと言っても血虚していれば、三陰交の様な補血の効果を持つ経穴との配穴が必要なのだと分かりました。
他に合谷・血海(補)などの配穴も見られたので、状況に応じた「補血」の効果を持つ配穴を行う必要があるのだと思います。
今のところは
生血=気の血を作る力をつける事で血を補う
補血=血を直接的に増やす事で補う
との認識になったのですが、間違っている可能性もあるので一穴一穴を確認しながら調べていきたいと思います。
参考資料
中医鍼灸臨床経穴学 東洋学術出版社
穴性学ハンドブック たにぐち書店
中医臨床のための方剤学 東洋学術出版社
医学三蔵弁解 たにぐち書店
舌診(02)
舌象について整理する
【舌神】
有神
生き生きとして生気があり、運動性も十分なもの。
疾病に罹患しても有神であればよい兆候。
無神
乾枯して硬く光沢もなく、生気がなく、運動性も悪い。
危急の可能性。
【舌色】
淡白舌
陽虚の為に営血不足により舌体を充養できず淡い色調となる。
紅舌
舌体の脈絡が充盈している。
絳舌
紅絳舌
営血が熱の煎熬を受け、濃縮されている為に絳舌となる。
紫舌
熱盛傷津や陰虚で気血の壅滞、陰寒での凝滞により紫色となる。
青舌
陰寒の邪により陽気凝滞し血行の瘀滞による。
【参考文献】
『中医臨床のための 舌診と脈診』医歯薬出版社
『新版 東洋医学概論』医道の日本社
天人合一(01)
先輩に許可を頂いた患者さんに、問診に入らせて頂いております。
望診・聞診・問診・切診。
四診合参し、取穴を想定する訓練を一つ一つ手ほどきを頂きます。
患者さんの発するインフォメーションについて
自分の頭の中でシャッターを切りますが、
課題としては、一部分に注視しすぎるところでしょうか。
要は、全体が診えていないなと。
広く全体の情報を、クールダウンして俯瞰しなくては。
と、いう事で自宅に眠っていたカメラを引っ張り出してみました。
情報をいかにキャッチできるのか。
些細な情報の一つ一つを、瞼に撮る訓練をしてみたいと思います。
【参考文献】
『新版 東洋医学概論』株式会社 医道の日本社
痹と痺
もう直ぐ国家試験となると授業も過去問を対象とした時間が大半です。
期末試験は期間がとれないので、各教科の試験は授業内で実施されていきます。
試験や資料の誤字については3年間で、かなり慣れました。
○ 井・滎・兪・經・合
× 井・榮・兪・經・合
○ 噯氣
× 曖氣 など
本日は痹と痺について
痹(ひ)
1⃣しびれる
2⃣リウマチ
痺(ひ)
1⃣うずらの雌
大漢和辞典の”痺”の欄には”参考”として「俗に此の字を痹に用いるは誤」と、
『字彙』からの引用も記載されています。
「痺與痿痹字不同」との事。
※字彙(じい)は、明代の梅膺祚(ばいようそ)により編纂された中国の漢字字典。
明の時代から「同じ字じゃないよ」との注意書きがある以上、
出来るだけ正確を期したいと”しびれる”は”痹”で書き通しておりますと、
同じような人がいた時に、ほっこりします。
【参考文献】
『大漢和辞典』(株)大修館書店
『閃く経絡』を読んで
以前より、SNSで噂になってた本『閃く経絡』を読んでみました。
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『閃く経絡』
”現代医学のミステリーに鍼灸の”サイエンス”が挑む!”
著者:ダイエル・キーオン
発行:日本の医道社
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ダニエル・キーオンさんは医師として救急の現場に立ちながら、
キングストン大学で中医学を学び、後に北京に渡り就業を行ないました。
医師でありながら鍼灸師であるという立場で、経絡の謎を解明しようと試まれています。
鍼灸学校で習う解剖学・生理学の復習になり、
学生の立場としてはテストされているような感覚も正直あるのですが。。
医師としての立場らしく、淡々と表現されるグロテスクさも楽しむ事が出来ました。
彼の経絡に対するこの論証の一つ一つは、なかなか見ごたえがある様に思います。
実はこのような生々しい論理は好きだったりします。
この本の素晴らしいところは東洋医学に対する敬意が感じられるところです。
東洋医学の軸を動かさずに西洋医学の詳細を詰めていく方法は、
解明する探検の大変さも感じられますが、気持ち良さを同時に覚えます。
そして、医古文などを読む際に手助けとなるのが、現在の医学への探求があるという事は
太古の昔も医学に燃える医家がいるのだろうと信じる事ができるところでしょうか。
未来の優秀な方々によって、東洋医学の証明がなされていくことに夢をはせます。
以前に一鍼堂ブログの番外編として院長が挙げられていた三焦に関してのブログも添付します。
↓
https://www.1sshindo.com/blog/zenith16946/
老子の第一章から想像
先日老子を読み終えました。
速読を意識したので二周目はじっくり読んでいきたいと思います。
第一章
道可道、非常道。名可名、非常名。
無名、天地之始。有名、萬物之母。
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。
此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。
訓読文
道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万物の母。
故に、常に欲無くして以て其の妙を観、常に欲有りて以て其の徼を観る。
此の両者は同じきより出でて而も名を異にす。
同じきを之を玄と謂う。玄の又た玄、衆妙の門。
・この文章から今の時点で感じている事
これが道だというものは常の道ではない。
道は万物の根元ではあるが、それを言葉で説明することは出来ないし、ましてや名付けることなど出来ない。
全ての事象は道から為るが、道を観ようとすれば無欲でなければいけない。
無欲のため観えるものは妙であり、奥深い。
有欲であれば徼しか観ることが出来ない。
妙とは「あまりにも奥深くて見ようとしても見えないこと」で、
徼とは「帰結や端」という意味とされます。
妙も徼も同じ玄から生まれるものではあるけれども観ているものが違う。
王弼は
「両者は始と母である。同出とは同じく玄から出ること。異名とは名付けられる場面が同じでないこと。首(はじめ)に在れば始といい、終にあれば母という」と注釈されています。
図解雑学 老子では
「「名有る」状態が「万物の母」だというのは、万物は名が与えられてはじめて万物と認識されるからで有る」
としました。
第四十二章では
「三生万物」という言葉がありますが、これは「天地間の陰陽の気が混ざり合って万物を生むということ」とされます。
つまり欲がある立場に立てば
徼という「天地間の陰陽の気が混ざり合って生まれた万物に名前がつけられた状態」しか観えないのではないでしょうか。
確かにそれは玄から生まれたものの一つではあるけども、端であって全てではないのかなと思います。
何事も無欲の立場で妙を観なければいけないのではないかと思いました。
道は奥深くて決してこれ!と捉えられる存在ではけれども、老子の様に無欲の立場に立てば感じることが出来るものなのではないのでしょうか。
道理という言葉は広辞苑では「物事のそうあるべきすじみち」とされますが、
道の理はどこまでも奥深いので、妙であり「玄の又た玄、衆妙の門」とされたのではないのかと思います。
臨床現場にまだ立っていませんが、きっとそういったことも必要なのではないか。と感じています。
参考資料
老子 岩波文庫 蜂屋邦夫著
図解雑学 老子 ナツメ社 蜂屋邦夫著
広辞苑 第七版 岩波書店
痰飲(1)
痰飲について、『中医病因病機学(主編:宋 鷺冰、翻訳: 柴崎 瑛子)』の第9章
「内生要因」より、古典からの引用部分を抜き出す。
「千金方衍義」
その根源が不足すれば、日がたつにつれ水の精華は混濁してゆき、ついには痰飲が出来る。
そして必ず先ず呼吸した大気が及ばないところに集まるので、腸から脇、そして四肢へと達し、
しだいに胸膈へと浸蝕していき、ますます乱れていく。
つまり痰飲の病で胃から始まらないものはない。
「儒問事親」
飲ができるためには原因が五つある。それは憤慨を抑えたことによるもの、疲労によるもの、
思慮が過ぎたためのもの、飲痛によるもの、そして発熱に冷えに損傷されたためのものである。
「医碥」
痰自体は自分の津液であり、・・その静粛機能を失って加熱すれば、
津液が火に煮詰められ、粘っこい濁物に変わる。
また温が失われて寒が過剰になれば、津液が寒のために停滞し、次第に凝結して痰ができる。
「三因方」
飲食過多で道楽にふけり、大声を張り上げてひどく疲れ、運動が適当でなければ、
津液が巡らず、集まって痰飲になる。これは不内外因に属する。
「直指方」
水と飲と起源が同じだが名前が異なる。
人は脾土が欠損しているだけで飲んだ水がいつまでも転化できなかったり心下に停滞したり、
脇間に集まったり、経絡に入ったり、膀胱に溢れたりし、そのために病気になることがよくある。
「本草綱目」
痰涎などは気に従って上下し、入り込めないところはない。
心に入れば竅を惑わせて癲癇・うわ言・幻視などをひき起こす。
【参考文献】
「やさしい中医学入門」東洋学術出版社
「中医病因病機学」東洋学術出版社
















