異名同穴③
李世珍の下で働いていた方に、異名同穴について尋ねたことがあります。
「李世珍の家の伝来の呼び方がある。」との事。
その時は、中国の『宗族(父系中心の一族)』や『圏子(利益を共にする集団)』といった文化圏を想像しました。
③3つの異名のあるもの
穴名 異名
陰郄穴 : 少陰郄穴、石宮穴、手の少陰郄穴
隠白穴 : 鬼疊穴、鬼眼穴、陰白穴
会陰穴 : 下極穴、平翳穴、屏翳穴
京門穴 : 氣付穴、氣兪穴、腎募穴
氣衝穴 : 氣街穴、羊屎穴、氣冲穴
厥陰兪穴 : 関兪穴、厥陰穴、闕兪穴
三陽胳穴 : 通門穴、通間穴、通関穴
上巨虚穴 : 巨虚上廉穴、上廉穴、足の上廉穴
衝門穴 : 慈宮穴、上慈宮穴、前章門穴
水分穴 : 中守穴、分水穴、正水穴
人迎穴 : 頭五会穴、五会穴、天五会穴
兌端穴 : 壮骨穴、兌通鋭穴、唇上端穴
太淵穴 : 鬼心穴、太泉穴、大泉穴
大陵穴 : 心世穴、鬼心穴、心主穴
中膂兪穴 : 脊内兪穴、中膂内兪穴、背中兪穴
通天穴 : 天臼穴、天旧穴、天白穴
手の五里穴 : 尺の五里穴、大禁穴、尺の五間穴
天突穴 : 玉戸穴、天霍穴、天瞿穴
然谷穴 : 龍淵穴、然骨穴、龍泉穴
陽輔穴 : 絶骨穴、分肉穴、分間欠
陽陵泉穴 : 筋会穴、陽の陵泉穴、陽陵穴
白関兪穴 : 玉関兪穴、玉房兪穴、陽兪穴
胳却穴 : 強陽穴、脳蓋穴、絡郄穴
【参考文献】
『臨床経穴学』東洋学術出版社
『鍼灸医学事典』医道の日本社
『新版 経絡経穴概論』医道の日本社
噯と曖
読み物で、漢字の微妙な使い方の違いに時折立ち止まる事があります。
例えば、『井、滎、兪、經、合』の”滎”が”榮”となっていたり。
「ん?」となってしまう時です。
今回は”噯”と”曖”について
口へん、日へんの微妙な違いなのですが。
噯(あい)
1⃣いき。あたたかい氣。
2⃣おくび。
曖(あい)
1⃣かげる。かげって、ハッキリしない。
2⃣くらい。暗くて見えない。
↓
例:曖昧(あいまい)ハッキリしない。紛らわしい。
つまりゲップは
”噯氣(あいき)”であって”曖氣(あいき)”ではないのですが、この漢字の入れ替えが多いように思います。
因みに
”噫気(あいき)”もゲップ。
噫氣(あいき)
1⃣吐き出すいき。呼氣。
2⃣おくび。食べた過ぎた時など、胃にたまったガスの口腔外に出るもの。
噯氣(あいき)
1⃣おくび。吹呿。噫気。
噯の意味より、噫氣よりも噯氣の方が少し温度が高いゲップに感じるのは気のせいでしょうか。
【参考文献】
『大漢和辞典』(株)大修館書店
中国の思想(04)
老子
二十六章 ”静”は”動”を支配する
重為軽根、静為躁君。
是以聖人、終日行不離輜重。
雖有栄観、燕処超然。
奈何万乗之主、而以身軽天下。
軽則失本、躁則失君。
重は軽の根たり、静は躁の君たり。
ここをもって聖人は、終日行けども輜重を離れず。
栄観あるといえども、燕処して超然たり。
いかんぞ万乗の主にして、身をもって天下より軽んぜん。
軽ければすなわち本を失い、躁なればすなわち君を失う。
(引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P63)
《私議》
修行中の身において患者さんを診させて貰う際、
”上逆下虛”の場合には、陰陽の重りの方をしっかりと保つ事を考えます。
四診合算において、そのままスタンダードで良いのか悪いのか、、
足りていない情報をかき集めるのに必死になってしまいます。
問診に於いても、患者さんとの間合いに注意しないといけないな・・と思う日々です。
【参考文献】
『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店
私の相方は何なのか
陰陽とはどういったものなのだろうか?
陰は月、陽は太陽 陰は水、陽は火というイメージが
自分の中にある。
世の中の一切の物事には陰と陽で振り分けられていて、
お互いを助け合い、依存し、制約しあっていて、片方の
存在が消えれば、一方も存在しなくなるようだ。
では、もし私が陽であると仮定すると、相方の陰は
何になるのだろうか?
家族?友人?恋人?それとも人間とは全然関係のない
ものなのだろうか。
僕が生まれてこなかったと仮定してみる。
僕がこの世に存在していなければ、私の妹達には兄がいなかった。家族や、友人、恋人の記憶にも存在しない。
小学生の時クラブチームで決勝ゴールをあげたあのゴールも存在しない。
友人と他愛もない話で笑い合った日常も存在しない。
今書いてる文書も存在しない。
未来に作り上げる物も子供も存在しない。
その先続く子孫もその歴史もない。
あげればキリがないほど消えていく。
私の相方は私の歩んできた道なのかもしれない。
私の全ての道とそれを作り上げてくれた一切の物事に感謝と敬意を表します。
PS.写真は私の地元の丹波篠山の朝日です。
衛気と発汗
専門学校で使った教科書では衛気に関する項で、その作用として「外邪の侵襲を防ぐ他、皮毛を潤沢に保ち、肌肉声 •皮毛 •臓腑などを温め、腠理の開闔(皮膚の収縮と弛緩)により発汗を調整し、体温を一定に保つ働きがある」と説明する。
(そもそも異なる分野の言葉を同じく取り扱うことが間違っているのかも知れないが)生理学の教科書では、発汗に関する基礎として発汗を温熱性発汗と精神性発汗とに大別している。教科書レベルの説明であったとしてもこの括り方に誤りはないはずですが、寝汗や自汗の説明に使えないと考えます。
同じく生理学の蒸発の項で体表面からの蒸発が不感蒸散と発汗によってなされることを教わります。一般的には、呼吸の際に呼気に含まれる水分、皮膚や気道の粘膜から蒸発する水分を合わせたものを指すようですが、衛気が主るところの水分の排出はどちらかというとこの不感蒸散の方を当てはめる方がしっくりくる気がします。はっきり「発汗」と書いている以上、それは学校で習った様に衛気と汗腺の働きを結ぶのが正解なのかも知れませんが、分からない、まま保留としたいと思います。
体表観察で拾う情報に湿り気や冷たさがあるが、それが体に備わる発汗の機構の顕れである場合ととそうでない他の理由による場合とを区別しておく必要がある、体表が冷たいことが体が冷えを表すわけではないことを再認識する機会になりました。
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【参考文献】
新版 東洋医学概論/医道の日本社
生理学 第3版/医歯薬出版株式会社
鍼とからだ
2021/11/10
深部、からだの奥で結ばれていた熱。
それが体の表層にはっきりと立ち上がるのを
目の当たりにして、
患者は横になって静かなのに
静けさのなか躍動する。
ただその現象に立会い驚いた。
奥に押し留めていたのは何の作用を受けてか。
潜在するもの表に現すきっかけをもたらす鍼。
言葉に置き換えるのがとても難しい。
脈診(05)
『中医脉学と瀕湖脉学』
(引用:P11「第一部 現代中医脉論」の”脉診の方法 3.指の置き方”より)
『並べる指の間隔は患者の身長に対応して、
腕の長いものには少し広めに置き、
腕の短いものに対しては指を詰めて並べる。
指の位置が決まれば、三指で同時に診脉するのを総按といい、
また単按といって、一部の脈象を重点的に診るために、
中指と環指をもち挙げることによって寸脉を診たり、
示指と環指をもち挙げて関脉を診たり、
示指中指をもち挙げて尺脉を診たりすることも行われる。
示指ないし中指のみを用いて単按することもある。
実際の診脉においては総按も単按もあわせて駆使される。』
寸・関・尺 を総按にて診ようと固執していたように思います。
特に自身の手が大きいとこもあり、
もっと指の使い方に柔軟さが必要だったと思いました。
そういえば、院長に診て頂いた時が極めてフレキシブルだったと思い出しました。
【参考文献】
『中医脉学と瀕湖脉学』たにぐち書店
衛分気分営分血分
今読んでいる本です。
以前から衛気営血についてしっかり向き合ってこなかったので、温病学はずっと気になってた本でした。まずは入門となっているので理解しやすいかと思ったのですが、やっぱり簡単ではないですね。
でもとても勉強になります。
皮膚病なんかに応用できそうです。
欲しかった本入手
以前から欲しかった意訳黄帝内経太素が安値で売られていたので手に入れる事ができました。
まだ読み始めたところですが自身が内経を読んで疑問に思っていたところがハッキリ書かれていたりして勉強になります。
今回は勉強用のブログとして、書籍から学んだ事を書いていこうと思います。
本一辺倒にならない様に、モードを切り替えながら生活していこうと思います。
まだパラパラ読み始めたところですが、気になった部分の一部を書いていきます。
意訳黄帝内経太素 P131 五臓命分
「志・意と者(は)精・神を御し魂・魄を収め、寒・温を適え喜・怒を和す所以者也。」
P132
「志・意が和す則(と)精・神は専直(すなお)となり魂・魄は散ぜ不、悔・怒も至ら不、五臓が邪気を受けることは不矣(ない)」
ここでは志・意が切り離されていない点も気になる。
現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻P161 本神篇
「物を任うゆえんの者これを心と謂う。意の存する所これを意と謂う。意の存する所これを志と謂う。」
全訳 内経講義 P201
「李中梓の注「意がすでに決まり、堅固になったものが志である。」」
記憶などで例えられた場合、意は短期記憶力で志は長期的記憶力と説明されていました。
(意の在する所これを志と謂う。)
医学三蔵弁解 P151 帰脾湯
「人参は心気を補い、遠志は腎中の志気を補います。心腎の二気がよく交通すると、脾気がその昇降の間を保ち、三臓の気が自然と充実してきます。」
帰脾湯は心脾両虚の薬ですが、心神不交も兼ねる。
しかし帰脾湯の物忘れの特徴的な現れ方は「直前の記憶がない」という点。
さっきまで何をしていたのか分からなくなる。(意病)
でも、意志は切り離せるものではなく、実際に遠志という生薬で腎気(志気)を心に届ける過程で脾気(意)を巻き込んで治している。
この後のストーリーとして意志が安定して魂・魄なども安定、喜・怒も過剰なものが無くなればいいなと思いました。
参考書籍
意訳黄帝内経太素 第一巻 築地書店 小曽戸丈夫著
現代語訳 黄帝内経霊枢 東洋学術出版社 南京中医薬大学著
全訳 内経講義 たにぐち書店 田久和義隆訳
医学三蔵弁解 たにぐち書店 伴尚志 現代語訳
良かった感覚
面白い体験が出来た。
できる限り沈んだ感覚で相手を感じれた。
その時は問診で特に何も聞いてなかったのですが、患部側の反応が大きかったので感じる事が出来た。
一連の流れから明らかにおかしくなってる箇所があって、そこで自分の気が当たるとバチバチバチ!となる。
イメージ的には
ーーーーーーーーー物質ーーーーーーーーーーーーーー
この何かが流れを止めていて、その箇所に症状が出ていたイメージ。
良い状態で入れたので、自分と相手の境界線がなく、相手の事が自分の事の様に感じれた。
その時の自分の心の状態のイメージはどんよりした暗さではなく、澄んだ暗さのイメージだった。
どこかの鍼灸師さんの話で男性でも女性の生理痛がわかるって話を聞いた事があるけど、あの感覚なんだろうか。
こう言ったことをもっと探って理論化して治療に役立てていく様にしたい。
















