勉強会など
先日勉強会で症例検討を行いました。
その際に気になった点を書いていきます。
舌
状態から考えて陰液の欠乏、熱、正気の弱りが考えられる。
脈
Oさんから教えていただいた感覚から
瘀血、虚熱、正気の弱りが伺えた。
切経も含めて、まずは脾と胃の関係を考え直したい。
また、症状からして脾気虚を原因とした脾陰虚の様なニュアンスも感じます。
これが原因で病理産物も生成されたのか。
現代語訳 黄帝内経素問上巻 太陰陽明論篇
「四肢は皆気を胃に稟くけども、経に至ることを得ず。必ず脾に因りて、乃ち稟くることを得るなり。
今 脾病みて胃の為に其の津液を行らすこと能わざれば、四肢水穀の気を稟くるを得ず。」
「黄帝がいう。「脾と胃とは、一つの膜を挟んで連ねているだけであるが、脾が胃に変わって津液を輸送するというのはどういう理由か。」
岐伯がいう。
「足の太陰脾経は、三陰と言いますが、その経脈は胃を貫いて脾に連属し、咽喉を絡っています。
このため太陰経の脈は胃の水穀の精気を手足の三つの陰経に送ることができるのです。
一方、足の陽明胃経は、足の太陰脾経の表にあたり、五臓六腑の栄養の供給源です。
このため太陰脾経が胃に変わって津液を送るといわれています。
五臓六腑はいずれも脾経を経て胃の水穀の気を受けています。
このため太陰脾経が胃に変わって津液を送ると言われています。」」
切経から陽明の熱の様な存在も気になったのですが、脾が立て直され陰液が生成される様になれば自然と落ち着くのか?
上の文、気になったので書き残します。
他に瘀血のできる位置もとても勉強になりました。
課題
相手を感じれた?時なんとなく相手の気持ちが移ってきて同じ様な状態になる事が少し増えたのですがこれはまた自分の課題とするところと違うのか。
良い事なのか悪い事なのかわかりませんし、一向に問題をクリアできていないのですが今までにはなかった感覚なので新鮮です。
最近感じている事
主体性と他力
遠くを感じるためには真っ直ぐそこに向き合わないと到達できない。
また、真っ直ぐになれたとしてもどこまでいけるか?
最終的な主体は自分だけども、自分だけの力では限界がありそうな気がする。
人は個体としていきなり出来上がったわけではなく、天地の交流から生まれた。
生きている間も色んなものを頂いている。
足元が浮ついていれば交流も途絶える気がします。
足の裏の勇泉、掌の労宮。
何かあるのかと気になります。
木が育っていくためには根が必要なのと一緒なのかな。
それにしても桜が散った後の新緑は元気です。
勢いを感じます。
先読み
歩行者を見ていて、あの人今からあの方向に行くのかなとか観察して勉強。
遠めの人の方が分かりやすい現象も勉強になります。
縮こまる
知識に捉われると大きな動きが出来なくなる。
溶け込むことが大切だなと思います。
自分も大きな流れの中の一部といった認識でいることにしてみました。
入浴
最近風呂に入る時電気を消して入っています。
静かさが増すのでとても良い感じです。
周りのザワつきは単純に騒がしい事もあるけど、自分が騒がしい事もある。
春の空気
浮ついているというか、フワフワしてる気がします。
今年は花粉がスゴイらしいのですが、例年に比べてそういった部分はどうなんだろうと気になっています。
歩くテンポ
現代人は急ぎすぎている。
早歩きしている時とゆっくり歩く自分の差も勉強になってます。
ゆっくりするからノロマになる訳でもないと思います。
血の色は赤い
血液の赤色はどっからきているのか?
西洋学的に考えると赤血球に含まれるヘモグロビンの色だと学校で習いました。
ヘモグロビンは鉄(ヘム)とタンパク質(グロビン)が結びついたもので、この鉄が赤色素を持っているためです。
いっぽう、東洋医学的にはどうなのかというと話が複雑になります。
血は水穀の精微と腎精から化生される とあります。
二通りのパターンがあるようです。
パターン ①
飲食物が脾胃の運化を受けて水穀の精微に転化したのち、営気によって脈中に滲注し、肺に上輸されて清気と合するとともに心火(心陽)の温煦を受けて赤く変化し血となる。
つまり消化管で得られたエネルギーの素みたいなものを肺と心まで運び上げた後に、心のパワーで温められてようやく赤く変化するらしいのです。それまでは無色なのでしょうか?
パターン②
腎精化血であり、腎陽の温煦により腎精が血に転化して脈中に入る。
この書き方だと腎の温煦でも赤くさせるのかがハッキリしません。でもきっと心と同じように温煦パワーで赤い血になっているのでしょう。
そういえば西洋学的に腎臓から産生・放出されるエリスロポエチンというホルモンが、骨髄での赤血球を産生を日々促しつづけているので、ここでは怖いほどシンクロしていますね。
因みに、エビやタコは青色の血(銅の色)、植物は緑色の葉緑素(マグネシウムの色)だそうです。
(基礎中医学 神戸中医学研究会 p19参照)
生理物質の色
初めまして、高山将一と言います。
血にはなぜ色が存在するのだろうか。
血というのは脾で水穀、営気、津液から生成されたものであるが
脾で作られた後、心が全身に送ると共に、なぜか心は血に赤色を与えるのである。
なぜ心は血を赤色に染めたのだろうか。
なにか利点があって色をつけたのだろうか。
私の知る生理物質には、他に気や津液、精、神があるがこれらには、色があるのだろうか。
僕が建てた仮説は、これが血であったり、気であったり、津液だよっていうのを全身の組織にわかりやすく受け止めてもらうために
色をつけてるのではないのではと考えた。
津液は涙や、汗、鼻水と考えられているがこれらはそれといった色がなく無色透明である。
でも風邪になると鼻水が黄色くなったりする、これは私たちに今風邪だよっていうのを知らせてくれているのかもしれない
だから血にも何かしらの理由があって色をつけているのだと思う。
今の私には気というものは見えないが、もしかしたら気にも色がついているのかもしれない。
イメージ的に気の色は黄金であって欲しい、もしかしたら人によって色が違うかもしれませんね。
もしくは、気には6個の作用ががあるのでそれぞれの作用によって色分けされているかもしれません。
そうなると気が見えるという人たちには人間がレインボーに見えてちょっとおしゃれに見えているかもです。
私が気というもを見える様になったらまた報告したいと思います。
鍉鍼・雰囲気
鍉鍼
今治療の現場で鍉鍼を使われている事もあり、私も気になったので知り合いの身体を借りて勉強させて頂いた。
舌を見ると辺縁が赤みをおび、舌先が他部分よりさらに赤い。
脈は少し沈み、硬く右の関が弱い。
お腹を見せていただくと胃の部分や臍周辺がカチコちに固まっていて、膨隆が見られる。
また、左下腹部が冷たく左脾募に変な膨らみがある。
目は緊張感を帯びていて、言葉には節々に鋭さがある印象。
本人曰く、左腰に腰痛がある。
足先の温度を見ても右足より左足が冷たい。
特に気になった点は足の真ん中あたりでガラッと雰囲気が違ってくるところ。
脾経を見ると足先周辺に黒ずみが見られる。
この腹部の板状とのつながりを見出して良いものか。
下焦には抜けた様な反応あり。
肝経と脾経の二箇所に鍉鍼を置いてみたのですが、お腹・脈・舌と変化がありました。
鍉鍼でも変化はあるんだなと改めて実感できました。
しかし胃の部分の硬さが取れず、どうしたものか。
また試させてもらおう。
雰囲気
テキパキと気持ちよく動く人ってやはり見ていると気持ちのいいものですし、そうありたいなと思います。
ふと頭に浮かんだ没頭という言葉、改めて考えると没という漢字が使われているところが面白いです。
鍼とからだ
2021/11/10
深部、からだの奥で結ばれていた熱。
それが体の表層にはっきりと立ち上がるのを
目の当たりにして、
患者は横になって静かなのに
静けさのなか躍動する。
ただその現象に立会い驚いた。
奥に押し留めていたのは何の作用を受けてか。
潜在するもの表に現すきっかけをもたらす鍼。
言葉に置き換えるのがとても難しい。
舌診考察
[ケース①]
舌色
表 淡紅
裏 褪せた紅
気の虚損がありながらも、裏に熱をはらむのか。
舌形
胖大 歯痕
陽気を損ない気虚になって、津液の停滞を招き痰湿を生ずる。
脾の運化作用の低下か。
腫れたようにも見えて、湿熱をはらむのか?
(腫れた舌は発熱やその後の舌にも見ることができると思う。)
舌裏
表より濃い色を呈し、気虚がありながらも内熱の存在が伺える。
推動作用が落ちているので怒張により瘀血も。
或いは、虚熱による瘀血とも考えられる。
舌苔
薄苔〜やや厚苔、潤苔
中焦にかけて苔が緻密で濃くなり脾胃虚による痰湿か。
[ケース②]
舌色
表・裏共に褪せた紅
所々まだらに舌辺に紫色があり瘀血。
舌尖紅く心火も伺える。
舌形
脾腎共に弱り水邪の停滞がある。歯痕から気虚。
舌裏
表と色差なく、怒張により瘀血も。
舌苔
微黄苔。厚苔。
中焦〜下焦にかけて苔が厚なる。
気虚による痰飲。
中焦には微黄苔。痰飲が裏に入り化熱したか。
シズル感
レストランのメニューなどで見かける美味しそうな写真、新鮮な肉や野菜の色をした写真を「シズル感」といいます。
以前の仕事では、「本物を観て美味しそうな色は記憶しておきなさい!」と教わり、何百枚もの写真を「シズル感」のある写真に仕上げてきました。
鍼灸学校に入ってしまってからそんなことすっかり忘れていました…
健全な舌は「淡紅色」という教科書的な表現も、共通言語的なものかもしれませんが、色名というのは国や人によって曖昧なものです。
以前、寺子屋メンバーで舌の色を話していた時に「好感度のある色」「好感度がない色」と表現していましたが、とても感覚的なものでした。
それって、「美味しそう」と「不味そう」に当てはまらないかなと思いました。
スーパーの生鮮コーナーでも「あ、これ買わんとこう…」って思う物って、青みがかっていたり、褪せていたり、黒ずんでいたり、くすんでいたり。
文字を追ってばかりだと忘れてしまいます。
澤田健先生も仰っておられました。
「書物は死物なり. 死物の古典を以て生ける人体を読むべし.」
日々の生活にヒントは沢山あるので、もう少しシンプルに、素直に物を捉えていかないとなぁ、といつも気付かされます。
引用 「鍼灸真髄」代田文誌 著
春
試験が終わり、色んなことに挑戦する余裕が出てきました。
色々調べていくと、1、2回生の時の様に好きな事に浸かっていき、その中で想像が膨らんで楽しいです。
最近は「生きるとは何なのか」といったテーマで調べ物を進めています。
その中で季節感というものも改めて取り入れたいと思いました。
今の季節で言うと春に何を感じるか。
1日1日と変わりますが、今は冬のキリッとした厳しさに比べてフワフワする日が多い様な…
色々体感しながら学びを進めていきます。
意識
受付にて
働いていて、脳がオーバーヒートを起こす様になる前の段階の自分の空気を変えないと。
一度先生が気を使ってくださり空気を変えて受付に戻った時の景色。
朗らかさな空気に包まれていた。
ああじゃなきゃいけないよな、鬼みたいになってはいけない。
そこから先にあるのは争いになってしまう。
真剣にやる事は大前提として、その向かうべき方向性を修正しないと。
…
その為にも言うべき事はハッキリ言う。
でも角が立たない様に言い回しなども増やして行こう。
先生方がやってることを見ればわかる。
やるべき事は沢山あるけど、真剣に楽しんで一つ一つクリアしていこう。
変える部分が沢山あるのはそれだけ本当の楽しみが詰まっている。
今までの自分の在り方に固執してもおもんない。
枠は取らないとな〜
勝手に自分が作った抑圧するものを外す。
どこまでもいけそうな感じになる。
逍遥ってこう言うことなのかな。
昔の中国なんて今より殺伐とした世界だったからこそ出来た発想かもしれない。
通じる
相手と同じ空気になった時、感情がこちらにも通じる。
相手の心の景色が浮かび上がる?
同じ反応が起こる?
なんとも言葉で言い表し難いものですが、そんな体験がとても勉強になる。
波長の合う人と同じ状況になりやすい。
施術者目線に立つと、必然的に幅を増やしていく必要性が出てくる。
最近伝えてくださってるのもそういう事かなと感じる今日この頃です。
綺麗なところにいようとすんなよ自分。
そこから抜けたらもっと楽しいぞ。
と書いてみたものの、
また葛藤が自分に向いた。
この意識では変化が薄まる。
意識のベクトルを変えていく。
相手のことをもっと観察。
内向きを外向きに。
その為にも空虚に、冷静に。
















