学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

中国の思想(07)

老子 四十三章 無為のはたらき 天下之至柔、馳騁天下之至堅。 無有人無間。 吾是以知無為之有益。 不言之教、無為之益、天下希及之。 天下の至柔は、天下の至堅を馳騁す。 無有は無間に入る。 われここをもって無為の益あるを知る。 不言の教、無為の益、天下これに及ぶもの希なり。 (引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P82) 《私議》 一休さんのとんち話の中で出てくる 「生ある者は必ず死す、形ある物は必ず滅す。」 これは諸行無常を説いていたように思いますが、 老子のこの一節を読んで、ふと思い出しました。 日常生活の中で”自然体であること”の強さを日々感じています。 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店
六甲山

中焦・脾胃の働き

中焦・脾胃の働きについて

平胃散

先日家の近所へランチに行った。 出てきた量が予想外のボリュームだった。 炭水化物のオンパレード。 この時代に600円でありがたい話ではあるんだけれども、自分の胃の許容量は完全に超えてしまった。   翌日、舌を見るとまあ大きくなっている。 胖大。 腹の様子も変わっている。 ただ水分で多くなっているわけではないので潤ったテカテカな様子は見受けられず。   治療対象がはっきりした平胃散で対処して腹や経穴などの反応を追ってみた。 胃経の様子と腹が変わった。 腹証奇覧だと六君子湯の腹に近かった様に思いますが、平胃散でも対処できました。 便への影響もあり。   先週見させて頂いた患者さんの状態も過食だったのでいい勉強になりました。

山崎、太陰など

山崎 色々取っ払うために学生時代から何となく好きだった山崎駅にいきました。   特に何かがある訳ではないのですが、人通りもそんな多くなく、鳥や風の音が聞こえる中にある踏切の音もいい感じです。   何もない中、外の世界と向き合った時に以前教わった環境のお話が思い返された。   自分だけになってもいけませんが、自我の確立のさせ方も少し見えてきた気がします。   自分の課題と向き合う時、人と関わってどうこうするよりも先にそっちが必要ですね。     太陰など 太陰は太陰と呼ばれるだけあってやはり陰が一番深いところなんだと実感。   心の在り方にも影響するなと思います。   ベクトルが自分に向いて陰鬱な時、脾の弱りも考えられる。   思考がどう向かうかもわかりやすいです。   先週聞かせて頂いた話も水に関係していて、これから梅雨時に入ってどう臓腑が変化していくかみていくと勉強になりそうです。   また、ここで生まれた痰湿は氣滯と結びついて胆に波及する事もあると思う。   胆経に反応がある場合、痰湿を兼ねていることが多いと思います。    

私の相方は何なのか

陰陽とはどういったものなのだろうか? 陰は月、陽は太陽  陰は水、陽は火というイメージが 自分の中にある。 世の中の一切の物事には陰と陽で振り分けられていて、 お互いを助け合い、依存し、制約しあっていて、片方の 存在が消えれば、一方も存在しなくなるようだ。 では、もし私が陽であると仮定すると、相方の陰は 何になるのだろうか? 家族?友人?恋人?それとも人間とは全然関係のない ものなのだろうか。 僕が生まれてこなかったと仮定してみる。 僕がこの世に存在していなければ、私の妹達には兄がいなかった。家族や、友人、恋人の記憶にも存在しない。 小学生の時クラブチームで決勝ゴールをあげたあのゴールも存在しない。 友人と他愛もない話で笑い合った日常も存在しない。 今書いてる文書も存在しない。 未来に作り上げる物も子供も存在しない。 その先続く子孫もその歴史もない。 あげればキリがないほど消えていく。 私の相方は私の歩んできた道なのかもしれない。 私の全ての道とそれを作り上げてくれた一切の物事に感謝と敬意を表します。 PS.写真は私の地元の丹波篠山の朝日です。
20210617

鍼治療を受けて⑤

刺激というとき、まず物理的な接触(による操作)を想起する。 力、力量、力の方向を連想する。 学校の授業で取り扱われたのは専らこちらで 刺激量の調節が大事とされた。(自分は学生時代にはそう解釈していました) もし自分が誰かに腕を掴まれたのなら、 もっと大きな力を出せればそれを振り払うことをする様に 加えられた力には一定の抵抗が生まれるはずで、 痛くないように打鍼する技術は教わりながら 学生時代に感じていた違和感は、 ニュアンスがこれに近いのかも知れない。 でも実際は治療を受けているからだのうえに起こるのは、 ほんの些細な“刺激“でそれまで経験しない、想定していない反応が始まる。 ぜんぶ内側で起こっていて、自分の一番静かなところ から大胆に動かされる様な感覚。 定期的に治療を受けていても、 今日どんなふうに展開するのか分からない(のでドキドキする) (疑問も募る。これだけのエネルギーは普段いつどこで発露しているのか) ツボの存在について、ひとつ新しい気持ちで検討できそうな気がします。

分かりません禁止令

切診をさせていただく機会が増えました。 お腹の段差は何なのか。 右が辛いと主訴に対して左が硬い。 左足は凹んでいて痩せているのか。 右足は脹りがあり硬直している。 果たしてどちらが正常なのか。 どちらも正常ではない可能性もある。 下野先生に「何か感じましたか?」 と聞かれても、「分かりません」としか言えず、治療後の変化を診てから考えることにしました。 治療の後に切診してお腹や足の寒熱、凹凸、肌の色艶、左右差など変化を診ることで、初めて施術前に切診したお腹の段差と硬いものが邪だったことを知りました。 痩せていた左足は肌肉にふくよかさが出て左右差がなくなりました。 下野先生の問い掛けに「分かりません」と答えてしまったことに、寺子屋の帰り道ずっとモヤモヤする自分… 「分かりません」と答えてしまうと自身の思考を止めてしまい何も生み出せない。 次回から間違ってもいいから感じたことを先生に話していきます。 治療前と治療後の変化、手や指のセンサーを作りながら気付きと文献を照らし合わせながら積み重ねていこうと思います。

温煦作用は気の生理作用?

気の生理作用について。 気には推動・温煦・防御・固摂・気化の5種類の生理作用があると授業で教わった。 その時は特に疑問を持つこともなかったが、中医学の本に、 「温煦作用は陰陽の「陽」の機能であり、「気」の機能ではない」と書かれていた。 ”「陽」は温煦を主り「陰」は涼潤を主る。陽は温煦すなわち温熱性を主り五臓六腑・組織器官および気・血・津液・精を温暖にし、陰は涼潤すなわち寒冷と滋潤性を備え、陽の温熱性を抑制・調節し陽と共同協調して体温を一定に保っている。” (『新装版 中医学入門』神戸中医学研究所より抜粋) 一方で、 ”温煦作用は気の作用で、気は熱源として働き、気によって産生された熱により組織器官を温めすべての生理機能がスムーズに行われるようにする。” (『新板 東洋医学概論』 医道の日本社より抜粋) 温煦作用は陰陽?気?結局どっちなのだろう 読んでも答えはわからないので、疑問のままおいておくことにします。          
松の新芽

教科書の読み方を考える

傷寒の邪が人に中る場合、一般に浅い部分から徐々に深い部分に入っていくとされる。 あくまで基本の型として教科書的な説明として受けとめ理解したら良いとは分かりつつも、引っかかる。 鍼灸学校1年の冬、日暮れ時に学校を出たところで激しい悪寒戦慄に見舞われたことがあったが、 からだは反射的に手腕に力を込めて項に緊張状態を作り出そうとしているようで、 ガタガタと震える体は自分の意思で全く抑えが効かず、 やばい、やばい と声も漏らしながら多分まっすぐ歩くこともできていなかったはずで、 その時のことを思い返すと、自分の経験と「徐々に入ってくる」と表される様相は印象がかけ離れている。 太陽病の説明として、正気と邪気が体表において抗争する病証とのまとめは綺麗すぎてよく分からなくなる。 今後、この点についてどのような見方をもつようになるのか。 現状として記録 ______________________________________________________ 【参考文献】 新版 東洋医学概論/医道の日本社

水からのメッセージ

水の本を読みました。 水とはいったい何なんでしょうか。水は生命力だと言うことです。…人間は水によって栄養素を体内に取り込み、それらは血液によって体中に運ばれ、循環します。…水とはエネルギーの運び屋といえるのです。水は情報を転写し記憶することができるのです。……水は地球を循環し、私たちの体の中を経て、さらに世界へと広がっていきます。…水を知ることは宇宙と大自然、生命全てを知ることなのです。 水は答えを知っている その結晶にこめられたメッセージ 江本勝   著者は長年にわたって水の研究をされていて、特殊な機械を使って情報を転写した水を与えることで健康を回復させると言う独自の療法もおこなっていたようです。 そんな中で「雪の結晶は、二つとして同じものはない」という言葉にヒントを得て、水を凍らせて水の結晶写真を撮りはじめたところ、いろいろな発見があったそうです。 まずは世界各地の自然水を調べてみる 次に水に音楽を聴かせてみる それから水に言葉を見せてみる 驚いたことに全てにおいて色々な表情の水の結晶が写真に現れています。本の中にそれぞれの写真が紹介されています。一見の価値ありです。 そんな中でも美しい結晶として「愛・感謝」が最強のようです。 強いて言えば「感謝」が一番ともありました。 日常の食事をいただく時にも「いただきます。」、感謝を持っていただくことによって、その食べ物も良いエネルギー体に変化するということです。 全てにおいてよく「感謝」が大事とききますが、そういうことに通ずるのですね。 すべては人間の意識がつくっている。イメージが世界を作っている。 とも書いてありました。