学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

「10/7(日) 学生向け勉強会」の感想

講師は、盧先生より学びました。 私は現在、鍼灸学校の2年生です。 日々、書物を目にしたり妄想を繰り返したりする日々を過ごしておりますが、 「自分なら、○○なのかな~」とシュミレーションをしたりもします。 それが1年生とは違うところと感じています。 書物などを読み進める上で再確認できたのが、”帰納”と”演繹”。 【帰納】 個々の事例の観察より、これを含む一般命題を確立する事。 一つの症例より他の患者の症例も、このケースであろうとする。 【演繹】 1つまたはそれ以上の命題より、論理法則に基づいて結論を導出する思考の手続。 学術論議を症例を元に構築していき、結論を推定する。 本日学んだ事の一つで重要な事だと感じています。 歴代医家たちのカルテの集積が、症例集であって絶対的な答えではないのだろうと思えます。 学術的に議論の構築を進めることも重要に思いますし、 現実の臨床を繰り返すことと、歴代医家たちのカルテの集積とを見比べることも 精度を高める為に必要な事なのかと思います。 今年のノーベル賞受賞者の本庶佑博士は、記者の質問に 「・・・教科書に書いてあること、文字になっていることを信じない、疑いを持つこと」 と答え、有名な論文雑誌も疑う対象の例外ではないと強調されています。 「自分の目で物を見る、そして納得する。そこまで諦めない」 とも答えらています。 考えていた事と学んだ事がリンクする機会が多かったように自分では思いました。 座学をし、二礼二拍手の効果を実感し、病床にて臨床実技をし、、、 時間のある限り、幅のある講義を試そうされていた様に思います。 お疲れ様でした。次回も楽しみにしています。 最後になりましたが、機会を頂いた院長にお礼申し上げます。 平成30年 秋 稲垣 英伸

血の色は赤い

血液の赤色はどっからきているのか? 西洋学的に考えると赤血球に含まれるヘモグロビンの色だと学校で習いました。 ヘモグロビンは鉄(ヘム)とタンパク質(グロビン)が結びついたもので、この鉄が赤色素を持っているためです。 いっぽう、東洋医学的にはどうなのかというと話が複雑になります。 血は水穀の精微と腎精から化生される とあります。 二通りのパターンがあるようです。 パターン ① 飲食物が脾胃の運化を受けて水穀の精微に転化したのち、営気によって脈中に滲注し、肺に上輸されて清気と合するとともに心火(心陽)の温煦を受けて赤く変化し血となる。 つまり消化管で得られたエネルギーの素みたいなものを肺と心まで運び上げた後に、心のパワーで温められてようやく赤く変化するらしいのです。それまでは無色なのでしょうか? パターン② 腎精化血であり、腎陽の温煦により腎精が血に転化して脈中に入る。 この書き方だと腎の温煦でも赤くさせるのかがハッキリしません。でもきっと心と同じように温煦パワーで赤い血になっているのでしょう。 そういえば西洋学的に腎臓から産生・放出されるエリスロポエチンというホルモンが、骨髄での赤血球を産生を日々促しつづけているので、ここでは怖いほどシンクロしていますね。 因みに、エビやタコは青色の血(銅の色)、植物は緑色の葉緑素(マグネシウムの色)だそうです。 (基礎中医学 神戸中医学研究会 p19参照)  

京都薬用植物園の麻黄

先日、武田薬品工業(株)京都薬用植物園の『初秋の研修会』に行ってまいりました。 東洋医学の理解の為に、漢方の勉強の一環です。 ガイドの案内で植物園を一周します。 管理する研究員の方々は展示に趣向を凝らしていました。 「麻黄は砂漠に生息しているので、砂漠を模したスペースを造園中です」との事。。 『中薬学』などで、麻黄の効能(辛温解表薬・・)などについて書物の中を散策する事はありましたが、その植物の生息環境を考える事はありませんでした。 その気づきを頂いただけでも行った甲斐はあったように思います。 実際には麻黄の種類も豊富で砂漠のみの生息ではないようですが、基本的には乾燥した地域に生息するようです。 ”乾燥した地域に生息し、解表薬となる” この自然環境が導き出した答えに、探求心が沸き起こります。 水の上限で潤いの必要な華蓋に対して、効能のある植物が乾燥した地域に生息し、成分を蓄える・・ 私は中国で砂漠となると、思いつくのがタクラマカン砂漠でした。ゴビ砂漠もあり、砂漠は実際には複数存在します。 解表、皮毛、肺、砂漠・・西?、金の相生⇒水 『五行大義』 金居少陰之位。西方成物之所。物成則凝強。少陰則清冷。故金以強冷為體、従革為性。 現在は『五行大義』をよく読みますが、面白いルールが隠れていうように思えて仕方がありません。 【参考文献】 中薬学(東洋学術出版社) 方剤学(東洋学術出版社) 五行大義(明德出版社)

素問 陰陽応象大論篇(第5)から 

<学生向け 近日開催予定のイベント> 【学生向け勉強会のお知らせ】東洋医学概論をモノにしよう! →(随時お問い合わせ受付中です!) 【学生向け勉強会】「素問を読もう!」申込み受付中です →毎週火曜19時〜 または 毎週木曜13時〜(途中からの参加も可能です。) こんにちは、大原です。 素問の勉強会では、現在 陰陽応象大論篇(第五)の内容を読み解いていっております。 さて、素問 陰陽応象大論篇(第五)の中に、 気(人体を動かす力)、 形(肉体)、 味(飲食物)、 精(生命活動を維持する源泉) それぞれの相互転化についての記述があります。 その原文と読み下しは以下になります。 【原文と読み下し】 ・・・ 水為陰、火為陽。(水は陰となし、火は陽となす。) 陽為氣、陰為味。(陽は気となし、陰は味となす。) 味帰形、形帰氣、氣帰精、精帰化。(味は形に帰し、形は気に帰し、気は精に帰し、精は化に帰す。) 精食氣、形食味、化生精、氣生形。(精は気に食(やしな)われ、形は味に食(やしな)われ、化は生を生じ、気は形を生ず。) 味傷形、氣傷精。(味は形を傷り、気は精を傷る。) 精化為氣、氣傷於味。(精は化して気となし、気は味に傷らる。) ・・・ 原文三行目から、 体内での転化について述べられていますが、 どのように起こっているのかを原文通り順番に読んでいくと、 一見このようになります。 味帰形、 「味(飲食物)」→「形(肉体)」 形帰氣、 「形(肉体)」→「気(人体を動かす力)」 氣帰精、 「気(人体を動かす力)」→「精(生命活動を維持する源泉)」 精帰化。 「精(生命活動を維持する源泉)」→「化(必要な気血などを他の物質から変化させる作用)」 さらに4行目以降も転化についてですが、 精食氣、 「気」→「精」 (「精」は「気」によって食(養)われる、という意味から) 形食味、 「味」→「形」 (「形」は「味」によって食(養)われる、という意味から) 化生精、 「化」→「精」 氣生形。 「気」→「形」 となります。 矢印は、物質などの生成の向きを示していますが、 「形」は「気」を生成したり(原文3行目)、「気」は「形」を生成したり(原文4行目)、 また「精」は、「化」を生み出し(原文3行目)、反対に「化」から生成される(原文4行目)とあり、 チャート図のように読んでしまうと、 混乱してしまう印象を受けませんでしょうか? ですが、ここでのポイントは、 これらの相互の関連は その調和が保たれているということが重要だということだと思います。 「気」→「精」などのようにそれぞれ別個で抜き出すのではなく、 これらをまとめて、 「味」→「形」⇄「気」→「精」⇄「化」 のように表してみると、「気」について、 例えば次のように意訳できると思います。 「飲食物を得た肉体からは「気」が生じ、 その「気」が充実していると生命活動の源泉である「精」も充実してくる。 その「精」が充実してくると、飲食物から体内に必要な気血を化する作用を生みだす。」 このように、単に、肉体から「気」が生じるというのではなく、 飲食物を得て充実した肉体から「気」が生じるという、 一連の流れが重要なのだと思います。 同様に、単に「気」から「精」が生みだされるというのではなく、 飲食物を得て充実した肉体によって気が生みだされ、 (肉体や気が充実するためには飲食物もしっかりしたものが必要だと思いますが) その「気」が充実してくると「精」が生みだされるということだと思います。 一連の流れが重要だということだと思います。 以下に、参考までに、上の原文の意訳を記します。 【意訳】 水は陰であり、火は陽である。 火である陽は、人体においては気であり、 水である陰は、飲食物(味)である。 飲食物によって肉体(形)は形成され、 飲食物を得た肉体からは気が生じる。 その気が充実していると、生命活動の源泉である精も充実してくる。 その精が充実してくると、体内に必要な気血に化する作用を生みだす。 すなわち、精を作り出すには気を消費し、 肉体は飲食物を得ることで成り立っているのである。 また、化する作用によって精は生まれ、 気によって肉体ができるともいえる。 しかしながら、これらの相互関連は、その調和が保たれている場合にうまくいくのであり、 飲食の不摂生・偏った飲食があると、その飲食によって肉体はかえって損傷され、 肉体が損傷するので気も弱り、気から充実するはずの精も傷られることになる。 まとめると、正しい飲食からは肉体や気が充実し、さらに精をも生み、 精が充実していくると気も充実してくる。 反対に飲食の不摂生や偏った飲食は肉体や気が弱り、 精を作り出すこともできなくなるということである。 すなわち気は精をよりどころとしているので、飲食の不摂生によって障害されるのである。  

赤い宝石

先日、奈良でいちご狩りを堪能してきました。 私は奈良のブランドいちごの「あすかルビー」の大ファンです。 2年前から春になりオンシーズンになると、あるルートから毎週注文して「あすかルビー」を堪能していましたが、今年からは手に入れるルートがなくなってしまい残念に思っていました。 ところが今年は運良く現地に行く機会に恵まれて、思いっきり堪能できたのです。 もう何個食べたかわかりません(笑) 真っ赤な大きく膨らんだ苺は見るだけでテンションが上がって最高ですね。 赤い宝石と言われますが、全くその通りです。 そうそう、最後に勉強にも繋げないと。 薬膳 いちご 体に必要な水分を補充し、体の組織や器官を潤す働きがあります。食薬として滋陰類に分類されます。(※肝経・胃経・肺経の経絡に強く作用) 潤肺生津 肺に潤いを与え、体に不足した水分を増やす。 滋陰補血 体に必要な潤い(水分)や血液を養う。 清熱解毒 体にこもった熱を冷まして取り除くと同時に、毒素を体外に排出する。 利尿 体に滞った余分な水分を、尿として排泄する。 健脾和胃 脾を強くし、胃の調子を整える。 SATOYAMA 食薬図鑑 https://www.satoyama.bio/databook/fruits/strawberry/ 確かにお腹いっぱいいちごを食べた後、身体が冷えて、しばらくしたら利尿効果が半端なくトイレばっかり行っていました。 今回は食べ放題だったので、必要以上に食べてしまったのが悪かったんだと思います。でも2時間ほどしたら、あんなにたくさん食べたのにかかわらず、お腹がペコペコになって胃がスッキリしていました。 ちなみに、ちょうどその日はWBCの日本vsメキシコの日で、隣のビニールハウスから「やったー!、日本逆転や! 勝った!!勝った!!」と1人のおじさんが叫ぶと、ビニールハウス中が一気に歓喜に包まれました。みんな苺を摘みながらも、日本の勝敗が気になって仕方なかったんですね。とってもよい思い出になりました。

今週のこと

今月から学校が対面授業になり、月経1週間前とタイミングが重なりました。 ブログを何回書いても考えがまとまらないので、今週はこの状態でありのままに書くことにします。 私は感受性が高い方ですが、今週は実習や治療や自分でも、ほぼ毎日体に鍼をしたりお灸をしましたが、痛みや熱さをほとんど感じませんでした。 「ひびき」と言われる刺激でも、普段は不快なのに今週は何ともありません。 私の中でセンサーがポッキリ折れた感じです。表面は気を張って元気そうに見えても、中はグニャグニャです。 脈も同じような感じです。脈の輪郭(断面)は雫型のようでした。浮取りは尖っていて、中〜沈取りにかけて輪郭があやふやになります。 沈(虚証)、滑(痰湿)、弦、細(血虚・陰虚)でしょうか?輪郭がボケてしまうのはどれかわかりません。 週の初めは夜だけ火照っていたのが、週末には一日中火照り、体の中で熱風の竜巻が吹くようになりました。頭痛、耳鳴りもありました。 魚腰や印堂あたりは重くて雲がかかっているようです。 舌については、舌は歯痕・胖嫩舌、舌中舌根は淡、舌尖は紅。舌根にかけて厚白苔。 それから歯痕舌が次第に消えていき、舌尖に紅点が出てきました。舌苔も少し薄くなってきました。 週末には細かな裂紋が舌中から舌尖に向けて幾筋ばかり出現しました。 肝は月経を主り、疏泄が任脈と衝脈から女子胞(子宮)に紅血を送り出す役割を担っています。月経前は疏泄が変動しやすく、肝鬱気滞、肝火上亢の場合は頭痛、急燥、不安感、乳房の脹痛などの症状が出現し憎悪する。 と教科書では記されています。 生殖器系は「腎」が主ると思い込んでいました。 私の月経前症候群の症状を振り返れば、月経が「肝」が主るのも頷けます。 【参考文献】新版 東洋医学概論 医道の日本社  

東洋医学探訪(01)

もう夏の終わりですが、私の日焼けは遊びではありません。 修行の結果です。 京都を散策してまいりました。 『延命院』とは『医療施設』 御由緒 (引用:武信稲荷神社の”案内”より) 平安時代初期、清和天皇貞観元年(859年) 西三条大臣といわれた 右大臣左近衛大将 藤原良相(よしすけ)公によって創祀。 平安時代の古図には三条から南の神社附近一帯は 「此の地、藤原氏延命院の地なり」と記されている。 延命院とは藤原右大臣によって建てられた医療施設であり、 当社は延命院と勧学院(学問所)の守護社として創祀された。 後世、藤原武信(たけのぶ)公がこの社を厚く信仰し、 御神威の発揚につとめたので、武神神社と称されるようになる。 その後延命院・勧学院は失われるが神社だけが残り、 創祀以来一千余年にわたり広く人々に信仰されて今日に及んでいる。 撮影をけっこうしましたが、蚊にはご注意ください。(経験談!)

ホップ

豊中に行って業務終わりくらいに先生が受付さんに話をしていた。 横で話を聞かせて頂く。 その話と単語から連想するイメージ。 トーン、雰囲気もあるのかな。 心が軽くなった。 その時の感情を食材で表現したくてスーパーへ行く。 今回はホップで試してみたけど、少し違うな… でも、ホップが含まれるものを採ると眠くなると言うのは収穫でした。 もちろんノンアルコールです。  

周囲

気をどこに使うか。   それも一つの自分の課題な気がした。   受付の時も自分は必要以上に気を分散させてしまっている気がする。   そんな事に気を取られている場合ではない。   周りと自分の境界線を考え直さなきゃいけないと思った。   それが自分の心のありようも繋がってくると思う。   いかに無駄を省けるか。   でもそこに無駄を省くための作為が生じない様にしたい。   また精神状態の変化と手の感覚の変化を追っていても勉強になっている。   どんな時でも手を含め何かを感じる事は忘れない様にしたい。   その為にもっと心を柔らかい状態に保たなければなとも思う。

今の状態

頭でっかちの石頭でありのままを受け入れることができない大馬鹿者。   そんな表現が今の自分に相応しい。   起きた現象に対して拾って集めた記憶にあるものを当てはめて喜んで…   そんな状態でそこに先入観無しで向き合えるのか。   そもそもそんな状態でありのまま受け取れているとでも思っているのか。   都合のいい部分だけ捉えて形を変えて頭に入れていないか。   こんな事をやっていたら全ての現象に申し訳ない気持ちになる。   人に対してもそう。   向き合うための準備が出来ていない。   もっと素直に、正直に生きたい。   こんなんじゃ薄っぺらい言葉しか吐けないし、行き着く先は量産型の人間。   変えないと話にならない。   今のところ対策として、朝起きた時に今起きている現象をそのまま受けとることを意識して(意識せず)、感じたことをノートに書き留めてみています。