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随時、追加、編集していきます。
他にも良いブログがあれば、ご紹介していただければ嬉しいです。
しゃべる訓練など
しゃべる訓練
しゃべる訓練として自分語りをします。
先日一鍼堂で「なぜ鍼灸師になろうと思ったのか」と言った話を先生とした。
その時にお伝えした内容ですが、それよりもっと前になぜ医療をやりたいのかと言った問答が自分の中にあった。
大学生一回生の時、情報基礎倫理の授業で
「グラスに入った水が半分残っています。
これをどう考えますか?」
と言ったテーマで講師が話していた。
その問いに対して
「残り半分もある」
「残り半分しかない」
どう捉えましたか?
と言った内容だった。
話を聞いていて、ふと陰陽の考え方がよぎった。
グラスには水の入った部分もあれば空の部分もある。
全てには逆の側面がある。
もちろんその先もあるが、ほとんどの事象はそう。
世間一般の良いや悪いの評価に対して
何でお前らに決められなあかんねん、と疑問を抱いていた中で出会ったそんな考え方。
自分の中にドカーン!と言った感覚があって、その日の学校の帰りは見るもの全ての逆の側面を見るようにしていた。
東洋医学の中にある考えの一つに触れ、それが何なのか知ってみたくなった。
何となくですが、その先に自分みたいなしんどい人が救われる未来があるのかなと医療人を目指したような気がします。
過去に囚われるのは良くありませんし、そこに縛られている訳でもありませんが、先へ進む為にもいい振り返り方はありかなと感じた。
カフェにて
老子を読んでいて、ボーッとしながらふと周りの景色が入ってきた。
その時に大きく飾られていた世界地図を見た。
ありきたりな感想ですが、
「日本って小さいなぁ」
そう思いました。
この狭い国の中でさらに狭いコミュニティに縛られる必要はない。
もっと広く、大きなものを。
世界地図だって宇宙を含めたらまだまだ狭い。
どこまでも伸び伸びと。
思い浮かんだ逍遥という言葉。
単語としては一番好きかもしれません。
何も抱かない
何か不満が募る。
そこは出した方がいいかもしれない。
でも、そこを抱かない事が一番大切。
最初からなければ何も生まれない。
何に焦点を当てて生きていくか。
スッキリした人間でありたい。
腹部と経穴
習った腹部のエリアと経穴を一致させるために、心経の穴のみをを軽く刺した。
刺した後に感じる腹部の変化。
変化を感じる事ができて良かったです。
腹診で 1
同じ方のお腹を定期的にみる中、
お腹全体に何か分厚い膜でも被さった様に
感じられる場合がある。
普段の
お腹の柔らかさが感じられる時に
受け取れる、内からの感覚が感じ取れず、
温冷どちらも特に立っておらず、
鈍さ・硬さとして感じる。
(続く)
流れ
堰き止められた川が開放されるような感覚は初めてでした。
とてもシンプルなことなんだなぁ…
と治療を受けた後はいつも思うのに、本を読んでいる時は一言一句に目が止まって、中々前に進めない。
わざわざ自分でダムを作っているんだなと思う。
自習
新しい本に入りました。
今はこの本です。
今まで読んだことがなかった斬新な切り口で面白いです。
特に冒頭に書かれている六部定位の脈診の考え方に感心しました。
右手
肺→リンパ系
脾→消化吸収
腎陽→カテコールアミン
左手
心→アドレナリン系
肝→自律神経系
腎陰→コルチゾール系
ーー漢方治療の診断と実践 漢方水嶋塾講義録 三和書籍 よりーー
西洋医学での現象とリンクさせた考えはとても興味深いです。まだ読んでいる途中ですが、どうやら経方医学の著者の江部洋一郎先生の考えがベースのようです。
また宿題が増えそうです。
ある患者の所見から
ある患者の所見から──
気虚がベースにあり年齢的にも腎精の減退は必至。
心火の過度の亢進の元に
心腎の不交が患部の症状を引き起こしている主因と想定していた。
治療中に鬱熱が発散される様が見られる等の所見が
当初こそ見られたものの最近ではそうした著しい変化が追えない。
本格的な寒気到来に合わせ体調は悪化。
寒邪を感受、裏に入り
程度のきつい手足厥冷と浮腫は定着気味。
以前にも増して処置後の変化を追うことが容易じゃなくなってきた。
最初の検討のまま只今寒症の所見が表に強く現れていると考えるべきか。
秋口には隠れていた本態が上下で現れていると捉えるべきか。
そんな時期に手の冷えが緩和が確認される日があった。
胃の気を動かして後押しをすべく配穴に変更を加えて処置。
次回に繋げる。
老子の第一章から想像
先日老子を読み終えました。
速読を意識したので二周目はじっくり読んでいきたいと思います。
第一章
道可道、非常道。名可名、非常名。
無名、天地之始。有名、萬物之母。
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。
此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。
訓読文
道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万物の母。
故に、常に欲無くして以て其の妙を観、常に欲有りて以て其の徼を観る。
此の両者は同じきより出でて而も名を異にす。
同じきを之を玄と謂う。玄の又た玄、衆妙の門。
・この文章から今の時点で感じている事
これが道だというものは常の道ではない。
道は万物の根元ではあるが、それを言葉で説明することは出来ないし、ましてや名付けることなど出来ない。
全ての事象は道から為るが、道を観ようとすれば無欲でなければいけない。
無欲のため観えるものは妙であり、奥深い。
有欲であれば徼しか観ることが出来ない。
妙とは「あまりにも奥深くて見ようとしても見えないこと」で、
徼とは「帰結や端」という意味とされます。
妙も徼も同じ玄から生まれるものではあるけれども観ているものが違う。
王弼は
「両者は始と母である。同出とは同じく玄から出ること。異名とは名付けられる場面が同じでないこと。首(はじめ)に在れば始といい、終にあれば母という」と注釈されています。
図解雑学 老子では
「「名有る」状態が「万物の母」だというのは、万物は名が与えられてはじめて万物と認識されるからで有る」
としました。
第四十二章では
「三生万物」という言葉がありますが、これは「天地間の陰陽の気が混ざり合って万物を生むということ」とされます。
つまり欲がある立場に立てば
徼という「天地間の陰陽の気が混ざり合って生まれた万物に名前がつけられた状態」しか観えないのではないでしょうか。
確かにそれは玄から生まれたものの一つではあるけども、端であって全てではないのかなと思います。
何事も無欲の立場で妙を観なければいけないのではないかと思いました。
道は奥深くて決してこれ!と捉えられる存在ではけれども、老子の様に無欲の立場に立てば感じることが出来るものなのではないのでしょうか。
道理という言葉は広辞苑では「物事のそうあるべきすじみち」とされますが、
道の理はどこまでも奥深いので、妙であり「玄の又た玄、衆妙の門」とされたのではないのかと思います。
臨床現場にまだ立っていませんが、きっとそういったことも必要なのではないか。と感じています。
参考資料
老子 岩波文庫 蜂屋邦夫著
図解雑学 老子 ナツメ社 蜂屋邦夫著
広辞苑 第七版 岩波書店
易経 その1
東洋医学を学んでいると、易経の八卦の話が出てくることが、度々あります。それは東洋医学の陰陽五行の考え方が易経の陰陽の考え方をベースに発展してきた理論があるからです。
八卦にはそれぞれ象徴となるマークがあり、
「卦名」と「正象」
☰乾(けん)=天(てん)→金
☱兌(だ)=沢(たく)→金
☲離(り)=火(か)→火
☳震(しん)=雷(らい)→木
☴巽(そん)=風(ふう)→木
☵坎(かん)=水(すい)→水
☶艮(ごん)=山(さん)→土
☶坤(こん)=地(ち)→土
以上の関係性で結ばれています。
ずいぶん以前に初心者のための易経の入門書を勧められて購入したことがあり、それはある勉強会でそれを題材に講義をうけるためでした。その時パラパラと主要なところを開いて線を引いただけで、全体を読むこともなく、それ以降ずっと私の本棚に眠っていました。
今回こちらで学習をする自由な時間をいただいたこともあり、何年かぶりに本を開いて初めから最後まで一読したところ、少し興味を持つことができました。
つづく
六字訣
面白い動画を見つけました。
中国式気功の一つのようで六字訣(ろくじけつ)といいます。
この功法は六字を唱えながら呼吸することで内臓を強化できるみたいです。
六字(呵呼呬吹嘘嘻)はそれぞれの内臓と対応関係にあります。
訣の意味は調べると、「おくのて」「おくぎ」とありました。
呵(ホー)→心・小腸
呼(フー)→脾・胃
呬(スー)→肺・大腸
吹(ツゥェイ)→腎・膀胱
嘘(シュー)→肝・胆
嘻(シー)→三焦
それぞれ対応する内臓の邪気を排出することを意識して行うようです。
※詳しいやり方を知りたい方は動画をご参照ください。
回数は、健康な人が毎日行う場合は、それぞれ2回で充分で、どこか特定の内臓が弱っている人が治療目的で行う場合は回数を増やせばいいようです。
割と簡単にできそうなので、昼休みにでも取り入れてみようと思います。
中国の思想(01)
老子
一章 真理は固定したものではない
道可道、非常道。
名可名、非常名。
無名天地之始、有名万物之母。
故常無欲以観其妙、常有欲以観其徼。
此両者同出而異名。
同謂之玄。
玄之又玄、衆妙之門。
道を可とする道は、常なる道に非ず。
名を可とする名は、常なる名に非ず。
無は天地の始まりの名、有は万物の母の名。
故に常なる無は其の妙を観さんと欲し、常なる有はその徼を観さんと欲す。
この両者は同じ出にして名を異とする。
同じく、これを玄と謂う。
玄のまた玄を、衆妙の門とす。
【参考文献】
『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店















