学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

はじめに。

鍼灸学校に通う西です。 想いが募って数日前に一鍼堂に伺い その夜 振り返って 無知な自分に慌て心もがきました し これからもその繰り返しでしょうが 想いだけはまだちゃんと生えてくるので 東洋医学の世界で 何にもなれないかもしれないですが 前進が見えなくても泳いでいけるように 日々傾けていけたらと思っております。 宜しくお願い致します。 ーーーーーーーーーーー 東洋医学について、学校の東洋医学概論の授業や教科書で触れてきましたが、まだまだ落とし込めておらず。ひとまず東洋医学の基本用語や作用などの理解に努めようと、入門書をちょこちょこ読み進めております。 そしてブログに何を書こうかなと思案する中で、先に記した文を読み返してみたら 自分の気持ちの様がまるで陰陽のようでしたので、陰陽について少し。 ーーーーーーーーーーー 陰陽は、中国の古代哲学思想にもとづいた概念で、「事物はすべて陰と陽の対立する性格をもつ2種に分けることができる」という観点から分類されている。この観点から学ぶべきことは、すべての事物のなかに促進と拮抗という対立した面が存在しつつ統一されているということである。 同じ陰陽でも使用する状況によって数種の異なった概念を意味するので、十分な認識が必要である。 〈陰陽の相互関係について〉 ・対立と互根 陰と陽は相反する属性で成り立っている。この対立した組み合わせは、どちらか一方だけでは成立しない。このような陰陽の相互依存を互根という。 ・対立と制約 陰と陽は対立するものであり、互いに制約し合っている。陰は陽を制約し、陽は陰を制約している。このような制約によって平衡を取ることができる。 ・消長と転化 陰陽の量が増えたり減ったりすることを陰陽消長という。陰陽が消長を繰り返すためには、陰または陽が増加や減少を続けるのではなく、ある一定のところで増加は減少に、減少は増加に転化しなければならない。転化がなければ消長の結果、陽または陰しかなくなってしまう。これを防ぐため陰は極まれば陽に、陽は極まれば陰となるのである。 ・可分 陰陽に分けられることを可分という。陰陽は条件によって細分化することができる。絶対的な陽や陰というものは少なく、相対的に陽や陰となることが多い。 陰陽の平衡が保たれていれば正常。 陰陽の平衡が保たれなくなっている状態が病。 人体にも陰陽の法則がある以上、治療においても陰陽の考えを用いることが不可欠である。 治療においては、人体に起こった陰陽のバランスを整えることが原則である。 ーーーーーーーーーーー なにぶん自分の言葉で考えを構成するまでの力がありませんので、インプットしていて、より腑に落ちていく箇所を挙げています。 参考文献 『中医学入門』 神戸中医学研究会 『新版 東洋医学概論』 医道の日本社 『やさしい中医学入門』 関口善太 『現代新国語辞典』 学研 西

權・衡・規・矩

陰陽應象大論篇第五 善診者、察色按脉、先別陰陽、 審清濁、而知部分。 視喘息、聽音聽聲、而知所苦。 觀權衡規矩、而知病所主。 按尺寸、觀浮沈滑濇、而知病所生。 以治無過、以診則不失矣。 善く診る者は、色を察し脉を按じて、先ず陰陽を別ち、清濁を審らかにして、部分を知る。 喘息を視、音声を聴きて苦しむ所を知る。 權・衡・規・矩を観て、病の主たる所を知る。 尺寸を按じ、浮・沈・滑・濇を観て、病の生ずる所を知る。 以て治すれば過ちなく、以て診すれば則ち失せざらん。 ※權衡規矩 →馬蒔の説「春は規に応じるとは、陽気の柔軟なのが、丸い規のようであることをいう。 夏は矩に応じるとは、陽気の強く盛んなのが、方形の矩のようであることをいう。 秋は衡に対応するとは、陰が昇り陽が降り、高下が必ず平となることをいう。 冬は權に応じるとは、陽気が下にあるのが、重い權のようであることをいう。』 權(ケン、ゴン) (01) 木の名 (02) おもり。ふんどう。 (03) はかり。てんびん。 (04) はかりにかけて重量を知る。 (05) たいらにする。ならす。 (06) たいら。 (07) いきおい。 (08) はたらき。能力。 衡(コウ) (01) よこ。よこたわる。 (02) 牛のつのぎ。牛の両角に横に結んで人に抵触するのを防ぐ木。 (03) くびき。轅の端に設けて牛馬の頸につける木。 (04) こうがい。 (05) よこぎ。はり・けた。 (06) てすり。 (07) はかり。はかりざお。 (08) はかる。 (09) たいら。ひとしい。 (10) ただしい。 (11) ひしゃくの柄のかしら。 ☆權衡(ケンコウ) (01) はかりの重りと竿。転じて、物事の釣り合いをいう。 (02) 事物を品評する標準。比較。 (03) 二星の名。軒轅と太微。 規(キ) (01) ぶんまわし。円を畫く道具。 (02) まる。円形。 (03) まるい。まどか。 (04) そら。あめ。 (05) まるをかく。えがく。 (06) うつす。模写する。 (07) のっとる。 (08) かぎる。くぎる。 (09) たもつ。領有する。 (10) はかる。 (11) ただす。 (12) いさめる。 (13) のり。おきて。さだめ。 (14) ようす。風釆。儀容。 (15) てほん。儀範。 矩(ク) (01) さしがね。四角形を正しく畫くのに用いるもの。 (02) 四角形。 (03) かど。 (04) のり。きまり。おきて。 (05) 地。(天圓地方の説:天は円くて、地は方形) (06) さし。長さをはかる器。 (07) きざむ。しるしをする。 (08) 秋。 (09) 幅と長さ。たてよこ。 (10) 萬に通ず。 ☆規矩(きく) (01) ぶんまわしとさしがね。転じて、規則。てほん。常道。 (02) 戎(遊牧民族)の名。 (03) 高さが略々一様で綠色の毛氈を敷いたように生える草。 ★ 馬蒔のいわゆる”四季に応じる”とする説(規→春、矩→夏、衡→秋、權→冬)。 理解になじめず、一言ずつ調べてみました。 この”權衡規矩”ですが、馬蒔は四季との対応させる事を表現に用いておりますが、 計量や法則の意味と捉えられる単語を、四季に相応させる不思議を感じます。 四つの単語の權・衡・規・矩ですが、 実は權衡・規矩のような二字熟語の組み合わせで表現してみては、、 との仮説を考えてみます。 陰・陽も”陰陽”、清・濁も”清濁”で通りますので、 浮・沈・滑・濇も”浮沈”と”滑濇”にて。 『陰陽を別ち、清濁を審らかにして、喘息を視、音声を聴き、 權衡や規矩、浮沈や滑濇を観て、病の生ずる所を知る。』 より探求が進んで、洗練された答えにたどり着く事を夢見て、 内經を読みといていきたいと思います。 【参考文献】 『現代語訳 黄帝内経素問 上巻』東洋学術出版社 『黄帝内經』中医戸籍出版社 『大漢和辞典』大修館書店 (權:六巻605頁、衡:十巻165頁、規:十巻322頁、矩:八巻288頁) 『新版 東洋医学概論』医道の日本社

服薬

自分の体で薬を色々試している。 この前、ある薬を服用してすぐに先週刺した箇所周辺に反応があった。 しかし長続きせず。 瀉法の薬だから当然か。 一過性の反応もあるものだと感じた。 動き方として面白いものがあるので、この薬の反応はまた追っていきたい。 しかし一般的に漢方薬はゆっくり効くというけど、実際はそんなにゆっくりでもないよなと感じます。  

今日の気付き

今日は白石さんの舌の写真を撮りました。 なかなか思うようにうまく撮れない・・。 教えていただいたコツを忘れないようメモして次回の撮影に活かします。 その後、腰の調子がイマイチと白石さんがお話されていたので、腰をみさせてもらったところ、 左の腰が右にくらべ張っており色も暗い感じがあったので、そこばかりに意識がいっていたのですが、 診る人によっては右の腰のほうがよくないと言われることもあるよ〜とお話されていました。 考えが偏りすぎて情報を見逃してはいけないですね。 まだまだ私の視野が狭いので毎回毎回学ぶことばかりで、勉強会、楽しいですo(´∀`)oワクワク

ホップ

豊中に行って業務終わりくらいに先生が受付さんに話をしていた。 横で話を聞かせて頂く。 その話と単語から連想するイメージ。 トーン、雰囲気もあるのかな。 心が軽くなった。 その時の感情を食材で表現したくてスーパーへ行く。 今回はホップで試してみたけど、少し違うな… でも、ホップが含まれるものを採ると眠くなると言うのは収穫でした。 もちろんノンアルコールです。  

下巨虚

前回の続きです。   合穴である下巨虚について調べていきます。   《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》P108 邪気蔵府病形篇 「小腸の病の症状は、下腹部が痛み、腰や背骨が引きつり睾丸まで痛み、大小便がつまり苦しみ、耳の前が発熱し、或いは寒が甚だしく、或いは肩の上の熱がひどく、手の小指と薬指の間が熱く、或いは絡脈がおちくぼみます。これらはみな小腸の病です。 手の太陽小腸経の病は、胃経の下巨虚に取って治療します。」   ↑の文章を基に考えていきます。   《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》P507 張論篇 「小腸張の症状は、下腹部が張り、腰にかけて痛みます。」   → ・下腹部は小腸のある部位なのでそこが痛み、それが腰まで影響している。 ・耳の前、肩の上は小腸経上にあるのでそこに反映されているのだと思います。 ・手の小指と薬指の間に関しては、小指あたりに経の走行がありますがそれを指すかはわかりません。   《現代語訳 黄帝内経素問 上巻》P164 霊蘭秘典論篇 「小腸はすでに胃で消化された食物を受け取り、食物の精華を抽出して、全身に輸送します。」 《全訳 中医基礎理論》P131 「張介賓は『素問 霊蘭秘典篇』を「小腸は胃の下に位置し、胃中の水穀を受盛して清濁を分ける。そこで水液は前部に吸収され、糟粕は後ろに送られる。脾気は化して上昇し、小腸の気は化して下降する。そのため化物が出るというなり」と注釈している。」   《中医学ってなんだろう》P239 「小腸の蔵象 内部の状態 小腸が清濁を分けられなくなり、余計な水分が大便に混入する。または濁ったものが尿に混入する。 →現象 ・大便が緩い ・下痢 ・尿がにごる など。 内部の状態 小腸から、水分がきちんと吸収されない。 →現象 ・尿の量が減る 内部の状態 小腸の働きが悪くなり、濁ったものが下へ送られなくなる。 →現象 ・お腹が張る ・腹痛 ・嘔吐 ・便秘 など。」   《穴性学ハンドブック》P159 「下巨虚 湿 分清濁、祛湿邪、燥湿、滲湿」   《全訳 経絡学》P 52 「李東垣は張元素に学んだが、その著書である『薬類法象』で、昇降や浮沈により薬性を論じて、茯苓は手の太陽(小腸)へ入り、麻黄は手の太陰(肺)へ入るとし、それぞれの経脈に導く引経薬、報使薬、向導薬を打ち出している。」   →胃からドロドロになって降りてきたものを小腸が受け取る。 受け取ったものを清・濁に小腸が分別する。 清は水穀の精微で、脾の運化へ 濁は大腸へ送られる 小腸の働きが悪いと分別ができず、そこに留まる。 すると下へ送ることができないので留まり、張って痛む。 穴性学ハンドブックで分清濁とある様に、下巨虚によって小腸の働きが改善すると清は脾、濁は大腸へと送られていく。 結果として小腸の張りなども改善される。 また、祛湿邪 滲湿とある様に利水滲湿薬で小腸に入る茯苓の様な一面もあるかもしれない。 邪気蔵府病形篇の寒熱の現象がなぜ起こるのかがもっと調べていく必要があると思います。   参考資料 《現代語訳 黄帝内経素問上巻》 東洋学術出版社 南京中医学院編 《現代語訳 黄帝内経霊枢上巻》 東洋学術出版社 南京中医学院編 《中医学ってなんだろう》    東洋学術出版社 小金井信宏著 《全訳 中医基礎理論》     たにぐち書店  印合河主編 《全訳 経絡学》        たにぐち書店  李鼎主編 《穴性学ハンドブック》     たにぐち書店  伴尚志編著

ミート、霊道、名前

  ミート 体の使い方の件で、なぜそうするかのイメージが繋がって発見がありました。   要領はサッカーのキックと共通する部分も多いにあると感じて発見がありました。   ただ、その前段階で患者との信頼関係が出来上がっていないと相手も反応してくれないと思うので 色々感じ取りながら、向き合いながら相手を主体にやっていこうと思います。     霊道 患者さんの状態を観察させて頂いきました。 成因についても教えていただき、またそれがなぜ起こるか。 穴から背景が見える現象が勉強になりました。 その時の患者さんの様子も覚えておこうと思います。   名前 その場所にいる時はどういった自分でありたいのか。 自分のスタンスを表す名前にしたい。 一つは「貞」を盛り込みたいと思います。   意味は二つの意味で一つは自分のためで、もう一つは医療人としての意味を込めました。   自分のための意味としては   貞には「定」という意味があり、精神が安定して惑わされないという意味もある。 頑固になる訳ではなく、一つ自分の核を持って物事に向き合いたいと思います。 堅物になりたい訳ではありませんが、奥底にはいるべきものを納めて浮つかないようにしたい。   医療人としての意味は易学の乾元亨利貞から取りました。   この意味を表す前置きとして、 「尚書」の「天一生水、地二生火」 の言葉があり、 万物発生論としてまず水が生まれたとの考え方が私は好きだからです。   菅子でも 「人は水である。男女の精気が合し、形となったものである」とあり、水に人間を例えています。   水は坎水なので、坎を探ると陰の画象、陽の画象、陰の画象で出来上がっている様に中に陽を宿す。   その水が生まれる前段階として 乾(純陽)と坤(純陰)が交わりがあり、 坤(陰)の中に陽(陽)が入ることで水が生まれた。   昔、大変自分に影響を与えた本で火神派ではなく火神派的な医案解説集という本があり、そこには 生命現象とは「無形の陽気」が「有形の陰気(肉体)に宿っている状態」といった内容が書かれていました。   ここで患者さんの生命現象の本質を水の中に宿る陽で見てみた時、 乾の特性である「元亨利貞」は 訓読みで 「元まり亨り利しく貞し(はじまりとおりよろしくただし)」   易経講話 「天の大元気の働きによって、万物は始まり生まれるのである。それが元であり、始まるのである。 それが始まり生まれると、だんだん盛んになり、十分に伸びていくのである。 それが亨であり、通るのである。 盛んになり十分に伸びていくと、それぞれの物が各々そのよろしきを得、その便利とするところを得るのである。 大きくなるべきものは大きくなり、小さくあるべき物は小さくできあがり、太いものは太く、細いものは細く、各々そのよろしきところを得、各々その利とするところを得るのである。 それが利であり、よろしきである。 各々そのよろしきところを得ると、その正しきところを堅固に守って完全に出来上がるのである。 それが貞であり、正しきである。」   これが私には良い状態の人間の一生の様にも感じられ、貞は完成形なので、患者さんの最大限のパフォーマンスを最大限発揮できる貞の状態に持っていきたい。 との意味から貞を選びました。   一文字でいくか、他の文字も入れるか考えてみます。   参考資料 易経講話(1) 公田連太郎 明徳出版社 P141〜146 火神派ではなく火神派的な医案解説集 小金井信宏著 星雲社P26〜35、P108 中国の水の思想 法蔵館 蜂屋邦夫 P148、149  

閃輝暗点

先日、閃輝暗点というものを経験しました。 今までに経験したことがなかったので正直焦りました。 仕事をしていたら、右目の視野の真ん中が見えにくくなっていることに気がついて、ちょうど太陽などの強い光を直視した後に、その部分が緑っぽくなって見えにくい感じです。 おかしいなと思って目をつぶってみたらギザギザした半円状のものが見えてプリズムみたいに光ってました。それがだんだん大きくなってきてますます見づらい状態になってきたので、とりあえず近くに眼科があったので診てもらいました。眼科に着いた頃にはその症状はなくなっていましたが、診てもらった結果は片頭痛の前兆によく起こる症状の閃輝暗点だということでした。 私の場合は片頭痛は起きなかったですが、そういう人も多いそうです。とりあえず失明などの重症の前兆でなかったのでひと安心でした。 眼科では脳血管の痙攣が原因だといわれましたが、あとでネットで調べると発生のメカニズムはまだよく解明されていないようですが、今は視覚野の血管痙攣説よりも大脳皮質神経の機能不全が、視覚中枢の後頭葉から始まり、徐々に周辺に広がるという脳神経細胞の機能不全説が有力となっているようです。 何だか機能不全説の方が重症に聞こえるんですけど・・・ 要するにその部分で気血不足が起こったんでしょう。そして原因はストレスです。 ストレスと言われると何でも納得させてしまう力がありますね。

老子の第一章から想像

先日老子を読み終えました。 速読を意識したので二周目はじっくり読んでいきたいと思います。   第一章 道可道、非常道。名可名、非常名。 無名、天地之始。有名、萬物之母。 故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。 此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。   訓読文 道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。 名無きは天地の始め、名有るは万物の母。 故に、常に欲無くして以て其の妙を観、常に欲有りて以て其の徼を観る。 此の両者は同じきより出でて而も名を異にす。 同じきを之を玄と謂う。玄の又た玄、衆妙の門。   ・この文章から今の時点で感じている事 これが道だというものは常の道ではない。 道は万物の根元ではあるが、それを言葉で説明することは出来ないし、ましてや名付けることなど出来ない。 全ての事象は道から為るが、道を観ようとすれば無欲でなければいけない。 無欲のため観えるものは妙であり、奥深い。 有欲であれば徼しか観ることが出来ない。 妙とは「あまりにも奥深くて見ようとしても見えないこと」で、 徼とは「帰結や端」という意味とされます。 妙も徼も同じ玄から生まれるものではあるけれども観ているものが違う。 王弼は 「両者は始と母である。同出とは同じく玄から出ること。異名とは名付けられる場面が同じでないこと。首(はじめ)に在れば始といい、終にあれば母という」と注釈されています。 図解雑学 老子では 「「名有る」状態が「万物の母」だというのは、万物は名が与えられてはじめて万物と認識されるからで有る」 としました。 第四十二章では 「三生万物」という言葉がありますが、これは「天地間の陰陽の気が混ざり合って万物を生むということ」とされます。 つまり欲がある立場に立てば 徼という「天地間の陰陽の気が混ざり合って生まれた万物に名前がつけられた状態」しか観えないのではないでしょうか。 確かにそれは玄から生まれたものの一つではあるけども、端であって全てではないのかなと思います。 何事も無欲の立場で妙を観なければいけないのではないかと思いました。 道は奥深くて決してこれ!と捉えられる存在ではけれども、老子の様に無欲の立場に立てば感じることが出来るものなのではないのでしょうか。 道理という言葉は広辞苑では「物事のそうあるべきすじみち」とされますが、 道の理はどこまでも奥深いので、妙であり「玄の又た玄、衆妙の門」とされたのではないのかと思います。 臨床現場にまだ立っていませんが、きっとそういったことも必要なのではないか。と感じています。   参考資料 老子 岩波文庫 蜂屋邦夫著 図解雑学 老子 ナツメ社 蜂屋邦夫著 広辞苑 第七版 岩波書店

猛暑

患者さん 前回寺子屋で患者さんのお身体を借りる際、極力相手がそのままの自分でいられる様に、こちらの雰囲気に引っ張らないようにと意識しました。 相手の雰囲気に溶け込んでいくように意識。 先生の患者さんへのワンクッション挟む様な挨拶なども聞いていて参考になります。   映画 映画、サウンドオブメタルを見ました。 色んな視点や主人公の感情変化が上手く描かれたとても良い作品でした。 内容は突発的に聴力を失った人の話です。 失ったことで生じる世間とのギャップ。 その中でどうにか聞こえるように、元の生活に戻れる様にと試行錯誤しますが、どうも幸せにはなれない。 結局最後のシーンでは色んなものが破綻して喪失、見方によっては悲惨なものでしたが、その中でも主人公が帰る場所を見つかって良かったと感じました。 自分の生活でも聞こえる、聞こえない関係なく帰るべき場所は必要だと思います。 バガボンドの「おっさん穴」が思い返される。   訓練 最近溶け込む訓練として色んな人と会う様にしています。 やはり考えている事は違う事がほとんどで、話していてもやはり人間なので違いはある。 でもその人にはその人の物語があるので合わせる訓練にはなる。 その為には尊重が必要。 昔この先生の考え方好きだな〜と思った人がいて、大体の内容として 「みんな何かしらの夢を見てるんだからその夢に付き合うのも優しさ」 と仰っていた。 優しさというと少し誤解を受けそうなニュアンスに聞こえますが、仰っている意味はわかる。 主観はそれぞれ違う。 相手の物語に寄り添って初めて答えてくれるものなんだと感じています。 きちんと相手を大切にしなければいけない。   ルーティーン 最近は一鍼堂に行く前に難波神社で拝礼してから向かう様にしています。 何を願う訳でもないのですが、そこからが入りやすいので気に入っています。   猛暑 この時期暑くなり、水分摂取が多くなる。 そういった人の話を最近よく聞く。   同じ条件を作ってみるために、自分も長時間運動時して普段よりも水を大量に飲むようにしてみた。 現れた症状は口渇は病まず、胃部の不快感と倦怠感。   先々週みさせて頂いた患者さんも陽明のある部分に熱を持っていたことが思い返される。   激しい運動時、胃にも熱が生まれ、口渇が起こる。 その熱をさまそうと冷たいものを欲する。 胃熱を覚ます意味では一定の冷たいものは正解だと思う。 しかし多くは冷たい水やスポーツドリンクなどをチョイスし、そこに水分も多くなる。 脾が対処できなくなり、湿を溜め込む。   ここで熱+湿という条件が揃った舌を見てみる。   面白いことに表面に泡が貼っていた。 自身の体質的に酒を飲んだ時に出るこの泡。   熱と湿が中焦で発生した時に生まれるもの?   最近モデル患者さんで確認されるお腹の状態にも近づいた。   水分を摂取しすぎることなく、どうにかして胃熱への対処を行う事が必要か。 そういえば西瓜が昔からこう言った時に使われていて、天然の白虎湯とも呼ばれている事を思い出した。   瓜科の植物は熱を覚ましつつ利尿するものが多いのでこの時期は重宝しそうです。   他に自分の体の現象として勉強になった事が尿量の減少。 そこで気になった事が、果たしてよくトイレに行く患者さんが本当に利尿しているか?という疑問。   水をたくさん飲むから出さなきゃと思ってトイレに行くとしても、もしかしたら少量しか出ていないかもしれない。   相手の行動の色眼鏡を抜く訓練にもなり良かったです。   そう思うとその人の行動が自分の思っている通りの状態でない事も考えられるので、四診と結びつかない情報に意味がないと改めて実感しました。