学生・研究生によるブログ

学生・研究生による学びと発見のブログです。

舌診(05)

受付のTさんに、舌の研究の為にご協力頂きました。 表 裏 舌質 舌神:有神 舌色:暗舌 舌形:痩舌・瘀点・舌下脈絡の怒張と小点 舌苔 苔色:灰黄苔 苔質:薄苔・燥苔

温煦作用は気の生理作用?

気の生理作用について。 気には推動・温煦・防御・固摂・気化の5種類の生理作用があると授業で教わった。 その時は特に疑問を持つこともなかったが、中医学の本に、 「温煦作用は陰陽の「陽」の機能であり、「気」の機能ではない」と書かれていた。 ”「陽」は温煦を主り「陰」は涼潤を主る。陽は温煦すなわち温熱性を主り五臓六腑・組織器官および気・血・津液・精を温暖にし、陰は涼潤すなわち寒冷と滋潤性を備え、陽の温熱性を抑制・調節し陽と共同協調して体温を一定に保っている。” (『新装版 中医学入門』神戸中医学研究所より抜粋) 一方で、 ”温煦作用は気の作用で、気は熱源として働き、気によって産生された熱により組織器官を温めすべての生理機能がスムーズに行われるようにする。” (『新板 東洋医学概論』 医道の日本社より抜粋) 温煦作用は陰陽?気?結局どっちなのだろう 読んでも答えはわからないので、疑問のままおいておくことにします。          

中国の思想(07)

老子 四十三章 無為のはたらき 天下之至柔、馳騁天下之至堅。 無有人無間。 吾是以知無為之有益。 不言之教、無為之益、天下希及之。 天下の至柔は、天下の至堅を馳騁す。 無有は無間に入る。 われここをもって無為の益あるを知る。 不言の教、無為の益、天下これに及ぶもの希なり。 (引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P82) 《私議》 一休さんのとんち話の中で出てくる 「生ある者は必ず死す、形ある物は必ず滅す。」 これは諸行無常を説いていたように思いますが、 老子のこの一節を読んで、ふと思い出しました。 日常生活の中で”自然体であること”の強さを日々感じています。 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店
淀屋橋

鍼治療をうけて②

2021/04/07 週に1回の治療 すっかり不眠の症状が表に出て来なくなった。 今週は体調が良く、下半身が軽いと感じていた。 歩く体が軽い すいすいと動く 軽いのに力が入る そういえば...と思い出した。先週は腹の調子が悪かった 今回の治療中に、体調について聞かれて、 腹の調子が悪いと自分が訴えていたことを思い出した。 先週 水曜日あたりに普段の量より多く食べる機会があって、それからのことだった。 とにかくガスの量が著しくて、便の出方はでたらめ、排便の周期もばらばら。 食事は食べれるし、出せるけどずっと(下痢や便秘はなく)軟便気味。 脾胃の気に一定の損傷が起きていることは明らかと感じられた。 パンクしたタイヤを交換せずそのままに走っているから、 車内でガタガタと揺れがひどい、まるでそんな有り様だった。 それも今、整えられている 今回の治療中には、何度も深い呼吸が起こった。 からだが積極的に欠伸を、深呼吸をしにいっているみたいに起こった。 ただ普段でる欠伸に似ているけど違う。 勢いよく吸って吐いてとやっているけど、自分が意図的にやる時の深呼吸とも違う。 (この前記録に残した、なにか栓が外れて空気が抜ける様な、あのときのとも違う) 結局、治療を終えて体を起こして動き出すまでその深い呼吸が続いた 気の巡り方は、体表を動くというよりじんわりと中にという感覚 腹部には湧いてくる様な動き (気が満ちるというのはこういうこを指すのか) 欠伸の時の様に涙が出た。じわりと出る、それが何度も続くので 流れ出たあとが温かく お腹が温かく 手と足が充実している 体の各所に温もりがあって、一瞬 のぼせの症状が出る体調の時の五心煩熱が想起されたが 手と足と、胸 じゃなくて腹。 それから温かさの種類が違う、対極とさえ感じる (こちらの状態を指す言葉はあるのだろうか?) ________________________ これまで鍼を受けたことがないという人から 鍼はどんなだと興味を持って聞かれることがあり、 こうした感覚を載せて伝えられないものか考えた 自然治癒力という言葉で表すのでは全然足りない からだそのものの力を持って癒える 体調が戻ったあとこそ自然を知る 紙飛行機がふわりと着地する光景が似合う

施術日記(05)

T.I 先生との治療練習5回目。 舌診での、軸を作りたいと考えて継続しております。 脉や腹診も含めて考察いたします。 舌診の鍛錬 【目的】 ① 同經への刺鍼であるが、経穴を変更してみる。 ② 舌の理解の為に、脉や腹診との共通項を考える。   問診にて「少々、お疲れ」との事。 この先生がダメージを体に受けている場合には、 舌の右への偏向がみられるようです。 ついでにいえば舌だけに限らず、 立ち居振る舞いにも、ある動きにも特徴が出てきます。 また、脈診においても右腕の脈に特徴を診ました。 舌尖の赤みはあるにせよ、舌辺の赤い斑点はかなり少なくなっています。 ただ、歯痕の凸凹が強く感じられました。 (左)地機:0番鍼にて置鍼(5分) 今回は(04)回までの経穴ではなく、別の経穴を試しました。 切経において、昔の教科書の取穴と現在の教科書の取穴の違いを 議論しながらの刺鍼となりました。 右脚と左脚の経穴を診た感じ、左の地機の方がウブな感じを受けたので、 刺鍼を試します。 舌の出し方が穏やかになり、正中線上に近くなりました。 歯痕も少なくなっております。 今回、特徴的だったのは写真では表現できていないかもしれませんが、 舌に溢れんばかりの潤いが出てきました。 おおよそ、水が引く事のイメージをもっていたので、少し驚いております。 腹診においては前回の治療(04)回と同じように 刺鍼後になってから、脾募へ特徴的な何かを感じました。 ミルフィーユのように階層があるようにも思え、 何かをどかしたら、何かが見えるようになった。のでしょうか。。 今後も経過を見てみたいと思います。
緑地公園 桜2

鍼治療を受けて

先日鍼治療を受けて感じたこと 鍼を置かれた後、 即座に足底の方に向けて動き出す 勢いがあってまるで足から抜けていくような動き 同時に大きな呼気が生じる、 呼吸が何度か続けて起こる。 ふと治療に入る前に心に抱えていた、感情的なこだわり (直近で起こった事について「解せない」と思う、苛立ち、怒りに似た感情) が手放せて軽くなったことに気づく (これは気滞に当てはまるのか?) この直後に体の別の部位、 肩の力みについて意識が入り、肩の緊張が緩む。 この肩の力みは腰の弱さ(慢性腰痛あり)と関連していると自覚する ____________________________ ある部分の滞りが他の部位にも波及していくように ほどける時にも推進力のようなものが働くのだろうか 普段はおとなしい腰痛が悪化する時には、 体が疲労倦怠の状態にあることが多い。 腰に違和感を感じ始めた後に続くのが、 上半身と下半身の疎通不良、からだ全体の動きの硬さや気鬱の症状 (気虚が先で、気滞が後か?) 記事を書きながら、考えていたが 「どちらが」という検討に意味がないと思えてきた ただ、はっきりとしたこと これまでは気病が4種に分類されていること、 この4つをこれまで概念的にしか見てこなかった。 表れる症状を単語と結んで並べていただけだった。

中国の思想(05)

老子 六十六章 統治者はへりくだらねばならぬ 江海所以能為百谷王者、以其善下之。 故能為百谷王。 是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。 是以聖人、処上而民不重、処前而民不害。 是以天下楽推而不厭。 以其不争故、天下莫能与之争。 江海のよく百谷の王たるゆえんは、その善くこれに下るをもってなり。 故によく百谷の王たり。 ここをもって民に上たらんと欲すれば、必ず言をもってこれに下り、 民に先んぜんと欲すれば、必ず身をもってこれを後る。 ここをもって聖人は、上に処るも民は重しとせず、前に処るも民は害とせず。 ここをもって天下推すことを楽しみて厭わず。 その争わざるをもっての故に、天下よくこれと争うことなし。 (引用:『中国の思想[Ⅳ]老子・列子』P105~P107) 《私議》 以前、会社員をしていた時は『人・物・金』を管理するのが仕事でした。 その時の上司からよく言われたのが「頭を垂れる稲穂かな」。 経験豊富な年功を積まれた方々の立ち居振る舞いをみて、 内心『流石!』と思う事は本当によくありました。 今は臨床に立っておりますが、患者さんを目の前にして思う事もあり、 繊細さも難しさも感じます。 【参考文献】 『中国の思想[Ⅵ]老子・列子』徳間書店

先日の症状より(続き)

前回(先日体調を崩したケース)の続き。 体に合わないものを食べたことがきっかけだったと考える。夜間、悪寒にはじまり悪心、煩躁、考えがまとまらなくなり、とても苦しく、手探りで押圧したのが合谷。気が降りていって上部にかかった力が解けて頭部にスペースができた。一度ここで助かったと思った、が実際は違った。下方に押し下げられたが依然そこでうねり向かう先が必要としていると感じた。外に出すべきーそして百会を用いた。体内を一気に突き上げる流れが生じ、嘔吐する。結果的には必要以上に気を漏らしたこの対処が体にもたらした負担によりこの後がしんどかった。 ツボの実相の一端を身をもって知れたことはとても良かった。

胃・小腸・大腸

  霊枢を読み進めていって勉強している事を書いていきます。   《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》 P104 邪気蔵府病形篇「黄帝がいう。「私は五臓六腑の気が、みな井穴から出て、滎穴と輸穴を経て合穴に入ると聞いたことがある。 その気血はどの道を通って注ぎ、進入した後どの蔵府および経脈と連結しているのだろうか。その道理を聞きたいものだ。 岐伯が答える。「これは手足の陽経が別絡から内部に進入して、六府に連続しているのです。」 黄帝がいう。「滎穴・輸穴と合穴には、治療の上で一定の作用があるのか」。 岐伯が答える。「滎穴・合穴の脈気は深いところにあるので、内府の病気を治療できます」。 黄帝がいう。「人体内部の府の病は、どうやって治療するのか」。 岐伯がいう。「陽経の合穴を取ります」。」 黄帝がいう。「合穴には各おの名称があるのか」。 岐伯が答える。「足の陽明胃経の合穴は三里にあります。手の陽明大腸経の脈気は足の陽明胃経を循り巨虚上廉で合します。手の太陽小腸経の脈気は足の陽明胃経を循り巨虚下廉で合します。手の少陽三焦経は足の太陽膀胱経で合します。足の太陽膀胱経は委中で合し、足の少陽胆経は陽陵泉で合します」。」   →下合穴の説明が書かれていました。 腑病にはこれらを使いなさいと提示されています。 ここでは特に、足陽明胃経の上廉(上巨虚)・下廉(下巨虚)が大腸・小腸の合穴に設定されている点が気になりました。   《中医薬大学全国共通教材 腧穴学》 P 64 「中医理論によると大腸小腸は全て、広義の胃に属すので大腸小腸の下合穴は胃経上にあるのである。」 《中医薬大学全国共通教材 全訳中医基礎理論》 P130 「胃の通降作用とは、小腸が食物残渣を大腸に送ったり、大腸が糞便を排泄したりする機能も含んでいる。」   →答えなのでしょうが黄帝内経における根拠が書かれていません。 いや、普通に考えて胃から大腸まで繋がっているじゃないか!とよぎりますが、それは西洋医学の解剖学的所見なので東洋医学を考える上では参考にできません。 極力黄帝内経に理由を求めていきます。 胃〜大腸は、水穀の受納〜糟粕の排出までのラインのはずなので、まずは水穀が糟粕になるまでの流れを追っていきます。   <現代語訳 黄帝内経素問 上巻> P210 五臓別論篇「六腑には、常に水穀が充実しているものですが、反対に精気は充実していません。 この道理は、水穀が口から入ったあと、胃は実するが腸は空虚であり、食物が下へ送られる段階になると、腸は実するが胃は空虚になると理由にもとづいています。」   《現代語訳 黄帝内経霊枢 上巻》 P479 腸胃篇 「「黄帝が伯高に問う。「わたしは六腑の消化器官がどのようになっているか、腸胃の大小・長短、水穀を容れる容量の多少などを知りたいと思う」。 伯高言う。「すべてをお話しいたしましょう。 穀物が口から入って体外に出るまでの消化器官の深浅・遠近・長短の数値は次のとおりです。 唇から歯までは長さ九分、口の端から端までは幅二寸半。歯から会厭までは深さ三寸半、水穀五合を容れることができます。 舌は重さ十両、長さ七寸、幅二寸半。咽門は重さ十両、幅一寸半、咽門から胃までは長さ一尺六寸。 胃の形は曲がりくねっており、それを伸ばすと長さ二尺六寸、周囲一尺五寸、水穀三斗五升を容れることができます。 小腸は腹腔の中にあり、後は脊柱に付き、左から右へ向かって周り廻り、腹腔内で幾重にも折り重なって廻り、下口は廻腸に注ぎ、外側は臍の上に付き、廻り折れ曲がり、湾曲すること全部で十六回、周囲二寸半、直径八分と三分の一、長さ三丈二尺。 廻腸は臍の所に位置し、左に向かって廻り、下向きに重なって、折れ曲がり湾曲すること、同じく十六回、周囲四寸、直径一寸と三分の一、全長二丈一尺。 広腸は脊椎に付き、廻腸が送る糟粕を受け取り、左に向かって廻って脊椎の前に重なり、上から下へ行く程太くなり、最も太い所で周囲八寸、直径二寸と三分の二、長さ二尺八寸。 腸胃の水穀を運輸消化する過程は、口唇から肛門まで総長六丈四寸四分、全部で三十二回の湾曲があります」。」   《臓腑経絡学》 P 63 「大腸は、廻腸、広腸、直腸、肛門(魄門)から成る。」   《中医学ってなんだろう》 P 241 「「大腸の伝導」は、広い意味での「胃の降濁」の一部と言えるものです。 胃気が下降していることは、大腸の伝導の前提となります。」   →飲食物が胃に入って糟粕を排出するまでの過程が示されており、それは胃を起点に一連の流れで繋がっているので古人はこのラインを胃の代表する一つのグループとして考えた。 腸の伝導機能とは胃の降濁機能の一部とも言える。 関連が深いからこそ、わざわざ「腸胃篇」という一つの篇にまとめたのかもしれない。   ↓「胃の通降(降濁)機能」 ①胃◯→小腸→大腸 ②胃→小腸◯→大腸 ③胃→小腸→大腸◯ ④胃→小腸→大腸→◯(糟粕)   続いて「胃経上にある下合穴を刺し腑病を治す」とはどの様な事なのか考えてみたいと思います。   参考資料 <現代語訳 黄帝内経 霊枢 上巻> 東洋学術出版社 南京中医薬大学編著 <現代語訳 黄帝内経 素問 上巻> 東洋学術出版社 南京中医薬大学編著 <中医薬大学全国共通教材 腧穴学> たにぐち書店 主編 楊甲三 <中医薬大学全国共通教材 全訳中医基礎理論> たにぐち書店 主編 印会河 <中医学ってなんだろう> 東洋学術出版社 小金井信宏著
春

鍼治療を受けて③

この1〜2週間、鍼治療で置鍼中に覚えるからだの感覚と似たものが、 通勤の車内や食後に体を休めているとき、朝方 起き抜けの時間帯に、度々現れる。 これもまた変わっていき、鈍化するかもしれないし、もっと別なものに変わるかもしれない。 感受性が高まる背後にあるものは一体何か。 ひとまずいま感じていることを記録したい。 からだの調子は良い、かといってからだに不調がなくなったわけではなく、 不調の波がくれば強い首コリや腰の弱さなどがしんどくて違和感を覚える。 それでも感じ方の種類が違うというか、 痛みや違和感に対して以前の様に嫌わなくなったというか、 身体のうえに生じる感覚を受け取るのに抵抗、邪魔していたものがひとつ落ちたのか、 その分 中が静かになったように感じる。言葉で捕まえるのが難しい